第十四話 炎々と燃える
ショッピングモール、コインランドリー、公園――蓮華はのぞみの行きそうな場所を懸命に頭に思い浮かべ、手当たり次第に足を運んだ。だが、どこにものぞみの影を見つけることはできなかった。
のぞみはお金を持っていない。だから交通機関を使うことはないだろう。ならば子供の足で行ける範囲のはずだ。そう推測して蓮華たちのアパート周辺に限定して探し回ったのだが、たった一人で手掛かりなしに捜索するのはさすがに無理があるらしい。さらにはヘルヘイムも含めるとなれば、もうお手上げだ。
嫌な焦りを感じながらも呼吸を整えて悩んでいると、蓮華のスマホがバイブレーション。見れば、紗良々から電話の着信だった。もしかして、と急いで電話を取る。
「もしかして帰ってきたのか!?」
「いきなりうっさいわ! 耳キーンてなったやろが!」
「ご、ごめん……」
気持ちが逸って力みすぎたことを反省し、呼吸を落ち着かせる。
「それで、のぞみが帰ってきたのか?」
「帰ってはきとらん。でも見つけたで」
「は? どういう意味だよ」
紗良々は家で遊んでいると思い込んでいた蓮華は、すぐに話を飲み込めなかった。
「アンタがあまりにも頼りないからウチとターヤンも探しに出たんや。このバカタレが」
「紗良々……」
やっぱりなんだかんだ優しい紗良々に蓮華の心が温まる。
「で、どこにいたんだ?」
「それがなぁ……」
吉報……と思いきや、どういうわけか紗良々の口調が重たげだった。
「……取り敢えず、こっちに来てくれへんか。その方が話が早いわ」
蓮華は紗良々に教えてもらった場所へと急行した。紗良々が言うには、のぞみはヘルヘイム側の街角にいたらしい。どうしてヘルヘイムに――と不安が湧いたが、取り敢えずのぞみの身は安全とのことだった。そしてそれ以上のことは実際に来て自分の目で確かめろ、と。
わけもわからないまま紗良々の告げた場所――ヘルヘイムのとあるコンビニ前にたどり着くと、既にそこに紗良々とターヤンが待ち構えていた。
「おい、紗良々。一体どういう……」
問い詰めかけた蓮華に、紗良々は壁に背を預けながら親指で横の道脇を指し示した。その方向に視線を動かして、蓮華はさらに混乱する。
その道路一杯に、エメラルド色をした無数の蛍のような光が漂っていた。その光の粒の中に、のぞみはいた。体育座りで俯いていて、動かない。
「のぞ――」
反射的に声をかけようとして、しかし光の粒以外の異様な光景に気がつく。のぞみの周囲には、何体もの腐乱死体が転がっていた。二つは、人間の面影があるため鬼人の死体だろう。それ以外の腐乱死体は、恐らく餓鬼だった。
「紗良々……。これは……なんだよ……?」
「恐らく、『疫病神』の妖術やろな」
「……じゃあ、あれはのぞみが……? でも、そんな……」
餓鬼ならばまだしも、鬼人の死体まで転がっている。あののぞみが自分の意志で人を傷つけるなど、考えられなかった。
「一人で出歩いとったもんやから、ギャングや餓鬼に襲われて咄嗟に力を使ってもうたんやないか?」
「ギャング?」
「どの死体も黄色いモン身につけとるやろ。十中八九、カラーギャングや」
言われて見てみれば、首がなく腹部に穴の空いた死体一体と腐乱死体二体のすべて、確かに統一された黄色のスカーフやタオル、リストバンドが身につけられていた。
「実は東京で鬼人が見つかりにくい〝特殊な理由〟は、餓鬼教だけやあらへんくてな。これも関係してんねや。都会だからなんか知らんけど、ヘルヘイム側を縄張りにする鬼人のギャングが多いねん。せやから表の世界をいくら探しても鬼人がおらんのや」
蓮華が表の世界で目を光らせても一人の鬼人も見つけられなかった理由は、そういうことだったらしい。
「……じゃあ、のぞみはあいつらに襲われて……」
「ただの推測やけどな」
蓮華はぐっと拳を握り締める。
