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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第一章 始まりの一週間
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第十三話 全ての真相

 自転車をかっ飛ばして家まであと角一つというところで、雨で濡れた路面に滑って曲がり切れずに盛大にすっ転んで、けれど痛みなんて感じなくて、蓮華は自転車を捨てて走る。

 雨脚は強くなっていて、全身ずぶ濡れだった。

 目の前には赤く染まった空があり、一つの家が丸ごと炎に包まれていた。蓮華はそれが自分の家だなんて信じたくなくて、嘘だ嘘だと何度も心の中で叫びながら走る。


 燃え盛る蓮華の家を遠巻きに取り囲むように野次馬ができていて、その中に穂花の姿を見つけて蓮華は叫ぶ。


「穂花ァッ!」

「蓮華……! 良かった……本当に良かった……!」


 穂花は心底安堵したように目を潤ませていた。けれど、蓮華は全く安堵していられない。


「お父さんとお母さんは……!?」


 穂花は目をぎゅっと瞑って首を横に振った。


「そんな……」


 さながらキャンプファイヤーのごとくごうごうと音を立てながら燃える我が家を見上げる。強めの雨が降っているとはいえ、とてもその程度で消火できる炎の勢いではない。

 この時間、いつも両親は家にいる。今日は何かあって出かけているなら不幸中の幸いだが、しかし車庫には二人の車が駐まっている。つまり、今日もいつも通り家に……。


 ――でも、じゃあどうして? 逃げ遅れた? なんで? そもそも、どうして火事に?


「……確かめに行ってくる」

「だ、だめだよ! もうすぐ消防車が来るから、それまで――」

「そんなの待ってらんねぇよ!」

「蓮華……っ!」


 蓮華は止めようとする穂花の手を振り払って、炎を上げる玄関に突っ走った。ごうっと熱風が押し寄せて、肌の焼けるような熱と眼球が蒸発するような錯覚を覚えたが、構わずドアノブを捻り家の中に転がり込む。この時ばかりは鬼人となって熱に耐性のある体を得ていたことに感謝した。


 家に入ってまず始めに感じたのは違和感だった。


 あの炎の勢いだ、家の中は火炎に包まれているだろうと思っていた。なのに、家の中が燃えていない。どういうわけか、燃えていたのは外観だけということらしい。そんな火事があるのだろうか。


 そしてもう一つの、最大の違和感。

 リビングへと通じる通路に、異様な水の壁ができている。


「なんだ……これ……?」


 恐る恐る歩み寄って、触れてみる。ひんやりと冷たく、波打っている。紛れもない水だ。次に、腕を突っ込んでみる。蓮華の腕は水面を突き抜けた途端、空気を感じ取る。そこで、これは水の塊ではなく、水の『膜』であることがわかった。


 蓮華はそのまま水の膜を潜って、向こう側へと通り抜ける。それは〝隙間〟を通ってヘルヘイムに行く感覚と少し似ていた。

 何が起きているのかわからずひたすら混乱したまま、扉一つ向こうのリビングを目指す。

 心臓が暴れて、冷水のような血液を全身に送り込んでいる。手に汗が滲む。とてつもなく嫌な予感がする。


 ゆっくりとリビングへの扉を開ける。そして蓮華は、立ち尽くした。


「やあ、待っていましたよ。蓮華くん」


 深い青色のスーツ姿で、同色のハットを被って、爽やかな笑顔を貼り付けたいつもの丈一郎が、優雅に足を組んでテーブルに腰掛けていた。その頬には一滴の返り血のようなものが付着している。


「……な……っ……」


 言葉が出ない。理解できなかった。理解しようがなかった。


 リビングは破壊の限りを尽くされ原型を留めておらず、壁がぶち抜かれて隣の部屋と繋がっている。その繋がった部屋の暗がりに、何故か紗良々と、紗良々の仲間の蝶ネクタイデブと、やつれたおっさんがぐったりと倒れていて、しかも三人とも血まみれで動かない――


