66.あるがままに
「いたい…………」
全身を激しく突き刺す様な痛みに1-Aの生徒の一人たる荒木香恵が体を抱く様にして膝を屈した。
「香恵っ」
席が近いことから親睦を持つようになったクラスメイト浅野真澄が、気遣わしげに声を掛ける。だが、その真澄にしても平気ではない。彼女の頬にも、涙が筋となって滴っているほどだ。
そうなっているのは彼女たちだけではない。
今作戦に協力しているものたちのその殆どがこの様な状態に陥っている。老若男女の例外なく、女生徒だけではなく男子生徒も、将又正規の軍人までもがである…………
その中でも酷い者となると、泣き叫ぶものがいたり、気を失っていたりと本来ならなんの変哲もないただの付随作用の一つに混乱させられていた。
「馬鹿な……あり得ない…………、そんな話は聞いてないぞ…………」
その中で驚きのあまり我知らず零れた囁きは、幸いにも喧噪の中に消えた。
※※※※
魔導波は魔術の施行には絶対的に発生する。上級者ともなればそれを気取られぬ程に押さえ込むことは可能ではあるが、それでも完全に消すということは出来ない。
よって、魔導波の隠蔽能力は重要なアドバンテージとなる。死角からのアクションや不意打ちの成功率はこの能力の高さがものを言うからだ。
だが、別にこれはそれだけには留まらない。
如何に相手から自身の魔導波を隠せるか。どれ程相手の魔導波を感じ取れるか。一流の魔法師たちが対峙する際はこの二つに留意するのは常である。しかし、魔導波の隠蔽に関しては一流の魔法師たちだけに限ったことではなく、全魔法士に共通する切実なる問題を孕んでいる。
魔導波……より正確には活性波ということになるのだが、それには活性化時に想いの一部を付加してしまうという特性、ドゥイフという現象があり、活性波に付加されたその想いは波動を受けた者に容易に知るところとなってしまう。
他人に想いをそのまま伝えるということは、多くの場合に置いてその内容に関わらず伝える側には相当の覚悟をしいるもので、それこそ決死の覚悟をしなければならないときだってある…………それに加えて、対象も任意に特定出来ず誰彼構わず想いを吐露していたのではプライベートも何もあったものではない。
今日まで魔法の発展開発・使役をすることが出来てきたのは、そのドゥイフを押さえ込む術を身につけることが出来たからというのは間違いない事実である。
その方法とは実に簡単である。概念付与、強制的に発生してしまうものならば付加する想いを任意に指定するまでだ。
〈魔法は心の写し鏡、強き魔法は強き想いより生まれる〉
今ではそれが幼き頃より自然と教えられるもので、逆に意識をするとこがない程に浸透している言葉だ。
アストライズ自体は難しい技能ではない。要は、強く何かを思い、想いを宿すこと、それがアストライズである。
魔法の使用時は魔法のみに意識を向けさせる。ただそれだけのことでいい。それの応用として、『無心』へ近づける者が活性波そのものの発生を押さえられる様になる。
だが、後者は簡単なことではない。しかしそれでも月日を、代を重ね多くの魔法士たちの努力の結果として、近年の魔法に置いては露骨なドゥイフは殆ど感じられることはなくなっている。また、社会的にそれが好ましくないという風潮にもあるために、逆に想いそのままを乗せることが難しいという者までいる。
今はそれ程の世の中になった…………
だが、今の凍夜の魔導波はどうだろうか……
涙する程に悲壮な感情を余りにも露骨に、痛む程に痛切に叩きつけた。
※※※※
『凍夜』を使うのを躊躇った理由は幾つかある。
確かにその一つとして、この無様な自分を想いを他人に知られたくなかったというのもある。だが、それ以上に凍夜を使うことによって引き起こされる事態を考えれば大したことではない。
そして、この炎神を倒すためだけならば、その問題を考えればそれもまた大したことでない…………
それでも尚、凍夜を使わねばならぬ理由について、戦闘中もずっと考えていた。
凍夜を使うことに確かに意味はある。
七年もの間凍夜が沈黙しているというのは、それだけでも十二分に他国に要らぬ懸念を与えている。その上、今は九極天が半数しかいない状況で、明らかに戦力不足だと言える。
それでもこうして日本という国が存続出来ているのは、『血晶結界』という比類なき魔法の効果と、日本の誇る最強の武装組織『九極天』に在籍する凍夜を抜く二人のAランク魔法師の存在、そして世界最高峰の攻撃魔法『凍夜』への警戒があるからこそだ。
