第八話 つかの間の団欒
「――ってわけで、これからのぞみも僕たちと一緒に暮らすことになったんだけど……」
「フーン。まア、紗良々たんがいいって言ったんならいいんじゃナイ?」
「俺も紗良々の決定ならば文句はない」
根城のマンションに帰還し、覚悟を決めてからターヤンと暮木に打ち明けた蓮華だったが、予想外にあっさりした反応で拍子抜けしてしまった。二人の紗良々への絶対的信頼感には天晴れと言いたくなる。
何がともあれ無事にのぞみの同居が許可されたのは良かったのだが、しかし事態は深刻だ。
紗良々の口からレオの存在や灰鬼の存在に加え緋鬼が東京に現われたことが告げられると、二人は目を丸くして驚愕していた。ならばヘルヘイム側で生活などしていられない、という結論になり、早急に荷物を纏めて蓮華たちは表の世界へと避難した。
表の世界で暮らすには、正式な手続きを踏んで家を借りる必要がある。ホテル暮らしやネカフェ暮らしなんて手もあるが、長期滞在するならばアパートを借りた方が手っ取り早いし安上がりだ。
暮木がシングルファザー。ターヤンと蓮華と紗良々とのぞみが四人兄妹――という無茶苦茶な設定で不動産屋を巡り、即入居可能な住処を探す。
紗良々の「綺麗で大きなお風呂が欲しい! あとウチ専用の部屋も!」という要望のせいで部屋探しは難航を極めた。十二件目でようやく紗良々の納得のいく物件が見つかり、入居が決まる。
そこは木造二階建ての一階角部屋。都会にしては贅沢な2DKの間取りの部屋だった。
八畳の和室と、同じく八畳の洋室が一つずつ。お風呂もゆったりとしたユニットバスで、紗良々も大層気に入ったようだ。ちなみに、洋室は紗良々の部屋になった。ということは、残りの八畳和室に四人で過ごすことになる。えらい窮屈だな、と蓮華はげんなりした。
それから近くの家具量販店で人数分の寝具を買い揃え、さらにテーブルも一つくらいあった方が良いだろうと和室に合いそうなちゃぶ台を一つ購入。
前住み着いていたヘルヘイム側の超高級マンションに置いていた衣類やらを運んで、一段落して部屋で休めるようになった頃には夜九時を過ぎていた。
「はぁー疲れたぁー……」
買ったばかりの布団に倒れ込む。新品独特の薬品臭さみたいなものが鼻を掠める。蓮華のあんまり好きじゃない匂いだった。早く天日干ししてお日様の匂いに変えたい。
「わーい! お布団だー! いえーい!」
のぞみがほくほく顔で蓮華の隣に敷かれた布団にぼふんとダイブ。ばたばたと足をばたつかせて布団の中を泳ぎ始めた。
「のぞみは元気だなー」
「だって楽しいんだもん。嬉しいんだもん。お買い物も、こうやって誰かと一緒に寝るのも! 家族ってこんな感じなのかなっ」
虚勢を張らない無邪気なのぞみは見た目相応の子供らしさが溢れていて可愛げがあった。気を許してくれたということだろうか。だとしたら嬉しい限りだ。
「さて。一段落したことやし……腹ごしらえや! ターヤン!」
「ホイサ」
紗良々の指揮でターヤンがエプロンを装着してキッチンに向かった。今から晩ご飯ということらしい。
紗良々は腹ごしらえと言ったが、蓮華たちは腹をこさえることができない。でも、紗良々たちは毎日昼飯と晩飯を食べる習慣をつけていた。だから蓮華もそれにならって毎日血の味のするご飯を食べている。
理由は聞いていない。でもきっと、人間らしい生活をしたいという気持ちの表れなんじゃないかと、蓮華は勝手に思っている。それに、食事というのは人にとって結構大事な娯楽なのだと、鬼人になってから気がついた。ターヤンが言っていたように、腹は膨れないけれど、美味しいものを食べると幸せな気持ちになれるから。
「……そういえば、のぞみってご飯とか食べんの?」
「んー、普段は必要ないけど食べれるよ。でも、力を使った時は『食べなきゃ』に変わるかな」
