73.九極天
ご無沙汰しております。
今回は、かなり短い上に只の説明だけになってしまいました。
展開遅い上に、更新頻度も低くてごめんなさい。
1-Aの生徒たちの驚き様は今年入学して最大の物となった。
まだ始まって二ヶ月も満たぬ高校生活。しかし、その中で自分たちはどれ程衝撃的な出来事に見舞われて来ただろう?
高校生活その初日から今までの人生で、そして恐らくは今後の人生でも最大の衝撃であろうと誰もが確信していた入学式の日。そしてその日から共に同じ教室にて過ごす、四大柱の家名を背負うクラスメイト(然も、三人!)。最早、その手のことには自分たちの価値観は麻痺させたものと思っていた。
だが、ここに来て更に驚くことになろうとは、1-Aの生徒にとってはある意味それも仰天の出来事である。
この1-Aの生徒を持ってしてもこれ程の反応をさせた相手、それが彼の与する組織『九極天』が如何ほどのものであるかという事をその態度を持って物語っている。
勿論、この日本に在って権力・財力・武力……あらゆる『力』というものに置いて四大柱のそれに勝るものはない。しかし、名誉というものに関して言えば、九極天は四大柱を凌ぐそれを誇ると言っても過言ではない。
『九極天』彼らを一言で表すならば、それは即ち"英雄"である。過去の大戦時の活躍は、社会科の教科書で習うより以前に既に承知しているのが当たり前なほどだ。
無論それは今代の構成員より数代も前の者たちの話であって、表面上は平和な昨今――新暦の開始以降――は活躍の場などそうはない。その平和には彼ら九極天という存在が、ただ『在る』というだけで抑止力として働いていることも含まれてはいるが、それを一般人が知る由も無し…………故に、今は形式的な組織として受け止められても仕方がない筈なのだ。
だが、そうはなっていない。
大々的にメディアに取り上げられることなどあるわけがなく、また最高戦力の一角たる彼らの情報など秘匿こそされど公表されようもない。しかし、それでも尚彼らのその強さは誰もが検めるべくもなく本物であると人々は知る。
例え明瞭なる活躍の場を見なくても誰もがそれを知る。それ程の重みを持たされた組織、それこそが『九極天』である。
そしてそんな彼らに求められる資質は当然『強さ』である。その他に必要とするならば、その強さを持ってして(個々の思惑は別として)敵対しないだけの分別と言ったところだろうか。
つまりは、生まれ・育ち・家柄・血統・名声それら全てが不要。強者でさえあれば誰でも――最大でも九名ではあるが……、だがそれ程の強者が九人全員揃うことの方が珍しい――入ることが出来る。そして、それ程の者たちを『法』を以て縛ることに意味を成さず『法外』の存在となる。その法外の者たちを指して『単独規則』。
戒律・条約・規約と言ったあらゆる規則が彼には適応されない。彼らは最早彼ら自身が一つの規則なのだ。必然的に彼らは四大柱と同等というを意味する。
どちらかと言えば、四大柱は『在る』のは当然ではあるが、『成る』ものではない。それは最早ある種『神』と同義である。凍夜たちの場合は、その存在が最早彼らの認識の範疇を超えすぎで居たために、逆に真の意味で彼らという存在を認識出来ていないと言ったところだ。クラス内で言えば、四大柱に連なる者は沙樹だけであり、真の意味で彼らの存在の大きさを知った上で尚、対等に付き合っているのは彼女だけである。
四大柱の名よりも九極天の名により大きく驚いたのは、(かなり遠い存在ではあったとしても)どしらかと言えば自分たちにより近い大きな存在だからだ。小さい頃には誰もが一度は『成りたいもの』として夢に見るもの。その憧れの存在が目の前に居るということに、皆は強く驚くことになったというわけである。