 そして問題のリビングの中央にはおびただしい血の海。そこに浮かぶ島のように重ねて倒れているのは、父と母だった。


「お父さん……? お母……さん……?」


 虫の鳴くような弱々しい蓮華の呼びかけに、二人とも反応を示さない。顔が青白く、死んだように動かない。

 父の上に重ねられた母は仰向けで倒れていて、胸元――およそ心臓の位置する場所には、深い刺し傷があった。その傷を中心に血が滲んで滴っている。


 そこで初めて、このおびただしい血が二人から出たものなのだと蓮華は理解した。


「どう……して……。一体……何が……? あいつらが……やったのか……? なんで……?」

「なるほど……この状況ならばそういう偽装工作も可能でしたね」


 丈一郎が何を言っているのか、今の蓮華の混乱しきった頭では理解できるはずもなかった。


 いや、そんなことよりも――とそこでハッする。こんな時にどうするべきか。そうだ、救急車を呼ばなくちゃ――そんな馬鹿げた答えが頭に浮かんだ。


「は、早く救急車を――」


 手が震えてポケットに入ったケータイを上手く取り出せずにもたついていると、「無駄ですよ」と丈一郎が言い放つ。


「お二人とも、既に死んでいます」


 蓮華のケータイを取り出す手が止まる。

 そんなことはこの惨状を目の当たりにした瞬間から理解していたはずだった。救急車を呼んだところでどうにかなるはずがない。この状況で生きているはずがない――でも、蓮華の頭はその現実を否定した。信じようとしなかった。


「そんな……嘘だ。お父さんとお母さんが……そんなわけ……」


 けれど、蓮華は両親に駆け寄って確かめることができなかった。動けなかった。体が石みたいに固まって動かない。どうしようもなく怖くて、骨の随から震えが込み上げる。


「残念ながら、タイムリミットです。最終手段を執らせて頂きました」


 丈一郎は不気味なほどに涼しい声で言って、テーブルから降りた。


「私はね、蓮華くん。君に鬼人になって欲しいんです」

「……丈一郎……さん……?」

「君は選ばれた存在なんです。なんたって、あの餓鬼の王『緋鬼(ひき)』に魅入られたのですから」

「……は……? ヒキ……? 餓鬼の……王……?」

「やはり聞かされていなかったのですね。餓鬼には特に力の強い『三色鬼(みしきおに)』と呼ばれる三体が存在します。水を操りし『蒼鬼(そうき)』。雷を操りし『菜鬼(さいき)』。そして炎を操りし『緋鬼』。その三色鬼の中でも頂点に君臨するのが、緋鬼なのです。つまり、あなたは特別なんです。あの緋鬼が鬼人を造るなど、実に二百年振りのこと……。長きに渡る断食を破り、ついに食事を摂ろうとしている。君がこの機会を逃して人間に戻ろうなど、あってはならない。あのお方に魅入られるとは、それほどの奇跡なんです」


 あのお方……まるで餓鬼を崇拝するかのような言い方だった。


「あのお方が魅入るほどの君の肉……さぞ美味しいのでしょうね」


 丈一郎は頬についた血を指先で拭い、ぺろりと舐めて不敵に笑う。ゾワリと蓮華の背筋が凍りつく。


「な……んで……。どうして……。じゃあ、これは全部、丈一郎さんが……?」

「ええ。そういうことです。いつまで経っても鬼人にならない君に痺れを切らしてしまってね。それに、どれだけ待っていても無駄だということがわかってしまいましたから」


 待っていても無駄――それは、昨日も丈一郎が言っていたことだった。


「蓮華くんは、その体で不思議に思わなかったのですか? どうして人が鬼人になってしまうのか。蓮華くんみたいに皆が耐えられれば、鬼人なんて生まれないはずでしょう?」


 唐突な質問だった。蓮華が答える暇もなく、丈一郎は答えを吐く。


「それはね、普通は耐えられないからです。もって三日。ほとんどの鬼人もどきが三日もすれば空腹と渇きに我を失って、人肉を喰らってしまう。だから私は、君もどうせそうなるだろうと思って観察していた。……なのに、君は今日まで耐え抜いた。私が目の前で食事を見せつけようが、顔色一つ変えることなく。それは異常なことなんです。でも昨日君から話を聞いて、その理由も判明しましたけどね。原因は、紗良々さんです」

