03
「花のにおいが臭くてかなわん。これだからレステファルテの女ってのは……」
ギルドからの帰り道、心底不愉快そうにグレイはぶつぶつと呟いた。
「え? あの人、レステファルテの人なの?」
修太が思わず問うと、グレイはやっぱり不愉快そうに鼻を手で覆いながら首肯する。
「ああ、恐らく。ミルスルの花はレステファルテ特有の花でな、よく香水に使われてるんだ。俺はあのにおいが嫌いなんだよ。あんまりきつい香りなせいで体臭が隠れるからにおいで人の判別も出来なくなる。ほら、お前が石鹸買ってたろ。あのシアネイゼの方がまだマシだな」
修太も、薔薇っぽい香りか水仙のような香りか選べと言われたら、薔薇っぽい香りをとる。水仙はにおいが甘ったるすぎて苦手なのだ。トイレの芳香剤のにおいに似てるから微妙というのもあるが。
「本当にそっち方面の趣味なのかと思ったけど違うんだね」
「貴様、喧嘩を売ってるのなら買うぞ」
犬歯のような歯を見せて、グレイはアーヴィンを鋭い目で見る。さしものマイペース男もグレイの本気の怒りを感じてビクッとした。
グレイは声を荒げたりしていないが、腹の底が冷たくなるような気配を発しており、修太だったら即降参していたに違いない空気だった。しかしアーヴィンにはそうではなかったようで、にこやかに微笑み返す。
「まさか、ただの確認だよ。別に悪いことではないだろう? そういう趣味の人は結構いるものだから。僕は女性が好きだけれど、美しいものを観賞するなら男女どちらも好ましいね」
「貴様の趣向なんぞ興味はない」
グレイが辛辣に返すと、アーヴィンは面白そうに口端を歪める。
「では、先程の女性が香水をつけていなかったら、夕食に行って、ついでに一夜をともにしたのかい?」
ふとグレイが修太を見た。修太は笑みを浮かべる。
「どうぞ俺のことはお気遣いなく。大人なので」
「さっきは子どもと言ってただろうが、お前」
「何のことか覚えてないな」
「…………」
分かりやすい嘘に、グレイはじと目になったが、アーヴィンがわくわくと見つめるのが鬱陶しかったのか面倒臭そうに返す。
「香水をつけてなくてもお断りだ。ああいう騒がしい女は好みじゃない」
「なるほど、良い返事だ。好みがあるのなら、確かにそっちの趣味ではないものね」
「……一発ぶん殴っていいか?」
「駄目だよ。僕の顔に傷がついたら、世界の大きな損失だ」
自分で言うなよ、このナルシスト。
グレイや修太はしらけた空気を纏ってアーヴィンを見る。
「お前、葉っぱとか取ってから言えよ……」
つい修太が呟くと、アーヴィンはにこりと笑う。
「え? 取ってくれるのかい? 助かるよ」
――おい。
誰がいつそんなことを言った。
苛立つ修太であるが、アーヴィンが身をかがめて取ってくれと言うので、渋々葉っぱを取る。
「ったく、しゃんとしろよ、お前。服もよろよろの皺だらけだろ!」
あんまりだらしないので、修太がアーヴィンの服の袖をバシバシ叩いて皺伸ばしすると、アーヴィンは生温かい目で修太を見た。
「君、お母さんみたいだね」
「殴っていいか?」
「駄目だよ」
この野郎、クラゲみたいにのらくら避けやがって。
何でこんな奴と帰路についてるんだ。今日はついてねえな。
修太とグレイはアーヴィンの言動に揃って苛つきながら、それでも放りだしたら道に迷うだろうから置いていく真似も出来ず、それはもうストレスをためながら宿へ帰ったのだった。
*
「話には聞いてたけど、実際に見るとすごいね、あれ」
今日も冒険者ギルドにバイトに来て、休憩時間に待合室で本を読んでいると、今日はダンジョン潜りは休みである啓介が暇潰しにやって来て、その光景を見ながら面白そうに言った。
