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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第二章 vs暴食の鬼人
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第十七話 シェン・ターヤン

 小林(こばやし)俊太(しゅんた)は、自分のありふれていてこれといった特徴のない、普通の名前が嫌いだった。

 いや違う。彼は『普通』が嫌いだった。


 俊太は所謂(いわゆる)社会のはみ出し者というやつで、一度しかない人生を普通に過ごすことを拒んだ。

 嫌だった。誰かが歩いた道を歩くのは。どうせなら誰も歩いたことのない、自分だけの人生を歩きたい。命の燃焼を感じられるような、生き甲斐というものを感じられるような、そんな生き方がしたい。

 若かりし頃の俊太は……といっても今も十分若いが、まだ青かった頃の彼は、そんな野心を抱いていた。


 そしてその結果――落ちぶれた。


 野心だけが暴れて肝心のやりたいことは見つからず、受験もしなければ就職もせず、高校卒業後は立派なヒキニート。部屋にこもってネトゲ三昧の毎日で、合間を縫ってネット掲示板で人生の成功者たちを僻んで叩きまくり、口だけ達者な社会のゴミクズに成り果てた。

 昼寝て夜に起き、飯はカップ麺とポテチその他スナック菓子オンリー。お供の飲料はもちろんコーラなどの砂糖たっぷりジュース類。そんな生活を続けていたら高校の時はスマートだった体がぶくぶく太っていき、二年後、二十歳(はたち)になった頃には肥えたブタになっていた。


 ヒキニート一年目は家族や友達に心配され、なんとか社会復帰させようと励まされたが、二年目に入ると誰からも――家族からさえも声をかけられなくなり、そして三年目には見放され、まるで透明人間のように見えないものとして扱われるようになった。

 落ちぶれた先に待っているのはただの地獄だ。人間がダメになるのは本当に一瞬で、しかも簡単で、そのくせ一度ドロップアウトしたらなかなか立ち上がれないという、泥沼のようにタチの悪い悪循環が待っている。俊太はその泥沼に華麗に足を突っ込み、そしてお手本のように見事に抜け出せなくなった。


 二十歳(はたち)を迎えた頃には青かりし日に抱いていた野心は霞み、怠惰な生活に溺れ、もうこのまま死んでしまおうかとすら彼は思った。その方が社会のタメだろうと、家族のタメだろうと、葬式には喜びの涙すら流すだろうと、そんなことすら思っていた。


 そんなある日のことだ。俊太がバケモノに出遭ったのは。


 いつものように夜中に起床し、ネット掲示板を巡回してからネトゲにログイン。しばらくプレイして深夜三時を回った頃、腹が減った。だが夜食のカップ麺もポテチもストックが切れていて食べるものがない。仕方なく俊太は薄暗い我が家の中を物色して親の財布から金を抜き取り、近くのコンビニに出かけた。

 近くのコンビニと言っても、彼の地元は田舎町で、徒歩三十分近くかかる。自転車は持ってないし、もちろん車も持ってなければ免許すら持ってない彼は、歩くしかない。億劫ではあったけれど、しかしたまには少しでも運動しないと本気でヤバいという自覚くらいはあった彼は、健気に歩いた。逆に言えば、コンビニに行く時くらいしか動かなかった。


 空は曇っていて、月明かりの全くない暗い闇夜だった。いつものコンビニルートである山沿いの田舎道を歩く。その道はさすがど田舎といった感じで、街灯一つない。だから俊太はいつも懐中電灯を持参してその道を歩く。じゃないと本当に何も見えないくらい暗い。

 いくら暗いと言っても、もう通い慣れた道。何も恐れることはない……と思っていた彼だったのだが、その夜はいつもより特別暗くて、不気味な気配がした。


 ――そして、出遭ってしまった。


「ん?」


 俊太は前方に濃い気配を感じて懐中電灯を照らす。


「ひっ……!」


 情けない声を上げた。


 懐中電灯のスポットライトに照らされた先には、バケモノがいた。

 彼の二倍以上はある背丈に、筋肉隆々とした体。特に腕は異様に発達していて、太くて長い。全身黒色の体皮をしていて、頭らしきものはあるが目がなく、代わりに大きく裂けた口が開き、鋭い牙が露出している。そしてその口からは滝のようにヨダレが滴っていた。

 例えるのならば、のっぺらぼうの巨人ボディビルダー。

 そんな理解不能な存在が突然目の前に現われて、俊太はパニックになった。


 ――夢? 幻覚? それとも最近置かれた趣味の悪いオブジェ?


