49、BJの黒いシワ・4
「ハハッ
オマエはオレの若い頃に ソックリだなァ~。
テメエの耳が絶対で、
ハナっ柱が強くって、礼儀知らずときた。」
BJは、その黒い顔で 懐かしそうに笑って見せた。
「オレはなぁ、ガキの頃から、
いっぺん聴いた曲はカンペキに 弾くことができたんだ。
そりゃもう 怖いもんナシだったさ!
それが、ある晩に高熱を出してから
時々耳が イカレちまうようになったのさ。
お前が聴いた、あの夜みたいにな・・。」
老人のぷっくりとした 分厚い唇が
少し冷めたコーヒーを啜り、
のっそりと首を 横に振った。
「あん時は 絶望したなぁ・・。
もう2度と 音楽の女神は、オレのところにゃ
来ちゃくれねえと 思ったもんさ。
昼間っからサケ飲んじゃあ、女房殴ったりしてよォ・・」
「よくある クズ野郎のハナシだぜ・・!」
ぎゅっと握りしめたオウジの指の先で、
吸う事も忘れられたマルボロが、燃え尽きようとしている。
窓の外に、オウジは視線を移した。
もやしバーテンダーの下ろしていった
錆びついた 鉄格子のシャッターの向こうから
あの日のBJの演奏が
聴こえてくるようだ。
「だが、ちょうどその頃 赤ん坊が生まれてな、
オレはハラを決めたのさ。
なんとか 女房と子どもを
食わせて行かなきゃならねえ。
客からブーイングされようが、モノ投げられようが
オレにはベースしか 能がねえんだ。
だから、
とにかくその時にできる目一杯、精一杯を
弾くしかねえってな。」
「はん、客はいい迷惑だな・・!
金払って、とんでもねーベース聴かされてよ」
「ハハッ ところが不思議なもんさ!
オレのわずかな狂いに
気づくヤツなんか いやしなかったんだ。
ピッチがズレてるワケじゃねえしな、
オレやオマエみてえな、音の触角のあるヤツにしか
わからねえんだよ、ボーイ。
客はブーイングどころか、
ますますオレの演奏に
聴き入るように なっちまったんだ。
なんでかわかるか?」
「知るかよ」
「オレも分かんねえや、ハハハッ!
でもな 客ってヤツぁ
音階を聴きに来てるんじゃねぇ、
音楽を聴きに来てるってこった・・。」
「あ?」
「音の奥にあるだろ、
奏でているヤツの、
そいつだけの ソウルってのがよぅ。」
オウジの胸の奥で、何か小さな光が
ぽつ・・っと弾けた気がした。
「なあ、ボーイ
オマエは いったい何から逃げてるんだ? 」
BJの声のトーンが変わった。
思わずそちらに視線を戻した、オウジの目の前に
見たコトのない 彼の真顔があった。
「そいつは ドラッグの闇ン中に入れば
逃げられんのかい?」
「 ・・・ ! 」
BJの、年寄りらしく
少し白く幕のかかった 焦げ茶色の目が
オウジを見ている。
動かず、じっと 見つめてる。
この年寄りの 醸し出す迫力は、
キングコング男の暴力的な、威圧的な それとは違う。
もっと広い、
もっと深い、
そして、もっと遠い、
何か。
そして、その瞳の奥からやってきた
まっすぐな光が、
オウジの瞳を刺した。
「武器を取れ、 リトル・リー!
