02
グレイが雑貨屋に入っている間、修太はコウと扉横で待っていた。
暇潰しにコウをわしゃわしゃ撫でていると、影が落ちた。
「ねえ、君」
「はい?」
ハスキーな声を掛けられて、顔を上げると、背が高めな女性が立っていた。金茶色の髪は胸元までの高さで無造作に流している、深い緑色の目は切れ長で、修太の常識だとそこそこ美人といった印象だ。白い長袖のシャツの上に青色のワンピースを着ている。腰辺りに花のコサージュのようなものがついた、ひらひらとしたマーメイドのものだ。大胆にスリットが入っているが、レギンスを履いているので下品には見えない。
女性からは甘い花の香りがした。水仙に似ているあまったるい香りだ。
「ここに載ってる、悠久の風っていう食堂を探してるんだけど、君、知らないかな」
女性は薄い冊子を開いて、すらりとした指先で建物の外観の絵を示して見せた。見覚えがあったので、左を示す。
「あっちに行ったらすぐ右手に見えると思います」
「そう、ありがとう」
女性は鞄に冊子を放り込みながら、まじまじと修太を見てくる。
「ねえ、さっきそこの店に入ったお連れさん、君のお父さん?」
「いえ……」
何でそんなことを訊くんだろうと不思議に思いつつ、修太は首を振る。
「親戚とか?」
「違います。一緒に旅してる仲間です。何でそんなこと訊くんですか?」
「ごめんごめん。雰囲気似てたから気になっただけ。ふーん。仲間ね……」
その一瞬、女性の声が低くなった気がしたが、すぐに笑顔になったので気のせいだったのだと思った。
「じゃあ、ありがとう。行ってみるわ」
女性はひらりと身を翻し、雑踏に紛れて消えて行く。
そのすぐ後に、扉が開いてグレイが出てきた。
「待たせたな。――ほら」
ひょいと手に小さな紙袋を渡される。
「何これ」
袋を開けると、色とりどりの玉がころころ詰まっていた。
「飴。そこの店主に押し売りされた」
「……俺のこと子ども扱いしてるんじゃねえよな?」
「何言ってんだ、子どもだろうが。そしてガキってのは甘い物が好きだろ」
「俺は子どもじゃないけど甘い物は好きだ」
「大人ならすんなり貰っとけ。子どもじゃないって主張するうちは子どもだ」
「…………」
なんだか納得がいかないが、飴自体は嬉しいので複雑だ。
むすりと飴玉を見下ろしていると、グレイは紙袋から一個飴を取り上げ、自身の口に放り込んだ。
修太はその事実に驚く。
「え、飴、食べるの?」
「俺も大人だが飴は嫌いじゃないぞ。たまには煙草じゃなくてこういうのも食えだとさ。ま、口寂しい時は飴でもあるだけマシだ」
「ふーん」
飴とグレイって不思議な感じだ。
「好き嫌い無いのか?」
「ある物を食う。それだけだ」
単純明快な答えだ。
「だが、飴は高級品だからな、自分では買わんな。店主のお喋りを黙らせるのに仕方なく買っただけだ」
「高級品なんだ……」
意外に思いながら、オレンジ色の飴を選んで口に放る。パイナップル? 林檎? よく分からない味がした。
「お前も食う?」
「オン!」
コウが興味津々に袋をくんくん嗅いでくるので、一個選んでやってみる。
すると、口に入れるやすぐにバキンと噛み砕いて飲みこんでしまった。
「馬鹿だな、お前。それは噛むんじゃなくて舐めるんだよ。犬だと難しいかな」
「ウォフウォフッ」
どうやら味は気に入ったようで、コウはぶんぶか尻尾を振った。まあいいや。
「他に行く所はあるか?」
グレイの問いに、修太は首を振る。
「もうないよ。宿に戻ろうぜ」
「ああ」
「ついでに屋台でケテケテ鳥のハーブ焼きも買おう。腹減った」
「……ああ」
どこか呆れたようにグレイは頷いたが、反対はしなかった。
修太は、さっきの女の人は無事に目的地に着いただろうかと考えながら、また雑踏へと歩き出した。