 そんな、目の前の光景を疑う思考が働く。けれど、それは紛れもない現実の存在だった。

 ずしん、と重たい足音を響かせてバケモノが近づいてくる。歯がガチガチと音を立てて震えた。怖かった。でも、彼は動けなかった。恐怖で体が固まって、棒立ちするしかできなかった。


 やがてバケモノが俊太の目の前に立つ。そしてその太くて逞しい腕を伸ばし、長い爪の生えた人差し指を彼に向けた。すると右手の甲に鋭い痛みが走り、彼は懐中電灯を落とす。見れば、赤いスライム状の物体が彼の手の甲に侵入していた。


「――うわぁああぁあああ!」


 その痛みで金縛りから解き放たれた俊太は取り乱して腰を抜かし、右手を振り回す。だがその物体は離れることなく、ついに彼の手の甲の中へと溶け込んだ。

 手の甲に刻まれた謎の赤い模様に混乱し呼吸を乱しながら、前を見る。バケモノは忽然と姿を消していた。


 買い物どころではなくなった俊太は家に飛んで帰り、部屋で布団に潜り込んだ。


「夢だ夢だ夢だ夢だ……!」


 言い聞かせるように呟いて自分を落ち着かせる。でも手の甲に刻まれた証拠が彼を現実に引き戻す。

 しかし、二時間もすれば落ち着いてきた。一生分は暴れていた心臓も平常運転に戻り、呼吸も平坦。手の甲の模様は、きっとどこかで転んで怪我したんだろう。そう思い込む。


 落ち着いた途端に猛烈な空腹が押し寄せてきて、そういえばお腹が空いていたんだったと思い出す。それに、なんだか喉もからからだった。

 さすがにもうコンビニに行く気は起きず、薄暗いキッチンに忍び込んで食料を漁る。ロールパンを見つけて、とりあえずそのまま一口。


「ん……!?」


 一噛みした途端、俊太は異変に顔を歪ませた。

 苦い。もちもちのはずのパンがぼろぼろと崩れていく。


 うぇ――っとシンクに吐き出すと、それはパンではなく真っ黒な物体。味と食感とその見た目から、炭としか答えが導き出せなかった。

 わけがわからず、とにかく苦い口の中を洗いたくて水を飲む。――だが、その水は飲めなかった。喉を通る前に水が消失した。そして息を吐くと、熱く湿った湯気が出る。まるで沸騰したやかんから蒸気が噴き出すみたいに。


