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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第一章 始まりの一週間
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第九話 だから僕は人間に戻りたい

 夕闇に染まりつつある空をぼけっと眺めながら、蓮華は家の前で立ち尽くしていた。

 本日土曜日は花火大会。花火を打ち上げ始めるのは午後七時から。

 花火大会は駅から南西に少し歩いた場所にある河川敷で行われる。

 そこまで家から徒歩三十分といったところ。だから待ち合わせは午後六時半にした。


 ――だというのに、現在六時四十五分。まだ穂花は現われない。隣の家からはドタバタと引っ越し作業中のごとき慌ただしい音が聞こえてくる。

 その待ち時間、蓮華ははまるで作文発表会の順番待ちのように緊張しっぱなしだった。

 あんなことをしてしまった手前、変に意識してしまう。いつもなら何気なく会話できるはずだが、今は穂花と挨拶すらまともにできるか不安な状態だった。


 緊張する。変な沈黙が続いてしまわないだろうか。変な空気にならないだろうか。そのままB級恋愛ドラマのカップルのように気持ちがすれ違っていくなんてことも……そんな不安ばかりが頭の中で渦を巻く。家を出る時に母が「もう高校生なんだから、ちゃんとエスコートしなさいよ?」とによによした顔で冷やかしてきたことも、蓮華の緊張を煽った十分な要因だろう。


 空を流れる雲を目で追いかけながら気を紛らわせていると、「行ってきます!」と、隣の家から元気に飛び出す穂花の声。ついに来たか……とさらに緊張が高まる。

 カタコトと下駄の音を慌ただしく打ち鳴らしながら穂花は走ってきた。慣れない浴衣姿でとても走りづらそうに。


「ごめん蓮華! 待たせちゃって! 埋め合わせに何か奢るから!」


 穂花は両手を目の前で合わせて謝ってくる。


「ったく、どれだけ待たせんだよ。花火始まっちゃうだろ」

「しょうがないでしょ? 女の子は準備が大変なんですー」

「開き直りやがった……。お前、とりあえず口先だけ謝ればいいとでも思ってんだろ?」

「謝ってるんだからいいじゃない。それにお詫びに何か奢るって言ってるでしょ? ……え、まさかそれじゃあ足りないって言うの……? まさかまさか、私の体で償えとか……」

「いらねぇよ!」

「ちょっと、それはそれで傷つくんですけど?」

「じゃあどう言えばいいんだよ……」

「「『お前の体ならおつりが出るぜ、うぇっへっへ』とか……。うわ、そんな蓮華きもい……」

「正解がねぇじゃねーか」


 蓮華はほっとしていた。

 話し始めてみればいつもみたいに軽口を叩き合える。穂花といるとなぜか自然体でいられる。この空間が心地良い。

 まともな会話ができるかどうかなんて、杞憂だったのだ。そもそも、いつも下らない会話しかしていなかったのだから。


「ねぇねぇ、それよりどう?」


 穂花は腕を上げてくるりと一回転する。


「似合ってる? 似合ってる?」


 穂花が着ているのはベースが紺色で、薄青色の華の模様が描かれた浴衣だった。いつも降ろしている長い後ろ髪は、三つ編みにしてくるりと巻いて後頭部で留めてある。

 蓮華の知らない浴衣姿だ。最後に見た中二の時の浴衣姿は、元気ハツラツで太陽みたいな穂花にぴったりなオレンジ色だったのを覚えている。

 今の穂花の浴衣姿は落ち着いた深い紺色で、どこかとても……大人びて見えた。


「……まあ、似合ってんじゃね」


 すげーかわいい。めっちゃ似合ってる――でもそんなこと蓮華はとても口に出して言えず、ちょっと遠回しに、かなり控えめに言う。


「ふふ。うん、ありがと」


 穂花はなにやら満足そうに笑っていた。






 花火大会の会場に向かう途中で、遠くの空に大きな花が咲き始めた。その数秒後に爆発音が空気を揺らす。


「あー、始まっちゃったね」

「穂花が遅れたせいでな」

「またそうやって掘り返すー。別にいいじゃん。ここからだって見えるんだし」

「……それもそうだな」


 田舎町だから邪魔するような高い建物なんてなく、花火の全景を見ることができる。間近で見るよりも迫力は劣るだろうけれど、その代わりうざったらしい人混みもないし、こういう楽しみ方もありなのかもしれない、と蓮華は思った。


 遠くの空で花火の弾ける心地良い音。その風物詩を楽しみながら会場の河川敷に近づくにつれて人が増え、そして屋台が見え始めた。


「思ったよりも屋台の方に人いないね!」

「そりゃそうだろ。もうみんな河川敷の特等席で花火見てるだろうし」


 きっと河川敷の方は人の海になっているはずだ。人混みが嫌いな蓮華は考えただけでもぞっとする。そして人混みを見る度に思うのだ。どこからこんなに人間が湧いて出たのだ、と。


