2、往路
「『我は一族の末席に連なりし者』」
アランの朗々とした声が静かな森の中に響き渡る。
アランがいつも首からかけているペンダント、その蒼い石のペンダントトップを握り込んで目を閉じているアランの姿を、マリアはじっと見つめていた。
「『古の契約に従いて姿を現し給え』」
不意に石が眩いばかりの蒼白い光を放つ。
「『我に力を貸し与え給え』」
その言葉で光が収束し、アランの身長の倍程の体長の龍の姿を形成した。それとともに光も収まる。
『久しぶりだな』
蒼い龍の言葉が2人の頭の中に響く。
「アクア〜! 久しぶりっ!」
マリアは目の前の龍に勢いよく飛びついた。ひんやりとした硬い鱗の感触がマリアの手に伝わる。
『して、今日はどこまでだ?』
そんなマリアの様子に目を細めながら、龍は──アクアはそっと尋ねた。
「今日は実家に帰ろうと思ってな。エーデルの王都まで頼む」
『⋯⋯良いのか?』
「何がだ?」
『エーデルでの思い出など、碌なものがないであろうに。そんな場所に娘を連れて行くなど』
アランを見るアクアの目はアランを気遣うものだった。
「まあな。お前の言うとおりあそこには良い思い出なんてほとんどない」
アランは苦笑すると言葉を続けた。
「でもな、流石に散々世話になった兄貴に、会わせろと言われて断れる程薄情なつもりもない。今日は義理を果たしに行くだけだ」
『⋯⋯そうか』
アクアは静かに目を閉じると、2人に乗るように言った。
アランが先にアクアの背によじ登り、上からマリアの身体を引き上げ、自分の前に座らせる。
『しっかり掴まっていろ』
2人がアクアの背に乗ると、アクアは力強く翼を羽ばたかせた。風が巻き起こり、アクアの身体はほぼ垂直に空へと駆け上がる。そして城が点に見える程まで高度を上げると、南に針路をとった。
「今日が晴れて良かったな。雨でも降っていたらこうして飛ぶのも大変だったからな」
眼下に広がる緑を眺めながら、しみじみと声を漏らす。
「うん。前とかはよく見えないし、濡れるし、滑って落ちそうになるし⋯⋯」
天気が悪くて良いことなんてないとマリアは賛同の声を上げた。
「でもな。天気が悪いと、1つだけ良いことがあるんだよ」
「えっ?」
不思議そうな顔で振り向く娘に、アランは苦笑する。
「視界が悪いってことは、それだけアクアが見つかり辛くなるだろ」
「あっ」
『⋯⋯天候がどうであれ、私は見つかるようなヘマはしない』
不満気な声が響き、アランは慌てたように言った。
「ただ言ってみただけだ。1つのことには良い面も悪い面もあると言おうとしただけだ」
『誤魔化そうとしても騙されぬからな』
高速で飛びながらも器用に首だけで振り向き、ジト目をアランに向ける。
「アクア、いくらぶつかるものがないっていっても、前は見ないと危ないよ?」
アクアは小さく舌打ちをすると、頭を前へと戻した。
『次はないからな』
マリアは話題を変えようと必死に頭を働かせる。
「そうだ、お父さん。前から訊きたかったんだけど⋯⋯」
「なんだ?」
「いつもアクアを喚ぶ時に言ってる一族って何? それに古の契約って何のこと?」
純粋な疑問の言葉にアランの表情が固まる。
『一族とは遥か昔の私たちの恩人である男の子孫のことを指す。今ではその血もかなり薄まってしまい、自身が彼者の血を引く者とは知らずに死んでいく者も多い。古の契約は、私たちが彼者と結んだものだ。求められれば、そして私たちに不利益のない範囲で力を貸すというな』
アランの代わりにアクアが簡単に説明をする。
「父さんのこのネックレスも、さっきお前に上げたバレッタも、どちらも蒼い石が付いているだろ? これはアクアたちのいる場所と父さんたちのいる場所を繋ぐ扉みたいなものだ。言葉は扉を開く鍵だとでも思えばいい」
「⋯⋯」
一度にあまりにも多くのことを言われ、マリアの頭は完全にパンクしていた。
「その辺りは父さんよりも兄さんの方が詳しいからな。会ったら訊いてみたらどうだ」
「うん⋯⋯」
だがマリアの顔は暗かった。
「そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫だ。兄さんは別に怖い人じゃないからな」
「そ、そんなことないもん。お父さんの気のせいだよ」
「そうか? まあマリアがそう言うならそういうことにしといてやろう」
「もうっ! そんなことを言うお父さんなんてだいっきらい!」
頬を膨らませ、そっぽを向くをマリアにアランの顔色が悪くなる。
「俺が悪かった。だからそんなことを言わないでくれ」
「嫌。しばらくお父さんとは話したくない」
アランの表情がショックを受けたように凍りついた。
『変にからかおうとするからだ。お前は女子の気持ちを何1つとして理解していない』
「アクア、お前までそんなことを言うのか」
『先程の失言の所為だとでも思え。それにしても“兄さん”なぁ。お前が今でもあやつを兄さんと呼ぶとはな』
アクアの目が昔を懐かしむように細められる。
「しょうがないだろ。マリアに下手な言葉を教えるわけにはいかないんだから」
『のわりには、先程私には“兄貴”と言っていたような気がするんだが』
「あれはついうっかりだ」
アクアの目には面白がるような色が浮かんでいた。
『うっかり、なぁ。だがいつまでも幼い子どものような扱いをして、いつか本当に嫌われても知らないからな。子どもの成長はお前が考えているよりもずっと早い』
その言葉には妙に実感がこもっていた。
『マリア、お前は父親について、正直どう思っている?』
不意に自分に話を向けられ、マリアは目を数度瞬く。
「ん〜、急にそんなことを言われても困るんだけど⋯⋯」
『⋯⋯そうか。では帰りにまた訊くから考えておけ』
「う、うん⋯⋯」
それから他愛のない話を続けること数時間。国境も無視して飛び続け、見える景色の中には緑の他にキラキラと光を反射するいくつもの水路が増えていた。
「そろそろ着くぞ」
「えっと、もしかして今回も⋯⋯?」
マリアの頭の中に過去の出来事がいくつも思い浮かぶ。
「? 他に何か方法があるのか?」
アランに不思議そうな顔をされ、マリアは泣きたくなった。
「⋯⋯だよね」
過去の経験に従い、少しでも安全を確保する為にマリアはアランの胸に抱きついた。
「じゃあアクア、帰りにまた喚ぶな」
その言葉が終わるのとほぼ同時にアクアの身体が蒼白い光に包み込まれ、それはアランの胸元へと吸い込まれていった。そしてアランとマリア、2人の身体は重力に従って落下を始める。
「なんで毎回毎回⋯⋯」
マリアは大きく溜息を吐いた。
「落っこちるしか方法がないのよっ⁉」
アランはそんなマリアの叫びはすべてスルーし、落下速度を緩めるべく口を開いた。
「『古の契約に従いて力を貸し与えよ』」
アランの胸元から淡い蒼の光が放たれ、2人の身体を優しく包み込む。それに従い、落下速度も段々と遅くなり、アランはマリアを抱いたままふわりとエーデル王国の王城、そのバルコニーへと降り立った。