35、白い月とワインの夜・1
うっすらとかかる 雲の切れ間から、
月明かりが、
コンクリートの歩道の上に立つ
“セブンス・ストリート”の 道路標識を照らしていた。
凍り付くマンハッタンの夜に、
オウジの買ったばかりの カーキ色のコートは
大いに役立った。
フード付きなのもイイ。
極寒の地に、帽子は必須アイテムだ。
「半地下にブックストアのある
アイボリーの建物・・っと。
コレだよな?」
オウジは、
うる覚えの、カイのアパートメントの 階段を見上げた。
灯りのついている部屋をたよりに 3階まで上がると、
白塗りの玄関のドアには、
またしても カギがかかっていなかった。
「マジかよ・・。
ホンっトに不用心なヤロウだな!」
オウジはミリタリーブーツのまま、
クローゼットとバスルームの間を
通るまっすぐに伸びた廊下を進み、
大きなワンルームの入り口に さしかっかった。
「おーーい 差し入れだってよーー
オカマオヤジから・・
うわ・・・・!!!」
部屋の入り口まで来なければ 見えない、
ワンルームの右奥にある、アトリエスペースの壁一面に
桜の花が 咲き誇っている。
それは、カイが家に戻ってからの
小一時間で描いたとは、
とうてい思えないスケールの パステル画だった。
天井にも壁にも
満開の桜が咲き誇る その中央で、
カイはキッチンから持ってきた 小さな椅子に乗り、
花びらをひとつひとつ
描き込んでいる。
彼は、オウジが帰ってきたことにも
全く気づいていない様子だった。
こどもの瞳を らんらんと輝かせ、
ときおりクスクスっと笑いながら
花びらに命を 吹き込んでいる。
「あーあ・・
相っ変わらず、めでてーヤツ。
コイツはドロボーが来てもゴーカンマが来ても、
全っ然 気がつかねんだろーな・・・」
あきれ顔で リビングスペースのソファに座ると、
豹柄のコートが、床に脱ぎ捨ててあった。
カイはラメのハイネックとエナメルパンツ、
モヒカンアップにした 髪型もそのままに
いつもなら玄関で脱ぐはずのブーツも、
履きっぱなし。
チャラ系ナンバーワンホストだったハズの
金ラメハイネックのカイは、
咲き乱れる桜の中に 浮かび上がり、
ひとつひとつの花びらと 対話でもしているかのように
パステルを操るその姿は、
ファンタスティックな 舞台に登場する
不思議の国の貴公子のように 優雅だ。
つくづく、ホントに、まったくもって、ヘンなヤツ。
オウジはソファに腰かけたまま、
じっとカイの一人舞台を見る 観客になっていた。
そして、いつしかオウジの頭上に、
メロディーが 輝き始めた。
―― キ た・・・。
耳をすませると、その音は
彼の描く桜から 流れてきている。
ずっとずっと、欲しくてたまらなかったものが、
こんなにカンタンに やって来る。
ショウゴの店で 壁画を描いた時も、
店でヨッパラっていた時も、だ。
たぶん、この不思議なオトコが
オウジの感性の 増幅装置かなんかになっていて、
サビついていた脳のどこかが
反応してるのかも。
誰かを見返すためでも
レコードを売るためでもなく、
ただ降りて来た この音を
今、世界でたったひとりだけ
オウジだけが、聴いている。
―― カイんところに来た音を、
オレが 盗み聴きしてるだけかもな・・
不思議と
今夜は、悔しくない。
桜は夢幻に 咲き誇るばかりだ。
――こんな風に 満開の桜なんて、
いつ見たっけか・・・
幼い頃 母親に手をひかれ
連れて行かれた 桜並木。
あれは ドコだったんだろう。
『 この花は桜児の花よ。
お父さんの生まれた この日本の、
一番美しい花 』
いとしい物を見上げる 母の瞳は、
その向こうにある 父親につながっていた。
『 あんたの名前は、
この花から来てるのよ 』
少女のように笑った母。
そうだ。
あの頃はまだ
父親が時々 帰ってきてたんだっけ・・・。
だが、その父親はいつしか帰らなくなり
母親は、桜を見上げることがなくなった。
桜の花が開き、
人々が浮かれて 花の下に集まる季節にも
オウジは目をそらせて歩く。
物心ついてから、
桜など見上げたことはない。
「あれっ・・・」
ようやくカイが、オウジの存在を認識する。
「オウジ君、いつ帰ってきたの?」
「さあ・・ かれこれ1時間は経つんじゃねー?」
「えっ そんなに?」
カイは椅子から降りて、
首をコキコキと左右に倒し、大きく伸びをした。
そして、オウジの座るソファに置いてある
風呂敷包みを見つける。
「それ 何?」
「ああ・・ ショウゴから。
なんか、食いモンらしい」
2人は空腹だったことを、やっとここで思い出す。
魔法の舞台は 休演だ。
「なんで風呂敷なんだよ・・!
