第六十四話 残された願い【前編】
我が家がシェアハウス状態になってから、俺の室内にレイラやルリが遠慮なしで自由に出入りしてくる。プライバシーの保護とか言いたいわけではなく、独りで物思いに更けたいときも男にはあるのだ。
そんなときはクレハンの研究室で独り物思いに更ける。クレハンが残した研究室は本が雑多に積み上げられ、植物標本と研究器具の山に囲まれて四畳半以下のスペースになっていた。
俺は彼が毎日座っていた机の前で元いた世界を思い出す。部屋の中はこれほどちらかっていたわけではないが、まだやっていないゲームや漫画が山のように積んであった。意味もないのに何度も開けた引き出しをもう一度開け、彼が残した紙の束を取り出し目を通す。すると束の中から一通の手紙が滑り落ちた。
それを拾い上げ手紙を読む。手紙の内容は自分の研究を引き継いでほしい旨が書かれてあった。しかし、本当に伝えたいのであれば彼が死んだ後、この手紙はその宛先に届いているはずだ。たぶん彼は悩んだ末に研究を一人で進め、未完で畳むことを選んだのだろう。
だけど俺はこの手紙と資料の束を届けたくなった。彼の性格からして手紙を処分してから自分にこの部屋を譲ったと思う。
『彼の未練を届ける』
勝手な想像かもしれないが届けることを決めた俺は、レイラにこの住所を尋ねた。宛先は王都にある国立研究所だった。馬車で二日半の旅路を堪能する――
無理でした……日本に住んでいたときは、夜行バスもよく使っており、安いバスは隣の席の肘が当たるほど窮屈だった。通路を挟んだ四席横並びの極悪長距離バスに乗っても熟睡できた。しかし、この世界の複数人員を運搬する駅馬車の性能をなめていた。揺れと同時に荷として詰められた人が半端無く多い。寝るにしても熟睡など到底出来ない。またその走るスピードも高速道路を80キロで経験した現代人に二馬力は拷問に近かった。
王都に着くまでの途中休憩を取る駅で、停車するのがこれほど喜びに変わるとは考えもしなかった。駅前で物売りをする人から甘味のある食べ物を購入する。次の駅まで生き残るため口に詰め込み力を蓄えた。
運良く雨も降らなかったので予定通り王都に着いた。タリアの町も小さくはないのだが王都はごった返す乗合馬車の数からみても大きいと感じさせられた。ただ、木造りの町並みは美しいが田舎町という印象は拭えず、ドワーフやラミア国とは比べるべくもないほど見劣りした。
国立研究所は帝都の中心に近く、馬車で数十分のところにあった。外観は学校のような無骨な方をしていて、外壁は白く塗られた五階建ての木造ビルだった。少なからず驚きを隠せず、なんのアポもなく入れるかと不安に思ったが特に問題もなく究所の中に入ることが出来た。
入り口の窓口にある案内所で簡単な経緯を話すと、手紙の主に話を通してもらい研究室の中に通された。
「わしがこの室長のバグワリじゃ」
年齢は六十代とおぼしき男が挨拶をしてきた。頭が薄くはげ上がり、黒縁の眼鏡をかけたいかにも教授という人物だった。
「静岡音茶だ、タリアの町で冒険者をしている」
ここに来た経緯とクレハンとの簡単な関係を話て、持ってきた手紙と紙の束を彼に渡した。彼はそれを受け取り訝しそうな顔をした。心の中でやっちまったなぁーと、ふんどし姿で餅をついた男の幻想が見えた……。
「重いものを持ち込んでくれましたな!」
資料を持つ手がフルフルと震えているのが分かる。
杵を持った赤いふんどし男に頭を殴られた。
「そ、その……すいません、俺の我が儘で……」
「いやいやそう小さくならんで良いぞ、この資料を無くした方が国の大損失じゃ」
どうやら悪い流れにはなっていなかったので、少しだけ胸をなで下ろす。
「わしはもう後継者を育てて死ぬだけだと思ってたが、簡単に死ねなくなったわい」
教授はワハハと声を出して笑う。そして手をパンパンと二度鳴らして
「旅の準備をするぞ、馬車を用意せ」
部屋にいた研究員に号令をかけた。俺は何のことか分からずポカンとしてしまう。どうやらクレハンの家に教授たち一行が、研究資料を取りに来ることが決定されたらしい。
彼らが突然家に来るのは吝かではないが、トンボ返りで馬車に乗るのは気が重かった。それにせっかく帝都にきたのだから観光するのも計画の一つだったが、お願いを持ってきた手前俺に選択の余地はない。
研究所の前に止められていた馬車は、駅馬車とは大きく違った。まず荷を引く馬は痩せ細っておらず毛並みがよい。荷台も六人が座れる椅子が孤立している。
「あの……少し食料を買いに行きたいのですが……」
女性の研究員がにこやかに大きなバスケットに食料を詰めたのを見せてくれた。
四頭で引く馬車は思った以上に快適に進む。馬車の性能が大きいのだろうが、ドワーフの馬車にはだいぶ劣るが、駅馬車の半分の時間でタリアの町に着くことを聞いて歓喜した。
荷台から初めて の景色を見ながら、旅ってこういうことだよな――馬車に揺られながらの優雅な旅路を満喫することになった。




