冬に凍死者が出る貧乏領地では、なぜか薪を王都へ売っていました
「今年の冬も、何人か死ぬでしょうな」
領地に着いて三日目。
執務室でそう告げられて、私は手元の帳簿から顔を上げた。
「……毎年ですか?」
「毎年です。特に老人と幼い子供です。薪を買えなくなった家から死人が出ます」
「薪が足りないんですか?」
「はい」
「でも、この数字は?」
私は帳簿を指で叩いた。
この領地に来てから、ずっと不思議だった数字だ。
「昨年、領内から王都へ運び出された薪が荷馬車四百二十七台分。その前年が三百九十八台分。その前も三百台以上。かなりの量ですよね?」
「この辺りは森林だけは豊かですからな」
私は首を傾げた。
「では、どうして薪が足りないんです?」
老執事が黙った。
私はもう一度、帳簿を見る。
薪の生産量は少なくない。むしろ人口を考えれば多い。
なのに毎年冬になると薪が不足し、価格が跳ね上がる。
そして領主家は、凍死者を出さないために王都から薪を買っていた。その輸送費まで、しっかり帳簿に残っている。
「……まさか」
嫌な予感がした。
「領内で作った薪を王都へ売って、そのあと王都から買い戻しているんですか?」
「おおむね、その通りです」
「どうしてそんなことを?」
「秋に金が必要だからです」
老執事の答えは簡単だった。
農家は冬を迎える前に現金が必要になる。
税を納めるため。冬支度をするため。農具を直すため。
だから夏から秋に作った薪を商人へ売る。
商人は大量の薪を王都へ運ぶ。
そして冬。
領内に残っている薪が少なくなり、値段が上がる。貧しい家から買えなくなる。
死人が出そうになると、領主家が慌てて王都から薪を買う。
「…………」
私はしばらく帳簿を眺めた。
「それ、ものすごく損してません?」
「はい」
即答された。
「誰も止めなかったんですか?」
「止める方法がありませんでした」
老執事は困ったように眉を下げる。
「農民に薪を売るなと言えば、秋に必要な現金がなくなります。かといって領主家が金を貸せば、返済できない者も出るでしょう」
「なるほど」
ようやく分かった。
この領地の人たちは、別に愚かなわけではない。
農民は金が必要だから薪を売る。
商人は商品になるから買う。
領主は死人を出せないから冬に薪を買い戻す。
みんな自分の立場では、必要なことをしている。
なのに全部合わせると、とんでもなく無駄なことになっている。
「では、領主家が買いましょう」
「……はい?」
「薪です」
私は帳簿を閉じた。
「今年から、領民が売る薪を領主家が買い取ります」
◇
私がこの領地を任されたのは、三か月前だった。
きっかけは、父の一言だった。
「お前は昔から帳簿ばかり見ているな」
褒められているのかと思ったら、その横で兄が笑った。
「父上、それは今さらでしょう。こいつは舞踏会へ行っても、料理より会場に何人給仕がいるか数えているような娘ですよ」
「だって気になるじゃないですか」
「普通は気にならん」
そんな話をしていたら、父が一冊の帳簿を私の前へ置いた。
「なら、一つ任せてみるか」
「何をです?」
「領地だ」
私は父を見た。
「……領地?」
「小さいところだがな。赤字が続いている。好きに立て直してみろ」
「いいんですか!?」
思わず身を乗り出した。
兄が吹き出した。
「普通は赤字領地と聞いたら、もう少し嫌そうな顔をするものだぞ」
「でも、本物の領地の帳簿を全部見られるんですよね?」
「そこなのか?」
「そこです」
父は呆れたように笑った。
「失敗しても構わん。何年かやって無理なら本家で引き取る」
「困ったことがあったら手紙を寄越せ。人手くらいは貸してやる」
「ありがとうございます!」
そうして私は、この領地へやってきた。
人口は減少中。
領主家の財政は赤字。
冬には凍死者まで出る。
問題だらけだった。
だからこそ、帳簿も面白かった。
何人住んでいるのか。何を作っているのか。何を買っているのか。どこへ売っているのか。
数字を追っていけば、その土地で人々がどう暮らしているのかが見えてくる。
そして最初に見つけたのが、薪だった。
「しかし領主様。薪を買い取るとなれば、大金が必要になります」
「王都から買い戻すより安いでしょう?」
