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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第二章 vs暴食の鬼人
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第四話 怪異ってなんだろう

 人がおらず、物音の極端に少ないヘルヘイムの世界。いや、ほぼ静寂と言ってもいい。だからこそ、人の気配は探知しやすい。のぞみのぱたぱたと走る軽い足音でも、耳を澄ませればかろうじて聞こえてくる。蓮華はその足音を頼りに追いかけた。


 だが、やがてその足音も消えてしまった。走るのをやめて歩き出したか、あるいはどこか建物の中に入ってしまったか、立ち止まっているか。

 何にせよ、このままでは追跡が厳しい。


「この辺だと思うんだけどな……」


 最後に聞こえてきた足音の方向だけを頼りに進み、周囲を注意深く見渡しながら歩く。そこは集合住宅の建ち並ぶ住宅街だった。このどこかの一室に隠れられでもしたら、探し出すのは至難の業だろう。


 さて、どうしたものか……と頭を悩ませながら歩いていると、


「――ひっぐ。ひっぐ……」


 小さな嗚咽が聞こえてきた。間違いない、のぞみだ。

 今度は嗚咽を頼りに進むと、住宅街のど真ん中にある公園にたどり着く。広々とした公園で、噴水もあれば遊具も充実している。もちろん噴水は動いていないため寂しい光景だが、しかし緑も豊かだ。都会にはこういった公園がないと思っていた蓮華はちょっと意外に思った。勝手な偏見で、都会にはこういった広々とした空間なんてなく、とにかく狭くて緑のないところだと思っていたのだ。


 嗚咽は、その数ある遊具の内の一つ、人工的に造られたコンクリートの山の中から聞こえてきていた。片側の斜面はボルダリングを模した登り場になっていて、反対側の斜面はなめらかな傾斜となっている。その滑り台の山は、横から貫くようにトンネルがついていた。嗚咽は、そのトンネルの中から聞こえてくる。

 覗き込んで見れば、薄暗いトンネルの中で体育座りをして顔を足に埋めたのぞみがいた。その姿は少し痛々しくて、蓮華は胸が締め付けられる。


 とりあえず、蓮華もトンネルに入ってみた。窮屈なことには変わりないけれど、蓮華でも屈めば歩けるくらいの広さはあった。

 のぞみの隣に真似して体育座りをしてみる。

 さて、勢いで追いかけて来てしまったものの、どうすればいいのだろう。どう声をかければいいんだろう。

 相手は怪異だ。人の姿形をしていて、人の言葉を話して、恐らく人と同じ心まで持っている、怪異だ。

 そこでふと、疑問が生まれた。


 ――じゃあ、怪異ってなんだ? 鬼人である今の僕と何が違うんだ?


「……お兄ちゃん、なんで追いかけてきたの? わたし、人間じゃないんだよ?」


 のぞみが顔を上げ、蓮華を見る。その目は真っ赤に泣き腫らしていた。


「いやー、なんでって言われても……。とりあえず、放っておけなかったから?」

「なにそれ。さっきも同じ事言ってたし。バカみたい」


 さすがに幼女が泣きながら逃走したのに「はいさようなら」なんて放っておけるほど、蓮華は非情じゃないつもりだ。ヘルヘイムを彷徨っていたらいつまた餓鬼に襲われるかわからない。のぞみ一人で出歩かせるのは危険だ。


「それに、正確には僕も今は人間じゃないしな。だからのぞみの仲間みたいなもんだよ」

「え?」

「僕は鬼人なんだ。餓鬼に呪われてバケモノになった人間。って言ってもわかんないか……。餓鬼ってのは――」

「知ってるよ」


 餓鬼についてもイチから説明しようとしたところで、のぞみが口を挟む。


「餓鬼のことは知ってるの。わたしたちの天敵だから。だから生まれた時からその存在は知ってたの。人間でいう本能、みたいなものなのかな。遺伝子に刻まれた情報、みたいな……。餓鬼は危険だから近寄っちゃだめって、わかるの」

「へぇ……怪異にもそういうのがあるんだ……。じゃあ親がいるってことか?」

「親はいないよ。ほとんどの怪異は、死んだら生まれ変わり続けるだけの存在だから」

「生まれ変わり続ける?」

「うん。死んでもまた新しく、同じ姿で生まれ変わるの。だから餓鬼が危険っていうのは、前のわたしが今のわたしに残した情報ってことになるのかな」

「へぇ……まるでフェニックスみたいだな」


 蓮華が真っ先に連想したのが、それだった。

 不死鳥フェニックス。死んだら灰になり、その灰の中からまた幼鳥となって生まれ変わる不死身の鳥。

 けれどのぞみは「全然違うし」と、これまた口辛く否定した。


「フェニックスはすぐに生まれ変わるけれど、普通の怪異はいつ生まれ変われるかわからないもん。瘴気の塊から生まれたり、人の憎しみから生まれたり……ほとんどの怪異はそういう『良くないもの』が集まった時に、偶然生まれたり、生まれ変われたりするものだから」

「そうなんだ……」


 良くないものの産物……。なんだかあんまり響きの良くない言葉だな、と蓮華は思う。それを言ったら、怪異であるのぞみの存在自体を『良くないもの』と定義しているみたいだ。