ババむせえジジイだなー」
ブツクサ言いながら オウジが風呂敷包みをほどくと、
3段のお重が現れた。
中には店で出している ジャパニーズ惣菜やら、
アメリカンクラブハウスサンドイッチやら、
タコスやら、北京ダックやら、
ベトナム生春巻きやらが、所狭しとつまってて
相変わらずの、ゴチャマゼ天国。
マンハッタンは “アメリカ” じゃない。
ここは “世界” だ、と言う様に。
「ん~ さすがショウゴさん!
ウマそうだ。
ちょうどいい、オウジ君 お花見しよう!」
「あ? 花見?」
カイはお重をアトリエスペースに持っていくと、
フローリング敷きの床に、
おもむろに広げ始めた。
幻想的なカイのステージは、
たちまち季節外れの 花見会場として
セッティングされてゆく。
何でもいいから早く食べたい一心のオウジが、
ソファのクッションを
投げてよこした。
「今夜は月がキレイだから、夜桜を見よう。
オウジ君、
白ワインが冷えてるから持ってきて!」
カイは部屋の明かりを消すと、
ヒナの祭壇にあるキャンドルを 3つ灯した。
そして少し大きめのシンプルなワイングラスに、
冷えたワインを注いで
2人の即席花見会が、始まった。
「お、ウマいじゃん!
えー、これ、あのカマ親父が作ったんか?」
昨日のショウゴの店では、酔いが回りすぎて、
食べ物の味なんか覚えていない。
「何か音楽かける?」
「 ううん いらねー。」
セブンス・ストリートから、
聴こえるざわめき
街の匂い
心のゆらぎ 暮らす人の吐息
風の音
枯れ枝のこすれる ハーモニー
「この街の歌が 聴こえる」
ぽつりと呟くオウジに、
不思議の国のカイが、微笑みを返す。
今夜の白ワインは ライチの香り。
フルーティーで、
ほの甘い。
「ヒナが喜んでるよ。
・・あいつ、桜が好きだったから」
「えっ? ヒナはもうこの世にいないって・・
死んでんだろ?
そんなコトわかんのかよ?」
「ときどきね。
ボク等は、小さな頃は ほとんど直結で
お互いの心が読めてたし」
「うっそ、マジか! テレパシーっ?! 」
「ん~、そう呼ぶのかどうか・・・?
双子にはよくあるらしいよ。
ずいぶん大きくなってからも、
同じ日に同じTシャツ買ってきてたり
同じ映画館の 同じ時間に、はち合わせたり・・」
「スッゲ~~え!!」
UFOやらオバケやらに、コーフンしちゃう子どもと同じ
オウジの、ぱあっと開いた笑顔。
カイはまた一つ、
この少年の違ったカオを
心のスケッチブックに描きとめる。
--------------------To be continued!
このお話はフィクションであり、設定は1980年代NYです。
なお、本作は作者本人により「イースト・セブンス・ストリート ~NYの夢追い人~」として、以前アメブロに掲載されていたものです。