そして宿に飴を持って帰ったら、目を離した隙にフランジェスカとピアスとサーシャリオンにほとんど食べられた。サーシャリオンは飴玉を食べるのは初めてだったとかで感動してがっつき、フランジェスカとピアスは気付いたら食べていた。女性の前で甘味を見せつけるのは危険だと修太はその日学んだ。
*
その三日後。
冒険者ギルドの薬草園でゼフ爺さんの手伝いをした帰り、待合室に顔を出すと、ものすごいレアな光景に直面した。
思わず戸口の後ろに隠れてしまったくらいには驚いた。
「うわー、なんだあれ。すげー……」
修太とコウは、並んで戸口から中を覗き込む。
「好きです! 一目惚れしました! どうか交際お願いします!」
「断る。どっか行け。うるさい」
「そんな冷たいところも素敵」
「…………」
「どこが良いかって言うんでしたら、顔が好みでした!」
「そうか、お断りだ。鬱陶しいから去れ」
テンションの高い女性がグレイに言い寄っているという現場は本気でレアだ。たいてい、グレイに怯える女性ばかりなので驚きである。
しかもこんなに辛辣に返されているのに心が折れないのもすごい。
「すっげえな、コウ。あの人、勇者だな」
「ワン!」
戸口にしゃがみこみ、見つからないように覗き見していると、
「おやおや、そうやっていると可愛らしいね、小さいお仲間さん」
「……!」
この声は!
めいっぱい顔をしかめて振り返ると、アーヴィンが立っていた。
修太は思わずまじまじとアーヴィンを観察する。
「何でそんなに薄汚れてるんだ? しかも葉っぱまでつけて……」
三つ編みにしている美しい白金の髪のあちこちに葉っぱがついていて、服はよれよれでみすぼらしく、せっかくの美貌が代無しだ。
「それが気が付いたら森の中にいてね。トカゲが火を吹くもんだから驚いたよ」
「……へえ」
そんな森、近場にあっただろうか。
また迷ってたんだな、この人。もしかして町の外まで出たんだろうか。何故止めないんだ、門番。
「ああ、あの見目麗しい黒狼族の青年だね。あのストイックな感じは、私の仲間にもいないタイプだよ」
「ちょっと、隠れろよ。何、堂々と見てんだよ。見つかったら怒られるだろ!」
戸口に仁王立ちして堂々と覗き見するアーヴィンの服の裾を引っ張り、座れと声を荒げる修太。しかし一歩遅く、グレイがこっちを見た。
修太とコウは揃ってビクリとし、すかさず戸口裏に隠れる。
よし、逃げよう。
そう決めたところで、グレイの声がかかる。
「……何してるんだ?」
どこか不思議そうな問い掛けだ。怒ってはいないようだ。
「いや、別に。良い壁だなあって……」
壁に張り付いていたので、ぺしぺしと白い壁を叩いて言う。
(アーヴィン、この野郎、笑ってんじゃねえよ)
くすくす笑っているアーヴィンが腹が立つ。見つかったのはお前のせいだろうが。
「もう、私の話は終わってないんだけど!」
「うるさいから打ち切りだ」
そこへさっきの女性がグレイを追いかけてきた。グレイの返事はにべもない。
「あ」
グレイに一目惚れしたという勇者なお姉さんは、こないだ道を訊いてきた人だった。
「こないだの……」
「おっ。君、こないだは道を教えてくれてありがとね! 助かったわ」
女性はにこっと笑う。
「私、ソイル、よろしくね」
ぱちんと片目をつむるソイル。笑うと左頬にだけ笑窪が浮かぶのが可愛らしい感じだ。
さりげなくグレイの左腕に手を回しているのがすごい。
目のやりどころに困る。
「……グレイ、俺、邪魔しちゃ悪いから先に帰るよ」
たぶん迎えに来てくれたんだろうが、修太はそわそわと気まずげに言う。
「わぁ、分かってるわね、君。そうそう、邪魔邪魔、お邪魔虫!」
そこまできっぱり言われるとへこむんですけど、ソイルさん。
「ねえ、お兄さん~。ご馳走するから夕飯ご一緒しましょうよ~。あ、もちろん、その後、私の部屋に来ても良いですけど~」
むふふふと怪しく笑うソイルの目は獲物を見る目で何となく冷や汗が出る。
(なんか放送禁止になりそうな会話してる……)
ぎりぎりセーフ?
