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断片の使徒 extra  作者: 草野 瀬津璃
逆お気に入りユーザー様、500人突破企画
6/35

 05



「こっちだ」

 ところどころ塗装がはげた青い鉄扉(てっぴ)をピートが手で押して開けると、蝶番(ちょうつがい)(さび)ついてギィィと耳触りな軋んだ音を立てた。

 一瞬、薄暗さで何も見えなかったが、目が慣れると、天窓からほんのりと漏れる光だけで充分に物が見えると分かった。

「助けて欲しいの、こいつなんだ」

 倉庫の奥には、大きな檻があった。薄暗い中で、両目が爛爛と赤く光っている。

鉄狼(アイアンウルフ)……」

 修太はぽつりと呟いた。

 体中の毛を針状に逆立て、牙を見せてうなる鉄狼は、口端からだらだらと涎を零している。

「クォーン……」

 仲間の様子を想ってか、コウが悲しげに鳴く。

(道理でコウが怒らないわけだ)

 修太はすとんと納得した。

 きっと仲間のにおいがピートからしていたんだろう。

「こいつの名前、ケティーっていうんだ。俺の家、鍛冶屋でさ、ケティーは三年前に親父が買ってきて、それからずっと素材を採取してきた。でも俺、ケティーのこと、ただのモンスターとは思えなくて……」

 狂って檻の中で暴れる鉄狼をピートは悲しそうに見る。

 世話をしているうちに情が移ったというところか。修太はちらっとコウを見る。修太はペットに興味などなかったが、何となくコウには情が移りだしているから、気持ちはなんとなく分かった。

「狂いモンスターは、人や動物、仲間のモンスターも襲う。それで狩られる死に方をする奴もいるけど、狂い続けると、自分で自分を痛めつけてそれで死んじまうんだ。ケティー、最近、自分の足を噛んだり、檻に体当たりし続けたりしてさ。死期が近いと思う」

 埃っぽい煉瓦床を見下ろし、ピートはしんみりした声でそう話す。そして、パッと顔を上げた。

「それでどうにか出来ないかなって思ってたら、あの人が、〈黒〉に頼めばいいんだって教えてくれて……。知り合いの〈黒〉を教えてくれるっていうから、お前に伝言したんだ。正直、来てくれるかどうかは五分五分だったから、来てくれて嬉しかった」

 頼りない中で希望を見つけたような顔で、ピートは薄ら笑った。今にも泣きそうなのに、嬉しいという不可思議な表情だ。

「あの人?」

 修太は眉を寄せる。

(誰だ?)

 修太が〈黒〉だと教えるような者は、修太の仲間にはいないはずだ。もし教えたなら、教えたと修太に伝えるだろうに、何も聞いていない。

「なあ、頼むよ! ケティーを助けてくれ。そうだ。もしタダじゃ診れないっていうんなら、うちの家、小遣いねえけど、俺が鍛えた剣ならあげられるから」

 必死に頼んでくるピートに気圧され、修太は一歩下がる。

「あ、ああ、分かったから、何もいらないから、ちょっと待ってくれ」

 両手を前に押し出し、どうどうと宥める。ピートは思いこんだら一直線タイプに違いない。

 ピートの表情が明るく輝く。

「助けてくれるのか!?」

「ああ、まあ……」

 だから詰め寄るなって。

 たじたじになりながらも、修太はひとまず鉄狼のケティーを助けることに決めた。コウも物言いたげに見てくるし、それに、モンスターを助けるのに否やはない。

 修太は深く息をして、檻の前に立つ。

 低くうなりながらケティーが修太を赤く光る目で見据える。ピートの言う通り、足にあちこち噛み痕があるのか、血が点々と床に黒い染みをつけていた。

 修太は落ち着こうと、一度目を閉じる。

 青空を雲が流れる景色を思い浮かべる。東から西に風で流れて行く雲。視界を横切るところまで想像すると、気持ちが和らいだ。

 短く息を吸い、目を開けてケティーを見据え、言葉を紡ぐ。

「――こっちだ」

 ケティーのうなり声がぴたりと止む。

「出口は、こっちだ。戻ってこい」

 ケティーに向けて静かに告げる。

 無音の衝撃に、ケティーはびたっと動きを止める。逆立てていた毛はしんなりとした灰色の毛に、踏ん張っていた足から力が抜け、鼻に寄せていた皺は消え、剥き出しになっていた牙も隠れる。そして、赤く爛爛と光っていた目の色は、金色に変わった。

