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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第一章 始まりの一週間
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第十一話 とある紳士の食事

 翌日、日曜日。蓮華は「友達と勉強してくる」とまた嘘をついて朝から家を出る。家にいるとご飯から逃れにくい。だから一日中外出してしまった方が手っ取り早いのだ。


 ちょっとした勉強道具を詰め込んだバッグを肩にかけて、晴れ渡る青空の下を歩く。日差しが強くて、まだ朝だというのに既に暑い。

 初めは市立図書館に向かっていた。涼しくて一日中タダでいられて、静かで勉強にも適している。お金のない学生に優しいスポットだ。

 でも次第に蓮華の足は速度を落としていき……方向転換。また例の〝隙間〟へと向かっていた。


 もやもやする。どうしても気になる。どうして紗良々の暴れている原因が自分にあるのか。

 紗良々が口止めしているのなら、紗良々から直接訊くしかない。紗良々がまともに話をできる状態とは思えなかったが、もう一度会ってみないことには何も始まらない気がした。


 〝隙間〟からヘルヘイムへと入ると、そこは相変わらずの夜でひんやりと涼しかった。

 表の世界が夜の時にしか入ったことがなかったため気がつかなかったが……なるほど、もしかしたらこっちの世界は気温が一定なのかもしれない。






 しかしそれから二時間、みっちり歩き回って探してみても紗良々を見つけることは叶わなかった。今日に限っては物音など皆無で、人の気配すら感じることができなかった。バケモノにも遭遇しなかったことは幸いかもしれないが。

 蓮華は紗良々が定住している場所を知っているわけではない。よく行く場所を知っているわけでもない。そもそも、数度会っただけの仲だ。こんな手掛かり一つない状況で無闇に探し回ったところでそう簡単に見つかるものではないのかもしれない――そう諦めながら、いつもの出入り口の〝隙間〟に向かった時だった。


「やあ。待っていましたよ、蓮華くん」


 〝隙間〟の横の電柱に寄りかかって、丈一郎が待ち構えていた。


「少々、君に訊きたいことがあるんです。少しお付き合い頂いても?」






 丈一郎の提案で駅前のカフェに足を運ぶ。僕たちは何も食べられないはずなのになぜわざわざ飲食店に……と蓮華が問いかけるも、丈一郎は「まあいいから」と半ば強引に蓮華を連れ去った。


 カフェの席に着いて、あろう事か丈一郎はナポリタンとコーヒーを注文した。わけがわからないまま、蓮華は飲めもしない水だけをオーダーする。


「なんのつもりですか? 食べれもしないのに注文して……」

「それは君の勘違いです。実は裏技があってね、鬼人でも食べられるんです」

「えっ!?」


 まあ見てなさい、と丈一郎は微笑むだけで答えをもったいぶる。


 程なくして湯気の立ち上るナポリタンとブラックコーヒーが運ばれてきて、丈一郎の前に並べられる。すると丈一郎は胸ポケットから小瓶を取り出した。中には赤黒くてとろみがかった液体が揺れている。

 丈一郎はその小瓶の蓋を開けると、ナポリタンにぐるっと円を描くように中の液体を垂らす。次いでコーヒーにも一滴だけ落とした。


「それは……?」

「血液です。もちろん、人のね」


 蓮華はぎょっとした。料理に人の血をかけるなんて……常軌を逸している。とんだスパイスだ。


「口の中に僅かでも人の一部が混じっていれば、食べ物が炭化することはなくなる。だからこうすることで、私たち鬼人は人と同じように食事を摂ることが可能なんです」


 丈一郎は綺麗に巻き取ったパスタを口に放り込んで、咀嚼。もしゃもしゃと堪能するように噛みしめて――飲み込んだ。さらに、ぐいっとコーヒーで喉を潤す。それらは炭になった気配も、蒸気になった気配も感じられない。本当に、食べている。飲んでいる。


 蓮華はその光景に堪らず生唾を飲み込んだ。


「わかっているとは思いますが、今の君は人の血一滴でも胃袋に入れてしまったら、完全な鬼人へと変貌する。つまり君がこれを食べたら二度と人間には戻れませんよ」

「えっ、一滴の血を舐めただけでアウトなんですか?」

「そうですよ? 知らなかったんですか?」

「初耳です……」


 もし何かの間違いで誰かの血液が口に入ってしまっていたらアウトだったということだ。そう考えると恐ろしい。といっても、そんなシチュエーションに遭遇することはまずないだろうが。


「まあ、別にそんなの食べたくないからいいですけどね、人の血が混じった料理なんて」

「……目の前で食事する私を見ても、本当に、何の欲求も湧いてこないんですか?」

「そりゃあ羨ましいし、僕だって食べたくはなりますけど……」

「我慢できないほどではない、と」

「ええ、まあ……」

「……そうですか」


 不意に丈一郎から鋭い視線を向けられたような気がして、蓮華は首を傾げる。しかし丈一郎はすぐにいつもの柔軟な笑みに戻っていて、ナポリタンを食べ始めた。


「そもそも、それって美味いんですか?」


 少なからず鉄の味がするだろうし、血の匂いもしそうだ。


「ええ、美味いです。鬼人になると味覚が変わりますから。人の血や肉が美味しく感じるんですよ。人の血なんて、鬼人にとってはケチャップみたいなものです。料理に垂らすと良いアクセントになりますよ」


