第終話 残された者の歩み
蓮華は薄暗い道路の真ん中に花束を供えた。そこはのぞみが最期に立っていた場所だ。
激動のあの日から二日が経っていた。蓮華はあれから丸一日半眠りこけていたようで、気がついたら二日後だったのだ。
当然ヘルヘイムは表の世界と同期済みで、破壊の限りを尽くされていた街並みは綺麗に元通りになっている。
それはなんだか、とても寂しい気分だった。
もちろん街が元通りになった方が良いに決まっているし、それを悲観することはおかしいことだとわかっている。けれど蓮華は、なんだか街並みに合わせてのぞみとの記憶まで消されてしまったような気がしていた。
蓮華は屈んで目を閉じ、両手を合わせて思いを馳せる。
掛け替えのない時間をくれたのぞみに、ありがとうと精一杯の感謝の念を込めて。
「……それじゃあ、のぞみ。またな」
蓮華は名残惜しさを覚えながら立ち上がる。すると、こちらに近づいてくる紗良々の姿が目に入った。
「やっぱりここにおったか……。ずっと寝てたかと思えば急に消えおって。自由なやっちゃな」
「ごめんごめん。起こすのも悪いかと思って。一応ターヤンたちには一言伝えてったんだけど」
蓮華が起きた時、紗良々は蓮華を看病していてそのまま寝てしまったのか、机で寝る時のような姿勢で蓮華の寝るベッドに突っ伏してすやすやと睡眠中だったのだ。
「いらん気ぃ遣うなや。まったく……どれだけ心配したと思っとんねん。あのまま目覚めへんのかとハラハラしたわ」
「そんな心配してくれたのか? ずっと僕のこと看病しててくれたみたいだし、紗良々って優しいよな」
「なっ!?」
紗良々の顔が真っ赤に爆発した。
「べべべべ、別に優しくなんてあらへんし! ずっと看病もしとらんし! たまたま疲れてアンタのベッドの近くで寝てもうただけやし! 勘違いすんなやバカ!」
「あ、ああそう……なんかごめん……」
なぜ怒られたのかわからず、蓮華は取り敢えず謝っておく。
「……そ、それで、体の方はどうなんや?」
「え? ああ……うん、問題ないよ。すっかり痛みも消えた」
蓮華の胸を蝕んでいた猛烈な痛みは幻のように消えていた。軽く鬼の力を使ってみても、痛みが押し寄せるようなことはなかった。心臓は何事もなかったかのように脈動を刻んでいる。
「そか……良かった」
紗良々は本当に心底安堵したような、気の緩んだ顔を浮かべる。いつもの気を張った紗良々の顔と違って凄く新鮮で、蓮華は素直に美しいと思った。
やがて紗良々も隣に立ち、供えられた花束を見下ろした。
「……少しは気持ちの整理ついたか?」
「……いや、全然。でも、覚悟は決まったよ」
蓮華は赤い痣の刻まれた手の甲を見つめて、握り締める。
「二度とこんな悲劇は繰り返さない。こんな過ちは、二度と……」
全ては、自分の非力さが招いた結果だ。
力が足りなかった。
覚悟が足りなかった。
もう、大切な誰かを失うのは、嫌だ――
「……なあ、紗良々」
「なんや?」
「呪術って……僕にも使えたりするのかな……」
「なんや急に。なんでそんなこと訊くねん?」
「いや、使えた方が戦術も広がるし、便利かなって」
「……教えんよ。絶対に」
それはテコでも動かなそうな頑なな意思のこもった声だった。
だが、『教えない』と言った。それはつまり、手順を踏み修練すれば誰でも使える可能性があるということを暗に示しているようにも聞こえた。
だから蓮華は食い下がる。
「なんでだよ。もし僕にも使えるんなら、紗良々ばかりに負担をかけるようなこともなくなるじゃないか」
「なんでもや。絶対に使わせん。……そもそも、呪術は陰陽師の正当継承者やないと使えへんのや」
その声は打って変わって、冬の夜風のように侘しさを孕むものだった。
やはり、誰でもは使えない。『教えない』という言葉に僅かに希望を見出しかけたが、儚く散った。
「……そっか。そうだよな。やっぱり陰陽師の血を引く人じゃないとダメだよな。誰でも使えるわけないか」
「せやけど、もし呪術に興味があるんやったら、今度ウチの寺を案内したってもええで。そこに呪術の真髄が眠っとる」
「へぇ、それは興味あるな。それに、紗良々の育った寺っていうのも見てみたい」
「プヒヒ。大層なもんやあらへんよ。ちぃちゃな寺や」
無邪気に笑う紗良々の影で、蓮華はそっと胸に手を当て、握り締める。
「……なあ、紗良々」
「今度はなんやねん?」
「……いや、ごめん。なんでもない」
「はあ? なんやねんそれ。蓮華のくせにウチをからかっとるんか?」
「くせにってなんだよ……。それにお前はいつも僕をからかってるじゃねぇか。おあいこだろ」
「プヒヒ。ウチはええねん。ほら、バカ言っとらんでそろそろ帰るで」
「ああ」
紗良々の後ろを追って蓮華は静かに歩き出す。
蓮華は、なんとなく言えなかった。
胸に、不吉な赤い痣が浮かび上がっていたことを――
あともう一話だけ続きます。
それと、紗良々の言葉に矛盾があることに気付いている方もいらっしゃるかもしれませんが、それは第三章で明かされます。