――あんまりじゃないか。のぞみは何もしていないのに、どうして彼女ばかりが傷つかなければならない。のぞみの特性が引き起こしたことだとしても、彼女が望んだわけではないのに。どうして彼女がこんな目に遭わなければならない。あんなに心優しい少女が、なぜ。
怖かっただろう。寂しかっただろう。
一人で孤独に戦っていたのぞみを想像すると、胸が張り裂けそうに痛くなった。
理不尽だ。不条理だ。こんなのは……間違っている。
救いたい。いや――救うべきだ。
蓮華は意を決してのぞみを見る。
「のぞみ!」
その呼び声に、のぞみはハッとしたように顔を上げた。蓮華は光の粒の漂う中をずんずんと突き進んでいく。
「蓮華お兄ちゃん……!? 何やってるの!? ダメだよ! 来ないで! 今、私にも力が制御できなくて……!」
それでも構わず、蓮華は突き進んだ。
肩に一粒の光が当たった。それは服の上から蓮華の肌へと染み込んでいき、肉体を侵食し始める。そして腕に当たり、足に当たった。すぐに腐敗が始まり、じくじくとした痛みが蝕んでくる。
だが蓮華は顔色一つ変えることなく、のぞみのもとにたどり着く。痛みのことなど眼中になかった。どうでもよかった。
蓮華は屈んで、のぞみの頭を撫でる。のぞみは唇が切れて血を流していて、蓮華はまた胸が締め付けられた。
「心配させんなよ、のぞみ。ずっと帰りを待ってたんだからな?」
「蓮華お兄ちゃん……!」
のぞみの目が潤む。次いで決壊したように涙が溢れ出た。同時に、周囲に漂っていたエメラルド色の輝きが失せた。どうやら、力の制御がついたようだ。蓮華の体の腐食は首にまで及んでいたが、今は侵食が止まっている。
「血! はい、血!」
「ほがっ!」
のぞみが自分の唇の血を指で絡め取って蓮華の口に突っ込んだ。突然口に侵入した幼女の指に困惑しながらもその鉄の味を喉に下すと、瞬く間に腐敗した肉体が治癒されていき、痛みが引いていく。
「お前なぁ……。気持ちは嬉しいけど、もうちょっと落ち着いてやってくれよ……。せっかくの僕の格好いいシーンが台無しじゃねぇか」
「……えへへ。蓮華お兄ちゃんらしいね」
涙目で減らず口を叩く憎らしい幼女に、蓮華は胸を撫で下ろして微笑む。
「さ、帰るか」
「うん」
蓮華の温かな手を取って、のぞみは立ち上がる。
ターヤンは相変わらずの仏頂面だったが、その二人の様子を影で見守っていた紗良々は、呆れたような安堵したような、複雑な笑みを零していた。
無事に一件落着したところで、蓮華たちは帰路につく。
――だが、事態は最悪なタイミングで、最悪な展開を見せた。
アパートに近づいた辺りから、既に様子が変だった。遠くでサイレンの音が響いていて、妙に騒がしい。さらに近づくと、空が赤く明るくなっていた。
胸騒ぎがして、蓮華たちは無言で足を速めた。そして〝現場〟に到着して、蓮華らは呆然と立ち尽くす。
蓮華たちのアパートが燃えていた。全てを焼き尽くさんばかりの苛烈な炎が、ごうごうと音を立ててアパートを丸ごと飲み込んでいた。
蓮華にはその光景が、あの日の燃えさかる蓮華の家と酷く重なって、目眩のするような頭痛が押し寄せる。
「……厄介なことになる前に、行くで。またヘルヘイムのマンションに逆戻りや」
紗良々は振り返って歩き出し、ターヤンも何も言葉を発することなく、その後を追っていく。
「のぞみ……」
未だに呆然と立ち尽くしながらその大きな瞳で惨状を目に焼き付けるのぞみに、蓮華は弱々しくも声をかける。
「わたしの……せい……?」
「違う。のぞみのせいじゃない。これは多分……僕らのせいだ」
蓮華は知っている。この光景を。これは……餓鬼教のやり口だ。
テレビの発火のように、のぞみの特性が引き寄せた厄災という線も考えられるかもしれない。あるいはただの火災事故という線もあるかもしれない。でも、蓮華の直感はこの炎の裏に陰謀めいたものを確信していた。
「行こう、のぞみ」
蓮華は抜け殻になってしまったのぞみの手を取り、強引に連れてその場を去る。
その胸には、餓鬼教への狂おしいほどの怒りが湧いていた。