06
レクシオンから伝言を聞いたグレイは、その無表情の下で良いことだと内心首肯していた。
(町に馴染むには知り合いを作るべきだからな。町の歩き方も身に着くだろう)
町の子どもと修太が友達になれば、その友達が危ない場所や近付くべきでない場所や人を教えてくれるだろう。子どもだからこそ危ない場所に肝試しに行くこともあるが、そういう場所へは、かなり親しくならなければ連れていこうとしないものだから、そこは安全だ。
(何で俺はこんな保護者じみたことを考えてるんだ……)
シークならともかく、しっかりした子どもだというのに。
ふうとグレイは息を吐く。ふいにシークのこの先が不安になったのだ。
ギルドの待合室の隅で、だいぶ短くなった煙草の先を灰皿にぐりぐりと押し付けて火を消しながら内心で呟く。
(あの馬鹿、トリトラと離れて暮らすことになったらどうなるんだ……?)
あっさり騙されて奴隷に身を落としていそうで怖い。それとも持ち前の運の良さだけで全てを切り抜けるのだろうか。
グレイが持った四人の弟子の中で、一番不安を覚えるのがシークだ。馬鹿だし、痛い目を見ても暢気だから、幼馴染であるトリトラが側にいないとどうなっているのか不安で仕方が無い。弟子を卒業させた時は、密かに、トリトラに出来る限りの間だけでいいからシークと共に行動するように頼んだ程だ。まあ、トリトラも兄弟のように育っているだけあって不安なようで、ペアを組んで行動するのに否やはなかった。トリトラは一見すると面倒見が良さそうだが、本当のところでは面倒見の良さはシークの方が上なので、面倒臭くなったらあっさり見捨てそうなところがある。その時はその時だが、親友同士だからそれはなかなか起きないだろうと踏んでいる。
どうしてこんなことで頭を悩ませなくてはいけないのだろうか。あの馬鹿弟子の親でもないのに。
(だいたい、イェリの頼みでさえなければ、あんなガキどもの面倒なんざ見ないのだがな)
父親が死んだ後に、レステファルテ国に戻り、その後をどうすればいいか途方に暮れ、イェリ宅に転がりこんだ。あの時、快く受け入れてくれたイェリには頭が上がらないのだ。協調性に欠ける黒狼族達の中で、仲間達とのパイプ役になるだけあり、イェリは黒狼族にしては異端な程に面倒見が良い。薬屋をしていることに仲間達は渋い顔をするが、それでもイェリを慕っている者がほとんどだろう。そんなイェリは、ただの助平爺であるわけだが、人間の娘を拾って育てている辺り、やはり甲斐性のある男だ。
巡り合わせについてやれやれと肩を落としていると、視線を感じた。ちらりと右を見ると、十歳程度の小さな少年が物言いたげにグレイを見ていた。
「なんだ? こんな所に子どもが来るんじゃない。遊び場じゃねえんだ、帰りな」
軽く手を振って追い払う仕草をするが、子どもは泣きそうな顔をしつつも動かない。
「おじちゃんがグレイって人?」
「ああ、そうだが……」
おじちゃんの一言に絶句し、この年齢の子どもにはもうそんな歳に見えるのかと頬を軽く左手で撫でながら、子どもに頷く。子どもの表情がぱあと明るくなった。
「あのね、伝言を頼まれたんだ。三十七番倉庫に一人で来て下さいだって。あと、これも渡してって! それで分かるって言われたんだ。じゃあね、渡したからね!」
「待て、誰に頼まれた?」
「綺麗なお姉ちゃん!」
たたたと駆けだす子どもの背に問い掛けるが、返ってきたのはそんな一言だった。子どもはグレイが怖かったのか、一目散にギルドから出ていった。グレイは浮かした腰を椅子に下ろし、眉を寄せる。
(誰だ……?)
妙な伝言だ。子どもに渡されたハンカチを見下ろす。左端の方に小さな赤い染みがあった。
(……血か?)
ハンカチを僅かに鼻先に近付ける。
よく知ったにおいと、ミルスルの花の香りがした。
(あの女……!)
