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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第二章 vs暴食の鬼人
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第五話 緋と灰

「のぞみ! 危な――っぐあ!」


 突然体が地面に吸い寄せられて、蓮華はその場に倒れ込む。

 どういうわけか、体が重くて持ち上がらない。まるで何かに上から圧迫されているような……。しかし、蓮華の上には何も乗っていない。

 どうにか首だけは動く。のぞみを見ると、灰鬼を見上げて固まっていた。恐怖で動けないのだろう。足が、いや全身が震えているのが見て取れる。

 灰鬼がマンションの外壁を伝ってゆっくりと降りてくる。ヨダレをだらだら垂らしながら、捕食者のそれに染まった単眼を光らせて。


「のぞみ! 逃げろ! 早く逃げるんだ!」


 だが、蓮華の声はのぞみに届かない。それどころか、のぞみは腰を抜かしてその場に尻をつく。


「くそっ! なんなんだよこれ! どうして動けないんだ!?」

「だぁから神様の食事を邪魔すんのは御法度だって言っただろぉ?」


 突如聞こえてきたその第三の声にハッとする。声の方向に顔を向ければ、公園の電灯の上に絶妙なバランスで立つフードを深く被った男――レオがいた。


「お前の仕業か……!」

「せいかぁーい。もうわかってんだろ? 俺の鬼の力は、万物を意のままに操る念力だ。てめぇの体は既に俺の手中にある。そこで指咥えながら這いつくばって眺めてな。神様の食事風景をな」


 灰鬼が地面に降り立ち、のぞみへ距離を詰める。


「嫌……嫌だよ……!」


 のぞみの恐怖に震える掠れた声。灰鬼はのぞみを一飲みしてしまうであろうほどの大口を開けた。ヨダレの滴る牙が糸を引く。


「くぅ~。羨ましいぜ。どんな味がすんだろうなぁ……おこぼれもらえねぇかなぁ……」


 レオまでもが汚らしいヨダレを垂らし始めた。


「ふざけんな……ッ!」


 蓮華は怒りに震えた声を絞り出す。


「怪異だろうが疫病神だろうがなんだろうが、一つの命だ……! 心を持った、寂しさを抱えた命だ! 懸命に生きる一人の女の子なんだぞ! てめぇ、なんとも思わねぇのかよ!?」

「ああ、最高に美味しそうだなぁって思うぜ」


 レオは禍々しささえある笑みを浮かべて言った。命を軽視するふざけた物言いに嫌悪が湧き、蓮華の中で何かが弾けた。


「ふざけんじゃ……ねぇえええぇえええ!」


 両腕に、全身に、渾身の力を込めて見えない力に抗う。周囲には熱風が吹き荒れ、火の粉が散った。

 ゆっくりと腕が動く。その腕で大地を押し返し、無理矢理体を持ち上げる。みしり、と大地に亀裂が生じ、蓮華を中心に地面が陥没した。そして、


「――うぉおおおおおッ!」


 見えない力を払い退ける。もう体を圧迫する妙な力は感じない。


「ほう……俺の念力を力尽くで振りほどいたか……」


 レオが感嘆とした声を漏らす。

 蓮華はレオに構わず、自由になった体で思い切り走り出す。腹が減って死にそうで、だるくて動きたくないと駄々をこねる体に鞭打って、全力のスタートダッシュを切って。


 けれど――


「のぞみ!」


 のぞみは、今まさに灰鬼の口の中に消えようとしていた。打開策になるような鬼の力を使えるほど蓮華は血が残っていない。


 もう、間に合わない――そう諦めかけた瞬間。耳を劈くような雷鳴が周囲を支配し、青い稲妻が灰鬼の巨体を真横から貫く。灰鬼はボウリングのピンのように、凄まじい勢いで吹き飛んでマンションに衝突し、崩壊させた。


「まったく……何で怪異が生まれてすぐ餓鬼に喰われてまうか考えんかったんか? 匂いで餓鬼をおびき寄せてまうからや。せやのに不用心に外を歩き回りおって……そんなん、食べてくれ言うてるようなもんやで」

「紗良々……!」


 思わぬ救世主の登場に、蓮華の顔に光が差す。が、その顔はすぐに青ざめることになる。


「蓮華ぁ……覚悟はできとるんやろなぁ……? たっぷりお仕置きしたるでぇ……?」


 紗良々はぶち切れていた。そういえば紗良々のおニューの浴衣ダメにしちゃったんだった、と重大な過失を思い出す。今の服装は、いつもの黒い浴衣に戻っていた。もしかしたらここに来たのも、蓮華を処罰するためなのかもしれない。