「どうする? 先に花火見に行くか?」

「何言ってんの! お祭りのメインは屋台でしょ! 花火なんてちらっと見えて音が聞こえて雰囲気作ってくれればいいの! ほら、屋台空いてるから回り放題だよ!」

「あ、そう……」


 まさに花より団子。昔ながらの穂花らしさ全開な様子に、蓮華は温かい溜め息がこぼれた。


「ほら、行こ行こ!」


 ぐい、と穂花が蓮華の手を引いて走り出す。急に繋がれた柔らかくて温かい手に蓮華の心臓が跳ねて、体温が上がった。

 しかしその反面、胸の奥で不安が膨らむ。

 屋台巡り……ここをいかにやり過ごすかが本日最大の鬼門だ。


「あ、クレープ見っけ!」


 穂花がクレープ屋台に向かって走り出し、つられて蓮華も引きづられていく。


「どーしよっかなー。うーん……決めた! おじさん、いちごフレーク一つ! 生クリーム増し増しで!」

「あいよっ! 焼きたての生地で作ってあげるから待ってな」


 気前の良いおっちゃんが丸い鉄板に生地を流し込み、慣れた手つきで生地を焼き始める。


「生クリーム増し増しって……めちゃくちゃ重そう」

「女の子にとって生クリームは別腹なのです。蓮華は何食べる? 遅れたお詫びに私が奢ってあげよう!」

「お詫びのはずなのになんで上から目線なんだよ……。でも……ごめん。実は僕、今日お腹の調子が悪くて。だから食べ物はパス」

「えっ、そうだったの? 大丈夫?」


 本気で心配する穂花の水晶玉のような瞳が蓮華をのぞき込む。ちょっとドキッとしたけれど、それ以上に罪悪感が胸を締め付けた。


「べ、べつに大したことねーから! でも今から何か食べて腹壊してトイレにこもりっきりとかになったら困るし、今日は食べるのやめとこうかな、みたいな! そんな程度だから!」

「……ホントに?」

「ホントに!」


 穂花の懐疑的な視線が蓮華の目を貫く。冷や汗が額から頬に伝う。


「……ふーん……。じゃあ私もこれ以上食べ物買うのやーめよっと」

「えっ、なんでだよ!?」

「だって私だけ食べるなんてなんか申し訳ないし」

「気にすんなよ! むしろ僕の分まで食べろって!」

「なにそれ、私に太れって言ってるの? ……はっ、まさか私を肥えさせて……」

「食べねぇよ!」


 どわっはっは、とおっちゃんが豪快に笑う。


「仲良いカップルだねぇお二人さん! お幸せにな! あい、いちごフレーク生クリーム増し増しできあがり!」


 カップル――その単語に蓮華の顔が爆発する勢いで赤熱し、一気に体が硬直する。

 しかし穂花はというと、「ありがとうございまーす」と、普通にクレープを受け取っていた。けれど、間違われたことに恥ずかしさのようなものは感じているのか、少し顔に赤みが差している。

 否定もしなければ冗談としてからかいもしない穂花に、蓮華はしばらく放心状態で過ごす羽目になった。






「あ、見て見て! ミサンガ売ってる!」


 突然穂花が指さした方向を見ると、異国のアクセサリーが陳列された出店があった。その内の一つのコーナーに色とりどりのカラフルな紐が並べられている。


「へぇ、ミサンガか……つけたことないな」

「じゃあつけてみようよ! 私とお揃いで!」

「えっ、お揃い!?」

「何? 嫌なの? 嫌なわけ? 蓮華のくせに?」

「いえ、光栄です……」


 恥ずかしいんだっての、と心の中で反論する。お揃いのアクセサリーなんて穂花は恥ずかしくないのだろうか。それとも……と妙な勘ぐりをしてしまって、蓮華はいかんと頭を振った。


「じゃあ、赤がいいな! これ下さい!」


 即決。穂花は赤とオレンジの紐で編み込まれたマーブル模様のミサンガを二本チョイスした。


「ほら、蓮華。右手出して」

「え? 右って利き手じゃん。普通こういうのって利き手とは逆につけるんじゃねーの?」

「それは腕時計とかの話でしょ。ミサンガって、利き手につけるか利き手とは反対につけるかで意味が変わってきちゃうの。つける場所とか色にそれぞれちゃんと意味があるんだよ」