それだけで思惑を悟ったグレイは、椅子を蹴立てて立ち上がる。そして、椅子に立て掛けていたハルバートを引っ掴むや、その足でギルドを出る。
気味の悪い女だとは思っていたが、やはり何か抱えていたらしい。それとも、グレイが邪険にすることに痺れを切らしたのか。どちらにせよ、子どもを取引材料にするなど卑劣だ。
(子ども同士で遊びに行ったのではなかったのか、あいつは……っ)
本当によく厄介事に巻き込まれる子どもだ。
しかしその厄介事のうちの一つに、いや、これも含めると二つはグレイの事情に巻き込む形なので、強く注意出来ない。
(一人でと付け足す辺り、十中八九、罠だな)
何が起きても対処出来るように身構えながら、グレイは雑踏の人の波間を、駆け足に近い速足で通り抜けていった。
(ここか……)
三十七。花と花弁の数でそう表記された青い扉を見つめる。
指定された三十七番倉庫は、外からは人の気配は無いように思えた。
金属製の扉を押すと、扉はギィィィと軋んだ音を立てて内側へ開いた。倉庫内は薄暗く、穴のあいた屋根から漏れた線状の光が床に落ちている。廃倉庫のようだ。
グレイは入口からゆっくりと倉庫内を見回す。
何か仕掛けがあるわけではないようだ。
そうして奥に目をこらすと、一番奥の壁際に倒れている黒いものが見えた。
(いた……!)
修太だ。気絶しているのかぴくりとも動かない上、血のにおいが微かにした。
グレイは周囲をもう一度見回し、他に人影がないのをいぶかしく思いながら、修太の方へゆっくりと倉庫内を横切っていく。
真っ直ぐ歩いて行く途中、ふと左に一歩ずれる。
ドスンと音を立て、足元に矢が突き刺さった。さっと背後を振り返ると、いつの間にか戸口にソイルが立っていた。短弓を構えているのを視界に捉えながら、重心を左に傾けて飛び退る。一瞬前まで立っていた場所に矢が次々に突き刺さる。
「これだから黒狼族ってのは……! 仲間が目の前で殺られても冷静なままでいられるってだけはある」
ソイルの舌打ちと低い声が聞こえた。
それは間違いだ。冷静に対応は出来ても、怒りは覚えるのだから。
ソイルはただの悪態だったのだろうが、殺られてもという単語に、グレイの気が一瞬だけ反れる。もしかして殺されたのかと修太にちらりと視線を向けたが、追いすがってくる殺気に足は動いて矢を避けている。
埒があかないと思ったのか、ソイルは矢の照準を修太に向けた。グレイは舌打ちし、だんと床を蹴ると一足飛びで矢の軌跡の先に躍り出て、ハルバートの柄で矢を正確に打ち落とした。
ソイルの口元が面白そうに歪む。
「黒狼族が人間の子どもなんか守るなんて意外だな。その子の読みは外れたね。あんたは来ないと思うと言ってたよ」
「……目的は何だ?」
グレイは面白がる空気を黙殺し、じろと琥珀色の目をすがめてソイルを見る。ソイルは左手で金茶色の長い髪を掴む。ずるりと鬘が外れ、床に落ちて埃を舞い上げた。高かった声も低くなる。
「復讐だよ。お前に仲間を殺されたから、その仕返し。ずっとこの日を夢見てたよ、賊狩り」
袖口で大雑把に化粧を拭い落とすと、ソイルは完全に男にしか見えなくなった。短い金茶色の髪を軽く掻き上げ、不敵な笑みを唇に乗せる。
(違和感があると思ったら、男だったのか……)
女にしては背が高いし、声もやや低めだったが、成人しているだろうに女装しても違和感がないとなるとかなりの変装術の腕の持ち主といえる。完全には見抜けなかったが、ソイルに近付かれると妙にイライラしてしまっていた理由が分かって胸がすいた。黒狼族や灰狼族の男は、同族に限らず、あまり男同士で慣れ合わないところがある。それどころか、縄張りに踏みこまれたような気になって喧嘩になりやすいのだ。個を大事にする黒狼族ではそれが特に顕著で、シークやトリトラのような者の方が珍しいのである。
(やはり、ミルスルの花の香水でにおいを隠していたのか。なるほどな)
見た目はもちろん、においで性別を判断されないようにと抜かりが無い。
「復讐か。それならば、いつでも仕掛けてくればいいものを」
グレイはくつりと暗い笑いを零す。
「貴様のような復讐者は別段珍しくもない。恨まれるのは了解済みだ」