「それにしても、のぞみって普通に知識があるみたいだし、言葉もしゃべってるから怪異って感じがしないな……。本当に怪異なのか?」

「……怪異だよ。人を不幸にする、怪異だよ……」


 のぞみは悲しげに目を落ち込ませて呟き、続けた。


「知識も言葉も、先代のわたしが今のわたしに残した情報ってことになるのかな。わたしの特性を発揮するには人に紛れる必要があるから、不可欠な要素なの……」

「特性って――」


 と聞きかけた時。蓮華の腹が「ぎゅるるるるる~」と猛烈な鳴き声を上げた。


「……すごい音。お兄ちゃん、お腹空いてるの?」

「ははは……。まあ、な……。実は僕たち鬼人は、餓鬼と同じ〝業〟を背負わされてんだ。そのせいで常にお腹が空いててさ……。今日は鬼の力もばんばん使っちゃったから、いつも以上に空腹で……。それに、血が足りなくて体が重いんだよ……」


 平常時の空腹と渇きには慣れてきたが、しかし鬼の力を使うといつも以上の空腹感が蝕んでくる。熱があるときのように体がだるいし、正直、かなりツラい。さすがに、この空腹感には慣れられる気がしなかった。


「餓鬼と同じって、じゃあ怪異を食べるってこと……? もしかして、わたしを……」

「食べねーよ。そんなつもりでここに来たわけじゃねーから……」

「ほんとに? 食べない?」

「ホントホント」

「イタッ。……血が出ちゃった……」


 ここに来るまでに転んだのだろうか。のぞみの膝が擦りむけていて、その傷口のかさぶたが破けて新たな血が滲み出ていた。

 それを見て、不意に蓮華の口元がじゅるりと潤う。


「……ヨダレ垂らしてる……やっぱりわたしを食べる気なんだ……」

「いやいや! 違う違う! 今のは不可抗力!」


 血の味を知ってしまった今、空腹時は油断すると血を見るだけで食欲をそそられてヨダレを垂らしてしまうのだ。気をつけなければ。


「言っとくけど、僕はまだ人も怪異も食べたことはないんだからな」


 怪異を食べれると知ったのはついさっきだが。


「え、そうなの?」

「ああ。なんていうか……やっぱり抵抗があってさ」


 人を食べるという行為に。あの時誓ったはずなのに、蓮華はまだバケモノになりきれていないままだった。


「……わかった。ミジンコ一匹分くらいならお兄ちゃんのこと信じてあげる」

「そ、そりゃどうも」


 喜んでいいのか戸惑ったが、逃げられないならなんでもいいと結論付ける。


「まあ、そんなわけで僕も結構人間離れしたバケモノってわけだ。僕だけじゃない。あの部屋にいた人たち全員な。だから逃げなくたっていいんだぜ?」

「……だめだよ。怪異とか人間とか、そんなの関係ないもん。わたしがいると、皆を不幸にしちゃうもの……」

「さっきもそんなようなこと言ってたな……。どういう意味なんだ?」


 言いにくいのか、言いたくないのか、しばしの沈黙。しかし、辛抱強く答えを待ち続けると、のぞみは重い口を開いた。


「わたしね、疫病神なの」

「えっ?」


 疫病神って、あの疫病神だろうか――蓮華には、のぞみがただの可愛らしい幼女にしか見えない。だからこそ、疫病神に結びつかなかった。


「疫病神って、病を流行らせる怪異だよな? 不幸とかそういうのは関係ないんじゃ……」

「元々の力はそれだけだった。でも……時代が変わるにつれて、人々の認識も変わっちゃった」

「認識が変わる……?」

「例えば、不幸続きの人に『疫病神がついている』って言ったり、何かと厄介事を招く人のことを『疫病神』って喩えたりとかするでしょ?」

「ああ、確かに……」

「そういうふうに、疫病神っていう存在が、悪いものを引き寄せる存在として認識されちゃったの。わたしたち怪異は、人間の意識が生み出した怪物。だから人間の認識が変われば、私たち怪異もそれに伴って存在や性質が変わっちゃうんだ……。病を流行らせる力は呪いっていう認識だから、わたしの意思で押さえ込むことができるんだけれど、でも、悪い出来事を引き寄せるっていう力は、どうにもできない……。疫病神がいるだけで悪いことが起こる。それが人間の認識だから」


 そういえば今日はなんだか不幸続きだった、と思い出す。

 しかし、それら全てがのぞみのせいだとはとても信じられなかった。


「わたしが生まれた時からそのことはわかってた。でもどうしても寂しくて、表の世界に出ちゃったんだ。ちょうどこの公園だった。わたしと身長が変わらないくらいの男の子や女の子たちが、遊具で遊んでた。仲間に入れて欲しくて駆け寄ったら、みんな笑顔を浮かべて仲間に入れてくれて、一緒に遊んでくれたんだ。ボール遊びして、かけっこして、かくれんぼして……すごく楽しかった。みんなとっても優しくていい子たちだった」


 でも、と、のぞみは声のトーンを落とした。


「最後にブランコで遊んでたとき、男の子と女の子が乗ってた二つのブランコの鎖が切れちゃったんだ。同時にだよ? 普通あり得ないよね、そんなこと。そのせいで二人とも大怪我しちゃった……。絶対、わたしのせいだ……!」


 聞いている蓮華の胸が苦しくなるくらいの涙に震える声だった。のぞみの目からは、ただただ自分を責め続ける後悔の念が流れ、ぽつぽつと彼女の膝を濡らしていく。


「……だから、お兄ちゃん。もうわたしには関わらないで。もうこれ以上、わたしのせいで誰かを傷つけたくないの……!」


 のぞみは最後に懸命に声を絞り出して――飛び出した。


「えっ、ちょっと! のぞみ……!」


 そんなこと言われたって、余計放っておけない。蓮華は慌ててトンネルから這いずり出て追いかける。けれどそこで外の光景を目の当たりにして、蓮華は今日何度目かの戦慄を味わった。


 あの灰色の餓鬼――灰鬼が、ニタリと不気味な笑みを浮かべてマンションの屋上からこちらを覗いていた。


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