「へー。詳しいんだな」

「女の子はおまじないとか好きですから」

「ちなみに利き手につける意味って? 赤色にはどんな意味があるんだ?」

「家に帰ってから自分で調べましょう。それに、利き手の方がすぐ切れそうだし、そしたらすぐお願い叶うじゃん!」

「なんかセコい考え……」


 と言っている間に、右手にはキツく結ばれたミサンガが完成した。


「じゃあ蓮華、私のも結んで」


 穂花も右腕を出す。利き腕に結ぶ理由……あとで調べてみよう。そんなことを考えながら、穂花の細い手首にもミサンガを結び終える。


「へへー。早く切れないかな」

「そんなこと言ってるとご利益なくなるぞ」


 穂花らしさに、またふと温かい笑みがこぼれた。






 金魚すくいは二人とも一発で網が破けて話にならなくて、輪投げも射的も二人してド下手くそで一つも当たらなくて、何一つ成果を上げられなかったが、気づけば二人して笑っていて、久しぶりにこんなに楽しい時間を過ごしたと蓮華は思った。人生ってこんなに楽しいものだったんだと、そんな悟りめいたものまで感じてしまう。

 穂花は結局焼きそばを食べて、たこ焼きを平らげ、今はわたあめをついばんでいる。その横顔はとても幸せそうで、蓮華はなんだかほっとする。

 それに、こうして楽しむことができたのも鬼人の影響が少なかったからだろう。


 実を言うと今日が不安で仕方なかった。祭りといえば屋台が出ているのが当然で、それはつまり食の誘惑が常に存在しているというわけで、そんな中で理性を保っていられるのか、ヨダレを垂らしてしまわないか、心配だったのだ。

 しかし、相変わらずお腹は減っているし喉は渇いているものの、無数の食べ物に囲まれているにも関わらず、不思議と蓮華の精神を揺さぶるほどの欲求は湧いてこなかった。

 初めは慣れかとも思ったが、でもそうじゃないんじゃないかと思い始めた。明らかに、一日目より苦痛が軽減しているのだ。多分これは……人間に戻り始めている。そんな兆候なのではないかと蓮華は思った。


 でも欲を言えば、完全に人間に戻ってから楽しみたかったと、そんな我が儘を考えてしまう。

 穂花と一緒に焼きそばを食べたり、たこ焼きをシェアしたり、わたあめつまみ合ったり……鬼人なんてものになっていなければ、きっと、もっと楽しくてきらきらした時間を過ごせたことだろう。

 変に気を遣うこともなく、もっと腹から笑い合えていたかもしれない。

 そう思うと、すごく悔しくて。


 ああ、一刻も早く人間に戻りたい――と、夜空に打ち上げられる花火を眺めながら蓮華は一層強く思った。


「ねぇ、蓮華。どうして急に花火誘ってくれたの? どうして私のこと下の名前で呼ぶようになったの?」


 そろそろ本格的に花火を見に行こうかということになって河川敷に向かう道すがら、穂花は訊いてきた。


「……お前が泣いてたから」

「え?」

「あの時、お前泣いてたじゃん。それで、なんか……僕が色々間違ってたんじゃないかと思って……」


 丈一郎の助言があったことは伏せておいた。とはいえ、穂花の涙に蓮華の胸が打たれたことも事実だ。いや、どう考えてもその要因が一番大きい。大切な人の涙ほど心の痛むことはないのだから。


「なんだ、バレてたか。そっか。でもじゃあ、泣いた価値があったってことだね」

「お前、まさかあれ嘘泣き――」

「そんなわけないじゃん。本当に悲しかったんだもん。中三の頃から急に蓮華がよそよそしくなって、私と距離置き始めて……。私、避けられてるのかなって。疎ましく思われてるのかなって。だから、昨日は嬉しかった。花火に誘ってくれて。私のこと、前みたいに名前で呼んでくれて。嬉しかった。蓮華との関係が、昔みたいに戻った気がして」


 穂花の声が小さく震え始めて、瞳からは脆く崩れたガラス細工のような涙がこぼれていた。


「お、おい……泣くなよ……」

「いいじゃん、嬉し泣きだもん。ばか」

「……悪かったって。今まで、ごめん」


 そんなことしか言えない自分が情けなく思う。

 穂花にそんな思いをさせていたとは考えもしなかったのだ。むしろ良かれと思ってしていたことなのに、逆に傷つけていたなんて。穂花には恩を返したいと思っていたはずなのに、仇で返していたなんて。それを知ってしまった今、本当に、どう償えば良いのかわからなかった。


「うん、いいよ。許したげる」


 でも穂花はそんな蓮華に向かって、泣きながら、他意のない無垢な笑顔でそう言った。

 その破壊力バツグンな笑顔に、蓮華は頬を掻いて、ああ、ちくしょう、と目をそらす。

 さっきから胸の奥が甘酸っぱくて仕方がないのだ。


ミサンガを『利き手の手首』に付ける意味も、『赤色』の意味も、どちらも『恋愛』のおまじないの意味があるそうです。

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