グレイが盗賊を全て根絶やしにしたい程に憎んでいるのと同様に、仲間を殺された盗賊に憎まれるのも分かっていて、冒険者としてこの仕事をしているのだ。自分の死に様はきっと碌なものではないだろう。
「そういう、悟りきってるみたいなところも腹が立つ」
「そうか、貴様がどう思ってようがどうでもいい」
グレイはきっぱり言い捨てる。
「俺はギルド経由の盗賊討伐依頼しか受けていない。国に目を付けられるようなことをしたお前達が悪いんだ。討伐されるのが嫌なら、大人しく足を洗えば良かったんだ」
「分かってるさ、それくらい! ボク達のしたことの付けが回ってきた、そういうことだっていうのはな! でも、それでもあそこがボクの居場所だった。大事な仲間だった。だから、ボクは貴様を許さない!」
深い緑色の目にギラギラと憎悪の光を宿し、ソイルはチッと舌を鳴らす。ふわりと風が巻き起こる。
「お前も分かればいいんだ。仲間を殺される痛みってものを! その子ども、お前にとって仲間だか子どもだか知らないけど、早く手当てしないと死ぬよ?」
一瞬、グレイが背後に気をとられた瞬間、ちりっとした痛みが左頬を駆け抜けた。ソイルの放った、風の魔法で速度を増した矢が、左頬をかすめて飛んでいったのだ。
「はは、動揺したの? そりゃあいいや」
歪んだ笑いを口元に浮かべ、ソイルは心底嬉しそうに目を細める。
「それなら、その子から殺すことにするよ」
そして、ソイルは再び矢を番え、放つ。
グレイが避けるのは容易かったが、矢は大きく弧をえがくという不思議な飛び方をした。ガツッという音にちらりと後ろを見ると、修太のすぐ後ろの壁に矢が刺さっていた。
「おっと、外しちゃった」
楽しそうに笑い、ソイルは次の矢を放つ。
意図を理解したグレイは、ハルバートで矢を弾き落とす。そうしながら、修太を守りやすい位置まで下がるべく、後ろへ移動しながらハルバートを振るう。ソイルは腰に矢筒を提げており、見た所、残り二十本程度だった。それさえ耐えれば反撃に出られる。
じりじりと後ろに下がり、ある一点まで来た時、ソイルの口元が大きく弧をえがいた。
嫌な予感がした瞬間、グレイの左足が床に書かれていた魔法陣を踏んでいた。
「……つっ!」
バチンと弾ける音がして、血が沸騰するような衝撃が身を襲った。一瞬だけ目の前が暗くなり、気付けば床に片膝をついていた。
「いい格好だね、賊狩り」
相変わらず戸口に佇んだまま、ソイルは鮮やかに毒のきいた笑みを浮かべる。
「魔法が弱点で助かったよ。ちょっと細工するだけでいいんだからさ」
「…………」
雷の魔法だったのだろう、手が痺れて危うくハルバートを落としかける。
「これで準備は完了だ。その状態で、子どもを庇いながらどれだけ戦えるかな? まあ頑張ってよ。あと、そうだな。良かったら、ボクの代わりにシューターに謝っておいて。巻き込んでごめんねってさ。どっちも生きてたら、だけどね」
最後にもう一度微笑むと、ソイルは舌をチッと鳴らす。
風がぶわりと巻き起こり、倉庫の四隅に置かれていた木箱が壊れる。それに気をとられた瞬間、ソイルは青い鉄扉を閉めた。ガシャンと金属のぶつかる音が響き、更に鍵のかかる音もする。
「…………」
閉まった扉を見つめた後、グレイは素早く周囲を見回す。壊れた木箱から、狂って血走った目をした鉄狼が一匹ずつ出てきたところだった。
「……いい趣味をしてるな、まったく」
グレイは鼻で短く笑い、痺れている手に力を込めてハルバートの柄を握る。いつもは片手で振るうそれを、両手で握って支える。
グルルルルと低くうなる鉄狼達は、四隅からじりりと距離を詰めてくる。
(ちっ)
倒れている修太の安否も気になるが、様子を見る余裕はなさそうだ。
左手から飛びかかってきた鉄狼をハルバートの柄で受け止め、右に流し、右から飛びかかってきた鉄狼にぶつける。キャインと声を漏らして床を転げる鉄狼達。そこへもう一匹が牙を剥きだして駆けてきたので、グレイは身を僅かにずらし、横っ面を蹴り飛ばす。そして、背を狙ってきた残る一匹にハルバートを振りかぶり、その一閃で倒した。
「まずは一匹……!」
黒い霧となって消えるのを目の端で捉えながら、身を返してハルバートをくるりと回す。そして再度襲いかかってきた鉄狼へと向き直り、普段より身が重い為にその場からは動かず、向かってくる鉄狼をいなす為に足に力を込めて踏ん張った。