 その目の光を見て、ああもう大丈夫だと修太は悟った。それはピートもだったらしい。

「ケティー! ケティー、俺だよ。ピートだ。分かるか!」

 ピートは檻にとびつく。ケティーはのそりとピートの方へ歩み寄り、鉄格子の隙間から、べろりとピートの頬をなめた。

「ケティー!」

 ピートは感極まった様子で、ケティーの頭に両手を回して抱きついた。そして、緊張が抜けたのか、「うわあああ」と泣きだした。

「ケティー、ケティー! 良かった。良かったよぉ……!」

「狂うのが嫌なら、定期的に〈白〉に浄化して貰え」

 ぐずぐずと鼻をすすらして泣くピートに、修太は疲労を覚える肩をぐるぐる回しながら言う。

「ぐずっ、うう、じ、じろ……?」

「そ」

「う、うん。よく分からないげど、わがっだ……」

 すっかり鼻声である。

 檻の前にしゃがみこんでわんわん泣くピートの横で、コウとケティーは互いの鼻先を頬に押し付けたりして挨拶を交わしている。コウが中型犬サイズなので、親子のように見える光景だ。

 そうしてひとしきり挨拶して気が済んだのか、コウはたたっと修太の元に戻り、今度は修太の足に鼻先をぐいぐい押し当ててきた。

「ワフッ!」

「なんだ、礼でも言ってるのか?」

「ウォン!」

 分かりやすい奴だとコウの頭をわしわし撫でる。


「良かったね、君。助けてもらえたんだ」


 カツンと踵の鳴る音がした。

 振り返ると、修太達が開けっぱなしにしていた鉄扉に、金茶色の髪をした女性が寄りかかって立っていた。――ソイルだ。

「あ、お姉さん!」

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔をしたまま、ピートはパッと明るい顔をする。

「ありがとう、紹介してくれて! お陰でケティーは助かったんだ」

「え?」

 修太はフードの下で目を瞬く。

「紹介? ソイルさんが?」

 ピートは大きく頷いた。

「そうなんだ。俺がここで困ってたら、通りがかったお姉さんがお前のことを教えてくれたんだよ」

「え――?」

 信じられない。

「何で……?」

 ソイルの前ではフードをずっと被っていたのだから、修太が〈黒〉だとは知りようがないはずだ。どうして知っているんだ?

「何で知ってるかってこと? 一週間くらい前に、待合室で話してたでしょ。その時に見えたんだよ」

 顔を触られた時か……!

 冷たい視線に気を飲まれて、そこまで気付かなかった。

「ありがとう、お姉さん。本当にありがとう!」

 ピートは泣きながら何度も礼を言う。

「ううん、いいんだよ。こっちこそありがとう、その子を連れてきてくれて。子ども同士だから警戒されずに済むかなって思ったんだけど、その通りだったね」

「え?」

 ピートの笑みが強張る。何を言っているのか分からないという様子で、目を瞬いた。

 どこか異様な空気に修太はピートの方に下がる。

 その二人の間を、銀色の線が走った。

「ガァッ」

 ピートのすぐ背後でうめき声がする。

 ピートと修太が何の声だと後ろを振り返った時、眉間にナイフが刺さったケティーの姿がすぅと掻き消え、黒い霧へ変わった。その霧もまた、すぐに空気に溶けて消える。

 ――カラン

 そして、ナイフが床に落ちる空疎な音が、倉庫にこだました。

「――え?」

 ピートは何が起きたのか分からないというように、ケティーが消えた空間を見つめる。そして、そこへ手を伸ばし、何も無いのだと分かるなり、鉄格子にしがみついた。

「ケティー! ケティー! そんな、嘘だ! こんなのって……! 何で……!」

 訳が分からないが怒りを覚えたらしきピートの問いに、ソイルは不思議そうに首を傾ける。

「何で? おかしなこと言うんだね、君。狂ったモンスターと最後に意志疎通出来たんだから、それで良いと思うんだけどな。こんな狭い所で飼われて、素材にされながらじわじわと狂っていって殺されるより、幸せなまま死ねたんだから、むしろ感謝して欲しいくらい」

