94、もうひとつの黒曜石・2
肌をすべる空気が、しっとりと冷たい。
自分の心の奥底に、深く深く
耳を澄ませ
うっすらミルクをぶちまけたような
霧の中を、探ってゆく。
幼い声が
かすかにオウジの耳に、届いた気がした。
「 なんでお父ちゃん帰って来ないの? 」
その声のする方に、耳を、
そして目を凝らす。
ぼんやりと浮かんできたその姿は 3歳か4歳頃の、
小さなオウジだった。
「・・・ !」
小さなオウジの隣で、水色のカーディガンの肩をふるわせ
母親が泣いている。
ぼく、聞いちゃいけないんだ。
置いてかれた可哀想な お母ちゃんのために
もう2度と
お父ちゃんのコト。
『 ヨンジャ、この子は天才だよ!
弾いて見せた 曲はすぐに覚えるんだ 』
耳元に残るその声は
こんなに優しかったのに。
「お父ちゃーーん、ドコなの?」
小さなオウジはひとり、捜すしかない。
みるみる暗さを増してゆく、
黄昏時の 狭い路地裏。
見知らぬ土地。
たったひとり 取り残された小さな胸に迫る、
夕暮れの 橙色。
小さなオウジの目の前に、もう少し成長した
10歳くらいのオウジが、立ちはだかった。
「やめろよ!
そんなことしたって見つかんないよ
お父ちゃんは ボクのコトなんて
スキじゃないんだから!
ボクのコトなんか いらないんだっ!」
裏切られた。
自分も、母も捨てられた。
悲しみと苦しみだけを オレ達に刻みこんで、
あの男は突然いなくなった。
憎しみの波がまるまると
10歳のオウジを、呑みこんでいる。
――・・・・・ クソッ・・!
長い間 見ることなんかなかった、
幼い頃の想い出は、
ハートを両手で 握りつぶしてくるようだ。
―― ちがう・・
ココじゃねえ !
ギリギリと踏み込んでくる痛みになんか
かまってるヒマはない。
感覚を研ぎ澄ませ
オウジは ミルク色のモヤの中に
ふたたび イシキのアンテナを、伸ばしていった。
「 つまんね~なぁ
もうちっと 遊んでくんなきゃよう~ 」
今度はハッキリとした声だった。
見えて来たのは、
学ランを着た見覚えのあるカオが、5つ6つ。
嗤いながら、オウジを見下ろしている。
公衆トイレのアンモニア臭。
水浸しになった床の
冷たいタイルが、オウジのカオに当たってた。
そして体中に、激痛で動けない
その感覚が蘇った。
「なー、オマエの母ちゃんよぉ
韓国人なんだろぉ?」
「でかいツラして 歩いてんじゃねーよ
クニに帰れよぉ 在日ぃ!」
学ラン少年の 擦り切れた上履きが、オウジの腹を蹴る。
「ぐふっ・・!」
少年達の好き勝手な暴行で、
もはやオウジに 抵抗する力は残っていなかった。
床に倒れているオウジの ノドの奥に、
なまめかしい血の味が、つたってく。
校内トイレの入り口から、
竹刀を持ったジャージ姿の教師が
こちらを覗き、吐き捨てる。
「おいお~い、
見えねーとこでやれよ オマエらー
ザイニチだって死んだら困んのよ?
オレが 責任問われちゃうじゃねーかぁ」
「うい~っス」
オウジの視界に映る、
ゲスな教師のニヤケ顔が、
眼に入った血液で、紅く染まってゆく。
オウジの中に湧き上がる どす黒い怒りと共に、
鼓膜の奥から、
あの音がやって来た。
―― そうだ・・。
ドコに行ったって、
引き戻されるんだ・・!
ベースとギターと
空間を叩き割るドラムスが
そして、自分の 絶対的な歌声が
オウジをどこまでも追いかけて、
今夜も、
あの日のステージへと 引きずり込むのだ。
「う・・うぅぅうううう・・!!」
濁った紅い血液が オウジの胸から燃え上がり、
その体を灼きつける。
怒りの炎が
憎しみが
オウジの、ジュンギの、 ヒナの
ライブハウス中を埋め尽くす 全ての少年達の
どうにもできない葛藤が
跳ねあがり
歌うオウジと一つになって
辺り一面を焼き尽くし
太陽に投げ込まれたかのような 灼熱と
彼等は一体化する。
いつの間にか、
オウジの手が握るマイクは
銀色の バタフライナイフに変わっていた。
鈍く光るそれを、
オウジは思いきり 振り上げた。
「うおぉおおおおおぉぉ・・っっっ!!」
「そっちに行くな!!」
―― ・・ えっ・・・?
ハッキリと聞こえた、その聞きなれた声。
いつもの涼やかな 音じゃない。
「そっちに行くな!!
オウジ 戻ってこい!」
「 ・・ カイ・・・? 」
ゆっくりと振り向いた。
彼は出逢った日と同じに、凛と、美しく立っている。
驚いた。
心の中に、カイがいる。
誰にも棲まわせなかった自分の
深いテリトリーに、
いつのまにか 入り込んでる。
「・・ほ、 放っとけよ!」
「ダメだ」
いつもより少しだけ低く、力強い声。
ゆっくりと、彼が近づいてくる。
懐かしい
暖ったかい バイブレーション。
カイの長い指が オウジの手に触れ、
その銀色のナイフを そっと 取り上げた。
ナイフはカイの手の平の中で
氷のように解けてしまった。
「 なんでだよ・・・
なんで・・っ!」
拭い去れない怒りと悲しみに
オウジはまだ 震えていた。
カイは何も言わず、オウジを見つめてる。
父のような 母のような
兄のような
大きな 愛。
でも オウジは、その眼差しに
ひとつの怖れを 見出してしまったのだ。
―― そうか・・
そうだったんだ・・。
アンタが 放っておけなかったのは
・・ オレじゃ
ナイんだ・・・?
---------------------------------To be continued!
このお話はフィクションであり、設定は1980年代NYです。
なお、本作は作者本人により「イースト・セブンス・ストリート ~NYの夢追い人~」として、以前アメブロに掲載されていたものです。




