リク小説1「グレイの保護者な一日」
目次2の十五話後~十六話くらいの時期です。ビルクモーレ滞在中の一幕。
グレイの朝は早い。
たいてい、朝日が昇るよりも早くに起き、まだ闇に包まれてひんやりしている空気の中、外へと出る。
夜は遅くまで酒や煙草を飲んでいることが多く、就寝するのは深夜をだいぶ回ってからだが、あまり睡眠を多くとる必要がないので、睡眠時間は一鐘と半分くらいであることがほとんどだ。
外の井戸で顔を洗い、庭の隅で柔軟体操をしてから、ハルバートを手にして型稽古をする。朝日が昇る頃には、身体は充分に温まり、スムーズに動くようになっている。
「おはよう、グレイ殿。相変わらず早いな。ちゃんと寝ているのか?」
朝日が昇ってすぐ、最初に会うのはたいていフランジェスカだ。武人として、フランジェスカもまた早起きして、剣の稽古をするのが日課だ。
「ああ」
グレイはぽつりと返し、ハルバートをくるりと回して斧を上にして立てる。
「おはよう」
そして、たいてい三番目に会うのが修太だ。ときどき二番目になることもあるが、寝込んでいる時以外は修太も朝が早い。その分、寝るのも早いが。修太と一緒にコウも来るので、コウも早起きだ。
フランジェスカやグレイが挨拶を返す横で、桶を井戸の底に放り、水を汲み上げ始める修太。こういう力仕事には慣れていないらしく、桶を引き上げるのが難しかったようだが、最近は随分マシになってきた。それでも、一番上まで引き上げてから、手元に桶を引き寄せるのだけは毎回四苦八苦している。
すでに顔を洗い終えていたフランジェスカは、それを呆れたように見て、すたすたと庭の隅に行き、柔軟体操や腹筋や背筋を鍛える運動をし、剣の一人稽古を始める。
グレイからすると、あまりに大変そうにするので、つい手を貸してやりたくなるのだが、それではいつまでも上達しないのは目に見えているので、何となく汲み終わるのを見守ってしまう。桶の重みに引っ張られ、井戸の底へ落ちやしないかと冷や冷やするのだ。
大概のことはすんなり出来るグレイからすると、こんな簡単なことが難しいというのが分からない感覚だが、とにかく見ていて危なっかしいのは分かる。
やがて桶を引き上げた修太が水で顔を洗い始めると、視線を反らす。ちょうど欠伸をしながら啓介やピアスがやって来て、随分遅れてサーシャリオンがやって来る。サーシャリオンは寝るのが好きだから、特に遅い。あれにはグレイも呆れてしまう。
身支度を整えると、朝食の時間になる。
たいてい修太達年少組とは違うテーブルにつくのだが、たまに同じテーブルになると、グレイは無表情の奥で感心していることが多い。
修太は普段は無愛想なのだが、食事時だけは表情が出ていることが多い。それも笑顔だ。
おいしいと顔に書いた状態で食事を摂るので、グレイからすると普通の料理もおいしいような気がしてくる。
つい観察していると、修太は目を瞬いた。
「……なに?」
「いや、旨そうに食うと思ってな」
「旨そうじゃなくて、旨いんだよ」
「そうか」
小気味の良い返事だ。
グレイにとって、食事とは美味い不味いではなく、食べなくては生きていけないから食べるものだ。口に入れて毒になるかならないかだけが重要で、あるものは何でも食べる。命の危機でもない限りは口に入れたくない食べ物は勿論あるが、たまにこれはおいしい気がすると感じる程度で、好悪で食べる食べないを判断することは滅多にない。
修太や啓介は特に偏食することもないからグレイは好き嫌いするなと口にすることもなくて楽だ。今までの弟子の中には偏食家がいて、食べ物を粗末にするなと叱ったものである。
修太は痩せている割にどこにそんなに入るのかと不思議になるくらい食べる。ついそちらに気をとられて気付きにくいが、啓介もそれなりに食べる方だ。啓介の場合、運動量に見合った量を食べる感じで、この年齢の少年が摂るような量だ。
朝食の後は、修太は部屋に引きこもるか冒険者ギルドにバイトに出かけるか、買い出しに行きたいと言うこともある。
引きこもることに決めたらしき日は、たいてい体調が悪い日のようだった。
そういう時は、盗賊討伐依頼を回されてシークやトリトラに留守中の護衛を頼むような時以外は、たいていグレイも部屋にいるようにしている。
