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冬に凍死者が出る貧乏領地では、なぜか薪を王都へ売っていました

作者: よみなぎ
掲載日:2026/10/04

「今年の冬も、何人か死ぬでしょうな」


 領地に着いて三日目。


 執務室でそう告げられて、私は手元の帳簿から顔を上げた。


「……毎年ですか?」


「毎年です。特に老人と幼い子供です。薪を買えなくなった家から死人が出ます」


「薪が足りないんですか?」


「はい」


「でも、この数字は?」


 私は帳簿を指で叩いた。


 この領地に来てから、ずっと不思議だった数字だ。


「昨年、領内から王都へ運び出された薪が荷馬車四百二十七台分。その前年が三百九十八台分。その前も三百台以上。かなりの量ですよね?」


「この辺りは森林だけは豊かですからな」


 私は首を傾げた。


「では、どうして薪が足りないんです?」


 老執事が黙った。


 私はもう一度、帳簿を見る。


 薪の生産量は少なくない。むしろ人口を考えれば多い。


 なのに毎年冬になると薪が不足し、価格が跳ね上がる。


 そして領主家は、凍死者を出さないために王都から薪を買っていた。その輸送費まで、しっかり帳簿に残っている。


「……まさか」


 嫌な予感がした。


「領内で作った薪を王都へ売って、そのあと王都から買い戻しているんですか?」


「おおむね、その通りです」


「どうしてそんなことを?」


「秋に金が必要だからです」


 老執事の答えは簡単だった。


 農家は冬を迎える前に現金が必要になる。


 税を納めるため。冬支度をするため。農具を直すため。


 だから夏から秋に作った薪を商人へ売る。


 商人は大量の薪を王都へ運ぶ。


 そして冬。


 領内に残っている薪が少なくなり、値段が上がる。貧しい家から買えなくなる。


 死人が出そうになると、領主家が慌てて王都から薪を買う。


「…………」


 私はしばらく帳簿を眺めた。


「それ、ものすごく損してません?」


「はい」


 即答された。


「誰も止めなかったんですか?」


「止める方法がありませんでした」


 老執事は困ったように眉を下げる。


「農民に薪を売るなと言えば、秋に必要な現金がなくなります。かといって領主家が金を貸せば、返済できない者も出るでしょう」


「なるほど」


 ようやく分かった。


 この領地の人たちは、別に愚かなわけではない。


 農民は金が必要だから薪を売る。


 商人は商品になるから買う。


 領主は死人を出せないから冬に薪を買い戻す。


 みんな自分の立場では、必要なことをしている。


 なのに全部合わせると、とんでもなく無駄なことになっている。


「では、領主家が買いましょう」


「……はい?」


「薪です」


 私は帳簿を閉じた。


「今年から、領民が売る薪を領主家が買い取ります」


◇


 私がこの領地を任されたのは、三か月前だった。


 きっかけは、父の一言だった。


「お前は昔から帳簿ばかり見ているな」


 褒められているのかと思ったら、その横で兄が笑った。


「父上、それは今さらでしょう。こいつは舞踏会へ行っても、料理より会場に何人給仕がいるか数えているような娘ですよ」


「だって気になるじゃないですか」


「普通は気にならん」


 そんな話をしていたら、父が一冊の帳簿を私の前へ置いた。


「なら、一つ任せてみるか」


「何をです?」


「領地だ」


 私は父を見た。


「……領地?」


「小さいところだがな。赤字が続いている。好きに立て直してみろ」


「いいんですか!?」


 思わず身を乗り出した。


 兄が吹き出した。


「普通は赤字領地と聞いたら、もう少し嫌そうな顔をするものだぞ」


「でも、本物の領地の帳簿を全部見られるんですよね?」


「そこなのか?」


「そこです」


 父は呆れたように笑った。


「失敗しても構わん。何年かやって無理なら本家で引き取る」


「困ったことがあったら手紙を寄越せ。人手くらいは貸してやる」


「ありがとうございます!」


 そうして私は、この領地へやってきた。


 人口は減少中。


 領主家の財政は赤字。


 冬には凍死者まで出る。


 問題だらけだった。


 だからこそ、帳簿も面白かった。


 何人住んでいるのか。何を作っているのか。何を買っているのか。どこへ売っているのか。


 数字を追っていけば、その土地で人々がどう暮らしているのかが見えてくる。


 そして最初に見つけたのが、薪だった。


「しかし領主様。薪を買い取るとなれば、大金が必要になります」


「王都から買い戻すより安いでしょう?」


「それは、もちろん」


「だったら問題ありません」


 私は紙を一枚取り出した。