結晶結界は諸刃の剣でしかない。今は武力という面にて他国を牽制できるが、それが脆弱と知れれば他国は挙って奪いにくることは明白だ。そうなれば、協定などというものは何の役にも立ちはしない。寧ろ、レプリカで甘んじてた大国が、その庇護の下で力を蓄えている今、ここぞとばかりに攻めてくることだろう……
故に、ここで凍夜の健在を知らしめることは、ヒュストレムの件を抜きにしたとしても必要なことだ。
だが、それだけではまだ弱い……普通に考えるならば十分過ぎる理由だが、こと彼が彼女たちを悲しませてまでと考えるとやはり弱いと思わざるを得なかった。
しかし、海へ落とされたときにそれらの考えが全て吹き飛ばされた…………
何もこの体の無事を願うのは彼女たちだけではない。自分だってその一人なのだ。
理由は彼女たちのそれとは違うものだ。異なる想いを比べることなど出来ようないことだが、彼女たちの想いよりも自分の想いのそれの方が強いという自負がある。
その自分がこの体を守るために、この体を傷つける。その相反する所行を、何より自身の意志を持って行わなければならない。
そこから来る想いは到底、技術云々で覆い隠せる程に廉いものではなかった……
※※※※
『なんなのだっ! なんだと言うのだその右眼はっ?』
まだ何もされてはいないというのに、神たる筈の自分がこれ程にまで狼狽えさせられている。
それ程に異様な気配を凍夜の紫の眼は醸し出していた。
「この眼か? この眼はな魔法の眼だよ……」
深いく沈むような、響きのない冷たい声で凍夜が答える。
「真に叶えたい望みは何一つとして叶えてはくれない、魔法の眼…………」
肘先から無くなった筈の右腕がいつの間にか元の形を取り戻し、その右手が右眼を外して顔を覆った。
「消滅と死を撒き散らすだけのただの兵器さ」
嘗ては誇ったそれが、いつしかただの重荷となった頃、それを『希望の眼』だと言った人がいた。そして、その人こそが、その言葉こそが自分の希望となった。
しかし、その希望すらも砕け散り自らの意志で破滅を選んだとき、そんな自分を最後まで友と呼び続けた友は言った『それでも、その眼は人を救うためにあるのだ』と…………
(そう、こんなものはただの兵器だ…………だが、それでも……)
「魂の通ったなっ!!」
自分とは切っても切り離すことの出来ない、紛れもなく……どうしようもなく、自分の一部なのだ。
《凍夜一閃!!》
紫の閃光が神の体を貫いた。
(何だ、今のは一体……?)
光が貫いた筈の自分の体を見ても別段変化はない。貫かれて穴が空いたわけでも、傷を負ったわけでもない。
しかし、確実に違和感があった。それも違和感などと言う生易しい感覚でなはい。
それこそ、生ある者ならば命の危険を感じる程の危機感……それを神たる自分に感じさせた。それだけでも十二分に驚異だと言えることだ。
それ程の代物が何もない訳がないのだが、今は貫かれた瞬間の違和感以外の効果は感じない。
だが、それだけだというのが腑に落ちない。それがかえって『神』である自分に嘗て感じたことのない違和感を感じさせている。
その違和感が何であるか、『神』であったこの者には理解出来なかった。
だが、その感覚に対する追求よりも今は目の前に存在する不可解な技に意識を奪われていた。
見えなかった……
閃光そのものは確認出来た。しかし、それが自分に届くまでを見ることが出来なかった。
神眼という目に捉えられない速度はない。
物が移動する。その過程が存在するのなら確実に捉えることが出来る。
それが、叶わなかった。彼の目が光った瞬間と同時に、彼の目から伸びる一条の光……それが、自身を貫いたということを理解したのは、自身に言いしれぬ違和感を感じてからだった。
「っち、“はずした”か……」
その声に視線を戻すと、既に目の前に少年の姿はなかった。
どこか? っと視線を巡らせ上方に少年の姿を捉えることが出来た。
見ている間にも少年との距離は離れていく。そして…………唐突に視界が何かによって遮られ少年の姿を見失った。
※※※※
はずしたという言葉は正確ではない。眼は正確に炎神を見据えて捉え、魔法は確かに命中した。
本来ならば消滅させる筈だった。そのための凍夜、そのための鼓舞唱という伏線、そのためのミスティックフィールド:『夜天蓋・新月』。
万全を期した筈だがそれでも及ばなかったのは、凍夜という魔法の特性が強すぎたことと威力が弱かったためだ。