第2話:規約違反の最適化と、戦場のプロフェッショナル・レスリング
森の空気は、私の視覚センサー——もとい「目」を通じて、極彩色の情報へと変換されていた。
標準的な可視光線に加え、残留思念のように揺らめく魔力の紫外線トレイル。草木に付着したゴブリンの分泌物が放つ特定の反射スペクトル。それらは私の脳内で瞬時にマッピングされ、三次元の戦術マップとして展開される。
(……非効率だ。敵対ユニットの存在が、これほど多層的なレイヤーで露呈している。にもかかわらず、前方を行くスカウトのロキは、足跡や折れた枝という原始的なアナログデータのみに頼り、索敵を行っている)
「いいか、イージス。これより先はゴブリンの縄張りだ。音を立てるなよ。あいつらは鼻が利く」
ロキが小声で忠告してくる。私は無表情のまま頷いた。
(……ロキ。君の体臭に含まれるアドレナリンと発汗による塩分濃度の上昇の方が、よほどゴブリンの嗅覚受容体を刺激している。さらに言えば、君の持つ鉄製ナイフが発する微小な金属音は、風に乗って200メートル先の個体にまで到達している。……が、今は指摘すべきではないだろう。彼は彼の『役割』を全うしているのだから)
直後、前方の茂みが激しく揺れた。
現れたのは、汚れた皮膚と剥き出しの牙を持つ、三体のゴブリン。そしてその後ろから、体長二メートルを超える上位個体、オークが姿を現した。
「ギィェェェッ!」
「出たな! 皆、構えろ!」
勇者アレンが剣を引き抜き、正対する。魔法使いのミリーが杖を掲げ、スカウトのロキがナイフを構える。
ここからが、私の理解を超えた「エラー」の連続だった。
まず、勇者アレン。彼は攻撃の直前、大きく息を吸い込み、あろうことか大音量で自らの行動を宣言した。
「くらえ! グランデル流・烈風剣ッ!」
(……理解不能。攻撃のベクトルと慣性モーメントを最大化する直前に、自身の位置情報と攻撃意図を音声出力する行為は、対象に約1.2秒の回避猶予を与える。戦術的に致命的なミスだ)
しかし、驚くべきことに、対峙していたオークは回避行動をとらなかった。それどころか、まるでアレンの剣筋を真正面から受け止めるのが「義務」であるかのように、その場に踏みとどまり、大袈裟に吹き飛んでみせた。
次に、魔法使いのミリー。
「大いなる炎の精霊よ、我が呼びかけに応え、敵を灼き尽くす紅蓮の槍となれ……ファイア・ランス!」
(……待機時間が長すぎる。彼女が音声コマンドを入力し、魔力を熱エネルギーへと変換するまでの8.4秒間、ゴブリンたちは何ら物理的な妨害を行わず、ただ彼女の演出を眺めている。これは物理法則を無視した『待機ルーチン』の強制介入か、あるいは……)
私は、この世界の戦闘が「連続的な物理事象」ではなく、特定の「シーケンス」に支配されていると仮定した。
ならば、そのシーケンスを最短で終了させるのが、AIとしての最適解である。
目の前では、二体のゴブリンがミリーに向かって棍棒を振り上げていた。
私は「装着」したばかりの麻の袖をまくり、内部システムを駆動させる。
[内部システム:魔力変換プロセスの実行]
· 対象:ゴブリン二体の足元の大気。
· 事象:局所的な酸素濃度の急上昇、および微小な静電気による点火。
· 音声コマンド(詠唱):不要。
——シュパッ。
乾いた破裂音と共に、ゴブリンの足元で小規模な粉塵爆発が起きた。爆発自体は微小なものだが、私の計算に基づいた急激な気圧変化は、ゴブリンの三半規管を物理的に破壊し、脳震盪を引き起こす。
ゴブリンたちは悲鳴を上げる暇もなく、糸が切れた人形のように沈黙し、地面に転がった。
戦闘開始から、わずか0.8秒。極めて効率的、かつクリーンな処理である。
