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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第二章 vs暴食の鬼人
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第一話 遭遇

 狭くて小さな空。美味しくない空気。見渡す限りの高層ビル群と人、ひと、ヒト……。

 昼下がり。都会のど真ん中で、白崎(しらさき)蓮華(れんか)は歩道脇の手すりに寄りかかりながら、せわしなく過ぎゆく人の群れを眺めていた。今日は快晴で、ぽかぽかとしたお日様がとてつもなく心地いい。

 もう十一月半ば。蓮華が鬼人になり、そして故郷を旅立ってから早三ヶ月が過ぎ、本格的に冬を感じる季節になっていた。


 過ぎゆく人混みを眺めて、まるで日本の心臓みたいだと蓮華は思う。集まって、吐き出されて……血液みたいに人が流れていく。

 東京に来て今日で三日目。初めはその人混みに酔っていたものの、今では少しだけ慣れてきた。でも、やっぱり好きにはなれない。人混みというものが嫌いな蓮華は、あのゆったりと時間が流れる田舎を早くも恋しくなっていた。


 都会で暮らしている人たちを蓮華は尊敬する。本当に凄いと思った。こんな息苦しい街でせかせかと働き続けるなんて、自分にはマネできない。特に、通勤ラッシュの満員電車を目の当たりにした時はそれこそ異世界に来てしまったかと思った程だった。


 社会の歯車となり果てた社畜の皆様に同情の念を抱きながらぼけーっと眺めていると、ポケットの中でスマホがメロディーを奏でた。見てみれば、紗良々(サララ)からの電話着信だった。

 ちなみに、ガラケーではなくスマホだ。表の世界から姿を消すにあたって、蓮華の以前使っていたケータイをそのまま使い続けることはできなかった。位置情報を知られてしまう危険性があったし、それ以前にお金も払えない。だから蓮華は前のケータイを解約し、粉砕して捨てた。それは、蓮華の意志の表れ……いや、覚悟でもあったのかもしれない。そうでもしなければ、甘えてしまいそうだった。

 そしてこのスマホを紗良々が蓮華に支給してくれたのだ。入手ルートはよくわからないが、今のところ普通に使えている。でもほとんど通話にしか使わない蓮華にとって、スマホは豚に真珠といった感じだ。


「もしもし?」

「蓮華ー? そっちはどないな感じや?」

「どないって言われても……今日もまだ収穫なしだよ。こんなに人が溢れてるってのに、鬼人の一人も見つからない。人の集まる東京でも、案外鬼人って少ないんだな」

「いや、そんなはずないんやけど……まあ、東京はちょっと特殊っちゅうか……」


 なんだか歯切れの悪い紗良々の声に蓮華は首を傾げた。


「どうかしたのか?」

「いんや、なんでも。とにかく、どこかに隠れてひっそりと暮らしとるやろうし、歩き回ってでも根気強く探しや」

「うへぇ……めんどくさぁ……」


 こんな人の海の中を泳ぎ回るなんて、考えただけでも吐きそうだった。


「めんどくさぁやないやろ。働けやニート」

「うぐっ……何も言い返せないのがツラい……」


 言われてみれば確かに……と今の自分の状況を見つめ直す。無職の浮浪者と変わりない。


 蓮華たちが何のために東京に拠点を移したのかと言うと、それは情報収集だった。

 緋鬼(ひき)を別の場所へ飛ばした紗良々の『羅天星門の術』。紗良々曰く、あの術は本来ならば転送先を定めておき、その先で待ち構えていた陰陽師たちが転送されてきた怪異に一斉攻撃を仕掛ける――という段取りで用いるトラップ用の呪術らしい。あの時はその転送先を造っていなかったため、どこに緋鬼が飛んでいったのか術者の紗良々でさえわからないのだそうだ。


 だから、情報収集。


 緋鬼の目撃情報や噂など、緋鬼にまつわる情報を手当たり次第に探っている。そして情報収集といったらやはり人の集まる都会だろう、という紗良々の発案で、各所を転々としていた蓮華たちはつい先日、東京に拠点を移したのだ。

 鬼人は体のどこかしらに餓鬼の血を流し込まれた赤い痣があるはずのため、すれ違う人の体を見ていれば鬼人かどうか判別がつく場合がある。だから蓮華はすれ違う人々を注意深く観察していた。じっと一カ所に留まってじろじろと視線を漂わせる蓮華の姿は、端から見れば不審者そのものかもしれない。