グレイがソイルに詰め寄られている場面が目の前で繰り広げられている。
よくやるよなあという光景だ。加えて、グレイは心底機嫌が悪い。
そんな機嫌の悪いグレイの気に当てられる者もいて、何人か医務室送りになっていたりする。実を言うと修太も怖いので、かなり離れた所に座ってびくびくしていた。気を抜いたら殺されそうな気がしてくるので心臓に悪いのだ。
「啓介、どうにかしてくれよ。俺は無理。これ以上は近付けない。ぽっくり逝きそう」
「何言ってんだよ、シュウ。俺もこれ以上は無理だよ。気絶しそうだ」
真面目な顔で言うなよ。
「怖いわ。怖すぎるわ。シューター君、どうにかしてよ! グレイ、あなたには優しいでしょ!」
ピアスが泣きそうな顔で修太の肩を揺さぶる。
「無理だって言ってるだろ。ほら、フラン、行けよ」
「何故、わざわざ死地に飛び込まねばならんのだ。貴様が行け」
フランジェスカは一刀両断し、くいと顎で示した。
「何で皆、俺に言うんだよ! グレイが俺に優しいって、きっと何かの勘違いだろ!」
声を潜めて主張する。グレイは見た目より面倒見が良いから、啓介にも親切に対応していたはずだ。
「勘違いしているのはそなたであろう」
「よし。サーシャ、行ってこい」
「何故、わざわざ面白そうなことを潰さねばならぬのだ?」
――この野郎。
皆、じと目でサーシャリオンを見る。
「だいたい、お前ら、休みで暇だからって何でここに来るんだ?」
「あら、つれないわね。お昼を誘いに来たのに」
ピアスはぷくっと頬を膨らめる。
ぐぬぬ。ものすごく可愛い。
修太が思わず内心でうめいている横で、啓介は微笑ましげに頬を緩めている。
「じゃあ、まずはグレイを誘いに行けよ。それで万事解決だ」
修太が提案すると、フランジェスカに肩を小突かれる。
「だから、それを貴様がしろと言ってるんだ」
「何で俺!? 怖いから嫌だ!」
「幽霊とあれならどっちが怖い?」
「うっ、ゆ、ゆーれい……?」
「よし、行ってこい」
背中を押される。この野郎、はめやがったな!
しかし本当に怖いな。
「コウ、ちょっとこっち来い」
「クゥン?」
不思議そうに首を傾げるコウを後ろから抱きあげ、盾代わりにする。
コウはぎょっとしたようだが、幾ら盾代わりとはいえ、普段は修太が構うことをしないので、機嫌良く大人しくしている。
一歩進むと、グレイの発する怒気がちくちくと肌を刺した。
(い、痛い……。そして怖い……)
青ざめながら、恐る恐る近付く。
「ぐ、グレイ。皆が、その、一緒に昼をどうかって……」
勇気を振り絞って声をかけると、グレイは不機嫌オーラを消し去った。
「ああ、分かった」
修太はほうと息を吐く。
ソイルから離れられる口実が出来たからか、グレイは機嫌を直したようだ。代わりにソイルにお邪魔虫めと睨まれた。
(くそう、何で俺ばっかりいつもこんな立ち位置に……っ)
こういうのは啓介の専売特許だったはずなのだが。
そして、ギルドを出る前に、冒険者達に、お前は俺達の命の恩人だと大袈裟に礼を言われた。
いや、意味が分かりませんから。
*
「ねえ、君。グレイさんの好きな物とか知らないかな? 教えてくれると嬉しいなあ」
その日の午後。
バイトの合間の休憩時間に待合室で本を読む修太の前の席に座り、ソイルはにこにこと笑って首を傾げた。
「そう言われてもなあ……」
グレイの好きな物? 何だそれ。
修太だって知らない。
「例えば、好きな食べ物とか」
「ある物なら何でも食べるらしいぞ?」
「好きな人とか?」
「いるか知らねえな」
「趣味とか!」
「趣味は無いらしい」
「ちっ、使えない奴」
