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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第三章 紅い糸
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第序話 器の中の少女

お待たせしました。

第三章スタートです。

 少女の体は既に少女のものではなかった。


 視界良好。五体満足。でも、そこに少女はいない。少女は、暗くてどろどろの深い闇の中を漂っていた。

 見えているものはモニター越しに見ているような感覚で、けれど痛みや感触は鋭く少女の肌を突き刺してくる。


 こんな体になってもう何日だろう。一週間か、二週間か。多分一ヶ月は経ってない。それくらいの時間。少女でない少女は、電波を受信したラジコンのように日々動かされていた。


 今日もきっといつもと同じだ――そう思いながら、少女は勝手に動き回る視界を眺めていた。


 辺りは暗い。何時かはわからないが、深い夜だ。人通りのない路地で、少女は獲物を待つ肉食獣のように息を潜めていた。


 一つの足音が近づいてきて、少女の目が機敏に反応する。聞こえてくるのはハイヒールの靴がアスファルトを叩く高音の足音。女性の足音だ。


 少女の予想通り、目の前をスーツ姿の女性が通り過ぎていく。その瞬間、鳥肌が立つように全身がざわついて、少女の足下から黒い影が伸びていった。

 その影は音もなく女性の背後に忍び寄ると、勢いよく彼女の体に飛びついた。

「きゃっ」と女性が甲高く短い悲鳴を上げたのもつかの間、赤黒い影は瞬く間に彼女を丸呑みし、繭玉のように包み込んで固まった。


 その影は、少女の血だった。少女をこんな体にした『梶谷(かじや)』と呼ばれる男は、この不気味な力のことを『業血の能力』と言っていた。

 異様にお腹が空いて、喉が渇いて、けれど食事をしなくても生きられて、血を操る気味の悪い力が使える。少女は自覚していた。自分がバケモノになってしまったことを。


 こんな体嫌だ。早く普通に戻りたい。もう……こんなことをしたくない――でも少女の体はやっぱり言うことを聞いてくれない。少女は女性の入った血の繭玉を軽々と持ち上げて歩き出す。


 これで三人目だ。少女が人を攫うのは。


 もう嫌だよ。こんなことしたくないよ。助けてよ。コウちゃん、愛奈ちゃん、テンちゃん――少女は沼の底のような心の中で泣いた。


「最近の連続行方不明事件、やーっぱり鬼人の仕業やったか」


 不意に独特な喋り方の女の子の声が聞こえて、少女は振り返った。


 そこに立っていたのは、深淵のような黒い浴衣に身を包んだ、赤髪の女の子。どうしてこんな季節に浴衣を着ているんだろう、などという疑問を思うより以前に、少女は彼女のあまりの美しさに息を飲んだ。