 手の中でくるくると短剣を回しながら、ソイルは淡々と語った。

 力無く口を開閉させるピートを背に庇うようにして立ち、修太はソイルを睨む。

「それはあんたが決めることじゃないだろ。助けてやると言いながら、助けたら、今度は殺すなんて、あんたいったい何がしたいんだ? 余計な真似をするんじゃねえ!」

 低い声で言葉を叩きつける。修太の足元では、コウも低くうなりだしている。

「別に。最初は助けるんならそれでもいいかなって思ったけど、見てたらイラッてしたんだ。八つ当たりかもね。私の仲間は死んだのに、そこのガキのお友達は無事救われたっていうのがね……」

「あ、あんたの仲間と、ケティーは関係ないだろ!」

 ピートが涙混じりの声で怒鳴る。

「何で殺したんだよ! せっかく、せっかく助かったのに……! 八つ当たりなんて、そんなの、納得いくかよぉ……っ」

 喉の奥で声が引っかかったような泣き方をするピート。キッとソイルを睨みつけると、拳を固めてソイルに飛びかかっていく。

「あ、よせっ!」

 修太が止めるより早く、ピートは修太の傍らを通り抜けていた。

 ガツッと鈍い音がして、ピートが床に倒れる。殴りかかった拳をソイルがかわし、ピートの首裏に手刀を叩きこんだせいだ。

「ピート!」

 ついさっき会ったばかりの奴だが、情の深さは良い奴だと思う。

「大丈夫だよ、気絶させただけだから。だって、こいつには用はないし」

 ソイルは場違いにふんわり微笑む。大人が子どもをあなどりを込めて見るような、そんな色合いの中に、冷たい気配が漂っている。修太はピートに駆け寄ろうとした足を止め、自然、後ろに下がっていた。コウが修太の前に出て、歯を剥きだして低く唸る。

「……はは、用って、コウにか?」

 冗談混じりに聞いてみる。

「まさか。君にに決まってるじゃない」

 そうですよね、聞いてみただけです。

 ソイルは道化師じみた仕草で肩をすくめる。

「だってさあ、賊狩りときたら、全然隙を見せてくれないんだ。黒狼族の男は女には基本的に甘いって聞いてたんだけどなあ。あんなに煙たがられるなんて予想外だったよ。遥々レステファルテから追ってきたってのに……」

 話すうちに、だんだんソイルの高い声が低くなっていく。

 修太は冷や汗をかく。

(なんかこの声……。いや、まさか……)

「付けたくもない香水を付けて、着たくもない女物の格好をして、油断したとこを首を頂こうかと思ってたんだけどさぁ。もう、まどろっこしいのはやめにするよ。大丈夫、下準備は出来てるんだ」

 そうしてにっこりと艶やかに微笑むソイルの笑みは、もう不気味なものにしか見えなくなっていた。

 修太は盛大に頬を引きつらせる。

「お、男だったのか、あんた……」

「“だった”じゃないよ。生まれた時からずーっと男だ」

「へ、変態……?」

「失礼だな。ちょっと声変えと変装が得意ってだけだよ。お陰で、よく一人だけ別の地に潜り込んだりしててね。ある日、アジトに戻ってきたら、賊狩りに仲間が全員殺されていたんだ」

 ソイルの深緑色の目に、物騒な光が宿る。

「あの時の気持ち、分かるか? 自分一人だけ生き残った気持ちがどんなものか……っ」

 ナイフを手にした右手をぶるぶると震わせ、ソイルは低く笑う。

「あの男、絶対に殺してやる。あの地獄のような光景、忘れるものか……っ!」

 そこで高ぶった気を鎮めるように深呼吸をしたソイルは、落ち着いた笑みを浮かべる。作られたのが一目瞭然な笑みは、まるで能面を見ているようで不気味だ。

「あいつはどうやら、君のことを自分の子どもか弟子みたいに思ってるようだから、悪いけど、君を出汁にさせて貰うよ」

「……だったら、何でそいつを巻きこんだ?」

 修太のどぎつい視線をさらりと流し、ソイルは緩く笑う。

「君の周りってガードきつくてさぁ。最初は貴族の子か何かかと思ったけど、〈黒〉って分かって、なるほどねってね。だったらそれを利用してやらない手はない。子ども相手だからと勝手に出てきた君も悪いよ」