何て失礼な人だ。
修太はパコンと本を閉じ、こめかみに青筋を浮かべながら問う。
「だいたい、あんた、グレイのどこがそんなに好きなんだよ?」
「顔」
ソイルにきっぱり答えられ、修太は言葉に詰まる。堂々と答えられるのがすごい。
「そ、それ以外は……?」
「身体つきも素敵よね」
うふふと色っぽく微笑むソイル。そういうことを言うのは、せめて大人を選ぼうぜ。
「外見だけ?」
「人ってね、案外、見た目で選んでるんだよ? 第一印象って大事なの」
いや、まあ、そうかもしれないけどさ。
出来れば内面を見て欲しいと思うのは、修太のエゴなんだろうか。
少しばかり悩んでうつむいていると、ふいに左頬に熱を感じた。ソイルが右手で修太の左頬を包んでいる。
どこか底知れない深緑の目が、修太を覗きこむ。
「じゃあ、君のこと連れてったら、あの男は取り返しに来ると思う?」
ひんやりと冷たい声だ。
修太は蛇に睨まれた蛙みたいに、息をするのも忘れてソイルの緑の目を見つめ返す。ごくりと唾を飲む音が、頭の中で異様に大きく響いた。
「さ、さあ……。流石にそれはないんじゃないか?」
そこまで仲良いとは思えないし。
そう答えながら、何でこんな問いをするのだろうと疑問が湧く。
ソイルはにこっと穏やかに微笑む。
「そ。ちょっとした冗談だよ。脅かしてごめんね」
手を引っ込め、ソイルは謝った。
「よく一緒にいるから、仲良いんだなってジェラシー感じたの」
「グレイは俺の護衛してくれてるだけだ」
今のは、本当にただのやきもちなのか? それだけであんなに冷たい目を出来るんだろうか。
修太は内心で混乱しながら、そう返す。
そうなんだ、と、ソイルは楽しげに微笑んで、ひらりとスカートを揺らして席を立つ。そして、いつもの気まぐれじみた足取りで、冒険者ギルドを出て行った。
そのソイルの背中を見送りながら、修太は違和感に眉を寄せていた。
「何、今の女。君の知り合い?」
横合いから急に声をかけられ、修太はびくりと肩を跳ねさせる。トリトラが心底嫌そうな顔でソイルの消えた出入り口を見ていた。
「あ、トリトラ……。知り合いっていうか、あれだよ、グレイに一目惚れして毎日突撃かけてる人」
「師匠に? ふぅん……」
どこかつまらなさげに呟いて、トリトラは断りもなく修太の前の席に座る。
「シークは?」
「ここにいないんなら、まだダンジョンだと思うよ」
「そ」
どちらか片方だけに会うのは珍しいので、何となく変な感じがする。
しかし、ソイルと話すのは居心地が悪かったので、トリトラが声をかけてくれたのは良かった。いつもの空気に戻れてほっとする。
「なんか気味の悪い女だったね」
トリトラは未だに戸口を見ながら、ぽつりと呟いた。
「そう?」
気味が悪いだろうか。そこは分からない。
「何か腹に抱えてそうだよ」
「?」
「人間の、ああいう人当たり良さそうでいて、自分を見せないタイプは気を付けた方がいいよ。あとそうだね、訊くばかりで自分のことは話さないタイプもね。どっちだった?」
トリトラの問いに、修太は目を瞬く。
「どっちも?」
そう答えると、トリトラは優しげな顔立ちを嫌そうにしかめた。
「うわあ、最悪だね。それなら尚更気を付けなよ。気付いたら懐に入り込まれてるかもしれないよ?」
何をそんなに警戒しているのか分からないが、トリトラは印象でソイルを嫌っているようだ。
「うーん。俺じゃなくてグレイに言った方がいいんじゃないか?」
「師匠がああいうタイプに隙を見せるわけないじゃない。君だから言うんだよ」
それは遠回しに修太が頼りないと言ってるんだろうか。
修太は遺憾だと口を引き結び、トリトラを軽く睨んだ。