 黒い浴衣と赤い髪とは対照的に透き通るような白い肌が眩しいくらいのコントラストを生んでいる。芸術品のように整った顔立ちは、西洋の血を感じさせる。

 背は少女と変わらないくらい。きっと歳も少女と同じくらいだろう。


 それなのに、どうしてだろう。彼女からは大人の色気や気品が滲み出ていて、少女は彼女と自分自身では比べるのがおこがましいほどの、隔絶された何かを感じ取った。


「なあ、小娘。そないな大きな荷物持ってどこ行くか、ウチに教えてくれへんかな」


 初めて生で聞く関西弁。少し耳がくすぐったい。


「まあ訊かへんでも、その黒いローブ見れば一目瞭然やけどな。アンタ、餓鬼教の(モン)やろ?」


 ダメだよ。逃げて――でも少女の心の叫びが声になることはない。意思とは裏腹に体が勝手に動く。


 少女の足下から血が溢れだし、おどろおどろしい無数の触手へと分裂して赤髪の女の子を襲った。


 嫌だ。やめてよ。こんなことしたくない。誰も傷つけたくなんてない。このままじゃ、あの女の子が――


「プヒヒ! ご機嫌よろしゅうなぁ」


 けれど、赤髪の女の子はこんなバケモノの少女を前にして、ゆとりのある声で笑った。


 そして、蒼白い雷光が辺りの闇を吹き飛ばす。彼女を襲った少女の血の触手は、突如発生した稲妻によってかき消された。

 不思議な出来事に、少女はただただ目を丸くする。もちろん、それは少女の中の少女であって、実際の少女は機械のように表情一つ変えない無表情のままだった。


「安心せぇ。ウチはいたぶる趣味はあらへん。職務として全うするだけや」


 赤髪の女の子は少女に向けて手を伸ばす。反射的に少女の体が危険を察知し、彼女と少女の間に血を固めて造り出した強固な壁を築き上げる。


 再び蒼白い光が煌めき、雷鳴と共に業血の防壁が消し飛んだ。


 その次の瞬間、気がつけば赤髪の女の子が少女の目の前にいた。少女の体はその速さに追いつけず、赤髪の女の子に首を掴まれる。

 少女の体は、そして少女自身も、死を直感した。

 バケモノの自分なんかよりもずっと強い赤髪の女の子に驚きを覚えつつ、少女はこのままでは殺されてしまうことに、どうしようもない恐怖を抱く。


 けれど、どうやら操られている少女の体もそれなりに優秀らしい。少女は赤髪の女の子に首を掴まれた瞬間、彼女の足下へ業血を忍ばせていた。

 その業血が地面から突き出し、槍となって赤髪の女の子を襲う。彼女はそれを一歩手前で察知し、少女から手を放して飛び退いた。


 業血は再びどろりと形を変え、茨のような刺々しく攻撃的な姿になり、蛇のようにうねりながら大地を這って赤髪の女の子を追従する。そして彼女に飛びかかる寸前、クリオネの補食時を彷彿とさせるような幾本もの触手に分裂し、四方八方から彼女を狙う。

 でも、赤髪の女の子の周囲にバチリと小さな電流が弾けた次の瞬間、三度目の強烈な雷撃が迸り業血の触手が塵に変わった。


 敵わない。逃げるべきだ――少女の体がそう判断したのを少女は感じた。


 くるりと方向転換。赤髪の女の子に背を向け、少女の体は駆ける。


「逃がすわけあらへんやろ」


 彼女が突然目の前に現われた。恐ろしく疾い。一瞬で回り込まれたのだ。


 彼女は電流の弾ける手を矛のように構え、少女に向けて突き出す。その軌道は、確実に少女の心臓を捉えている。

 少女は咄嗟に胸元へ業血を集める。けれど、赤髪の女の子の帯電した矛は凄まじい威力を持っていた。業血の守りは粉砕され、少女の体が吹き飛んでいく。


 少女の体は自分自身の体とは思えないほど身軽な動きで受け身を取り体勢を立て直す。初期位置まで押し戻されてしまった少女は、足下に転がる業血の繭を盗み見た。

 そして血を操り、その女性を包み込んだ業血の繭を遙か上空へと投げ飛ばす。その際、鋼のように硬質化させていた繭の業血を溶かし、女性を解き放つ。生身となった女性は、このまま落ちれば確実に致命傷だ。


「チッ! しゃらくさいマネしおって」


 赤髪の女の子は一つ悪態をついてから、空で放物線の軌道を描く女性を追いかけた。

 少女の体の狙いはつまりそれだったのだろう。その隙に、少女は逃走した。


 しばらく走って少女は周囲を警戒する素振りを見せる。しかし、赤髪の女の子が追ってきている様子はない。


 良かった……逃げられたんだ――そう安堵するものの、本当に良かったと言えるのだろうか、と自問自答する。


 このまま生きていても、もしかしたらずっと少女は少女でないままかもしれない。

 少女はどうしていいかわからず、心の中で叫んだ。


 ねぇ、誰か助けて――


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