 だが、蓮華にとってはもう紗良々がここに来た理由などどうでも良かった。助かったという事実さえあれば。


「紗良々! 今はそれどころじゃないんだよ! 後でいくらでもお仕置きされてやるから! 今はとりあえず逃げよう!」

「え、ホンマに? 何してもええん?」

「ああ、何されたって構わない!」

「そ、そしたら、あんなこととか、こんなこととか……うひゃー!」


 紗良々は何やら一人で悶絶している。だが今はそれどころではない。


「いいから、早く逃げるぞ!」


 蓮華は完全に腰を抜かしてしまったのぞみの手を引いて立ち上がらせ、足をばたつかせる。


「はあ? 逃げるって、何からや?」

「さっきの灰色の餓鬼からだよ!」

「今倒したやないか。確かにえらいでかかったけども、普通の餓鬼なら塵になる威力で撃ったんや。死んどるやろ」


 この口振り、やはり紗良々も灰鬼の存在を知らなかったようだ。


「いや、それが言い忘れてたんだけど、アイツはのぞみと出会った時に襲ってきた餓鬼で――」

「おーやおやおやおやぁ。誰かと思えば鬼殺し(オーガキラー)の紗良々じゃねぇか。緋鬼の鬼人に、菜鬼の鬼人……そして天然物の怪異。これほどまで珍味が揃うたぁ、今日は宴かぁ?」


 さっさとこの場を去りたいというのに、悠長とした邪魔な声が割って入る。


「ふん。やっぱり貴様か。暴食の鬼人――猪俣レオ」

「紗良々、知り合いだったのか?」

「まあの。ウチも以前、アイツに喰われかけた。人も鬼人も見境なく食い散らかす暴食っぷりで知られとる男や。特に、ウチや蓮華みたいな貴重な鬼人は珍味呼ばわりして追いかけ回しとるみたいやで」

「うひはははは! 覚えててくれてたとは嬉しいねぇ」


 レオは高らかに笑った。


「あの時喰い損ねて心底後悔してたんだ。またこうして出会えるたぁ、偏に神様のお陰かぁ? 感謝しねぇとなぁ。だが、どうにも俺は神様に嫌われているらしい。また今回もお預けくらっちまうとは……ツイてねぇぜ。これも偏に日々の行いかもなぁ。うひははは!」

「……なんや意味分からんことばかり言いおって」

「神様の食事の邪魔は御法度だ。だからせめて俺からの願望を言わせてもらうぜ。てめぇら全員喰われちまうなんて勿体ねぇマネすんじゃねぇぞ?」

「だから何を――」

「今のてめぇらの相手は俺じゃねえっつってんだよ」


 どん、と地響き。灰鬼の埋もれている瓦礫の山ががらがらと崩れ始める。そして巨大な四肢を伸ばして這い出てきたのは、やはり無傷の灰鬼だった。


「なんや……どういうことや!? なんでアイツ生きとんねん! それどころか、ほとんどダメージあらへんやないか!」

「違うんだよ紗良々! あいつ、どんなダメージを与えようがすぐに再生するんだ! 僕の攻撃で体を爆散させてもダメだった! 何も食べてないのに、すぐに元通りになりやがったんだ!」

「はあ!?」

「それだけじゃない! あいつは冷気と雷を操る二つの力を持ってたぞ!」

「なんやそれ!? そんな餓鬼聞いたこともあらへんぞ!」

「そりゃそうだろうなぁ」


 レオは面白可笑しそうに口元を歪めて言った。


「灰鬼はつい数ヶ月前に生まれたばかりの真新しい餓鬼だ。まだ情報なんてほとんど出回ってねぇだろうよ。その力は強大で、あの三色鬼(みしきおに)に匹敵するとも言われてる。それが何を意味するか……紗良々。お前ならわかるよなぁ?」

「まさか……王位継承戦か……!?」

「その通り。『(てん)(かん)の日』は近い。じき、世界がひっくり返る。うひはははははは!」


 今までで最大級に高らかな笑い声を響かせながら、レオは驚異的な跳躍力により空に舞い、高層アパートをひとっ飛び。その向こう側へと姿を消した。


「そうか……そういうことやったんか……。それで緋鬼は……」

「何だよ王位継承戦って!? 何だよ『テンカンの日』って!?」


 なにやら紗良々は一人で納得している様子だが、蓮華はまったく話についていけない。よからぬことが始まっているのだろうことだけは容易に想像がついた。


「『テンカンの日』はウチも知らん。とにかく、今は説明してる暇あらへん。まずはあの規格外のバケモンから逃げんと……。その前に、一つ確認や。その幼女っ子怪異と一緒にいる限り、あの灰鬼とやらは匂いでウチらを追っかけてくるで。蓮華、ホンマにその怪異を助ける気か?」


