64.戦神VS炎神2
『ほう、やはり我に触れても無事なのかその刃は。触れられぬ筈のものに触れるか? となれば、貴様の言葉も強ちただの虚栄ではないようだな、ほざくだけのことはある』
刀の刃に平然と触れながら感心した様に言ってくる。
『我が』ではなく、『我に』というのは慢心ではない。
本来ならばそうあるべくしてある。それを誰より自身で知っているが故でのことだ。
『だが、なまじ“触れられる”ということで勝機を感じている様ならそれが誤りであることを教えてやる』
瞬間的に押し込まれ、凍夜は後ろに飛び退いた。
この場合においてこの触れるということには二つの意味がある。
「まさか、“こんな程度”で神に勝てるなら誰も苦労はしないさ」
一つはそのままの意味。そもそも触れることが出来ているということだ。
この者は正しく『神』としてファナによって召喚された。
現在召喚系の魔法を得意とする地はエジプトであるが、そのエジプトの高位の召喚師ですらもこれ程忠実に神を呼び寄せる者がどれだけいるだろうか。
彼女の召喚はそれ程に高度な技術だ。
召喚には三段階ある。
具象化の魔法や錬金系の魔法によって作り上げた傀儡と言われる意志無き人形を操る式神術、傀儡或いは人や物などの媒介に疑似人格(実際に人であるとは限らない)を憑依させる憑霊術、そして媒介を用いずにその存在そのものを顕現させる降臨術。
先程凍夜が行ったのも召還で、魔粒子を媒介にして行われた憑霊術だ。そしてこの者は紛れもなく降臨術によって召還されている。
媒介無くして呼び出されたる神、一次限の物質界にも二次限の非物質にも形としての存在を有しておらずただそういう存在という概念として存在するのみの者。
故に、本来ならば触れられぬ存在。
彼はその筈である存在に触れる術を有する魔法師でも高難度の技術を駆使している。それを“こんな程度”と言ったのは、彼にとってこの技術が容易いというよりは、相手の存在がその技術よりも遙かに厄介であるところから来るものだ。
《BIBGM:Doubt&Trust~ダウト&トラスト~/access》
「だから…………恥や外見なんてもんはかなぐり捨てて、今の俺に出来る最高を出さないとな」
相対する神は眉を顰める。
『なんだこの音楽は?』
「まあ、言ってみりゃ俺の鼓舞唱ってところかな」
『鼓舞唱だと?』
鼓舞唱とは、戦に赴く者を奮い立たせるための歌で、音振法術による魔法が込められているのが普通だ。
だが、この音楽はこの空間一体に満ちる魔粒子を彼の意志で音という概念を伝播させて発せられている。
人の耳には『音』として届くが震えている訳ではので、これでは音振法術は発動しない。
確かに、実体のない概念体にはそういう攻撃方法もあることにはあるが、この音にその性質はない。
『我は炎神という猛る神として戦神の一つとして崇められる一つではあるが、この様なものを聞くのは初めてだ』
「だろうな。こいつは俺の趣味だ。俺が聞いて“楽しければ”それでいい」
『楽しむだと?』
「ああ、そうだ。俺は気分屋でね。テンションの上がり下がりがそのまま戦闘力に影響を及ぼすタイプなのさ。今はこうして好きな音楽でも聞きながらじゃないと、とてもじゃないがアンタの相手は務まりそうにないからね」
『幾ら足掻こうとたかが人間一人が、貴様ら自身の種族の集合意識によって生み出した我に勝てるとでも?』
「やってみれば分かるさ」
凍夜は不敵に口を歪ませて笑うと双刀を構えて斬りかかった。
※※※※
現代社会に置いて基礎体力向上以外が目的での筋力トレーニングというものは非常に珍しい。今時そんなことをするのは、非魔法系のスポーツ選手くらいのものだ。
非魔法系のスポーツは、魔法が関与しない人間が本来持つ身体能力のみで競うことに意義を感じる者たちが行っているので、効率面でのことは関係なく非魔法であることに意味がある(但し、魔法を否定的に捉えている訳ではない)。
確かに競技の水準としては魔法競技に劣るとしても、人間本来の限界をめざし己を鍛え上げた者たちの攻防は非魔法ならではの魅力があり、そのファンの数は魔法競技にも劣るものではない。
しかし、そのファンが選手たちと同様に非魔法であるとこに拘って何かをするかと言えばそれはない。
何しろそれによって得られるものがないのだから当然だろう。
彼らは飽くまで観戦する立場であるからこそ心躍らせるのであって、それを自己投影したいとまでは思っていないのだ。
それもその筈で、理由は実に明々にして白々“意味がない”からだ。
幾ら肉体的なトレーニングを積んだとしても、その向上率は下手な魔法の足下にも及ぶことはない。故に、殆どの者にとってそれは無意味であることなのだ。
