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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第一章 始まりの一週間
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第十話 小さな獣

 花火の爆音を縫うように悲鳴が聞こえたのは、そんな桃色タイムから間もなくだった。さらに連鎖するように、花火の爆発音とは違う、家屋の解体現場を思わせるような破砕音がぶちまけられる。驚いて背後を振り返ると、いくつかの屋台の屋根が骨組みごと空に舞っていた。

 風で舞ったというレベルではない。隣に建つ五階建てビル相当という、尋常ならざる高さまで屋台の屋根が吹き飛んでいる。疑うとすれば、爆発事故か何かといったところだった。


「なになに? どうしたの?」


 穂花が怯えている。


「なんだろう……。とにかくここから逃げた方が――」


 その時だった。雲一つ無い星空にも関わらず、辺りを白く染め上げるような一筋の巨大な雷が屋台通りのど真ん中に降り注ぎ、大地を揺るがす雷鳴が響き渡る。その落雷によってなのか、また屋台の屋根や看板、その他もろもろの置物が吹き飛んでいった。さらには、屋台のガスボンベにでも引火したのだろう。爆発音が空気を震わせ、爆炎が上がった。

 およそ経験したことのないほどの壮絶な破砕音の嵐に戸惑いながら直立していると、一メートルほどの大きさの看板がこちらに飛んでくるのが目に入った。


「伏せろッ!」


 蓮華は咄嗟に穂花の上から覆い被さるように伏せる。間一髪で看板は蓮華たちの上を通過していき、幸いにも誰にも衝突することなく道路に転がった。


「何がどうなって……!」


 顔を上げると、また悲鳴。群衆が何かから逃げるように散っていく。その人波の向こうではまだ何かが起きているのか、爆発でも起きるように物が吹き飛んでいた。

 さらにその爆心地から何かの影が飛び出したのを蓮華の目は捉える。高速で動き回るその影は建物の壁から壁へと飛び交って移動していた。その度に、蹴られた壁は爆撃を喰らったかのように破壊されていく。

 やがてその影が駅ビルの壁に貼り付いて動きを止めたことで初めて正体を見ることができ、蓮華は目を見開く。


「紗良々……ッ!?」


 黒い浴衣姿に赤い髪の幼女。間違いなく、あの幼女――紗良々だった。

 だが、様子がおかしい。獣のように歯をむき出して、いつしか見たバケモノのようにヨダレを垂れ流している。その顔は怒りに満ちた肉食獣のそれだった。


 紗良々は壁から再びジャンプ。すると、空中で突然姿が消えた。

 一瞬目を疑ったが、すぐに〝隙間〟から裏世界――ヘルヘイムに移動したのだと理解した。


 まだ屋台通りには混乱が振りまかれ、人々が悲鳴を上げながら逃げ惑っている。もうお祭りどころではない。

 どこも屋台はぼろぼろで、道路には食べ物や景品が散乱している。周囲の建物の外壁やガラス窓までもが粉砕されている。


 ふと、先日ニュースで見た商店街破壊事件を思い出す。今の目の前の光景と酷く重なって見えた。


「まさか……紗良々が……?」


 でも、どうして――


「ねぇ、蓮華……? どうしたの? 何があったの……?」


 穂花が蓮華の胸の中で泣きそうな声を上げた。今度は嬉し泣きなんて喜ばしいものではなくて、純粋な恐怖に震える声だった。






 当然花火大会は中止になり、警察や消防が駆けつける事態にまで発展し、蓮華たちは直ちに帰路につく。

 何も見ていない穂花には「雷が落ちて爆発事故があったらしい」とだけ告げておいた。「怖かったよー」と、穂花は腰を抜かして子供みたいに泣いていた。

 すぐにでも穂花を家に帰したくて、その気持ちが蓮華の足を速めて、その結果、二十分もしないで蓮華たちの家に着いた。


「なんか……久しぶりの花火大会だったのに災難だったな」

「うん……。でも、楽しかった。また来年も一緒に行ってくれるよね? あ、でも来年は受験か。じゃあ、お互い忙しいかもね」

「いや、行こう。息抜きも必要だろ」


 穂花は花が咲いたみたいに顔を綻ばせた。


「うん! 約束だからね! 言ったからね!」

「わかったわかった。約束な」


 そうして、おやすみ、と二人は別れた。穂花が家の中へ入って見えなくなるまで見届けて、蓮華はすぐ隣の自宅へと足を運ぶ。門を抜けて扉に手をかけて、しかしそこでピタリと動きを止めた。

 そして踵を返し、また門を出る。足は次第に速くなっていき、気づけば駆け足になっていて、蓮華は例の工業団地へと向かう道を走る。


 自分には関係のないことだ。首を突っ込むべきじゃない。あいつは、ただのバケモノだ――そう考えようとしても、心のどこかで何かが引っかかって、喉に魚の骨が突っかかったみたいに気持ち悪くて、動かずにはいられなかった。

