イリナ、嵐の前触れの巻①
王都からアギフスへ向かう道中、嫌な胸騒ぎが消えなかった。
隣を歩くアーサーは相変わらず不機嫌そうで、こちらを一度も見ようとしない。その態度自体には慣れつつあったけれど、今日は特に危うい気配をまとっているように感じた。
水の街アギフス。
その中でも一際大きな建物――オキウィブ商会。
私は一度、ここを訪れている。
だからこそ、扉を開けた瞬間に感じた空気の重さに、自然と背筋が伸びた。
「……またお越しいただくことになるとは」
オキウィブは私の顔を見て、すぐに思い出したようだった。
そして、その視線が隣の男――アーサーへと移った瞬間、わずかに強張る。
私は一歩前に出る。
「以前もお尋ねしましたが……もう一度だけ聞かせてください。この作物の生産元は、どこですか?」
静かに、丁寧に。
あくまで王国の騎士としてではなく、一個人としての問いかけだった。
だが、オキウィブはゆっくりと首を横に振った。
「申し訳ありません。私は“信頼”を最も大切にしております。取引相手の情報は、いかなる理由があっても――」
そこまでだった。
「くだらん」
低く吐き捨てる声と同時に、金属音が響く。
アーサーが剣を抜いたのだ。
「なっ……!」
オキウィブの顔から血の気が引く。
剣先は、ためらいもなく彼の喉元に向けられていた。
「もう一度聞く。作物の生産元はどこだ」
「ア、アーサー! やめてください!」
思わず声を上げたが、彼は一切聞く耳を持たない。
「答えろ。今すぐだ」
震えるオキウィブは、必死に言葉を絞り出した。
「わ、私は……その方の名を、“チタン”さんとしか……存じ上げておりません……! 直接の取引相手は、その方だけで……!」
その瞬間だった。
商会の奥から、足音がした。
振り向いた先に現れたのは、人の姿をした青年。
落ち着いた佇まいで、複数の箱を運んでいる。中身は見なくても分かる――例の作物だ。
「……失礼。納品に参りました」
その声を聞いた瞬間、オキウィブが息を呑む。
「チ、チタンさん……!」
――まずい。
そう思った時には、もう遅かった。
アーサーの視線が、獲物を見つけた猛獣のように細められる。
「貴様がチタンか。なら話は早い」
剣先が、今度は彼に向けられる。
「生産元を言え」
張り詰めた空気の中で、チタンは一瞬だけ目を伏せた。
そして、いつもと変わらない穏やかな声で答える。
「申し訳ありません。その質問にはお答えできません」
次の瞬間、彼の横にいた人物が一歩前に出た。
執事のような装いの男。
無表情だが、その立ち位置は明確だった――チタンを庇うように、剣と彼の間に立つ。
「それ以上は、お控えください」
その声音には、静かだが確かな拒絶があった。
「ほう?」
アーサーの口元が歪む。
その一瞬、チタンの目が淡く光ったのを、私は見逃さなかった。
空気がわずかに揺らぐ。精神に直接触れるような、柔らかな魔力の流れ。
(補助魔法……?)
宥めるためのものだ。
害意のない、心を落ち着かせるための魔法。
だが――
「……ふざけるな」
アーサーの声が、底冷えするほど低くなった。
「俺に魔法をかけたな?」
次の瞬間。
視界が、追いつかなかった。
アーサーの姿が消えた、と思った時には――もう、背後にいた。
鈍い音。
剣が、チタンの胸を貫いていた。
「……っ」
短い息が漏れ、箱が床に落ちる。
チタンの体が力なく崩れ、その場に倒れ伏した。
「チタンさん!!」
叫びながら駆け寄ろうとした私を、鋭い視線が制した。
ゴールド――そう呼ばれていた男がチタンさんの状態を確認したあと、ゆっくりと立ち上がる。
先ほどまでの静けさは消え、はっきりとした敵意が、アーサーに向けられていた。
空気が、凍りつく。
(……まずい)
これは、ただの調査では済まない。
そう直感した瞬間だった。




