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そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第一章 始まりの一週間
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第八話 その笑顔に救われて

 五年前、まだお互いが小学六年生だった頃。


「行くよ! 花火大会!」


 兄を病で亡くし、布団に包まってふさぎ込んで悲しみと絶望の底で泣きじゃくっていた蓮華に、穂花は布団をはぎ取って至極真剣な眼差しで言った。


「……嫌だ。行きたくない」


 蓮華は殻にこもるように身を縮こめて拒絶した。到底そんなお祭りを楽しむ気分になどなれなかった。

 すべてがどうでもよくなっていた。どうしてあの優しい兄が死ななくてはならなかったのか。ただただこの世の理不尽を呪った。憎かった。神がいるのなら殺したいとすら思った。そんなことしか考えられないほどに、心が蝕まれていた。


「いいから行くの! 行くったら行くの!」


 けれど穂花は譲らなかった。蓮華の体を揺すって呼びかけ続けた。


「ほっといてくれよ!」


 たまらず蓮華は叫んだ。


「僕はそんな気分じゃないんだよ! 兄ちゃんが死んだんだぞ、そんな気分になれるわけないじゃんか! そんなに行きたいなら一人で行けばいいだろ!」


 わっと張った蓮華の声に穂花は面食らったように大きな目を丸くした。その目にじわりと涙が浮かんで、けれど必死に唇を噛みしめて堪えて、


「一人じゃ意味ないもん! バカ蓮華! いいから行くの!」


 穂花は蓮華の手を取り、強引に引きずるようにして部屋から連れ出した。


「痛いって! おい穂花! やめろよ!」


 手首を握る穂花の手は断固とした意思が伝わってくるほど固く握られ、痛かった。そして蓮華が何を言っても穂花はその手を緩めることはなく、返事すらもなく黙々と走っていた。

 時々転びそうになりながら薄暗い田舎道をひたすら走った。

 しばらくすると屋台と人混みが見えてきて、それを抜けると花火を一番間近で見られる河川敷の見物スポットへと出た。当然ながら、そこは花火大会において一番人気の場所だ。それも時間は花火開始数分前。せめぎ合う人々によって人の海ができあがっていた。

 その辟易とする人混みの海原を前にして、しかし穂花はフンッと鼻息を荒くした。走る足も緩めない。


「ちょ、おい、穂花……!?」


 人混みの嫌いな蓮華は『まさか』と思ったが、そのまさかだった。

 穂花はずんずんと力強い足取りで人混みをかき分けて突き進んでいった。人の波に揉まれながら引きずられた蓮華は意識が飛びそうになりながらも、なんとか穂花の後を追った。というより、穂花が手を放してくれなかった。

 そうして人の熱気にもみくちゃにされて歩き続け、ついに穂花の足が止まった。と同時に、夏の夜風が顔を撫でた。人の海から抜け出し、最前列に躍り出たのだ。


 その瞬間。


「あっ」


 思わず声が出た。派手な爆音と共に夜空に火の華が咲いて、蓮華の瞳に七色の光を照らした。


 花火だ。ただの花火だ。田舎で行われる盛大な、けれど全国的に見たらちっぽけな花火だ。特別にすごいものなんて何もない、ただの花火だ。

 だけどどうしてか、それはたまらなく蓮華の心を揺さぶった。悔しいほどに綺麗だった。


 兄を失い、全てが色褪せて見えた蓮華の世界に彩りが蘇っていく。その時、蓮華は世界の真理を悟った気がした。

 兄が死んでも、自分がどれだけ悲しんで涙を流しても、こうして世界は何事もなかったように回っている。変わらない。いくら世界を憎んだって、ただ泣いているだけじゃ、何も変わらない。誰も救われない。


 蓮華は胸の奥から込み上げた涙をぐっと堪えて飲み込んだ。でもその隣で、穂花が目にいっぱいの涙をため込んで花火を見上げていた。


「何でお前が泣いてんだよ」

「蓮華の心が痛いの、わかるから」

「でも、僕はもう泣かないよ」

「元気出たの?」

「うん、出た」

「そっか。じゃあさ、また来年も来ようね。その来年も、またその来年も、ずっとずっと」

「うん」


 蓮華の手をぎゅっと握って、穂花は涙の浮かんだ顔に花火よりも煌びやかな笑顔を咲かせた。


「約束だからね、蓮華――」



   ◆   ◆   ◆



 蓮華は駆け出していた。


 冷水を浴びせられたような気分だった。


 これまで良かれと思っていた自分の行動が空回りしていたなんて。ずっと穂花を傷つけていたなんて。自分の愚かさに虚しくなってくる。


 穂花と一緒にいたい。一緒に花火大会にだって行きたい。一緒に色んな思い出を作りたい。そして――自分の一生をかけてでも、恩返しがしたい。


 蓮華には、ずっとその想いしかなかった。


 でも、だからこそずっと我慢していた。遠慮していた。それが、穂花のためになると思っていたから。


 穂花を嫌いなわけがないのに。


 気がつくと、そばにいて――

 気がつくと、支えてくれていた。


 冷たい暗闇の底から引っ張り出してくれた穂花に、いくら感謝してもしきれない。

 そしてそんな穂花に、蓮華はいつの間にか惹かれていた。


「穂花――ッ!」


 とぼとぼと廊下を歩く穂花の背中を見つけて、蓮華は人目もはばからず、叫ぶ。

 穂花はびくっと体を強ばらせて振り返る。そして蓮華を見て、また一層おどけた顔をした。


「れ、蓮華!? ど、どうしたの、急に名前で、こ、こんなところで――」

「穂花!」


 蓮華は穂花の言葉を遮って、また叫ぶ。

 慣れない全力疾走をしたせいなのか、はたまた緊張のせいなのか、あるいはもっと青春臭い何かのせいなのか、蓮華の胸の中で心臓が暴れていた。呼吸も苦しい。


 蓮華はすぅっと息を吸う。


「僕は! 本当はお前と花火大会に行きたい! 今までも、これからだって! だから僕と一緒に――花火大会に行ってくださいっ!」


 頭を下げた。


 情けない姿だった。恥ずかしさで胸が一杯になる。顔が発火しそうなほど熱くなって、蓮華の顔はりんご顔負けなくらい真っ赤になっていた。


 少しの静寂。そのすぐ後「ぷっ」という、吹き出して笑った穂花の声。


 おそるおそる顔を上げると、目尻の涙を拭いながら、しかしすっきりと晴れた笑みを浮かべる穂花の顔。そして、彼女は答えた。


「うん、行こう!」


 曇天すら吹き飛ばしてしまいそうな明るい声で。


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