「去年、冬に薪を買い戻すために使った予算がありますよね?」


「あります」


「今年はそれを夏に使います」


「夏に?」


「はい。薪が安いうちに買います」


 老執事が目を丸くした。


「農民には商人へ売るのと同じだけのお金が入るようにします。少しだけ高くても構いません」


「それなら皆、領主家へ売るでしょうな」


「買った薪は領主家の倉庫へ」


「倉庫が足りません」


「空いている穀物倉庫は?」


「二棟あります」


「使いましょう」


「……なるほど」


 老執事の顔が変わった。


「冬になったら、各家庭へ一定量を安く販売します。最低限必要な量は、絶対に値上げしません」


「それなら……冬になっても薪がなくならない」


「はい」


 でも、それだけではない。


「鍛冶屋さんやパン屋さんは、冬になるとどうしています?」


「薪が高くなるので、仕事を減らしますな」


「やっぱり。では、そちらにも一定価格で売りましょう」


「工房にも?」


「冬でも仕事をしてもらいます」


 薪は、暖炉で燃やすだけのものではない。


 鉄を打つ。パンを焼く。湯を沸かす。陶器を焼く。


 この町では、薪の値段が上がるたびに、それらまで止まっていた。


 だったら。


「今年は、冬を休みにするのをやめましょう」


◇


 夏。


 領主家の前に、薪を積んだ荷馬車が並んだ。


「本当に買ってくださるんですか?」


「もちろん」


「王都の商人と同じくらいの値段で?」


「ほんの少し高く買います」


 農夫は何度も頭を下げた。


 翌日には荷馬車がさらに増えた。


 一週間後には、倉庫が一つ埋まった。二つ目も埋まった。


「領主様、もう入りません!」


「では新しい薪置き場を作りましょう」


「金がかかりますぞ!」


「冬に王都から買い戻すより安いです!」


「それを言われると何も言えませんな!」


 町外れに屋根付きの薪置き場を作った。それでも足りなくなって、二つ目を作った。


 そして、これまで薪を買い付けていた商人たちが訪ねてきた。


「領主様、少し相談が」


「はい」


「今年は我々が買える薪が、ほとんど残らないようなのですが」


「そうなりますよね……」


「王都との取引もあります。急にゼロとなると、こちらも少々困りまして」


 もっともな話だった。


 彼らだって悪くない。


 これまで領民から薪を買い、王都へ運んできただけだ。


「領内で必要な量を確保したあと、余った分は今まで通り買ってください」


「よろしいので?」


「もちろん。ただ、去年ほどの量はないと思います」


「それは仕方ありませんな」


 商人はあっさり頷いた。


 そして、山積みになった薪を見た。


「ところで領主様。これだけの薪を、冬に全部使い切るおつもりで?」


「そのつもりです」


「……何に?」


「暖房と、鍛冶と、パンと、陶器と、お風呂ですね」


「なるほど」


 商人は何度か頷いた。


「では冬に、また来てもよろしいですか?」


「構いませんけど」


「何か運べる物が増えているかもしれませんので」


 そのときは、私はまだ彼の言葉の意味をよく分かっていなかった。


 そして冬が来た。


◇


「……上がらない」


 市場で薪を売っていた男が、値札を見ながら呟いた。


「本当に上がってないぞ」


 雪が降っている。


 例年なら薪の値段が跳ね上がっている時期だった。


 でも今年は違う。


 領主家の薪置き場には、まだ山のように薪がある。


 決めた価格で、決めた量を毎日市場へ出している。


「去年の半分じゃないか」


「うちは今年、暖炉を消さなくていいぞ」


「夜も焚ける」


 そんな声を聞きながら、私は市場を歩いた。


 嬉しかった。


 これなら今年は大丈夫。


 そう思っていたら、老執事が走ってきた。


「領主様!」


「どうしました?」


「鍛冶屋が!」


「えっ」


 何か事故でも起きたのか。


 慌てて向かうと、鍛冶場から盛大に煙が上がっていた。


 中では何人もの職人が働いている。


 カン、カン、カン、と鉄を打つ音が響いていた。


「……普通に仕事してますね?」


「そうなのです!」


 老執事が興奮していた。


「例年なら、この時期は薪が高くて炉を半分止めております。今年は全部動いております!」


 鍛冶屋の親方が私を見つけると、笑いながら手を振った。


「領主様! 来月の分も同じ値段で薪をもらえるんですよね!」


「その予定です」


「だったらもっと作れます! 農具の注文が溜まってるんだ!」


 その隣ではパン屋の窯も動いていた。


 共同浴場も毎日営業している。


 陶工も冬なのに窯へ火を入れた。


 薪を残した。


 たったそれだけだった。


 でも、町から冬の休みが消えた。


「領主様。今年の税収ですが」