オマエの武器、
マイクロフォンを握りしめろ。
オマエ自身を、
魂を、
オマエの声を、取り戻せ!!」
オウジは息を呑み。
そのまま、呼吸というものを忘れてしまった。
瞬きひとつ、出来なかった。
それは
一番聞きたくなかった、言葉なのに
胸のど真ん中が 聴いてしまったのだ。
「なっ ・・・ 」
“何言ってやがる、オマエに何がわかんだよ”
が、音になって出てこない。
ただ、動けずにいるその黒い瞳の
奥にくすぶる炎だけが、
激しく揺れていた。
「 ・・・・・ っ 」
BJはゆっくりと立ち上がると、
茶色いジャケットに 付いた白い砂糖を
パンパンと払った。
「さてと。
オレは帰って寝る時間だ。
ワイフには朝飯の ドーナツを買ってかなきゃな」
老人はゆっくりとカウンターまで歩くと、
家で待っている妻のために ドーナツを3つ
テイクアウトした。
そして店員から紙袋を貰うと
オウジの前まで戻ってきて、
彼が手を付けなかった 2つのドーナツを、
その中に入れた。
やけに年よりじみた、不器用な手つきだった。
BJは紙袋をオウジの前に置き、
彼の肩をポンポンと叩いた。
「そら、持って帰りな。
歌いたくなったら あの店に来いよ、
このBJがバックを務めてやるぜ!」
「・・バッカじゃねーの・・
行くかよ、ジジイ!」
老人はゆっくり ドアに向かって歩きながら、
後ろ手に手を振った。
「オマエが、生まれながらに握っていた その宝物を
ムダに腐らすんじゃねえぞ」
「・・ よ、余計なお世話だ!
あの世に行って ほざいてろ!!」
ドアを出ていく老人の背中に、
せめてもの悪たれ口を 投げつけた。
窓の外の夜を、
年老いたベースマンが 地下鉄の駅に向かって
のそのそと歩いてゆく。
―― チクショウ・・・ッ・・!!
なんで出てくるのかわからない涙を 見られないように、
オウジはコーヒーを飲むふりをして
大きなマグカップで、カオを隠した。
どこか遠い 胸の奥
誰かが 叫んでる。
歌いたい
歌いたい
歌いたいんだ
・・・ !!!
でも、
どうやって・・・?
オレに どーしろってんだよ・・!
声なんか出ないじゃねーか
歌う場所だってナイ
あるさ
BJが そう言ったろ?
オマエが ビビってんだけだろ
・・・
そうだ
オレは
歌いたいんだ
ずっと
ずっと
歌いたかったんだ・・! !
へえ ?
オマエ、歌えんのかよ?
めでたいヤツだなァ
人ひとり 殺しておいて
何事もなかったように
もう一度 歌おうってのかよ?
ククッ
オマエに
そんな度胸が あったのかよ
「 うるせえッッ!! 」
オウジは拳を テーブルに叩きつけ、
そこに突っ伏した。
一人残された東洋人の少年が
なにやら 日本語で叫んでいるのを、
メキシカンの店員は
横目で見ながら 全く気にせず、
眠そうな目で
雑誌の クロスワードパズルを解いていた。
やがて天井のスピーカーから 流れるBGMが、
クリスマスソングに変わった。
オウジが初めて BJの演奏を聴いた夜と
同じ曲だった。
流れるメロディーに、
あの日のBJのウッドベースが、重なって
聴こえてくる。
「 やめろ・・っ 」
それはオウジの体内に沁み込んで、
深く響き渡った。
深く 深く
記憶の中の BJのベースが、
オウジの身体中の ちいさな粒を震わせて
その胸の奥からつながっている
どこかの世界に
連れて行こうとする。
ウッドベースが
まだ命のある 1本の木であった頃のぬくもりが
冷たく強ばったオウジの体を
まるごと 包みこんできた。
「やめてくれッ!!」
オウジは思いきり、
その音を振り払った。
「 オレに・・・
アンタの音なんか
聴かせないで くれ・・ っ! !」
悲鳴のように呟いて
オウジは 汚れた床に霧散していた
歪んだ金属質の黒いモヤを
自らの耳に、かき集める。
―― そーさ、
オレには
これが似合ってんだ・・・ !
黒くモヤが、
体を 覆い隠してしまう寸前に
胸の奥で 消えそうな声が、
もう一度だけ
呟いた。
「 歌いてえよ・・っ 」
その声を押し殺すように
オウジはギュウッと、目をつむり
唇を噛んだ。
店内にはいつのまにか、
ヨッパライも 学生もいなくなり
テーブルには、客の使ったコーヒーカップと皿と
散乱した 紙ナプキンだけが
残っていた。
---------------------------------To be continued!
このお話はフィクションであり、設定は1980年代NYです。
なお、本作は作者本人により「イースト・セブンス・ストリート ~NYの夢追い人~」として、以前アメブロに掲載されていたものです。