トレーニングで得られる能力値は時間が掛かる上に強化魔法による向上率と比べるべくも無い、元々からの身体能力に左右されるために確実性にも欠ける。強化魔法の向上率にも個人差は存在するものの、それでも肉体的トレーニングで得られる期待値よりも遙かに大きく何より一時的ではあっても確実だ。
それに加えて、強化魔法により得られる能力値は肉体的能力に依存しないという点も大きい。
どういうことかを例えるならば、屈強な体格の者と貧弱な体格の者の両者が力比べをしたとして、肉体的能力のみでは圧倒的に後者が劣っているとする。しかし、魔法による作用を受けたならば拮抗又は逆転の可能性もある。
魔法強化による向上率は魔法技術に起因し、限界値は肉体ではなく霊体に関係する。
そして、能力値・限界値の向上には勿論のこと修練が必要ではあるし向き不向きもある。だがそれでも一般的に得られる能力値、最終的ポテンシャルはほぼ等しいと言ってもいい。
その上での優劣は運動能力の優劣ではなく、それを駆使する者の裁量次第というのが“一般的”な捉えられ方だ。
魔法というものは、意識的にも無意識的にも脳を駆使する。
本人にとっては、魔法は発動させれば終わりという感覚でしかないが、実のところはそうではない。パッシブスキルはその最たるもので、その発動の維持には脳の(一般人の場合)無意識領域を使用している。
つまり強化魔法の限界というのは、脳の限界であり人間の限界ということだ。
それ故に、同じ人間である以上多少の差はあるものの、基本的な上限に大差が生じない。
戦いというものには二種類ある。
一つ目は戦力と戦力とがぶつかり合う戦争、そして二つ目は個々が渡り合う戦闘だ。
戦争と戦闘はそれぞれの求める結果が勝利であることに対して、結果を導く手段には大きな違いがある。
戦争に重要な要素はより広範囲で高出力の圧倒的な戦力。一方戦闘で重要なのは確実性。という風に今の世では言われている。
確実性という言葉を分かりやすく置き換えるならスピードだ。
相手より速く動けば攻撃は当たらない、相手の攻撃が当たらなければ負けはない。逆にこちらの攻撃は当たり、勝機が上がる。
勿論全てのことにこれが当てはまる訳ではない。だが、往々にしてハイランカーの魔法師の攻防が激化すれば行き着く先がそこであるというのは事実だ。
だが、それでも頭打ちはそう遠くない。そしてこそが一流の魔法師と凡庸な魔法師とを隔てる一つの基準と言われている。
スピードを上げるということはただ魔法を使う以上に脳を酷使する。
速度を上げれば上げる程に周囲の認識は困難になる。それは速度に対して脳の処理速度がついていかなんくなるからだ。故に、通常の魔法師ならばその限度は脳が処理しきれるまで、電気信号の限界ひいては光の速度の限界と言ってもいい。
魔法による限界はまだ先であったとして、それ程の速度を出しても物を捉えることが出来なければ意味がない。
瞬発的なものであるならば『感』でどうにかなるだろうが、連続的な使用は危険極まりない。
本来ならそれを人間の限界として受け入れるのが普通だろう…………だが、一部の魔法師たちはその人間としての限界をも超えようと思考した。
そこで魔法師たちが着目したのが光を超える情報伝達媒介だ。
魔粒子には一次限に置ける法則は存在しない。つまりは魔粒子に速度的限界はない。
その性質を利用し魔粒子を電気信号の代わりに使う術を編み出した。
それが、通称を演算魔法とも言われる世紀の大魔法『ジノープス』。思考から発生する電気信号を魔粒結晶へと置換する魔法だ。
理論上だけでなら、人間の限界を無くす、究極の魔法とも言われる代物だ。
魔粒結晶というのは、概念を魔粒子に概念結合させることによって物質・非物質の両方に干渉可能な中性物質で、それを電気という概念を概念結合させることで物質界の電気と同じ性質を持った魔粒結晶が作られる。
概念結合自体は魔法ではなく魔導ではある。よって、理論的には万人に使用可能の筈の魔法だが、実際にこの魔法を扱うことが出来るのは一部の魔法師たちで、その者たちこそ世間では一流という扱いを受ける。
※※※※
《BIBGM:瞬間センチメンタル/SCANDAL》
今目の前――とは言っても、距離的にはかなり掛け離れているが――で行われている『戦闘』も激化と言われる言葉に相応しく周囲に撒き散らす破壊力を高めながら、そのテンポも段階毎に増していく。
「なあ見えてるのか?」
智之は隣の修之に問い掛ける。
「いや。七曲目から既に限界だ」
「七曲!!」
智之にとってはそれだけでも驚きだ。
現在は凍夜が流す音楽は今が九曲目、智之は四曲目からはチラチラと姿が垣間見えるだけで、戦況の把握は出来ずにいる状態だった。