「それは、もちろん」
「だったら問題ありません」
私は紙を一枚取り出した。
「去年、冬に薪を買い戻すために使った予算がありますよね?」
「あります」
「今年はそれを夏に使います」
「夏に?」
「はい。薪が安いうちに買います」
老執事が目を丸くした。
「農民には商人へ売るのと同じだけのお金が入るようにします。少しだけ高くても構いません」
「それなら皆、領主家へ売るでしょうな」
「買った薪は領主家の倉庫へ」
「倉庫が足りません」
「空いている穀物倉庫は?」
「二棟あります」
「使いましょう」
「……なるほど」
老執事の顔が変わった。
「冬になったら、各家庭へ一定量を安く販売します。最低限必要な量は、絶対に値上げしません」
「それなら……冬になっても薪がなくならない」
「はい」
でも、それだけではない。
「鍛冶屋さんやパン屋さんは、冬になるとどうしています?」
「薪が高くなるので、仕事を減らしますな」
「やっぱり。では、そちらにも一定価格で売りましょう」
「工房にも?」
「冬でも仕事をしてもらいます」
薪は、暖炉で燃やすだけのものではない。
鉄を打つ。パンを焼く。湯を沸かす。陶器を焼く。
この町では、薪の値段が上がるたびに、それらまで止まっていた。
だったら。
「今年は、冬を休みにするのをやめましょう」
◇
夏。
領主家の前に、薪を積んだ荷馬車が並んだ。
「本当に買ってくださるんですか?」
「もちろん」
「王都の商人と同じくらいの値段で?」
「ほんの少し高く買います」
農夫は何度も頭を下げた。
翌日には荷馬車がさらに増えた。
一週間後には、倉庫が一つ埋まった。二つ目も埋まった。
「領主様、もう入りません!」
「では新しい薪置き場を作りましょう」
「金がかかりますぞ!」
「冬に王都から買い戻すより安いです!」
「それを言われると何も言えませんな!」
町外れに屋根付きの薪置き場を作った。それでも足りなくなって、二つ目を作った。
そして、これまで薪を買い付けていた商人たちが訪ねてきた。
「領主様、少し相談が」
「はい」
「今年は我々が買える薪が、ほとんど残らないようなのですが」
「そうなりますよね……」
「王都との取引もあります。急にゼロとなると、こちらも少々困りまして」
もっともな話だった。
彼らだって悪くない。
これまで領民から薪を買い、王都へ運んできただけだ。
「領内で必要な量を確保したあと、余った分は今まで通り買ってください」
「よろしいので?」
「もちろん。ただ、去年ほどの量はないと思います」
「それは仕方ありませんな」
商人はあっさり頷いた。
そして、山積みになった薪を見た。
「ところで領主様。これだけの薪を、冬に全部使い切るおつもりで?」
「そのつもりです」
「……何に?」
「暖房と、鍛冶と、パンと、陶器と、お風呂ですね」
「なるほど」
商人は何度か頷いた。
「では冬に、また来てもよろしいですか?」
「構いませんけど」
「何か運べる物が増えているかもしれませんので」
そのときは、私はまだ彼の言葉の意味をよく分かっていなかった。
そして冬が来た。
◇
「……上がらない」
市場で薪を売っていた男が、値札を見ながら呟いた。
「本当に上がってないぞ」
雪が降っている。
例年なら薪の値段が跳ね上がっている時期だった。
でも今年は違う。
領主家の薪置き場には、まだ山のように薪がある。
決めた価格で、決めた量を毎日市場へ出している。
「去年の半分じゃないか」
「うちは今年、暖炉を消さなくていいぞ」
「夜も焚ける」
そんな声を聞きながら、私は市場を歩いた。
嬉しかった。
これなら今年は大丈夫。
そう思っていたら、老執事が走ってきた。
「領主様!」
「どうしました?」
「鍛冶屋が!」
「えっ」
何か事故でも起きたのか。
慌てて向かうと、鍛冶場から盛大に煙が上がっていた。
中では何人もの職人が働いている。
カン、カン、カン、と鉄を打つ音が響いていた。
「……普通に仕事してますね?」
「そうなのです!」
老執事が興奮していた。
「例年なら、この時期は薪が高くて炉を半分止めております。今年は全部動いております!」
鍛冶屋の親方が私を見つけると、笑いながら手を振った。
「領主様! 来月の分も同じ値段で薪をもらえるんですよね!」