グレイには特に趣味が無い。酒と煙草に金を使う程度で、各地を転々と渡り歩きながら盗賊を討伐する生活をしている。レステファルテ国では黒狼族への風当たりが強く、親しくする者もほとんどいない。父が死んだ後に転がりこむ形になったイェリや、弟子達、ときどきすれ違う同胞達とは親しいが、それは家族愛のようなものであり、友愛とは違う。コーラルには世話になっているが友人ではないし、サマルは話しやすいだけでやはり仕事上の付き合いといった感じだ。グレイにとって他人とは、同胞か否かに分けられているのだ。
グレイにはそれが普通だったから、修太達のようなこんなにへんてこで興味を惹かれる人間達に会ったのは初めてだった。やたらと会うからビルクモーレに共に来ることに決めたが、用事を終えた今は、このへんてこな人間達はこの後にどんな変なことに遭遇するのかと興味が湧いた。きっと、盗賊狩りと煙草と酒と転々とするだけの旅よりも刺激的な気がする。
そんなことを思ったのは、意外に単調な毎日が退屈だったのかもしれない。
それに、不慣れな護衛をしたいと思う程度には、修太のことを気に入っていた。
あの子どもは、体力や戦闘面では弱いのに、時折、ハッと目を惹かれるような強さが垣間見えることがある。普段は物静かで落ち着いた態度をしているのに、その瞬間、空気が凛とするのが清々しい。
騒がしいのを好まないグレイには、修太の普段の落ち着いた空気も居心地が良い。最初の頃は、グレイが何か行動する度に修太は怖がって身構えていたが、最近ではそれも少なくなってきた。慣れ、だろうか。
子どもらしくない落ち着きぶりをしていて、本を読める程の賢さがあるにも関わらずひけらかさずに隅でじっとしていて、目の届く範囲で誰かが困っていたら無言で手を貸すような、そんな子どもだ。何かうるさくしているわけでもないのに、不思議と存在感がある。道の片隅にひっそりと立つ木のような雰囲気で、たまにそこに来ると気が安らぐような、気付く者だけ気付くような良さがあるように思える。
もしかしたら、グレイは渡り鳥が必ず立ち寄るような、一時的にでも羽を休められるような場所が欲しかったのかもしれない。故郷に帰れないことを気にしたことはなかったが、あてのない漂流生活に思ったより疲れていたのだろうか。そして、トリトラやシークが修太に懐いているのも、そこに帰結するのだろうか。
なんというか、いきなり訪ねてきても、扉を開けて迎えてくれた上に、茶でも飲んでいけと言いそうな空気が修太にはあるのだ。
そんな風に好印象な割に、本人は自分のことには無頓着だ。更には体調を崩しやすく、しかも弱いせいで狙われやすい。こちらがしっかり見ていないと何か悪い目にあいそうで、それで自然と側にいて守ろうと思ってしまう。修太には厳しいフランジェスカですら、口では皮肉や暴言を吐きながらも、ときどき無意識に視線を彷徨わせているようだった。目を離した時に消えてやしないかと不安になるのだろう。何となく気持ちは分かる。
「グレイ、茶、飲まない? 俺、これから淹れるんだけど」
今日は部屋にいることにしたらしい修太の問いに、グレイは頷いた。
「ああ、もらう」
なんて長閑な会話だと、普段の殺伐ぶりとの落差に胸中で苦笑しながら、グレイは部屋のテーブルについた。
黄昏時が近い時分。市場に行きたいと修太が言い出したので、揃って外出した。
どうやら出歩きたくなる程度には具合が良くなったらしい。
体調はどうかと聞きたくなるのをこらえ、ただ共についていく。修太自身は体調を崩しやすいのを厭わしく思っているようで、話題に出されるのが嫌なようなのだ。
「あれ、少年じゃない。こんにちは。それともこんばんはかな? ありゃ、今日も一緒なんだ?」
紙袋を左腕に抱え、右手に持った果物にかぶりつきながら歩いていたヒルダに、修太が声をかけられた。その隣にはエアの姿もあり、グレイを見て会釈してきた。グレイはじっと見ただけで挨拶の代わりにした。
「うん。いつも一緒に来てくれるから助かってる」
どこか申し訳なさそうな声で修太は返した。
ヒルダは果物を食べきると、修太の横にしゃがんで口元に手を当ててひそひそと言う。