「お断りだと言ってるだろうが」
グレイがぴしゃりと返すと、ソイルは大仰に身を引いた。
「ええ、嘘! まさかお兄さん、そっちの趣味の人!?」
「……馬鹿にしてるのか?」
うおお。ここだけ吹雪に見舞われてるよ。寒い、冷たい。そして怖い!
「だって、こんなに可愛い女の子に誘われて断るなんて! 男じゃないんじゃないの!」
ソイルは戦法を変えてきた。
が、それに伴ってグレイの琥珀色の目が更に冷たいものになる。
「そうだよ、グレイ殿。女性との会話は大事にしなくては。夕食くらいご一緒したらどうだい?」
うおい、アーヴィン。空気を読め!
修太とコウはあまりの怖さにぶるぶる怯えているというのに、アーヴィンはいつものマイペースさを駆使して呑気に言った。
グレイはじろりとアーヴィンを睨む。
「俺はあんたみたいに、万年花畑男ではない。だったらあんたが引き取れ」
「だそうだよ、お嬢さん。僕で良かったら夕食をご一緒にいかが?」
にこにことアーヴィンは麗しい笑みを浮かべる。それと同時に、待合室にいた女性達から刃のような鋭い視線がソイルを襲った。ソイルは頬を引きつらせる。
「いえいえいえいえ、お断りです。お断り。そんなことしたら闇討ちされるじゃないの」
アーヴィンのファンもこえー!
「そうか、残念だな。食事は美しいご婦人とご一緒した方が楽しいんだけどね」
さらりとたらし発言するアーヴィン。髪に葉っぱをつけてなかったら、もっと様になっていただろう。
「ごめんなさいねえ。私、彼の方がタイプなの」
「それはますます残念」
アーヴィンは肩をすくめ、グレイを見る。
「まあ心配しないでいいよ。僕がこの子を宿に送ってあげるから」
「……送られるの間違いだろ」
思わず突っ込んだ修太は悪くないと思う。
なるほど。やけにずっとここにいるなあと思ったら、修太にくっついて宿に戻る心積もりだったらしい。
(ほんっとしぶといよな。いい加減、方向音痴と認めればいいのに)
アーヴィンは頑なに自分は迷子ではないと言い張るのだ。
「グレイ、たまにはさ、うん、羽目を外してきた方がいいんじゃないかな。じゃあ、俺、先に帰るわ」
「おい。子どもが余計な心配するな」
さっと横を通り抜けようとしたが、グレイにがしっと肩を掴まれて止められた。
「いや、だって、大人ってさ、色々必要なんだろ? 色々……。俺、子どもだからさ」
修太はいい笑顔を浮かべる。出来れば関わりたくないなあと思ったので逃げる気満々だった。女性関係に巻き込まれると面倒臭いのは、啓介で経験しているので。
「都合が良い時だけ子どものフリをするな」
グレイは舌打ち混じりに言う。
どうやらどうあってもソイルから逃れたいらしい。
肩が痛い。いだだだだ。
このままでは修太がピンチなので、知恵を巡らせる。
「あ、そうだ! フランがグレイを呼んでたんだよ。そうそう。何かに付き合って欲しいとか」
正確には、鍛練の模擬試合に付き合って欲しいという話だったが、そこは伏せておく。
「フランジェスカが、そうか。ではそっちを優先しないとな」
「ああっ、ひどい! もう浮気!?」
ソイルの発言をきっぱり無視し、グレイはすたすた歩き出す。もちろん、修太とコウも連れて。
「ああ、待っておくれ。僕も行くよ」
慌ててアーヴィンが後を追いかけてきた。
「ぜーったいに逃がさないからね!」
ソイルがその場で地団太を踏み、宣言する声が後ろから響いた。