「力……?」
「相手を病に侵す疫病神の力だよ。その力は使うと血を消費するの。血を増やすには食事をしないとだから、力を使った後はご飯を食べなきゃなんだー」
「……まるで餓鬼とか鬼人と一緒なんだな……」
「そりゃあ〝妖術〟の類いやからな」
紗良々は割って入って教えてくれた。
「血とか肉とか、怪異は自らの肉体の一部を消費して特殊な力を使うんや。それを総称して〝妖術〟って呼んどんねん」
「つまり、僕たちの使っている鬼の力も妖術っていう分類なんだな」
「そういうことや」
鬼人ってほとんど怪異なんだな、と改めて実感した。のぞみと他に類似点や相違点はあるのだろうか。ますます怪異について興味が湧いた蓮華だった。
「ホーイ。できたヨー」
ターヤンが湯気の立ち上る鍋を持ってきて、ちゃぶ台の真ん中に置いた。なんという早さ。まるで三分クッキング。
鍋を覗き込むと味わい深い冬の香り。ちくわ、こんにゃく、はんぺん、大根に昆布にゆで卵などの具が醤油ベースのスープの中で肩を寄せ合う冬の定番。おでんだった。
「……ターヤンたち、お昼も鍋食べてなかった?」
「鍋はぶち込んで煮るだけだから楽なんだヨ。そのくせ無難に美味しいしネ。鍋最強」
取り皿と箸を配膳しながらターヤンは言う。蓮華は料理をしたことがないため苦労とかはわからないが、簡単で美味しいなら確かにそれは最強だと思った。
最後に血の入った醤油差しをちゃぶ台に置いて皆で「いただきます」。
蓮華たち鬼人組は取り皿におでんを装ったら、その醤油差しから血を垂らしてハフハフと熱々のおでんを頬張る。
のぞみに「それなぁに?」と首を傾げられた。人の血であることと、自分たち鬼人は普通に食事ができないからこうするしかないこと、そして人間の血や肉を食べないと力を回復できないことや、人の血肉を摂取することで傷を回復できることなどを蓮華は説明してあげた。いつもならターヤンは料理自体に血を混ぜ込んで作ってくれるが、今日はのぞみのことを考慮して血を入れなかったのだろう。
怖がられると蓮華は思っていたが、のぞみは「ふーん」と頷くだけで、怖がることもそれ以上追求することもなかった。その辺はやはり普通の少女と違って、怪異らしいと言えばらしいのかもしれない。
「ねぇねぇ、暮木さんは下の名前なんて言うの?」
「ない。俺はただの暮木だ」
「えー変なの。じゃあ年齢は?」
「……二十年くらい前、確か四十の時に鬼人になったから……今は六十くらいだ」
暮木はぼさぼさの頭を掻きながら扱いの困るように答えた。暮木が蓮華の予想以上に高年齢で、蓮華は表情にこそ出さなかったが、内心驚いていた。
対するのぞみは、訊いておいて「ふーん」と大して興味なさげだった。ドライな反応だ。
「じゃあターヤンさんは?」
「ボクは今年で二十三ダヨ」
「えっ!?」
驚きのあまり声を張り上げたのは、蓮華だった。
「なんダヨ?」
「いや、もっと歳取ってるのかと思ってたから……。じゃあいつ鬼人になったんだ?」
「三年前、二十歳の時ダヨ」
「ターヤンって老け顔なんだな……」
「蓮華これからメシ抜きネ」
「ゴメンナサイ」
台所の番人を怒らせてはいけない。
「じゃあ蓮華お兄ちゃんは?」
蓮華お兄ちゃん――その新鮮な響きに胸が熱くなる。
「僕は十七だよ。鬼人になったのも三ヶ月前くらいだから、今はまだ見た目も中身も十七歳だ」
「へぇー。じゃあじゃあ、紗良々お姉ちゃんは――」
「ちょい待ち」
紗良々は突然、親指と掌の間に端を挟んだ手をぴしりと突き出し、制止をかけた。
「もう一度言うてみ?」
「え? 紗良々お姉ちゃん……?」
「もう一度」
「紗良々お姉ちゃん」
呼ばれる度に紗良々は悦に浸り、餅みたいに顔をとろけさせていた。
「ええなぁ! めっちゃええなぁ! 決めたで! のぞみは今日からウチの妹や!」