「よーくこんなおっかない人と仲良く出来るね? コツでもあるの?」
「俺もそりゃ怖いけどさ。でも怖いのは無表情で、良い人だよ」
修太もこそこそ返しているが、全部聞こえている。苦笑したエアがぺこっと頭を下げた。すみませんという小声も聞こえる。
一方、相方の苦労に気付かず、ヒルダはうむと顎に手を当てると、今度はグレイにひそひそ訊いてきた。
「じゃあグレイの旦那的に、このガキんちょのどこが良くて護衛してんの?」
本人は秘密の話のつもりらしいが、あいにくと当の修太にもバレバレである。エアは今度は修太に謝っている。
どこがと問われても困る。全てひっくるめて個として見ているのだ、
「……信用出来ると感じた。においにも害のあるにおいはない。それに加えて気にかかるから、なんとなく側についてるだけだ」
結局、なんとなく、に尽きる。色々と言葉を重ねてみたところで意味は無い気がする。
真面目に答えられたことに驚いたのか、訊いた本人であるヒルダは目をまん丸にした。
「そんな感じなんだ? へえ、少年。いったい何があったらこうなるの?」
「もう、ヒルダ! それ以上、無遠慮に踏みこんじゃ駄目だよ。すみません、グレイさん、シューター君。じゃあ私達はこれで!」
「あ、エア! もーっ!」
エアのなだめる声とヒルダの怒り声が遠のいていく。
「グレイは俺のこと、買い被ってるよ」
修太が苦笑気味に言った。
「それならお前の方が買い被っている。俺は良い人とやらではない」
「グレイは良い人だよ。俺が保証する」
何のてらいもなく真面目に返され、言葉に詰まる。礼を言うべきかどうすればいいか分からず、結局、無言を返した。
果物を買いたいという修太について市場を歩き回っていると、ふいに横合いの道から老人が出てきた。
茶色い髪と目をした老人は、ほうほうと呟きながら、じろじろと修太を観察する。修太は居心地悪げに身を引いた。
「なんだ、爺さん。何用だ」
じろりとグレイがねめつけると、老人は怖い怖いとおどけたように言う。
「この子ども、あんたの息子かい?」
「いや」
「親戚か知り合いから預かってるとかかい? 随分、毛並みが良いね。なあ、旦那。冒険者には子どもは邪魔だろう? なんならワシが引き取ってしんぜよう」
幾つもの人間のにおいが重なった、不快なにおいが老人からはしていた。
(ちっ、夕方はまずかったな)
こんな人通りの多い界隈にも、こんな人買い連中がうろついているとは誤算だった。この手の奴はしつこい。
「余計な世話だ。とっとと失せろ」
老人の言葉にぎょっと一歩退いた修太を後ろに追いやり、グレイは老人をにらみつけ、ダンとハルバートの柄で強く地面を叩いた。
殺気と暴力的な動作に老人はヒッと悲鳴を漏らし、関わると危ないと思ったのか、すたこらと逃げていった。
「なんだ、あの爺さん……」
「人買いだ」
短く答える。
レステファルテから流れてきたか、娼館か。どっちにしろ、金に困った連中をそそのかして子どもを買い取るような奴らだ。貧困にあえぐ家庭では、飢え死にさせるよりマシだとありがたがられることもあるのでいなくなることはない。
「この街は平和だが、夕暮れから夜はどこも危険だ。一人で出歩くなよ」
修太は神妙にうつむいて、一つ大きく頷いた。
市場から戻ると夕飯を食べ、また部屋に引き上げた。
風呂に入ったりして就寝の準備を整え、夜も更けてきたところで早々に修太は就寝してしまう。
グレイは遅くまで酒を飲み、やがて就寝する。
そろそろ街にも慣れてきただろうから、そろそろ一人でうろついても平気だろうと思っていたのに、まだしばらくは無理そうだ。
すっかり保護者だなと苦笑しつつも、こういうのんびりした日々も悪くないかと思いながら、グレイは暗闇の中で目を閉じた。
……end.
グレイの一日を通して、修太をどう思ってるかってことで、結構頑張ったんですが、不思議な終わり方に。
まだまだ未熟のようです……。
修太のことをどう思ってるかというリクエストでしたので、見事に修太のことしか書いてません。
日記? 感想文? なんだこりゃと思いながらでしたがいかがでしょう。地の文の方が多くてすみません。グレイだとどうしても会話が少ないですね;