その一
旧妖精国と呼ばれている地域の北西部。
この地域内で唯一の独立国にして世界最小の国である新メロ王国は極寒の地にある国として知られている。
地形的な要因からか、北東に位置する帝国領シャラよりも雪が多く、冬になればたちまち雪で閉ざされてしまう。
そんな新メロ王国にとって、短い夏の直前の雨季は雪を解かす雨として知られている。
ちょうどそんな時期に差し掛かり、未明から降り出した雨ですっかりと雪と泥が混じってしまった新メロ南北大街道を一人の少女が傘も差さずに歩いていた。
青白い髪と赤い瞳が目を引くアリエッタという名前の少女はどうしても子供にしか見えない体型に対して、あきらかに不釣り合いな大荷物を抱え、時々それを背負いなおしながら南へと向かう。
普段は荷物を最小限に抑えるようにしているのでこのようなことはないのだが、今回ばかりは特別だ。
数日前、新メロ王国に住んでいる知り合いにこの荷物を運ぶように頼まれた結果このような状態になってしまったのだ。
アリエッタとしてはそんな頼みさっさと断りたかったのだが、その知り合いが旧知の仲だったということに加えて、旅を続けるための資金援助もその人物から受けているということもあり、断り切れずにとうとうこんな大荷物を抱えることになってしまったのだ。
アリエッタとしては、こんな荷物さっさと放り出して、放浪の旅に出たいのだが、そんなことをした瞬間に旅をするための費用が凍結されてしまうので今のような旅ができなくなってしまう。
いや、いっそのことそうしてしまって、旅先で働いて適当にお金を稼ぎながら旅を続けるというのもありかもしれない。
「……おやアリエッタ。そんな大荷物を抱えているなんて珍しいね」
そんなことを考えながら歩いていると、背後から女性の声が聞こえてくる。
アリエッタが振り返ると、黒いローブに身を包んだ人物が口元に小さく笑みを浮かべて立っていて、アリエッタはその人物を視界に入れるなり、これ見よがしにため息をつく。
「……シルクでしょ? あなたこそ何の用なの?」
「これはこれは、久しぶりに知り合いに会ってそう来るか。くくくっまぁいい。それよりも、その大荷物どうした? アリエッタらしくもない」
シルクと呼ばれた女性がローブをとると、明らかに人間のものとは違い細くとんがった耳が姿を現す。
エルフ。この世界において亜人の部類に入る種族だ。長い耳としたたかな性格が特徴で、中でもシルクをはじめとした一部のエルフが所属するエルフ商会はエリート中のエリートだとされていて、エルフはおろか、亜人の中でも極めて強い権力を握っている。
「それでアリエッタ。その荷物は何なんだ?」
「知らないわよ。人に頼まれて運んでいるだけなんだから……私の意思じゃないわ」
「そうかそうか。それで? その荷物はいつまでの届ける予定なんだい?」
「さぁ? 明確な期間は提示されてないし、いつでもいいんじゃないかしら? というか、なんでわざわざそんなこと聞くのよ?」
アリエッタの知る限り、彼女は普段であればあまり人の行動について詮索してこないのだが、今日に限っては嫌にしつこい気がする。
おそらく、彼女なりの目的があるのだろうが、そういったときはたいていろくでもないことを考えているような気がする。
「……それじゃ私はこの辺で……期間は決まっていないとはいえ、なるべく早く片付けたいし」
「そう。残念ね……お祭り好きのあなたにいい情報を持ってきたというのに……」
さっさと切り上げて帰るべきだ。
そう判断したアリエッタは早々にその場から立ち去ろうと判断したのだが、背後からかかったその声でついつい立ち止まってしまう。
アリエッタが振り向いたのを見て満足したのか、背後に立っていたシルクは口元を三日月形にゆがませて立っていた。
その表情を見て、アリエッタはやはり選択肢を間違えたかと思うが、彼女が言う祭り……おそらく、エルフの祭りにあたるのわけだが、その響きが非情に魅力的なのは事実だ。
祭りというのはその土地に住む人々の考え方が強く出る。
何を祭殿に置くのか、名目は何なのか、祭りの中で何をするのか……要素をあげだしたらキリがない。前に獣人たちの祭りに混じったことがあるが、その時、獣人たちには自分が思ってたのとはまた違う文化があるのだなということを実感できた。
そういった意味ではエルフの祭りというのには興味がある。しかし、その一方でシルクの誘いにあっさりと乗っかるのもどうかと思ってしまう自分もいる。
別にシルクが悪者だとかそういったことではないのだが、亜人であるエルフが人間であるアリエッタにわざわざ祭りに来ないかという誘いをしているのだ。偶然迷い込んだとかならともかく、すこし不自然な気がしてならない。
「あら、もしかして怪しんでいるの?」
そんなアリエッタの心情に気が付いたのか、シルクは人の悪そうな笑みを浮かべながらそう問いかける。
彼女のその表情そのものが怪しい気がするのだが、それに関しては言及しない方がいいのだろうか?
アリエッタはしばらくシルクの様子を観察してみるが、彼女はその表情を崩す気配はない。
「そろそろ決断はできた? まぁまさか、あのアリエッタが祭りに興味を示さずに変な理由をつけて逃げるなんて言うことはないわよね?」
「げっ」
黙っていればやり過ごせると思っていたが、むしろ外堀を埋められてしまった。
この状況をどう打破しようと考えるが、アリエッタの中に残るプライドがそれをさせない。
「……わかったわよ。行けばいいんでしょ。行けば。場所は?」
「偶然にもすぐ近くだ。というよりも、会場近くにきてアリエッタの姿を見たから声をかけたんだからそんなに遠くまで連れていくわけないだろ? さぁ行こうか。私たちの祭りの会場へ」
少し芝居がかった口調でそう告げた後、シルクはそのまま踵を返して歩き始める。
どうやら会場はアリエッタが目指している方向とは反対のようだ。
その時点で荷物を運ぶ距離が増えてしまったと軽い後悔が生まれるが、そんなことは今頃何か言ったところで変わるものではないだろう。
アリエッタは小さくため息をついてから荷物を背負いなおして彼女の背中を追いかけて歩き始める。
「……それにしても、エルフも祭りとかするのね」
「そりゃそうさ。人間だっていろいろと祭りがあるだろう? 感謝祭だとか魔法祭だとかいろいろな祭りがあるよ。でも、今回は新メロ王国に住んでいるエルフ独自の祭りだ」
「というと?」
「名前は雨祭り。雨が少ないこの地域において貴重な雨がしっかり降るようにと祈る祭りだ。どうだ? 興味がわいてきたか?」
雨祭りというのはこれまで聞いたことがない言葉だ。
もちろん、乾燥地域などでは雨が降らない日が続くと雨ごいの儀式が行われることがあるが、それは決して祭りなどという楽しいものではない。単純に生贄を捧げるだけの儀式だ。それを見て楽しいというのは相当な変人だろう。
「……雨祭りね……到着を楽しみにしておくわ」
アリエッタは深く思慮した後にシルクに返答した。