「で、紗良々はターヤンとヘルヘイム側の捜索のはずだろ? 電話をかけられるってことは、表の世界に戻ってきたってことだよな? 何か情報を掴めたのか?」

「いんや、なんにも。ウチらはショッピングなう」

「はあ!? 人に働けとか言っといて、お前はお気楽にショッピングかよ!」

「だってしょうがないやん。都会って誘惑が多いんやもん。ウチを誘惑するこの街があかんねや。まったく、罪深き街やで……」

「罪深いのはお前の煩悩だろ……」

「なんか言うたか?」

「べつに。まあいいや。僕甘い物が食べたいな。ついでに何か買ってきてよ」


 と言っても、血のソースをかけなければ食べられないから味が変わってしまうのだけれど。味の濃い料理ならそれほど血が邪魔しないから美味しく食べられる、というより、むしろ血がいい感じのアクセントになって美味くなるくらいなのだが、甘い系のものはどうしても血の味が勝ってしまってアンバランスになり、あまり美味しく食べられない。言うなれば、ケーキにしょうゆを垂らして食べるようなものだ。

 たまにはケーキ本来の味のまま食べたいなぁ、と、蓮華は溜め息をつく。


「ほんじゃ、一人でも鬼人を見つけて情報を持ち帰うたらご褒美として食わせたるわ」


 ほながんばり、と言って紗良々は通話を切った。

 蓮華は俄然やる気が出た。やはり人はご褒美がなければ頑張れない。

 さっそく重い腰を上げて歩き出す。けれどその途端だった。


「きゃっ!」

「うわっ!」


 歩道を走ってきた少女とぶつかってしまった。人の影になっていて全く気づけなかったのだ。

 蓮華は倒れはしなかったが、少女は盛大に転んで尻餅をついてしまっている。


「ご、ごめん! 大丈夫か!?」


 呼びかけると、少女がハッとした顔で蓮華を見上げる。警戒心強めのまん丸な瞳が蓮華を覗いた。

 幼い顔をしている。見た目は紗良々より年下で、小学生低学年といったところか。しかし、服装がちょっと異様だった。こんな肌寒い季節だというのに、肩を大きく露出した真っ白なワンピース姿なのだ。それに、何故か裸足。靴を履いていない。


「お前……どうしたんだ? 何かあったのか?」

「…………」


 少女は何も答えない。蓮華をじっと見つめる瞳は、何かを訴えるように潤んでいる。

 だが、少女は何かを思い出したように突然後ろを振り返ると、口元をきゅっと強く結び、立ち上がって走り去った。


「え、ちょっと……!」


 と、蓮華が少女の背中に声を投げかけたとき、蓮華の横を早歩きで通り過ぎる人物がいた。

 赤いパーカーを着ていて、フードを深く被った男。すれ違い様で一瞬しか見えなかったが、金髪の若い男だった。

 その男はパーカーのポケットに両手を突っ込んだまま、走ることはせず、早歩きで人混みを縫っていく。蓮華には、その男が少女を追いかけているようにしか見えなかった。


 なんだか見過ごせなくて、蓮華は二人の後を追ってみることにした。その尾行の結果、どうやら蓮華のカンは正しかった。いや、それは蓮華の予想を大きく上回った事態だった。

 少女と男が入っていった人気のない路地に追いかけて行ってみると、そこにはヘルヘイムへの〝隙間〟があったのだ。二人の気配はここで唐突に消えている。まず間違いなく、二人はヘルヘイムに移動した。ということは、あの二人は鬼人ということが考えられる。


 慎重に、蓮華もヘルヘイムへ忍び込む。


「きゃああ!」


 すぐに悲鳴が聞こえた。それもかなり近い。すぐ横の幹線道路からだ。

 蓮華は物陰に身を潜めながら道路を覗き込む。片道四車線、計八車線の幅広い道路のど真ん中で、男が少女の首を掴み上げていた。少女は宙で足をばたつかせ、藻掻いている。


「うひはははっ! ヘルヘイムに逃げ込めば追ってこれないとでも思ったのかぁ? 残念でしたぁ!」

「な、んで……どう、して……人間が……ッ!」

「ざんねぇん! 俺は人間じゃありませぇん!」


 少女の首を掴む男の手の甲には、鬼人の証である赤い痣が見えた。


「ああ~いい匂いだぁ……。今すぐ喰っちまいてぇ……。でもそれじゃあもったいねぇしなぁ……。こんな激レア珍味、どう食べればいいかわかんねぇよぉ……どうすればいいんだよぉ!」