「その予定です」
「だったらもっと作れます! 農具の注文が溜まってるんだ!」
その隣ではパン屋の窯も動いていた。
共同浴場も毎日営業している。
陶工も冬なのに窯へ火を入れた。
薪を残した。
たったそれだけだった。
でも、町から冬の休みが消えた。
「領主様。今年の税収ですが」
「減りますよね」
覚悟はしていた。
王都へ薪を売る量が減ったのだから、関連する税収も減る。
「いえ。増えそうです」
「……どうして?」
「鍛冶屋もパン屋も陶工も、去年より売っております。それに、冬の出稼ぎに行かなかった者が多いので、町で金が回っております」
私は瞬きをした。
そこまでは考えていなかった。
ただ、凍死者を出したくなかった。
王都へ売った薪を高値で買い戻すのが、あまりにも馬鹿馬鹿しく見えただけだった。
でも。
薪を領内に残せば、その薪で仕事ができる。
仕事をすれば、商品ができる。
商品を売れば、薪そのものを売るより多くのお金になる。
「……そうか」
私は鍛冶場を見た。
薪が燃えている。
その火で鉄が熱せられ、農具になる。
「薪を売らなくてもいいんだ」
「はい?」
「薪を使って作ったものを売ればいいんですよ」
老執事が私を見る。
「鉄器を王都へ売れませんか?」
「もちろん売れますが……」
「陶器は?」
「売れます」
「保存できる焼き菓子は?」
「それも」
私は笑った。
「だったら、そっちを売りましょう」
「その話」
背後から声がした。
振り返る。
夏に来た商人だった。
しかも今日は、荷馬車を何台も連れている。
「詳しく聞かせていただけませんか?」
◇
商人は出来上がった鉄器を一本手に取った。
「これは王都でも売れます」
次に陶器を見る。
「こちらも」
「本当ですか?」
「我々はもともと、こちらと王都を往復しておりますからな」
商人は笑った。
「薪が駄目なら、別の物を積めばいい」
「あ」
そこでようやく、夏に彼が言っていたことの意味が分かった。
『何か運べる物が増えているかもしれませんので』
「運んでいただけるんですか?」
「もちろん。荷馬車を空で帰すほうが損です」
商人が鍛冶屋の親方を見る。
「どれくらい作れます?」
「薪が今の値段なら、まだ増やせるぞ」
「では、作ってください」
「売れるのか?」
「私が売ります」
今度は商人が陶工を見る。
「そちらも」
「冬いっぱい窯を動かしていいなら作れる」
「買いましょう」
私はその光景を見ながら、なんだかおかしくなって笑ってしまった。
「領主様?」
「いえ」
薪を売っていた商人が、今度は薪で作った商品を売ろうとしている。
農民には薪を売ったお金が入る。
職人には仕事が増える。
商人には運ぶ商品が増える。
領民は安く薪を買える。
領主家の税収も増える。
「これ、みんな得してません?」
商人が笑った。
「商売とは、本来そういうものですよ」
◇
春。
父と兄が領地へやってきた。
「本当に黒字になったのか?」
「なりました」
「見せろ」
「挨拶より先に帳簿ですか?」
「お前の兄だからな」
「納得しました」
今年の帳簿を確認した父が、満足そうに頷いた。
「大したものだ。赤字を止めただけではない。冬の死人も出さず、領民の仕事まで増やした」
「任せて正解だったな」
兄のその一言が、思ったより嬉しかった。
「来年も任せてもらえます?」
「今さら返せと言っても、お前は返さんだろう」
「もちろんです」
三人で笑った。
窓の外から、カン、カン、と槌の音が聞こえてくる。
「ところで、来年はどうする?」
「薪を増やします」
父が少し驚いた。
「今年あれだけ集めたのに?」
「足りなくなりそうなんです。鍛冶屋さんは炉を増やすそうですし、陶工さんも窯を増やしますから」
兄が笑った。
「大忙しだな、領主様」
「本当に」
私は新しい帳簿を開いた。
去年は、冬を越すための薪が足りなかった。
今年は違う。
「だから、もっと薪を作ります」
「王都へ売るために?」
「いいえ」
白紙の帳簿に、最初の数字を書き込む。
「もっと、ここで作るために」
私はやっぱり、帳簿を眺めるのが好きだ。
特に最近は、もっと好きになった。
そこに並ぶ数字が、この町で暮らす人たちの笑顔に見えるようになったから。