「…………」

 ぐぬぬ。それも正論なのだが、こいつに言われると腹立たしい。

「……コウ!」

 前に立つコウに声をかけると、コウはだんっと前足で踏ん張って立ち、「ウオォォーン!」と遠吠えをした。しかし、何も起きないのを見て、「ワフッ?」と目を瞬き、再度、遠吠えをする。

「あはは、無駄無駄。その犬、〈黄〉でしょ? この倉庫、〈黄〉の魔法封じがかかってるから」

 ほら。ソイルは天井を指差した。

 ついそちらを見ると、天井に魔法陣がチョークでえがかれており、真ん中に媒介石らしきものが一つおさまっていた。

「自分でやっといてなんだけど、他所見厳禁だよ?」

 キャンとコウの悲鳴が聞こえたのに驚いて視線を戻すと、ソイルがコウを蹴り飛ばした瞬間だった。

「コウ!」

 痛ましい姿にぎょっと目を瞠り、修太は叫ぶ。

 ソイルがこちらに近づくのが見え、舌打ちし、後ろに下がる。

「って!」

 後ろに檻があるのを忘れていた。背中をぶつけてその存在を思い出す。

 床を転がったコウは、すぐに身を起こすと、地を駆けてきて、ソイルに体当たりをする。

「この! 余計なボディーガードだな!」

 右手で構えたナイフの柄を使い、衝撃を受け流し、更にコウを弾き飛ばす。しかしコウもしぶとく、再度ソイルに飛びかかっていく。修太はその横を走り抜け、ピートの方へ走る。

「ピート! おい、しっかりしろ!」

 ピートの側に辿りつくなり肩を揺するが反応はない。完全に気絶している。ほとんど体格が変わらないピートを急いで背負うと、出口を目指す。

「おわっ!?」

 ごうと突風が吹き、内に向けて開いていた鉄扉が眼前で閉まる。ガシャンとけたたましい音がした。

「残念。そいつを見捨ててたら、逃げられたのにね?」

 サンダルの底でコウを踏んだまま、ソイルは僅かに首を傾げて微笑んだ。場の空気に不釣り合いすぎて異様だ。何を言っても話が通じないような狂気じみた気配が漂っている。

「安心してくれていいよ。まだ殺さないから」

 じたじたと動くコウの頭を蹴って静かにさせると、ソイルは静かに歩いてくる。

「でも、場所を移動しようか? あいつを殺すのに相応しい舞台は用意してあるんだ」

 修太の眼前に立つと、ソイルは目を細め、右手に持ったナイフの腹で、パチパチと修太の左頬を軽く叩いた。

「ねえ、また訊くよ? あの男、君のこと、助けに来ると思う?」

 修太は頬を引きつらせながらも、睨み返す。問いの返事は、前と同じだ。

「さてね。そこまで仲良いとは思わないから、来ないんじゃないか?」

「そう」

 ソイルは満足げに笑う。猫みたいな笑みだ。

「でも、ボク(・・)は来ると思うな。君は知らないみたいだけど、黒狼族ってね、仲間と認めた相手のことはそれはもうとても大事にするんだ。それに武器を持たない者には優しい」

 くくっと喉の奥で笑う。

「そうだね。武器を持っていないなら、苦しまないように殺してくれる程度には、優しくなるよ」

 冷たい声に背筋がゾッとした。深緑の目は暗い光を称え、呪いのように言葉を紡ぐ。

「僕の仲間もそうだったんだ。君もいつかそうなるといいね?」

「…………」

 言葉は喉の奥に張り付いて、修太はうんともすんとも口に出来ず、ただ深淵の奥のような暗い瞳を見つめ返した。


 女装注意、ネタばれになるから書きませんでしたけど、大丈夫ですよ……ね? でも、実は最初から、それっぽいことを書いてはいます。

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