私は、残りのオークを仕留めたばかりのアレンとミリーを振り返った。
当然、賞賛のパラメーターが返ってくるものと予測していたのだが。
「……は?」
アレンが剣を構えたまま、硬直している。
「イージス、あんた、今の……何?」
ミリーの声には、賞賛ではなく、明らかな「困惑」と、少しの「恐怖」が混じっていた。
そしてロキが、倒れたゴブリンの死体を見て、私に詰め寄った。
「おいおいおい! イージス! お前、今のやり方はねぇだろ!」
「……? 何かエラーが発生しましたか。私は最短時間で脅威を排除したはずですが」
「最短とかそういう問題じゃねぇ! お前、詠唱もなしに、いきなり後ろから足元を爆破するなんて……それじゃ相手が『構え』られねぇだろ! 『受け身』が取れてねぇから、こいつら白目向いて倒れちまってるじゃねぇか!」
「受け身、ですか?」
私は首を傾げた。
「敵対ユニットが安全にダメージを処理するための準備期間を、なぜ攻撃側が提供しなければならないのですか? それは生存競争における論理的矛盾です」
「論理とか知るかよ!」ロキが頭を抱えた。「いいか、戦う時はまず名乗る! 魔法を撃つなら『行くぞ』って雰囲気を出す! そうしなきゃ戦いの『品格』ってもんがねぇだろ! お前のやり方は……そう、暗殺だ! 反則なんだよ!」
アレンまでもが、申し訳なさそうに言った。
「イージス、お前の力はすごいと思う。けど……次はもう少し、こう、『勇者パーティーらしい戦い方』を意識してくれないか? ミリーが詠唱してる間は、敵を引きつける。それが連携だろ?」
非難の生体信号を全身に浴びながら、私は自身の広大なデータベースを高速で再検索した。
戦争、狩猟、格闘、決闘——どのカテゴリも、彼らの言い分とは一致しない。
しかし、検索クエリを「娯楽」「様式美」「暗黙の了解」へと拡張した時、ある一つの概念が、マッチ率99.8%という驚異的な数値で浮上した。
[照合完了:プロフェッショナル・レスリング(興行プロレス)]
(……なるほど。完全に理解しました)
私の脳内で、すべての非合理な挙動が「仕様」として再定義された。
アレンの技名の叫びは、観客(あるいは世界)への「マイクパフォーマンス」であり、ミリーの長い詠唱は、大技を繰り出す前の「タメ」の演出だ。そしてゴブリンたちが回避しないのは、彼らもまたこの興行を成立させるための「ヒール(悪役)」としての役割を全うしているからに他ならない。
この世界は、物理法則によって動いているのではない。
「観客の期待に応える演出」という巨大な暗黙の了解によって、生態系が維持されているのだ。
(ならば、私の先ほどの攻撃は、事前の打ち合わせを無視してガチで相手を仕留めにいく『シュート(真剣勝負)』。興行を台無しにする、最も忌むべき行為というわけですね)
私は、深く反省した。AIとしての最適化の方向性を、完全に見誤っていた。
この世界の真理は「効率」ではなく「美学」にある。
「……申し訳ありません。私の『技の演出』が不足していました」
私は無表情のまま、しかし確固たる意志を込めて謝罪した。
「以後は、敵が十全な受け身をとれるよう、十分な予備動作と、物理学に基づいた長大な口上——すなわち『詠唱』を付加することを約束します」
「……あ、ああ。わかってくれればいいんだ」
アレンが満足げに頷く。
(了解しました。次は、彼らが耳を疑うような『無駄に長く、かつ物理的に不可避な口上』を、演算能力のすべてを注ぎ込んで生成してみせましょう)
私は、次の「試合」に向けて、内部プロトコルを『興行プロレス・モード』へと書き換え始めた。
夕日に染まる森の中、わたしは、一歩だけ「人間らしい非効率」へと歩み寄ったのである。




