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親友カメ  作者: 渡辺正巳
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3

 このカメと、私との間に起きた出来事で、私が今でも、いや、これから先も一生忘れえないであろう思い出がひとつある。


 しかし、その思い出はカメにとってはおそらく良い思い出ではない、どころか非常に悪い思い出に違いないと思われるので、私は彼の気持ちを考え、これまで人に話さないできた。だが、その出来事が起きてからもう二十年近くが経ち、今となってはきっとカメもその思い出を笑い飛ばすことができるだろうと思われることと、単純に面白い話をしたいという、小説の作者としてのずるさから、私はそれを語ろうと思う。


 その「出来事」の発端は、私とカメが小学四年生だった時の、夏の終わりのある日に起きた。夏と言っても、もう学校の二学期は始まっていたから、あれはきっと九月のことだったのだろう。しかし、とは言っても毎日暑さが続いていて、私たちの住む田舎町にはセミの声がシャワーのように延々と降りそそいでいたから、秋のはじめというよりは夏の終わりという表現がぴったりの季節だった。


 その日、学校が終わってから、私とカメは町外れの人気の無い寂しい神社に行き、二人でセミとりをしていた。その神社には、大人が両腕を伸ばしても抱えきれないくらい太い幹をした大きな杉が、入り口の鳥居の両脇に生えているのをはじめ、境内にナラやブナやイチョウが生い茂り、ちょっとした林のようになっているので、私たちの目当てにしていたセミが豊富に居るのだった。


 私とカメは時が経つのを忘れてセミをとった。二人の持ってきた虫かごはアブラゼミをはじめとしてヒグラシやミンミンゼミでいっぱいになり、演奏者ひとりひとりが勝手きままに演奏するオーケストラのように、けたたましくセミが鳴きわめいていた。それでも私たちは飽き足らず、木漏れ日を浴びながら次の獲物を追った。木々に覆われている神社の中は割合涼しかったが、それでも残暑は厳しく、暑さは私たちを襲って、着ているTシャツを汗でべっとり濡らした。


「まーくん(私の幼少時代のあだな)、見て!これ、新種じゃね?」


 夕陽が暮れかかったころ、私と離れたところでセミをとっていたカメが、興奮して走りながらこちらへやってきた。彼の片手には捕虫網が、もう片方の手には緑色の虫かごが握られていた。カメは私のそばにやって来ると、虫かごを私の方に見せてくるのである。


「どいつ?」


「これこれ、羽が透明でちょっと緑がかってるやつ」


「・・・ニイニイゼミじゃねーんけ?」


「えー、ちょっと違くねえ?」


 そんなことを言い合いながら、二人してしゃがみこんで虫かごを覗いていると、頭の上から、かぼそい、高い声がした。


「僕、僕」


セミに夢中になっていた私とカメは、ぱっ、と、声のした方を振り向いた。見ると、私たちのすぐ近く、神社の鳥居から本殿へと続く石畳の上に、女が一人立っていたのである。


 女は三十前後といったところの年恰好で、全身を派手な洋服で着飾っていた。夏だというのに足首まである、わざとつぎはぎを入れたジーンズのスカートに、赤紫色をしたシャツを合わせている。靴はピンクと黄色と青のラインが入り混じったどぎつい色のパンプス。シャツの胸のあたりまで、ウエーブのかかった黒髪がかかっている。その髪に隠れた顔は、にきび面を濃い化粧で隠し、つけまつげをした目とたらこ唇が印象的な、一言で言うとブスだった。――その顔が、私とカメを見て、にっと笑ってしゃべりかけてきた。


「セミとってるの?ちょっと、こっちに来ない?遊ぼうよ」


 私は怪しげな女に突然声をかけられた驚きと恐怖で、しゃがみこんだまま固まってしまった。隣にいるカメを見ると、彼もやはり白い顔をして、女の方を向いたままじっと黙っている。


「ほら、いい物あげるから」


 そう言いながら女は肩からかけていたポシェットを開き、中を探って財布を取り出した。そうして財布から千円札を一枚出すと、カメの鼻先にそれを突き出した。


「ほら、これあげる」


女はカメの目の前で千円札をひらひらさせた。カメは黙ったまま、かすかに首を横に振った。すると女は一歩前に出てカメに近づき、そばにしゃがみこんでカメの手を取り、千円札を握らせた。


「いいの、いいの。ね?あっち行こう」


そう言ってカメの腕を掴むと、女は立ち上がり、そのままカメも立ち上がらせて、二人で社の方に歩き始めた。カメはうつむきかげんに、千円札を片手に握ったまま、抵抗する気力も無いのかだらだらと女に手を引かれてついていく。


 私はしゃがんだまま二人を呆然と見送った。(カメが変なおばさんに連れられていく!)カメを助けてやりたいと思ったが、恐怖で何もできなかった。二人は社へたどり着くと、社の脇の、こちらからは見えないところへ隠れた。そうしてそれきり、静かになり、あとはセミの声が鳴くだけだった。


 何分経っただろうか。二人は私の視界から消えたままだった。私の目の前には、カメと私の虫かごと捕虫網が置いてある。私は、二人がいなくなって、何も起こらないことを確認すると、決心して自分の虫かごと捕虫網を取り、立ち上がって、社の方に向かって大声で、


「カメ!俺先帰るね!」


と叫んだ。そしてその場からいち早く離れたい気持ちを抱えて、走って神社から出た。神社の入り口に停めていた自転車に乗り、急いで家へ向かった。途中、立ちこぎをしながら一度だけ、後ろを振り向いて神社を見た。神社は夕焼けの中、木々を繁らせてひっそりと静まり返っていた。その入り口には、カメの自転車が忘れ去られたように停まっていた。


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