 気色悪さを覚えて蓮華は顔を引きつらせた。どうやらあの男、少々狂ってらっしゃる。関わりたくない部類だ。

 かといって、蓮華はこの状況を見過ごすことが出来るほど心を腐らせていない。いや、あんな気色悪い男に幼女が捕まっているというのに、見過ごせるはずがない。


 蓮華は周囲を見渡す。都会というのはさすがというべきか、物に困らない。少し見渡せば使えそうなものがすぐに見つかる。その中で、蓮華は向かいのビルの屋上に設けられた金融会社の大きな広告看板に目を付けた。その看板の支えとなる脚に狙いを定め、念じるように力強く見つめる。目の奥が熱くなる感覚の直後、鉄製の看板の脚が赤く熱を帯び始め、溶けていく。やがて自重に耐えられなくなった看板は、騒々しい音を立てて落下を始める。


「ああん?」


 男はその音に気がつき、落下していく看板を不思議そうに見つめていた。

 蓮華とは正反対の方向に気が逸れている、その隙に、蓮華は物陰から飛び出す。


「は?」


 足音で男が蓮華に気がつく。だが、その時既に蓮華は間合いに入っていた。

 少女を掴んでいた男の腕に下から振り上げるように手刀を叩き込み、男がその衝撃で少女を手放した瞬間、体のひねりを加えた中段後ろ回し蹴りを男の腹に放つ。


「ぐほッ!」


 靴底が男の腹にめり込み、男は苦しげな声を漏らして吹き飛んだ。

 この三ヶ月で蓮華は成長していた。暮木やターヤンと日々組み手に励み、時に餓鬼とも戦闘を重ねて訓練を積んできたのだ。いや、オーガキラーと恐れられる戦闘のスペシャリストの三人に叩き込まれたと言っていい。全ては、餓鬼や鬼人から身を守るために。


「大丈夫か?」


 苦しそうに咳き込みながらその場にへたり込む少女に、蓮華は手を差し伸ばす。

 けれど少女の反応を待つ前に、男が立ち上がった。

 男は体の調子を確かめるように首をぐるぐると回す。それほどダメージはないのか、顔は平然としていた。


「ほーう……良い動きするじゃねぇか……。お前、見ねぇ顔だなぁ?」

「だろうな。僕はつい先日こっちに拠点を移したばかりだ」

「なるほどな……だから俺を知らねぇってワケか」

「……? なに? お前有名人なの?」

「まあな。ここらの鬼人なら知らねぇ奴はいねぇはずだ。ましてや、この俺に楯突いてくる奴なんざ久しぶりだぜぇ……!」


 男は両手を掲げ、力を込めるような仕草をする。


「覚悟しとけよぉ……クソガキィ!」

「な――っ!」


 大地が揺れ始めた。腹に響くような地鳴りが辺りを包み込む。

 男の鬼の力であろうことは推測できたが、何が起きているのかまではわからず、蓮華はただ身構えるしかなかった。


「行くぜぇ! ミンチにして――」


 言いかけて、何故か男は動きを止めた。同時に地鳴りも止み、揺れも収まる。


「……くそっ。最悪だ。タイミング悪すぎだぜ……」


 そして何故か、男はくるりと一八〇度方向転換してこちらに背を向け、この場を去り始めた。


「……なんだよ急に。うんこでもしたくなったのか?」

「ざけんな! ……お預けだ。神様の食事の邪魔すんのは御法度だからなぁ。さすがに俺もそこまで馬鹿じゃねぇ。ちくしょう。せっかく珍味ゲットしたと思ったのによぉ……マジ最悪だぜ」