 再びパニックに陥り俊太は部屋にこもる。


「……そうか。これは悪い夢だ。はは、まだ夢の中なのか」


 逃避の結果そんな結論に至り、俊太は空腹と渇きを耐え凌いで強引に一眠りすることにした。寝て起きたら全てが元通り。そうなっていることを願って。

 すぐに微睡みに襲われた。いや、目眩だ。風邪を引いたみたいに体が怠くなり、意識が朦朧としてきて、俊太は深い眠りに(いざな)われた。






 正午過ぎに目が覚めた。平日の昼間。妹は学校に行っていて、両親は仕事に出ている。

 目眩や怠さは消え、体調に問題はない。空腹と喉の渇き以外は。


 誰もいないキッチンに行って、俊太はさっそく確かめてみる。

 ……現実は変わっていなかった。夢などではなかった。相変わらずの極限の空腹と渇き。そしてやはりパンは炭になり、水は蒸気に変わり果てた。


 俊太はまた部屋にこもった。

 これはゴミクズに与えられた制裁――天罰なのかもしれないと思い始めた。きっと自分は生きながらにして地獄に落とされたのだ、と。

 しかし時間が経つにつれ、そんな思考すらも湧かなくなる。空腹と渇きが限界に達し、彼の思考回路を破壊する。食べることしか考えられなくなり、我を失った。


「肉……肉……人の肉……」


 唐突に頭に浮かんだ。人の肉を喰いたい、と。

 夕方過ぎ。その〝本能〟に従い、俊太はふらふらと部屋を出る。そして玄関から外へ出た。すると、ちょうど仕事から帰ってきた母と庭先で鉢合わせた。


「俊太……? ど、どうしたの? こんな時間に起きてるなんて……」


 母は奇妙な光景を目にするみたいにおどけた顔をする。でも、すでに俊太の思考は彼のものではなくなっていた。


「肉……肉……!」

「え……? ちょっと、何よそのヨダレ……。どこか具合でも――」

「喰わせろォ!」


 無心で母に襲いかかる。母は息を吸うみたいな小さな悲鳴を上げた。でも、その時だった。

 全身に駆け抜ける強烈な痺れ。青白い電撃が体に迸り、そのまま視界が暗く閉じていく。俊太は意識を失って倒れた。






 再び目が覚めると、俊太は知らない場所にいた。無機質で質素でベッド以外何もない狭い部屋。そのベッドに彼は寝ている。起き上がって見回してみれば、この部屋を仕切る壁の一つが鉄格子だった。そう、まるで牢屋のような――


「ようやっと起きたみたいやなぁ」


 響き渡る少女の声。この牢屋の外から聞こえてきて、俊太は目を向ける。夜になるまで気を失っていたのか、辺りは薄暗かった。明かりは一切点いていなくて、でも視認できる程度にはぼんやりと明るい。不思議な光景だった。

 そしてカランコロンと甲高い下駄の足音を響かせて鉄格子の向こう側に現われた、黒い浴衣に深く赤い髪が映えるハーフ顔の少女。


「まずは自己紹介からのがええか? ウチは紗良々や。よろしゅうなぁ」


 それが、俊太と紗良々の出会いだった。


「ボクは小林俊太……です……」


 遙かに年下の見た目をした幼い彼女に、俊太は思わず敬語を使う。この時既に、彼は彼女から見た目以上の何かを感じ取っていた。


「こ、これは一体……。ここはどこ……?」

「留置所や。っちゅうても、ヘルヘイム側のやけどな」

「留置所……? ヘルヘイ……ム……?」

「アンタが実のオカンを喰い殺しそうやったんでなぁ。さすがにカワイソ思て、見かねて手ぇ出してもうたんや」


 言われてハッと思い出す。空腹のあまり我を失い、母を喰おうとしたことを。


「ど、どうしてボクはあんなことを……!」

「しゃーないしゃーない。餓鬼に呪われてもうたんやから」

「ガキ……?」


 そこで彼女は俊太に教えてくれた。

 餓鬼という、空腹と渇きを味わい続け、共食いすることしかできない宿命を背負ったバケモノの存在と、それに呪われた者の末路を。

 そして、今の俊太が鬼人もどきの状態で、まだ人間に戻れる余地があること。その条件が、一週間飲まず食わずで過ごさなければならないということも。


「――ほな、ここで選択や。人を喰らって死ぬまで苦しみを味わい続けるバケモノに成り果てるか、それとも一週間だけ地獄の苦しみを耐え抜いて人間に戻るか。好きな方を選びんさい」

「嫌だ……! 嫌だ! こんな苦しみを一生なんて考えられないよ!」

「ほんならさっきも言うた通り、一週間の断食やな。ちょいと荒療治やけど、アンタを一週間この牢屋に監禁させてもらうで」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 一週間監禁って、それこそボクは耐えられるかどうか……!」


 突然、彼女は下駄で鉄格子を蹴る。静寂した留置所内にその音はうるさいほどよく響き、余韻を残す鉄の振動音が鼓膜を揺すぶる。

 彼女は情の一切を排斥した冷徹な瞳で俊太を見据えていた。そのあまりの気迫に彼は身を竦ませる。


「うだうだうっさい小僧やな。ほんならその状態で外出歩くんか? そんなんまた人襲うだけやろ。人間戻りたいなら我慢しぃや。たった一週間耐え抜くだけで人間戻れるんやぞ? 幸せな話やんか」


