第二話 蒼と紅蓮の怒り
事の発端は約三時間前に遡る。
緋鬼の情報収集を兼ねて餓鬼の巣の調査に出かけていた蓮華と暮木は、突如ヘルヘイムの街角で不穏な輩のグループに囲まれた。
柄も悪ければ人相も極悪。どう見ても〝やんちゃ〟な若者の六人グループで、彼らは共通して黄色の衣服、あるいは装飾品を身につけていた。
それを見て蓮華はすぐ、彼らがのぞみを襲った黄色をチームカラーとするカラーギャングの仲間だろうことを察した。しかしこの時の蓮華はまだ彼らのチーム名も、組織の規模も、どんな連中かも知らなかった。だからこそ、これはチャンスだと思った。
「……僕たちに何か用か?」
「ああ、その通りだ。ちょっと面貸せよ」
答えたのは彼らの中ではリーダー格と思しき短髪の男、庄平だった。周囲の男どもは金属バットや鉄パイプを振り回し、またはナイフをちらつかせて威嚇している。『人間の武器』を振りかざしているあたりから漂う、なんとも言えない小物臭。多分、六人まとめて瞬殺できてしまう。
そんな呆れた溜め息が出そうになりながらも、蓮華は暮木に耳打ちした。
「暮木さん。ここは僕に任せて、暮木さんだけ逃げてくれないか? できれば僕を見捨てる感じで」
「どうするつもりだ?」
「わざと捕まって、あいつらを巣ごと叩いてくる」
蓮華の腹の奥底で密かに怒りが燃えていた。のぞみに恐怖を与えたこの不埒な輩共に。
いかにも単細胞そうな彼らの目的なんて、大方予想がつく。きっと、やられた仲間の報復だ。どこかで見ていた人物がいたのだろう。ギャング仲間がのぞみにやられ、そののぞみを迎えに来た蓮華たちの姿を。
だが、怒りを覚えているのはお前たちだけじゃない。こちらも同じように、お前たちにぶつけたい怒りがあるんだ――そんな思いが滾って、蓮華は拳を握り締める。
「……なるほどな。無茶はするなよ」
暮木は察したように言って忠告を促した後、蓮華を――蹴り飛ばした。
「うべぇ! ――ちょ、ちょっと!? 暮木さん!?」
庄平の前へと無様に転がった蓮華は慌てて暮木に振り返るが、もうそこに彼はおらず、ビルの屋上を駆け回って点になっていく背中だけが見えた。蓮華の慌てたその姿は演技ではない。見捨てる感じで、とはオーダーしたが、まさか蹴られるとは思っていなかったのだ。
だが、お陰でヘタな芝居を打って疑われるような事態は避けられた。
「おいおい、ずいぶんと薄情な仲間じゃねぇか。まあ、今逃げたところでお前に居場所を吐かせるまでだけどな。俺たち『黄色蛇』に手ぇ出したこと、たっぷり後悔させてやるよ――」
庄平のその三流丸出しのセリフを最後に、蓮華はこのボウリング場へと連行された。入り口に二人の見張りを構えており、中にはさらに数人の仲間が待ち構えていて、挙げ句、既に虫の息の男が椅子に縛り付けられて項垂れていた。そしてその男と同じ運命を辿るかのように、蓮華もサンドバッグの如くしこたま殴られた後、椅子に縛り付けられて尋問を受け――今に至る。
連れて行かれた先にはボスが不在だと知り、ならば現われるまでしばらく待ってみようかと考えて大人しく殴られていたのだが、当てが外れた。とんだ骨折り損だったわけだ。
ならばもう用はない。蓮華は遠慮無く鬼の力を解放し、周囲に怒りを具現化させたような炎を滾らせた。
紅蓮の炎が巻き上がり、男たちのたじろぐ顔が紅く照り出される。
「お、お前、鬼の力を……!」