紗良々は相当嬉しかったのか、のぞみを抱き寄せて頭をわしゃわしゃし始めた。蓮華もお兄ちゃんと呼ばれて喜んでいたため人のことは言えないが、なんて単純な生き物なんだと可笑しく思う。
のぞみも妹と言われて心底嬉しかったのだろう。まるでご主人様に撫で回される猫みたいに、紗良々に撫でられながら幸せそうなによによ顔を浮かべていた。これはこれで上手い関係ができたのかもしれない。
そうして、テレビも本棚もない質素な部屋で、蓮華たちはなんだかほっとしてしまうような楽しくて幸せな団欒のひとときを過ごした。
しかし、そのひとときもすぐに幕を閉じる。
「ホラ、蓮華。キミだけ『特別メニュー』ダ」
おでんが下げられた後、蓮華が鬼の力で失った血を補填するために血液パックからストローを伸ばして血を飲んでいると、ターヤンが蓮華の前に焼きたてのステーキを持ってきた。
「これは……?」
「聞いたヨ。血が足りなくて倒れテ、紗良々たんに迷惑かけたんだってナ?」
「それは……ごめん。本当に悪かったと思ってる」
紗良々に散々迷惑をかけた自覚があった蓮華は、居心地が悪くなって視線を逸らしながらも、素直に謝罪を口にする。
「なら喰エ。血を飲むだけじゃ足りないダロ。文句は許さナイ」
そんな蓮華に、ターヤンは厳しい口調で言い放つ。蓮華を見下ろすその目は冷徹そのものだった。
蓮華は湯気の立ち上るこんがり焼かれたステーキを睨む。
ターヤンはしっかりと味付けまでしてくれたのだろう。食指を刺激する美味しそうな匂いだ。ビーフステーキと言われても区別が付かない。だが、この流れでターヤンがビーフステーキを用意するはずなどない。間違いなく、人肉ステーキだ。
しばしステーキとの睨み合いが続いた。周りの皆はそんな蓮華を無言で見守っている。
しかし痺れを切らしたのか、紗良々が「はあ」と溜め息をついた。
「今日はウチも結構な力使ってもうたからなぁー。まだ食い足りひんわ。それもらうで」
紗良々はフォークでステーキを突き刺すと、蓮華の前から肉を奪って豪快に食いちぎり始める。
「サ……紗良々たん、それは蓮華ノ……」
「これうんまいなぁー! さすがターヤン、ええ腕しとんなぁ! こんなシェフがおるんやからウチは幸せもんやでー」
「エ……ソ、ソウ? 紗良々たんにそこまで褒められちゃうと照れちゃうナァ。エヘヘ。エヘヘヘヘヘ」
おだてられたターヤンは途端に上機嫌になり、ホクホクとした顔でキッチンに下がって洗い物を始めた。鼻歌を歌いながらリズムに乗って腰まで振っている。
さらに紗良々は肉を食べ終えると「あ、そうやそうや」とどこかわざとらしさを感じさせる仕草で思い出したように立ち上がり、キッチンから白い箱を持ってきて蓮華に渡した。
蓮華が戸惑いながらも開けてみると、中身は二切れのカットケーキだった。それも、ちゃんとしたケーキ屋さんで売っているようなお高そうなやつだ。
「甘いもん食べたい言うてたやろ」
「本当に買ってきてくれたのか……」
寝具などの買い出し中に隙を見て買っていたのだろう。でもなんで二切れも……と不思議に思ったが、すぐに得心が行って、蓮華はちょっと笑みをこぼす。
「プヒヒ。頭ん中にベルギーチョコの詰まったアンタにお似合いなチョコケーキやで」
「余計なお世話だ。でも……いろいろありがとな。いただきます」
きっと、紗良々なりの歓迎の仕方なのだろう。
紗良々の気の回しをありがたく、そして助けられてばかりで申し訳なくも思いながら、蓮華はその二切れあるチョコレートケーキをのぞみと分け合う。のぞみは目を輝かせて、口周りにクリームをつけながら美味しそうに頬張っていた。
その光景を微笑ましく見守りながら、蓮華もうっすら血の味がするチョコレートケーキを美味しくいただくのだった。