 畏縮していまい、俊太は押し黙る。それを彼女は了解と受け取ったらしい。


「プヒヒ。物わかりがよろしゅうようでなにより。ほな頑張り。ちなみに、ここは人間のおらん裏側の世界、ヘルヘイムっちゅう場所や。どんだけ喚こうと助けは来んからそこんとこよろしゅうな。あ、そやそや。アンタのオカンのことも心配せんでええで。一緒に気絶させてアンタん()にぶち込んどいたから。目ぇ覚めたら夢か何かと思っとるやろ。ほなさいなら」

「ちょっと待ってよ! 行っちゃうのかよ!? ボクを独りにしないでよ!」

「安心せぇ。また会いに来たるから」


 そう軽い口調で言い残し、彼女は手をひらひらと振りながら甲高い下駄の音を響かせて消えてしまった。

 そしてその言葉通り、彼女は本当に頻繁に顔を見せてくれた。彼女はおしゃべりな人だった。空腹と渇きから気力が尽き果てて虚ろな瞳で座り込む俊太に、彼女は色々と語りかけてくれた。

 彼女の好きなもの、嫌いなもの、その理由――そんな下らない些細な会話。俊太にとってはどうでもいいような内容の話なのに、意気揚々と楽しそうに話す彼女の声が身に染みて、なぜか心地良かった。


 時々外で騒がしい音がした。建物が倒れたりするような音や、爆発音のようなものまで。その音は振動となり、この牢屋を揺らすこともあった。まるで怪獣が暴れているみたいだと、朦朧とした頭で俊太は思った。

 そんな騒音が収まった後に俊太の前に姿を現す彼女は、決まって浴衣が汚れていた。怪我をして血を流している時すらあった。でも何かあったのかと訊ねても、彼女は「べつになんもあらへんで」とはぐらかし、すぐに別の話題を差し込んで話を逸らす。疑問に思う気力も残っていなかった俊太は、それ以上特に気に留めることもなかった。


 そんなある日――監禁生活四日目のことだ。

 その日もいつものように外が騒がしかった。けれどその日は、どんどんその音が近づいてきて――


「――ッ!?」


 凄まじい破砕音と共に大激震が巻き起こり、牢屋の目の前の鉄筋コンクリート製の壁が粉々に破壊された。

 砂塵が舞い上がり景色が霞むものの、やがて砂煙が晴れ渡り、それは正体を現した。


 ぽっかり空いた壁の巨大な穴の外に立つ、筋肉隆々とした巨体のバケモノ。目がなく、代わりに大きく裂けた口からは大量のヨダレが滴っている。俊太に呪いをかけた、あの餓鬼だった。

