71、漆黒のクイーン・1
黒い爪のオンナの 細い腕が、
赤サビの入った 鉄の扉を押し開ける。
手を引かれて入ったそこは、
青白い煙のもくもくと立ちこめる クラブだった。
腹の底まで響く ダンスミュージックの向こうから
ビリヤードの玉が、弾ける音。
「ダイジョブよ、
スグに楽しくなるから!」
耳元に口を寄せなければ 聞こえない。
カウンターとビリヤード台、
狭いダンスフロアと ジュークボックス。
そして、自分と同じような年代が
ソコここに、十数人。
Lの字型になっている、
黒いビニールのソファに 座っているヤツラの
空いている隙間に、オウジは導かれた。
「アンタ、冷たいね。」
オウジの肩に寄り添い、黒い爪のオンナが囁いてくる。
隣に座っているそのオンナの顔を、
オウジはようやく確認する。
金髪ショートの白人だった。
ドぎついアイラインの 派手な化粧だが、
目元が幼いベビーフェイスだ。
年下だろう。
アメリカの食生活を 体現しているマシュマロ女の
空気をしゅーっと抜いたように、
彼女はヤセてる。
ドコからか回ってきたウオッカのビンを
オンナはオウジに渡し、
オウジはそれを、瓶ごとあおった。
自分と同じニオイのする、
街のゴミ溜めに 吸い寄せられて来た
カオも名前も、知らないヤツら。
オウジは、やっと息ができるようになった その場所で
流れるままに、
マリファナと
強いアルコールの沼に沈んで行った。
『 オマエはいったい
何から逃げてるんだ? 』
『そいつはドラッグの闇の中に入れば
逃げられるのかい?』
BJの黒い顔と、年季の入ったダミ声が、
ぐにゃりと歪んだ空気の中に
浮かんでは消える。
――うるっせーな ジジイ・・
さっさと冥土に 行っちまえ!
オンナの黒い爪から渡された、甘く懐かしいその煙を、
肺の奥まで 吸い込む。
くすくすと笑うオンナの声は やがて耳元で大きくなり、
いつしか自分の笑い声と、重なった。
さっきオンナが口移しに 飲ませてきたカプセルは、
LSDだったようだ。
オウジの視界に映る 何もかもが、
ショッキングピンクと
ライトグリーンのオーラを放って 揺れている。
その眩しさに目を細め
光の織り成す波を、
オウジは見るともなく、見ていた。
「ねえアンタ
チャイニーズ? ジャパニーズ?」
オウジの肩に頭を乗せている オンナのけだるい声も、
エコーがかかって聞こえた。
どろどろと、ぬるく
重たい泥の中に 堕ちてゆく。
だが、次の言葉と
黒い爪が指す その先の画が、
一瞬でオウジを 竦ませた。
「・・ああ!
そういえば“彼女”を描いたのも
ジャパニーズらしいよ・・?」
一番見たくなかったモノを、
オウジは そこに見たのだ。
青白い煙の向こうに、ヒナが
――カイの描いた天使―― が、
いたのだ。
壁一面に描かれた“彼女”は
漆黒のドレスを、まとっていた。
―― 黒い
天使・・ ? !!
黒いドレスのヒナは、
血のように赤い唇で うっすらと
隠微な微笑みをたたえている。
氷のように碧く、冷たく
邪気をはらんだ その瞳。
背中に生えた翼から
アメジストの羽が、店中に飛び散り
黒いドレスの裾からは
果てない闇が、広がっていた。
オウジは、愕然とした。
マリファナの煙と
退廃に満ちたこの店は、
あの美しいオトコからは
とても 想像もできない場所なのだ。
だが、そのチョーク画は間違えようもない。
“彼女”を描いたのは、カイ以外にありえない。
粗削りなタッチが、
描き始めて間もないライターである事を 示していたが、
むしろそれが計算のない、
激しく、無垢なエネルギーとなって
ほとばしっている。
憎しみ 嘆き
燃えるような 怒り
悲しみ
狂気と
孤独
煽情
その奥深くに埋め込まれた
ひとつぶの 涙。
ヒナは絶対的な 存在感をもって、
闇を司る女王のように
その店の中央に、君臨してる。
この場所の荒みきった エネルギーの中心は
紛れもなく
“彼女”だった。
オウジの心臓が、冷たく震えた。
一直線にオウジに向かってくる、
ヒナの瞳に映るものを
誰よりもよく 知っていたのだ。
「ねっ、イカしてるでしょ?
“彼女”はアタシ達のクイーンよ!
美しく邪悪。
で、エレガントなの」
クイーンを見上げる、オンナの目。
そこに映る歪んだ熱も、オウジは知ってる。
オウジを崇拝していた黒服のガキ共が、
自分に向けていた それと同じだ。
「まるで、
空から堕ちてきた天使よね・・。」
そう言いながら、オウジに向いたオンナが
弾けるように目を開いた。
「あれっ! アハハッ オモシロイよ!
アンタの眼、“彼女”にそっくり!
同じ東洋人だからなのかし・・」
それ以上もう一言も聞きたくなくて、
オウジは自分の唇で オンナの口をふさいだ。
痛いほどわかっているのだ。
漆黒のヒナは、オウジだ。
その禍々しく光るまなざしは
オウジの瞳 そのものだ。
これがドラッグの見せる幻覚だったら
どんなによかっただろう。
オウジは、思い知らされる。
これを描いた人物が、
おとぎの国の貴公子でも、夢の国の住人でもなく
自分と同じ世界の中にいる、
サカモトカイという
只の、ひとりのオトコなのだという事を。
ヒナの目の奥に棲む
あまりにも自分に似た
途方もない闇。
だが、それを描き出す彼の才能は
圧倒的に強く
美しく
遥かに 高かった。
かなわない
何もかもが。
オウジの中の 絶望すらも
カイには、遠く及ばない。
ヒナの凍った瞳が
オウジを嘲笑って、見ている。
ずっと見ている。
やりきれない敗北感と
ジェラシー
そして、
憧れとも、淫情ともつかない
はちきれそうな熱が
オウジの中を、突き上げる。
オウジは
目の前にいるオンナの唇の奥で、
激しく舌を絡ませた。
誰でもいい。
この灼ける思いから 逃れられるなら、
体を どこかに繋ぎとめたい。
絡んだ舌の中で、溶けたカプセルが
2人をさらに深い
麻薬の世界へ 連れてゆく。
そしてオウジは、
カイと同じ顔を持つ、漆黒の天使の前で
思いきり淫らに、オンナを抱いた。
---------------------------------To be continued!
このお話はフィクションであり、設定は1980年代NYです。
なお、本作は作者本人により「イースト・セブンス・ストリート ~NYの夢追い人~」として、以前アメブロに掲載されていたものです。