 男はぶつくさと文句を垂れながら、街角に消えていく。

 まったく意味がわからなかったが、しかし蓮華にとっては好都合だった。この少女を戦闘に巻き込むのは得策ではない。今は極力戦闘を避けるべきだろう。


「えーっと、改めて……大丈夫か?」


 蓮華はもう一度手を差し伸ばす。けれど、少女は警戒的な視線で蓮華を見上げるばかりで、手を握ってはくれなかった。


「……お兄ちゃんも、あの人も、どうしてこっちの世界に入れるの……?」

「どうしてって……僕も鬼人だから」

「キジン……?」

「え……」


 まさか何も知らないのだろうか。だが考えてみれば、餓鬼に呪われた時に運良く手ほどきしてくれる鬼人が近くにいるとも限らない。何もわからないまま鬼人にされ、餓鬼に喰われるということもあるのだろう。そう考えると、蓮華は運が良かったのかもしれないと思った。


「ほら、僕の手の甲に痣があるだろ? これが餓鬼に呪われて鬼人になった証だ。お前にもどこかに……」


 と言いかけて少女を見てみたが、手の甲に痣がない。季節外れで露出の多い服だが、そのどこにも痣は見受けられなかった。


「まあいいや。お前、帰る場所とか――」

「ち――近寄らないでッ!」

「えっ……」


 屈んでちょっと距離を詰めた途端、蓮華は凄まじく拒絶され、さらに少女はそっぽを向いて、


「べつに助けなんて求めてないし。余計なことしないでよ」


 そんな捨て台詞を吐いて走って逃げ出す始末。

 あまりの憎たらしさに、蓮華は怒りを通り越して呆然とした。いや、むしろ心に傷を負った。

 優しく歩み寄ったつもりなのに拒絶されるその悲しみを、蓮華は生まれて初めて味わった。そもそも人とのコミュニケーションを得意としない蓮華にとって、それはトラウマものだ。

 胸が痛い。ハートの砕けた音が聞こえてきそうな勢いだ。今日一日立ち直れないかもしれない。


「きゃあっ!」


 また少女の悲鳴。今度は何だと少女の方を見て――蓮華はスイッチを切り替える。

 餓鬼だ。少女が三体の餓鬼に行く手を阻まれている。


「下がってろ」


 蓮華は少女の前に立ち塞がって、臨戦態勢に入る。

 大きさは全て二メートル級。体色は焦げ茶色で、二足歩行型。おそらく雑魚の部類だろう、とこれまでの経験から推測する。この程度なら、一分もいらない。


 先手必勝。蓮華はまず真正面の餓鬼に掌を向けて発火。燃えさかる業火が餓鬼を包み込み一瞬にして炭へと変え、一体目の焼却を完了する。

 挟み撃ちするように鋭い爪を振りかざしてきた左右の餓鬼の攻撃を、蓮華は軽々とジャンプして回避。右の餓鬼の頭を掴んで体を捻り、落下に合わせて蹴りを叩き込む。鬼人の身体能力を引き出して強烈な威力で叩き込まれた蹴りは、鈍い音を奏でて餓鬼を吹き飛ばし、ビルの壁面にめり込ませた。

 地面への着地と同時、左の餓鬼が拳をハンマーのように振り下ろしてきたが、蓮華は炎を纏わせた手でそれを受け止める。餓鬼の腕は蓮華の手に触れた途端に炭と化し、そのまま腕が消失して空を切る。

 蓮華はすかさず腕を失った餓鬼の懐へと潜り込むと、その脇腹に掌をつく。そして力を込め――爆破。爆炎が餓鬼の上半身を跡形もなく消し飛ばし、下半身だけがよろよろと歩き回って、やがて倒れた。


 最後に、蓮華は先ほどビルにめり込ませた餓鬼に向けて二本の指を向ける。そして指先からレーザー光線にも見えるような炎のエネルギー弾を発射。高速で餓鬼の体を貫いたレーザー弾は二秒の時間差を置き、爆発。周囲のコンクリートをマグマのように溶かすほどの熱を生み、餓鬼を滅した。


「まだ……後ろ……ッ!」

「へ?」


 震えた声だった。少女が恐怖に染まった顔で、蓮華の後ろを指さしている。

 蓮華は振り返って〝それ〟を視認し、戦慄する。


「ウソだろ……。なんだよ……あれ……!」


 その辺の家より大きな体をした灰色の餓鬼が、四本の脚で蜘蛛のようにビルの壁面に貼り付いて、単眼の瞳でこちらを覗いていた。


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