 餓鬼は穴を潜ってこちらに近づいてきた。その手には、新鮮な血がこぼれ落ちる人間の腕が握られている。どうやら俊太を鬼人へと変えるためにわざわざ持ってきたらしい。

 俊太は恐怖し体が固まり、微塵も動けなかった。でも、直後にガラスの割られる音がして黒い影が通路に転がり込んでくる。


 その影は紗良々だった。


 彼女は起き上がってすぐ、餓鬼に掌を向ける。すると掌が青白く発光し、レーザービームのような稲妻が放たれた。

 雷撃は耳を劈くような雷鳴を轟かせて餓鬼の側面に直撃。巨体が吹き飛び、通路の端の壁に衝突した。

その光景に、どうしてか俊太は恐怖も忘れ、ただただ感動を覚えた。


 それはきっと、これまで彼女が会いに来る度に服が汚れていた理由と外が騒がしかった理由がわかってしまったからだ。

 彼女はずっと戦っていたのだ。俊太を護るために、人間に戻りたいという彼の願望を叶えるために、身を挺して。

 その彼女の人間性に俊太の心が打ち震えた。魂が叫び出しそうだった。


「プヒヒ……。スマンな、小僧。ちょいとしくじってもうたわ。アイツ、目があらへん代わりに勘が鋭くてなぁ……。小僧の居場所がバレてもうた」


 そう言う彼女は苦しそうに息が上がっている。既に外で激戦を交えていたようだった。


「グォオォオォオオオオォオオオオオッッッ!」


 餓鬼が不気味な咆哮で大気を震わせた直後、その巨体を揺らして壁を粉砕しながら通路を突進。紗良々へと攻撃を仕掛けてきた。


「くっ……!」


 彼女は苦し紛れに稲妻を放つ。だが消耗していて力が足りないのか、先ほどの一撃より遙かに出力が弱く、餓鬼を吹き飛ばすことはおろか、突進を止めることすらできない。


「ぐあっ!」


 餓鬼の振り込んだ巨大な手が彼女を掴んで壁に押しつけ、彼女は苦しそうに息を吐いた。


 このままでは紗良々が危ない――


 俊太が下を見ると、牢屋の外、鉄格子のすぐ近くの、手を伸ばせば届くような場所に、餓鬼の持ってきた人間の腕が転がっていた。

 俊太は懸命に手を伸ばしてそれを掴み取る。初めて見る切断された人間の体の一部。グロテスクで気持ち悪かった。でも――迷いはなかった。

 魂が叫んでいた。

 ここに自分の生きる道がある。自分の求めていた生き方がある。常人には真似できない、普通ではない人生が待っている、と――


 腕の肉にかぶりつく。それは炭化することなく、彼の喉を下る。

 心臓が強く脈打った。同時に、力が漲ってくる。脂肪だらけで弛みまくりだった彼の体がみるみる引き締まり、筋肉が膨れあがっていく。


 俊太はその有り余る力で牢屋の鉄格子をねじ曲げ、破壊。そして餓鬼へと一直線に突っ込む。

 餓鬼は俊太に気がつき、首だけ振り向いた。だが、餓鬼が動くよりも早く、


「――はぁあぁああああッ!」


 俊太はアッパーのごとく拳を振り上げ、紗良々を掴んでいた餓鬼の腕を下から突き上げる。彼の拳は餓鬼の大木のように太い腕を粉砕。肉と血をぶちまけ、腕が落ちる。同時に彼女も解放された。


「ギョアァアアアアァアアァアアア!」


 餓鬼は断末魔の叫びを上げて数歩よろめく。さらに俊太は餓鬼の脚を殴打。大砲に打ち抜かれたみたいに脚が飛ぶ。それによってバランスを崩した餓鬼は前のめりに倒れてきた。その落ちてくる頭に狙いを定め、彼は再び拳を振り上げる。その拳で餓鬼の頭を粉砕――するはずだった。


 だが餓鬼はすんでのところで首を傾げ、俊太の拳を躱した。そして一本ずつしかない腕と脚で奇妙に飛んで彼から距離を取る。そのまま二本しかない支えで這いつくばり獣のように喉を鳴らし、目のない顔で彼を睨んだ。

 襲ってくるかと身構えた俊太だったが、分が悪いと判断したのか、餓鬼は横に飛んで壁に空いた穴から外へと逃げ出した。


「けほっ……けほけほっ……。小僧……何しとんのや……。人間に、戻るんとちゃうんかったんか……」


 とても苦しそうに言葉を紡ぐ彼女。だが、俊太は言う。


「やっと見つけたんだ。ボクの生きる道を。ボクの生きる意味を。生き甲斐を」

「は……? 何言うとん――」

「ボクはキミが好きだ。だからキミを護るために、ボクはボクの全てを使いたい」


 俊太の純真な告白に、しかし彼女は「プヒヒ」と笑った。


「こんな幼女を好きとかロリコンかいな。それに、惚れやすすぎやろ。まだ出会って間もないやんけ」

「見た目なんて関係ない。ボクはキミの中身が好きだ。人間性が好きだ。出会って間もないボクなんかを命懸けで助けてくれたキミが好きだ」


 今まで異性と縁がなかった俊太だから、ちょっと優しくされただけで惚れてしまったような、そんなものなのかもしれない。でも、キッカケがどうであれ、彼は紗良々を好きになった。彼女のためなら自分の人生の全てを捧げてもいいと心から思えた。それほど、彼女の人間性に彼は魅せられた。


「……プヒヒ! ようわからんけど、あんがとさん。せやけど、ウチは細身の男が好みでなぁ。その想い、報われんかもしれんで?」

「構わない。ボクはキミの幸せを一番に願う。キミが幸せになれるならなんでもいい。そのキミの幸せを護るために、ボクは生きる」


 そうしてこの日、俊太はシェン・ターヤンに名を変え、今までの自分を捨てて、誓った。

 紗良々の幸せのためだけに、この命を燃やそうと。


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