48、BJの黒いシワ・3
「おっと・・
まだ、名前を聞いてなかったな。
オレはBJだ。 そう呼んでくれ」
握手を求めて差し出した その黒い手の、
内側はやけに可愛い ピンク色なんだな、と思いながら
オウジはボソッと呟いた。
「 ・・リー。 」
「ん?」
「 だから、 リーってんだよ・・。」
「リー・・?」
BJと名乗った老人は、
まん丸くした目で
オウジのカオを、大げさに見つめて見せた。
「オウ、 オマエはブルース・リーのファミリーか?」
―― そー来ると思った・・。
オウジは時々、“リー”と名乗る。
オウジの名字である“李”は
韓国では“イ”
日本では“リ”、中国では“リー”だ。
英語圏ではどの場合も
“Lee”と表記することが多く
偉大なるハリウッドスター、
ジーンズメーカーでもお馴染み。
んで、ガイジンにはこっちの方が 話が早い。
「あれからどうしてたィ?
ちっとも、店に来ねえじゃねーか。
ちっとはマシな演奏が 聴けるぜ?」
「フン・・。
アンタにマトモな演奏がデキんのかよ
モーロクジジイ」
相変わらずの鼻っ柱の強さに、
BJはニヤニヤと笑った。
「なぁに
あの日は ちーとばっかり耳がイカレちまってなぁ。
でも、オマエ よく気づいたな?」
年老いたBJは、
顔中でクシャクシャの 笑顔を作り、
ウインクをよこした。
自分と同じくらいの 音感を持っている
この向こう見ずな 若モノに、
彼の胸は むしろ踊っていた。
両手で包み込んだマグカップから伝わる
コーヒーの熱と
テーブルを挟んだ 老人の愛ざし。
店内にながれる、当たり障りのない音楽も
すこしずつ 聴こえてきた。
オウジの指の強ばりが
ゆっくりと
やわらかに 解けてゆく。
やけに薄いコーヒーだったが、
口に含むと、そのうすっぺらな香りさえ
体にまとわりついていた黒いモヤを
追い払っていく気がした。
「惜しいなぁ
よう、リトル・リー」
「 え・・? 」
BJは茶色いコーデュロイのジャケットから
マルボロの箱を取り出して
1本口にくわえ、
オウジの前に箱を 差し出してやった。
自分のタバコを 置き忘れてきたオウジは、
大人しく マルボロを1本受け取った。
火をつけてくれた 老人の黒い手が持つ、
年季の入ったZIPPOのライターから
濃厚なオイルの匂いが、
オウジの鼻をつく。
「オレぁ もうこの年だからなぁ
マンハッタンで 沢山のダチを見送ってきたのさ・・。
黒いのも、白いのも、
オマエみたいなオリエンタルもな。
・・志半ばで 病気で逝ったヤツ、
運悪くドロに遭って、打たれちまったヤツ、
いろいろさ。
だが一番つまんねえのは
クスリに 持ってかれちまったヤツだ・・・」
オウジの目が泳いだ。
目の前で煙を吐くこの老人は、
自分がたった今 ヤクをヤッたことを知っている。
「クスリってのは厄介だぜ、ボーイ。
いつの間にか、アタマも体も
全部ヤツにノッとられちまうのさ。
どんなに才能なんてモンがあったって、
イカレちまったら、
もう人サマの耳には 届かねーのよ」
「 んなこと
・・かまうもんかよ 」
掠れた声でそう応え、
オウジはコーヒーを 一口すすった。
寂れたドーナツショップの
薄いコーヒーは、
むなしく 唯、ぬるかった。
「オマエの武器はなんだ? ベイビー」
「 武器・・?」
「ギターか? タイコか?