「紗良々が……?」

「彼女が、君の分の空腹を背負っていたんですよ」

「……そんなこと、どうやって……」

「『魔』を退治する専門家――陰陽師が用いていた呪術の一つ、『義身封鬼(ぎしんふうき)の術』。陰陽師と鬼人の歴史を辿れば、この術の名は必ず目にすると言ってもいい。だからこそ私も知っていたのです。この術にかかった鬼人や鬼人もどきは、飢えと渇きを大幅に軽減することができる。陰陽師たちはこの術で、餓鬼に呪われて鬼人となってしまった者の暴走を抑えたり、鬼人もどきが欲望に耐えきれず鬼人となってしまうことを防いできたと言われています。しかし、この術にはリスクがある。それは、軽減した分の飢えや渇きは全て術者に跳ね返るという点です」

「……だから……紗良々は……」

「その通り。君の飢えと渇きの大半を請け負った彼女は、耐えきれずに理性を崩壊させ暴れ回った。自分一人分の飢えと渇きを耐え凌ぐのでさえ精一杯なはずなのに……彼女の味わった苦しみは、私にも計り知れません」

「そんな……どうして……」


 でも、そんなこといつの間に……と考えた時、紗良々と初めて会った日に突然キスされたことを思い出す。どう考えても、あの口づけは不可解だった。もしかして、あの時に――


「私も驚きました。陰陽師はとうの昔に廃れた一族。それに伴って呪術の類いも消失したとばかり思っていましたが……まさか現存していて、しかも紗良々さんが会得していたとは。一体どこでそんな知識を身につけたのやら。まあ、もうどうでもいいことですが」


 丈一郎は腕を横に伸ばし、何かを握るような手を形作る。するとその掌から水が湧き出て棒状に伸びていき、それは次第に氷結して、鋭い刃を宿していく。そして白い冷気を帯びた一本の氷の刀が形成された。


「蓮華くん。私が何をしようとしているか、わかりますか?」


 蓮華は答えられない。答えがわかってしまって、恐怖で声が出ない。息が、苦しい。


「実は紗良々さんも同じような手法で鬼人にしましてね。だから彼女は私の行動が読めていたみたいで、少し邪魔されてしまいました」


 丈一郎から紡がれる真相の数々に蓮華は酷く動揺した。

 だってつまりそれは、紗良々は初めから蓮華を助けようとしてくれていたということになる。そんな彼女に、蓮華はバケモノと罵倒を浴びせてしまったのだから。


「結果はあのザマですが、大丈夫です。殺していません。私は彼女たちのように、同胞を殺す趣味はありませんので。それに、私は結果さえ達成できれば過程を気にしませんから」


 丈一郎は人形のように動かない蓮華の母の腕を持ち上げて――もう片方の手に持つ氷の刀を振り抜いた。とてつもない切れ味を持っているのか、その刀は何の抵抗もなく腕を通り抜ける。まるで食肉の部位みたいに腕が切り離された。


「さあ、お食べなさい」


 血の滴る母の腕が蓮華に差し出される。

 体が動かない。足が震えている。

 それでも必死に足を動かそうとして、蓮華は腰を抜かしてしまい尻餅をつく。


「血を一滴舐めるだけでもいい。それで私の目的は達成される」


 蓮華の口元に腕が近づいてくる。


「……だ……嫌だ……やめろ……っ!」


 蓮華は顔を背ける。すると髪を掴まれ、強引に上を向けさせられる。


「何をしても無駄です。もう君は逃げられない」


 蓮華の顔の上には母の腕があった。ぽたり、ぽたり――と生温かい血が蓮華の顔に落ちて垂れていく。むせ返りそうなほど濃密な血の匂いが鼻を掠める。


 どうしてこんなことに。今日で終わるはずだったのに。お母さんとお父さんまで巻き込んで、なんでこんなことに――どうしようもなく涙が溢れてきて、蓮華は目を瞑った。


 やがて一滴の血が蓮華の唇に触れた――その瞬間だった。


「なっ――!」


 丈一郎の驚きの声と同時、キィンッ――という、金属でも爆ぜたかのような甲高い爆発音が鳴り響き、閉じた瞼の向こう側で眩い閃光を感じ取る。同時に丈一郎の手からも解放され、首が自由になった。