凍夜と炎神の戦闘は派手さを伴わずに細々と始まった。
凍夜が両の手に構えた刀で剣の舞を披露するかの如き鮮やかさで連撃を撃ち放ち、炎神がそれを受け止めて隙を作っては反撃をする。
始めは海面のみであった筈の戦いは、今や海上という空間全体を使いしかしそれでも尚、両者共飛び道具は無粋とでも言うかの様に直接的な激突のみを繰り返す。
凍夜は曲が終わるとまた新しい曲を流し始め、曲が変わる度に速度が飛躍し戦闘のテンポまでもが変化した。
只音を響かせるだけだった両者の撃ち合いは、いつしか衝撃を生み両者がぶつかる度に海面を荒立たせ、避ける度に雲が裂かれてまだ南中に達していない太陽の姿を覘かせる程にまでなっている。
今では、衝撃音と海面の爆せる現象だけが、二人がまだ戦っているという証だ。
この戦闘をリアルタイムで把握出来るものは二人と同じ領域にあるものだけだ。そして、それはこの場には二人だけしかいない。
「妙ですね」
「確かに…………」
誠吾の言葉に詠歌は同意の意思は示す。
「何故、あの炎神をなのる者は放出系の技を出さないのでしょうね?」
「恐らく、それはダイヤの所持者を炙り出すためでしょう。端から炎嵐自体を解体されてアレを呼び起こすところまで奴らの計画の内だった」
流石にここまで来たら背後に奴らの関与が見えてくる。誠吾は成る程と相槌を打って続き引き継いだ。
「知らず罠に掛かった我々が浮き足立って所持者に頼るのを狙ったか…………」
「或いは全員始末してから後から奪うつもりだったか……というところでしょう」
「狡猾ですね。実に奴ららしい…………」
凍夜の戦闘を見る限りで読み取れる情報をつなぎ合わせるとこんなところだろうか。
彼は斬りつけるその瞬間以外は炎神との距離を空ける様に間合いを取っている。そのことから推察するに、炎神の名に相応しく奴は熱量を司っているのだろう。
凍夜が警戒する熱量をほこっている。それが、二つ目の触れられぬ筈の理由、本来なら触れた瞬間には灰になっている筈なのだ。
だが、そうであるのにも関わらず大気に変化はなく。海水も熱を加えられた変化は起こっていない。
つまり、その存在が認識出来ているのが人間であるだけであるあの炎神はその存在と同じく、知覚出来ている者のみを対象にしてのみ力を発揮する様にしてあるのだろう。
確かにそれならば所持者を判別出来てなくても、全ての関係者を屠ったその後でダイヤを無傷のまま手に入れることが出来る。
それが万事上手く行くとは向こうも思っていないだろうが、それでもこれは計算違いに違いないという確信がある。
何しろ、これはあまりにもこちらの予測の範疇も超えたことであるからだ。
奴らのやることはいつも大掛かりでいて更に傍迷惑極まりないものばかりだ。
それ故に、天の厄災よりも悪質極まりなく、悩ましい限りだというのは分かる…………分かるが、しかし…………
「詠歌さん? どうかしましたか?」
その奴らと渡り合ってきた詠歌がこれ程にまで取り乱すというのは些か不自然過ぎた。
それを気に掛けた誠吾が詠歌に気遣わしげに問い掛ける。
「妙なのですよ…………」
誠吾の問い掛けに詠歌は素直に答えた。
下手に隠そうとしても相手は、四大柱の一柱を担う大柱たるその一人。そうそう隠し通せるものではない、今の状態では尚更だ。
「妙というのは?」
勿論先とは違う論点のことであることは疑いようがない。だが、それが何であるかは分からない。
誠吾自身には先の違和感以外は感じていないのだ。
「凍夜の動きが妙なんです。動きにいつもの精細と華がない……確かに鮮やかに舞っている様に見える。が、どこかぎこちなさを感じるのです……」
「当たり前だ」
詠歌の感じる違和感に、返ってくる筈のない答えが返ってきた。
答えたのは神埜だ。
「目覚めたか」
「見れば分かる」
しかし、まだ完全な覚醒とは言えない様で神埜は片手で頭を抑えて獄炎嵐対策本部の仮設テントから出てきた。
「大丈夫ですか、神埜さん?」
「ああ、問題ない」
誠吾が手を貸そうと差し出したがはね除けられた。
凍夜が気絶させたと沙樹たちから聞いていたので、目が覚めたならば問題はない筈だ。彼女の状態を考えれば少々酷ではあるが、今は一刻も早く事の詳細を聞きたかった。
「神埜、起きたそうそうで済まないが、それはどういう意味だ?」
「そのままの意味だ。アレは『あの人』じゃ――――
パーーーーン!!
神埜が言い終わる前に、何かが弾ける轟音が響き渡った。
「何だっ!」
詠歌が叫ぶ。
神埜に視線を向けていた詠歌と誠吾は何が起きていたのがを見逃していた。
「凍夜が落とされたっぽいさ…………」