「減りますよね」


 覚悟はしていた。


 王都へ薪を売る量が減ったのだから、関連する税収も減る。


「いえ。増えそうです」


「……どうして?」


「鍛冶屋もパン屋も陶工も、去年より売っております。それに、冬の出稼ぎに行かなかった者が多いので、町で金が回っております」


 私は瞬きをした。


 そこまでは考えていなかった。


 ただ、凍死者を出したくなかった。


 王都へ売った薪を高値で買い戻すのが、あまりにも馬鹿馬鹿しく見えただけだった。


 でも。


 薪を領内に残せば、その薪で仕事ができる。


 仕事をすれば、商品ができる。


 商品を売れば、薪そのものを売るより多くのお金になる。


「……そうか」


 私は鍛冶場を見た。


 薪が燃えている。


 その火で鉄が熱せられ、農具になる。


「薪を売らなくてもいいんだ」


「はい?」


「薪を使って作ったものを売ればいいんですよ」


 老執事が私を見る。


「鉄器を王都へ売れませんか?」


「もちろん売れますが……」


「陶器は?」


「売れます」


「保存できる焼き菓子は?」


「それも」


 私は笑った。


「だったら、そっちを売りましょう」


「その話」


 背後から声がした。


 振り返る。


 夏に来た商人だった。


 しかも今日は、荷馬車を何台も連れている。


「詳しく聞かせていただけませんか?」


◇


 商人は出来上がった鉄器を一本手に取った。


「これは王都でも売れます」


 次に陶器を見る。


「こちらも」


「本当ですか?」


「我々はもともと、こちらと王都を往復しておりますからな」


 商人は笑った。


「薪が駄目なら、別の物を積めばいい」


「あ」


 そこでようやく、夏に彼が言っていたことの意味が分かった。


『何か運べる物が増えているかもしれませんので』


「運んでいただけるんですか?」


「もちろん。荷馬車を空で帰すほうが損です」


 商人が鍛冶屋の親方を見る。


「どれくらい作れます?」


「薪が今の値段なら、まだ増やせるぞ」


「では、作ってください」


「売れるのか?」


「私が売ります」


 今度は商人が陶工を見る。


「そちらも」


「冬いっぱい窯を動かしていいなら作れる」


「買いましょう」


 私はその光景を見ながら、なんだかおかしくなって笑ってしまった。


「領主様?」


「いえ」


 薪を売っていた商人が、今度は薪で作った商品を売ろうとしている。


 農民には薪を売ったお金が入る。


 職人には仕事が増える。


 商人には運ぶ商品が増える。


 領民は安く薪を買える。


 領主家の税収も増える。


「これ、みんな得してません?」


 商人が笑った。


「商売とは、本来そういうものですよ」


◇


 春。


 父と兄が領地へやってきた。


「本当に黒字になったのか?」


「なりました」


「見せろ」


「挨拶より先に帳簿ですか?」


「お前の兄だからな」


「納得しました」


 今年の帳簿を確認した父が、満足そうに頷いた。


「大したものだ。赤字を止めただけではない。冬の死人も出さず、領民の仕事まで増やした」


「任せて正解だったな」


 兄のその一言が、思ったより嬉しかった。


「来年も任せてもらえます?」


「今さら返せと言っても、お前は返さんだろう」


「もちろんです」


 三人で笑った。


 窓の外から、カン、カン、と槌の音が聞こえてくる。


「ところで、来年はどうする?」


「薪を増やします」


 父が少し驚いた。


「今年あれだけ集めたのに?」


「足りなくなりそうなんです。鍛冶屋さんは炉を増やすそうですし、陶工さんも窯を増やしますから」


 兄が笑った。


「大忙しだな、領主様」


「本当に」


 私は新しい帳簿を開いた。


 去年は、冬を越すための薪が足りなかった。


 今年は違う。


「だから、もっと薪を作ります」


「王都へ売るために?」


「いいえ」


 白紙の帳簿に、最初の数字を書き込む。


「もっと、ここで作るために」


 私はやっぱり、帳簿を眺めるのが好きだ。


 特に最近は、もっと好きになった。


 そこに並ぶ数字が、この町で暮らす人たちの笑顔に見えるようになったから。

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― 新着の感想 ―
森の保全が必須ですね
旧領主が無能すぎて…毎年死者出してるくらいなら、本家に陳情くらい出すべきでしょ? 親父も、そこまで分かっていながら、娘に任せるまで何年も放置してたってことだよね? >何年かやって無理なら本家で引き取る…
【悲報】異世界民、備蓄を知らない
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