イリナ、チタンと相対するの巻
チタンと目が合った瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。
理由は分からない。ただ、相手が危険だとも、敵だとも思えないのに、目を離してはいけない存在だと直感していた。
「失礼。こちらは本日の荷です」
チタンはそう言って、商会の使用人に向けて静かに書類を差し出す。その所作は洗練されていて、商人というより、どこか“仕える者”のようにも見えた。隣に立つゴールドもまた寡黙で、必要以上の視線を周囲に向けない。
「あなたが、この作物を?」
私は一歩前に出て問いかけた。騎士としてではなく、一人の人間として。
チタンは穏やかに微笑み、首を横に振る。
「私はあくまで運ぶ役目です。出所については、お答えできません」
拒絶の言葉なのに、不思議と角が立たない。
それどころか、譲れない一線を丁寧に示されているような感覚だった。
「信頼を何より大切にしていますので」
その一言で、これ以上踏み込むのは無粋だと悟る。
私は軽く息を吐き、剣の柄から手を離した。
「……そう。分かったわ」
それ以上は何も聞かず、踵を返す。
背中に視線を感じたが、振り返らなかった。
――その直後だった。
市場の奥で悲鳴が上がった。
魔力の乱れ。暴走した魔道具だとすぐに分かる。制御を失った水属性の装置が噴水のように暴れ、人々が逃げ惑っていた。
「下がって!」
私は剣を抜き、魔道具へと駆ける。
だが、刃を振るう前に、空気が変わった。
「――補助展開」
チタンの声だった。
次の瞬間、暴走していた水流が目に見えて弱まり、周囲に薄い膜のようなものが張られる。完全な制圧ではない。だが、被害を最小限に抑えるための、極めて実用的な魔法。
私はその隙を逃さず、魔道具の核を一刀で断った。
静寂が戻る。
周囲から安堵の声が上がり、誰かが拍手をした。
チタンはそれを意に介さず、淡々と膜を解除する。
「助かったわ」
そう声をかけると、彼は丁寧に一礼した。
「こちらこそ。あなたの判断が早かった」
短い言葉。だが、対等な評価。
見下しでも、媚びでもない。
――洗練されている。
魔法も、距離感も。
王国の魔導士とも、魔人族とも違う。
それでいて、民を守ることに迷いがない。
その後、チタンとゴールドは何事もなかったかのように荷を下ろし、市場を後にした。引き止める理由はなかった。
いや、正確には――引き止められなかった。
夕暮れの市場で、私は再び作物を手に取る。
指先に伝わる感触は確かに特別だった。生命力が強く、魔力の流れが安定している。悪意はない。ただ、育てた“意思”のようなものを感じる。
なぜか、胸の奥が少しだけ温かくなる。
その感覚が、記憶を呼び起こした。
不器用で、優しくて、世界から置き去りにされていた少年。
――マモル。
まさか、と思う。
彼がこんな流れの中心にいるはずがない。
それでも、今日出会った商人の背中と、あの時の彼の後ろ姿が、どこか重なって見えた。
「……生きているなら、それでいい」
誰にともなく呟く。
空は、今日も静かだった。
だが私は、確かに感じていた。
世界のどこかで、誰かが、ゆっくりと何かを築いていることを。