 何が起きたのかわからず目を開ける。


 丈一郎が反対側の壁まで吹き飛ばされ、背中を打ち付けていた。その体からはバチバチと小さな電流が弾けている。


「……呪術のみならず、鬼の力でトラップまで仕掛けていましたか……。さすがの私も、今のは肝を冷やしました」


 丈一郎は何事もなかったかのように立ち上がり、体の埃を払うようなマネをした。


 蓮華は隣の部屋で壁に背を預けて座ったまま動かない紗良々を見る。血まみれでボロボロの彼女が、その口元を「ざまあみろ」とでも言いたげに歪ませたように見えた。

 そこでふと気がつく。紗良々の傍らで一緒に倒れていたはずの蝶ネクタイデブとやつれたおっさんの姿が消えている。


 すると蓮華の体に浮遊感。横を見るといつの間にかやつれたおっさんがいて、蓮華は彼に片腕で持ち上げられていた。

 もう一度前を見ると、今まさに蝶ネクタイデブが丈一郎に殴りかかっているところだった。しかも、蝶ネクタイデブはデブと呼ぶのが失礼なほどに筋肉質なガタイへと変身している。


「ふんッ――!」


 蝶ネクタイマッチョは荒々しい鼻息を漏らしてその太く逞しい腕を丈一郎へ振り抜く。

 すさまじいインパクト音を打ち鳴らし、丈一郎を腕のガードごと吹き飛ばす。軽々と突き飛ばされた丈一郎は食器類をぶちまけながらキッチンの向こうへと消えた。


「このままだと紗良々たんが危険ダ。今のうちに逃げるヨ!」


 蝶ネクタイマッチョが紗良々を抱き上げる。


「この少年はどうする?」

「ほっとケ……って言いたいところだケド、そんなことしたら紗良々たんに絶交されちゃうからネ。外に放り投げヨウ。今は外に警察もいるシ、丈一郎も下手に手出しできないはずダ」

「よし、わかった」


 やつれたおっさんは蓮華を抱えたまま玄関へと通じる通路へと振り返る。そこにはまだ水の膜が張られていた。


「すまないが、しばらく一人で逃げてくれ。後で迎えに行く」


 渋い声でそう言い残して、彼は勢い良く――蓮華を投げ飛ばした。

 蓮華の体は一直線に飛んでいき、水の膜を突き抜け、玄関扉を背中からぶち破って外に放り出される。二、三回ほど芝生の庭を転がり、その勢いのまま門を飛び出てアスファルトの上に体が投げ出され、仰向けに寝転がった。


「蓮華……!?」


 穂花が心配そうに駆け寄ってきた。


「蓮華、どうしたの!? 何があったの!? ちょっと、蓮華ぁ!」


 穂花は必死に蓮華に呼びかけるが、蓮華には何を言っているのかわからなかった。何も聞こえてこない。磨りガラスを通して世界を見ているみたいに視界もぼやけて、よく見えない。

 燃えさかる蓮華の家には駆けつけた消防隊が放水を始めていた。そしてその消防隊の人たちが駆け寄ってきてまた何か蓮華へと必死に呼びかけ始める。しかしやはりどこか別世界のことのように、蓮華にはその声が聞こえてこなかった。


 頭が空っぽになったみたいにクラクラする。

 すべて夢だったんじゃないか。今も悪い夢を見ているんじゃないか。そんなことを思い始めていた。

 そのまま視界がだんだん強くぼやけてきて、蓮華は意識を失った。


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