 蓮華はのぞみを見る。相当怖かったのだろう。のぞみはまだ声を殺して泣きじゃくっていた。


「……それ、僕に確認する必要あるか?」

「プヒヒ。それもそうやな。ホンマにお人好しなやっちゃなぁ、アンタ」

「涙を流す幼女を放っておけないだけだ」

「うわぁ、ロリコンきもいわぁ……」

「だからちげーし。ロリコンじゃねーし」


 蔑みの目を向ける紗良々に蓮華はきっぱりと断っておく。


「さて……おふざけは終わりや。来るで」


 灰鬼がこちらに向かってきている。紗良々を警戒しているのか、その足取りはのそのそとゆっくりだ。


「まずは小手調べやな」


 紗良々は掌を翳すと、強烈な雷撃を一発放つ。軽く撃ったようだがその威力は絶大で、雷鳴と雷光がはためいたかと思うと、次の瞬間には灰鬼の半身が消し飛んでいた。

 だが、やはり通常の餓鬼では致命的なその傷でさえも、瞬く間に再生を始める。すぐに元通りになった。


「ホンマに何も食わずに再生しおったで……。なんやアイツ。あり得へんわ」

「で、どうするんだ?」

「どうするもこうするも……殺せへんのやから逃げるしかあらへんやろ」

「だよな……」


 蓮華たちは回れ右をする。そして――全力逃走。策などなしのかけっこ勝負に出た。

 背後から大地を揺るがすような足音が追ってきて、背筋に冷たい恐怖がチクチクと突き刺さる。


「狭い道に逃げ込むっちゅうのはどうや!? あの巨体なら通れへんやろうし、時間稼ぎできるやろ!」

「無駄だ! あいつ、虫みたいに壁を這って移動できるんだ! 初めに遭遇した時にも狭い路地に逃げたけど、普通に追ってきたぞ!」

「むぅ~っ! ことごとく規格外なやっちゃな!」


 と声を張り上げていると、すぐ近くのビルの壁面が爆破された。灰鬼が何か攻撃を仕掛けてきたのだろう。後ろを振り返ると、灰鬼の大きく開いた口先に、空気の塊のようなものが形成されていた。

 それはこれまでの冷気や電気と違うまた新しい力で、蓮華はなおさら不可解になり眉を顰める。

 灰鬼が歯を鳴らす勢いで口を閉じると、口先に留まっていた気弾が発射。渦を巻く砲弾のような空気の塊がこちらへ迫り来る。


「くっ!」


 咄嗟に紗良々が迅雷を放ち、気弾を相殺。辺りに爆風がぶちまかれ、周囲のビルのガラスが一斉に破砕。煌びやかなガラス片となって雨のように降り注ぐ。


「どういうことや! アイツが使うんは雷と冷気やなかったんか!? 今のは明らかに空気を操る風系の力やったぞ!」

「そんなの僕に聞かれても!」


 と言っているそばから、灰鬼の口先に今度はバチバチと電流が集まり出す。


「ほら! 雷の力も使ってんじゃん!」

「そんなん見ればわかるわアホンダラ!」


 灰鬼から放たれた雷撃をまたもや紗良々が相殺。その後、灰鬼はやはり氷塊も操り、これでいよいよ三属性の力を使えることが証明された。


「コラ蓮華! アンタもちっとは応戦せぇや!」


 お祭り騒ぎのように次々と灰鬼から放たれる気弾、雷撃、氷塊を全て迎撃しながら、紗良々は叫ぶ。


「いや、それが……」


 ぐぎゅるるるる――と、蓮華のお腹が代わりに答える。


「ってわけで、もう力が……」


 正直なところ、もはや動くのも限界な領域だった。今は根性でどうにか走っている状態だ。


「こンのバカタレが……!」


 紗良々は怒りと呆れを混濁させたような悪態をつき、ポケット代わりにしている浴衣の帯の中から一つの紙包みを取り出す。そして包み紙を剥いてから、その中身を「ほれ」と蓮華に投げ渡した。