 確かに見た目は似ていると共感しかけたが、味は想像がつかなかった。


「……丈一郎さんも人を食べたことがあるんですね」


 先ほどのセリフは人間を食べたことがあるからこそ言える言葉だ。


「ええ、もちろん。でなければ、そもそも鬼人になっていませんからね」


 そういえばそうか――と今更ながら思った。鬼人になる条件が人を食べることなのだから。中には血を一滴舐めてしまっただけ、という鬼人もいるのかもしれないが。


 丈一郎は謎が多い男だ。しかし優しく紳士的で、なんとなく他の鬼人とは違うと蓮華は勝手に思い込んでいた。

 だが、同じなのだ。彼も、人を喰っている。


「それに、鬼人は基本的に食事を必要としませんが、しかし人を食べなければならない時もあります」

「……なんですかそれ?」

「力を回復させる時です」

「力の回復……?」

「鬼の力は、使うと自らの血を消費します。使いすぎると枯れ果て、動くことが困難になり、他の鬼人や、あるいは餓鬼の餌になり果ててしまう。人間と同じで、我々も血を造るには食事が必要です。つまり、人を食べるしかないんです。それに、鬼人は人を食べることによって傷を癒やすこともできます。だから自らの命を守るためにも、人を食べる必要に迫られる時があるのです」


 鬼の力を使った時の倦怠感はそういうことだったのかと得心がいった。貧血の症状に似ているとは思っていたが、まさしくその通りだったらしい。そして何も食べられない今の蓮華は血を造れないため貧血を改善することができず、倦怠感だけが抜けなかったというわけだ。


「……でも、そうやって少量の血を食べ物にかければ食事ができるなら人を食わなくても――」

「この食事には何の意味も持ちません。ただ味を楽しんでいるだけ。食べることはできても、吸収できるわけではないんです。私たちが摂取できるのは、あくまで人間の血肉のみ。こうやってごまかして食べても、所詮、摂取した血の分しか回復できない」

「……へぇ……」


 生きるために仕方のないこと――そう飲み込もうとしても、納得はできない。でも、罵倒もできなかった。

 誰だって死にたくないはずだ。今ここで丈一郎を罵倒してしまったら、それはつまり「死ね」と言っていることと同義になってしまう。


 僕は紗良々に謝らなければいけないのかもしれない――重力に従ってりんごが落ちるみたいに自然に、蓮華はそう思う。


「……でも、だったらそうと言ってくれれば良かったんだ。『腹が減るから』なんて嘘をつきやがって」


 蓮華は丈一郎にも聞こえない声で一人文句を呟いてふてくされた。


「……無駄話が過ぎましたね。そろそろ本題といきましょうか」


 丈一郎はコーヒーを一口啜って、話題を切り替える。


「私が訊きたいのは、紗良々さんのことです。蓮華くんは、このところ彼女が暴れ回っていることはご存じで?」

「はい……。あいつ、どうしたんですか? なんか、苦しんでるみたいでしたけど……。まさか、あれが紗良々の本来の姿とか?」

「まさか。彼女があんなに荒れ狂っている姿を見るのは、私も初めてです。……なるほど。つまり蓮華くんも何も知らないわけか……。蓮華くんは彼女がまともな時に何度か接触していたようですし、何か知っているかもと思ったのですが」


 何か……。そう訊かれて、思い当たる点が一つだけあった。


「そういえば、昨日紗良々を追いかけて行った時、蝶ネクタイをしたデブに会ったんです。そいつに『紗良々がこうなったのはお前のせいだ』みたいなことを言われました。僕、本当に何もした覚えがないんですけど……どういうことかわかりますか?」

「蓮華くんの……?」


 丈一郎はなにやら考えるような仕草をした後、


「……なるほど。そういうことでしたか」


 一人で納得したように呟いて、コーヒーを飲み干す。


「何かわかったんですか……?」

「ええ。こうして待っているだけでは無駄だということがわかりました。すみませんが、私は急用ができたのでこれで失礼します」

「えっ、もう!?」


 まだ席に着いてから二十分も経ってない。丈一郎のナポリタンだって半分以上残っている。


「てか、何かわかったなら教えて欲しいんですけど……」

「すみません。私も時間がなくてね……。今度会ったら詳しく話しましょう。今日はお付き合い頂き感謝します。お会計はこれで済ませてください。ではまた」


 そう言って丈一郎は料理一品とコーヒー一杯にしては過ぎるほどの金額――一万円札を机に置いて立ち上がり、蓮華が呼び止める暇もなく颯爽と店を出て行った。

 招かれてついてきただけなのに置いてけぼりをくらう蓮華。丈一郎は紳士的に見えて結構自分勝手な人なのかもしれない、と思った。さらっと万札置いてく辺りは男前だが。

 一万円のお釣りは、貰ってもいいものなのか戸惑いながらも、とりあえずありがたく頂いておいた。


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