・・・あんだけオレに クダ巻いたからにゃ
ちったぁ ウデに覚えが、あんだろうよ?」
老人はオウジの手を取って 指先を見たが、
演奏家を物語るほどの、形跡はなかった。
「オゥ そうか、
オマエ、シンガーだな!」
長年ベースを弾いてきた BJの黒い手が
オウジの肩をトントンと叩いた。
「な、・・何言ってやがんだ、ジジイ!」
「うん、そうだシンガーだ。
オマエの声の響きは イカしてるぜ。」
「はぁ?
イカレた耳のジジイに 何がわかんだよ!
勝手に決めつけてんじゃねーよッ」
「だが眼はいけねえよ。
あの晩の、
オレに食って掛かった威勢はドコいった?」
「覚えてねーよ そんなの!」
深夜の店の中は
ヒーターで温められた空気が 淀んでいた。
2人が吸ったタバコの煙が、
天井に組み込まれた スピーカーから流れてくる
ジャズのスタンダード・ナンバーに乗って
気だるく広がり 消えてゆく。
――何なんだ、このジジイ・・!
いったい、何だってんだよ・・
胸の奥が ウズいてる。
オウジは、窓の外にカオを向けた。
今の自分が どんな顔をしてるかわからないが、
見られちゃヤバい気がしたのだ。
通る人影はナイ。
フィフスストリートの向かい側にある店も、
またひとつ 灯りを消した。
「なあリトル・リー。
人ってのは 生まれてくるときに
必ず何か、宝物を持って生まれてくるんだとよ」
「へぇー そりゃよかったな。
アンタはその黒い肌と、可愛いピンクのお手々かよ?」
「アハハッ そうさ。
オレはこの手で 何万回と演奏してきた」
「ふん・・・」
「オマエ、この曲好きか?」
店内に流れる、
女性シンガーがしっとりと歌い上げる その曲は
偶然にも、オウジの母親のオハコだった。
この曲を、なぜ母親が歌い続けていたのかを
オウジは知ってる。
自分達を 置いて行った父親の
好きな曲だったからに決まってる。
「キラいだね! こんなダっセぇ曲」
「ハハッ ハッキリした小僧だな。
こいつはな、
オレには特別なナンバーさ。
ワイフと初めて踊った曲だ。」
「カビの生えたムカシ話だな・・!」
「なあ リーよ?
オモシレえなぁ・・。
おンなじ曲なのに、その曲に描く想いはそれぞれだ。
100人いれば100通りさ。
見ろよ、
このマンハッタンには
世界中の奴らが やって来んだぜ」
カウンター席には、
大きなデイパックを持った 学生風の青年が
ウォークマンを聴きながら コーヒーを飲んでいた。
色の浅黒い、インド系の顔立ちだ。
マンハッタンに着いた日のオウジの様に、
朝までの時間を
この店で 潰しているのかもしれない。
そのカウンターの中の店員は メキシコ系、
窓際のボックス席のヨッパライは
ホワイトのおっさんだ。
「なあに言葉なんか通じなくったって、
音楽がありゃ それでOKだ。
音楽は 人類共通の財産さ!
曲を作った奴の想いと
聴いてる奴の想い。
別々のところにあったそれぞれの想いを、
オレは音楽で、つなげて行くのさ。
このマンハッタンの ライヴハウスにやって来た
世界中のヤツらの想い出を、
一つ一つ、
パールのネックレスみたいにな。」
BJの黒い顔についている年季の入ったシワには
自分の音と共に
人生を生きてきた誇りが
しっくりと 刻まれていた。
オウジの目線が、思わず
手元のコーヒーマグに落ちた。
胸の奥から
じわじわと込み上げてくる モノがある。
このあまりにも幸福に
年を取ったベースマンを皮肉るセリフが、
まったく思いつかない。
オウジは一言も、
何も言い返すことが出来ず
ただじっと、唇を噛んでいた。
---------------------------------To be continued!
このお話はフィクションであり、設定は1980年代NYです。
なお、本作は作者本人により「イースト・セブンス・ストリート ~NYの夢追い人~」として、以前アメブロに掲載されていたものです。