 頭にちらつくのは、自らを「バケモノ」と自虐した時の紗良々の悲しみに満ちた顔。どうしても、さっきからあの顔が頭から離れなかった。

 何か、理由があるんじゃないだろうか。そんな気がしてならなかった。


 蓮華は工業団地へと向かう道中の、あの電柱の横の〝隙間〟までたどり着き、足を緩めることなく突き抜ける。空気の抵抗のような膜を通過した感覚の直後、静寂の世界へと進入を果たした。

 蓮華はヘルヘイムへと通じる〝隙間〟をはっきりと見ることができない。だからヘルヘイムに行くなら〝隙間〟を探して見つけ出すより、少し遠回りになってでも知っている〝隙間〟に向かった方が早いだろうと考えたのだ。


 駅の方角へと足を進めていると、遠く彼方から地響きのような重低音が響いてくる。人のいないこちら側の世界では物音ですら珍しい。物音がしたとするなら、それは餓鬼か鬼人のどちらかだ。そしてここまでの諸々の経緯を考えれば、紗良々の可能性が高い。この凄まじい地鳴りは、紗良々がこちら側でも暴れている音ではないだろうか――そう直感した。


 音の発信源はどんどん移動していた。だから時折足を止めて耳を澄ませ、音を頼りに進む。するとついに、星のない薄暗い闇空にフラッシュのような明るい光がちらついているのが目に入る。

驚いたことに、その光の発生源は蓮華の通う高校だった。


 城門を模した風格のある校門を抜けて、校舎の裏手にあるグラウンドへ一気に駆け抜ける。


「ううぅうぅうあああぁああぁあああああああ――ッッッ!」


 突如聞こえた悲鳴。だだっ広いグラウンドの真ん中で、一人の少女が断末魔のような悲鳴を上げてもがき苦しみ、のたうち回っていた。

 それはやはり、紗良々だった。

 紗良々は暴れながら、あの鬼の力の稲妻をがむしゃらに乱れ打ちしていた。グラウンドの地形が変わっている。落雷の度にクレーターのような穴が量産されていき、原型は見る影もない。


「おい……紗良々……? 何してんだよ……? 一体……どうしたんだよ……!?」


 紗良々の悲鳴と雷鳴にかき消されないよう声を張り上げる。けれども、届いた様子はない。

 一歩ずつ踏み出してみる。でも、暴力的な稲妻が吹き荒れていてまともに近づけない。


「紗良々っ! おい、紗良々! どうしたんだよ! 何だよこれ!?」


 蓮華の必死の叫び声が届いたのか、時間が固まったみたいに紗良々の悲鳴と動きがピタリと止まった。


「紗良々……?」


 紗良々が起き上がり、蓮華に振り返った。紗良々の目が蓮華を捉える。でもその目は明らかに正気ではなく、獲物を前にした獣そのものだった。


「――うがああああああッ!」


 雄叫びのような声を上げて紗良々が蓮華に向かって飛びかかる。三十メートルは離れていたのに、たった一度の跳躍で弾丸のように蓮華まで一直線に。

 もうわけがわからなくて、蓮華は固まったまま、近づいてくる紗良々をただ見ていた。


「ハーイ、そこまデー」


 そんな蓮華の目の前に、どこからともなく、いつしか見た蝶ネクタイデブが現れて立ちふさがった。そして飛んでくる紗良々をいとも簡単にキャッチすると、まるで子供をあやすみたいに、暴れ回る紗良々を脇に抱きかかえる。


「だめだヨー紗良々たん。生きた人間は喰わナイ。そういう約束ダロ?」


 日本語覚えたての中国人みたいにちょっとなまった喋り方をするこの蝶ネクタイデブ……蓮華の首を絞めてきた、紗良々の仲間の一人だ。


「……生きた人間は喰わない……?」


 聞き流せない言葉が聞こえてきて、蓮華は思わず「ちょっと待てよ」とつっかかる。


「生きた人間は喰わないってどういうことだ? だって、紗良々は僕の目の前で喰ってたじゃないか、人間の肉を……」

「だから紗良々は『上辺だけ見て決めつけんな』って言ってただろクソガキ。喰い殺すぞ」


 なまりのない、ドスの利いた声色。酷く煮えたぎる怒りが蓮華の体の芯まで伝わってきた。


「何度でも言う。ボクはキミが嫌いだ。紗良々をこんな目に遭わせやがって……。ボクは今猛烈な怒りでどうにかなりそうなくらいだよ。だから忠告しておく。死にたくなければ今すぐ立ち去れ」


 あたかも紗良々がこうなった原因が蓮華にあるとでも言いたげに、蝶ネクタイデブは言う。


「お、おい! どういうことだよ!? 僕が一体何したって言うんだよ!? 僕は紗良々に何もした覚えはねーぞ!」

「ああ、確かにキミから何かしたわけじゃない。全て紗良々の意思だ。でも……キミが現れなければこうならなかった。だからボクは、キミの存在自体が憎いんだ」

「……意味がわかんねーよ……。ちゃんと説明を――」

「紗良々に口止めされている。だからこれ以上は話せないし、話したくもない。それに、ボクは言ったよな? 今すぐ立ち去れ。じゃねーと……本気で喰い殺すぞ」


 蓮華を睥睨する蝶ネクタイデブの目は、一切の冗談を孕まない、本物の殺意が奥底で燃えていた。


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