 蓮華は危うく落としそうになりながらも空いた片手でそれを受け取り、顔を強ばらせる。

 中身は肉の干物だった。それが人間の肉であろうことは、紗良々に確かめるまでもない。


「喰え。我が儘言うてる場合やあらへんぞ」

「……ああ」


 蓮華は胃液が逆流しそうになる緊張を覚えながら、喉を鳴らして賢明に唾を飲み込み、覚悟を決める。……いや、覚悟などという大層なものは決められなかった。ただ、喰うしかない、と自分を追い込んだ。

 そして――かぶりつく。ぱさついた固い干物肉を食いちぎる。


 だがその瞬間。


「――うぇええぇえええッ!」


 胃が飛び出そうな勢いで吐いた。

 胃が、口が、受け付けなかった。咀嚼することすら拒んだ。


「あー!? なに吐いとんねん! 貴重な肉を粗末にしおって……! もったいないやろが! ああもったいない! もったいないわぁ!」


 紗良々は蓮華の吐いた肉を素早く拾い上げてパクリと食べる。蓮華の口から吐かれたことなどお構いなしの様子だ。むしろ口元が綻んで鼻息を荒くしているようにすら見える。


「ごめん……でも、やっぱり無理だ……」

「だから我が儘言うとる場合ちゃうやろ! いつか喰わんと、そのままじゃ――」

「わかってるよ! ……わかってる。でも……どうしてもダメなんだ」


 それが喩え死刑囚の肉でも、その一歩がどうしても、踏み出せない。蓮華は拒絶的な抵抗を抱いていた。人の命を、喰らうことに。


「……ったく、そんなんじゃいつまで経っても丈一郎は殺せんわ。これだから人肉童貞は」

「おい、その言い方ヤメロ」


 そんな、半分冗談の軽口を叩いていた時だった。唐突に紗良々の足が止まる。そしてすぐに、蓮華の足も。


「嘘だろ……?」


 絶望するあまり、蓮華は魂の抜けるような声が漏れていた。


 蓮華たちの行く手を阻むように、燃えるような赤い体表をした体長三メートル超えの餓鬼が立っていた。


 緋鬼だ。それは紛れもない、緋鬼だった。


「なんでや……あり得ん……。少なくとも、東京におるなんて情報はなかったで……。それに、ウチが気配を察知できんかったなんて……」

「おい、紗良々……おかしくないか……? 緋鬼の腕……僕が吹き飛ばしたはずの左腕の一本が、元通りに……」


 緋鬼は蓮華を食べる以外で傷を癒やせないはずなのに。


「……あかん。ワケがわからんすぎて頭痛くなってきたわ……」

「どうすんだよ、これ……」

「は……。どうにもならんやろこんなん……」


 紗良々は顔を引きつらせて渇いた笑いを浮かべた。

 後ろからは灰鬼が、正面には緋鬼が。こんな状況から退路を造り出すことなど、紗良々の力を持ってしてでも不可能に近い。


 どうする、どうする――蓮華は頭がショートしそうなほどフル回転させて思考する。でも、妙案は浮かばない。どうしても出てくる言葉は『詰み』。その二文字だった。


 そうこうしてもたついているうちに、緋鬼が動いた。体を屈め、空高くジャンプ。上から襲い来るつもりかと蓮華は身構えたが、しかし、予想外な展開が訪れる。その光景に蓮華と紗良々は、我が目を疑った。


 緋鬼は空へと飛ぶと、蓮華らを飛び越えて、灰鬼へと襲いかかったのだ。


「ギョオオァオオオオォオォオオオオオオ!」

「グォオオァオオォアオォオオオオオァオ!」


 双方が大口を開け、威嚇するような咆哮を上げる。大気が震えるような声だった。


 そして――巨体をぶつけ合い、殴り合い、時に緋鬼が火炎で焼き尽くし、時に灰鬼が氷塊で応戦し、激しい戦闘が繰り広げられる。

 緋鬼が軽々と灰鬼の巨体を投げ飛ばすとオフィスビルが倒壊し、灰鬼が緋鬼を気弾ではじき飛ばすとまた反対側の商業ビルが倒壊する。バケモノ同士の戦いは、地形を変えるほどの凄惨さを見せた。


「なんだよ……これ……。何がどうなって……」

「わからん……。けど、チャンスや! 今のうちにトンズラするで!」


 目の前の光景に放心気味だった蓮華は紗良々に引きずられるようにして再び走り出す。

 背後から聞こえてくる凄まじい戦闘音に腑に落ちなさを感じながら。


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