「騙すようなマネをして悪かったよ。僕の仲間に手を出しやがった仕返しに、お前たちのボスをぶっ飛ばしてやろうと思って機会を待ってたんだ。残念ながらボスは来ないみたいだけど」
「仕返しだと……!? ふざけんじゃねぇ! こっちは仲間を殺されたんだぞ! 被害者はこっちだろうが!」
「いいや、違う。お前たちの仲間はのぞみに殺されたんじゃない。のぞみに殺させたんだよ」
蓮華の低くのしかかる声がボウリング場に響き、男たちはその威圧に気圧されていた。
「のぞみは優しい奴だった。自分以上に人を思いやれる優しい奴だった。人を傷つけるようなことは絶対にしなかったし、そんなことを望む奴でもなかった。そんなのぞみが、自ら進んで人を傷つけるわけが、ましてや人を殺すわけがねぇんだよ……!」
怒りのあまり、固く握り締めた拳が、声が、震える。
「僕だって実際に現場を見たわけじゃない。でも、その殺されたお前たちの仲間ってのも、お前たちがこうして僕を殴り続けたみたいに、無抵抗なのぞみに暴力を振るったんじゃないのか……? 恐怖に怯えて涙を浮かべる小さな女の子を、殴り続けたんじゃないのか……?」
想像して、涙が込み上げるほどの怒りが沸き、歯を噛みしめた。その暴力がどれほどのぞみに恐怖を刻んだことか。そして力が暴走し、その結果相手を死に至らしめてしまった事実が、どれほど彼女を追い込んだか。想像するだけで――痛い。
蓮華の纏う紅蓮が一層勢いを増して火の粉を散らす。庄平の顔が怯えて引きつった。
「お、落ち着けよ……。俺たちも詳しくは知らなかったんだ。でもそういうことなら、確かにそちらさんの正当防衛だったのかもなぁ……なんて……はは。悪かったって。だからここは、お互い様ってことで――」
途端に逃げ腰になって御託を並べる小物の言葉をぶった切って、蓮華はその顔面に燃える拳を叩き込む。
「お互い様だと? のぞみに半分も罪を着せてんじゃねぇよ」
回転しながら飛んでいった庄平は床を転がり、そのまま気絶したのか、糸の切れた人形と化した。もう蓮華の言葉も届いていない。
それを合図に、周囲の男衆を縛っていた緊張の糸が切られる。「やりやがったな!」「ぶっ殺せ!」と物騒な怒号を上げて蓮華へと襲いかかり始めた。
もちろん蓮華にとってそんな有象無象の輩がいくら群れたところで脅威ではない。軽く蹴散らしてやろうと、身構えるまでもなく待ち構えていた。
しかしその時。
突如雷鳴が轟き、入り口が木っ端微塵に粉砕された。それと同時、蓮華へとバットを振りかざした男が目の前で閃光に飲まれて消える。目を丸くして男の弾き飛ばされた軌道を追うと、彼は豪速でレーンを転がっていき、全てのピンを倒してストライクを記録した。
――この雷……。
蓮華は嬉しいような、でも自分の怒りのやり場を奪われ不完全燃焼に終わってしまい悔しいような、複雑な笑みを零した。
「ウチの大切な仲間を攫ったっちゅうのはキサマらか……?」
粉々に破壊された入り口に立つのは、やはり漆黒の浴衣の似合う赤髪ハーフ幼女、紗良々だった。どうやら怒髪天のようで、虫けらを見下すような冷酷な眼差しが走っている。その瞳がボロボロの蓮華を捉えると一瞬傷ついたように見開かれて、次の瞬間にはより冷たく温度を無くし、男たちを見下した。
「死ぬ覚悟はできとるんやろなぁ、クズども……!」
紗良々の憤怒に弾ける稲妻がボウリング場を埋め尽くさんばかりに広がった。
ああ、コイツら死んだな――と、蓮華はこれから起こるであろう惨たらしい光景を予期しながら、静かに見守るのだった。