59.神住まう厄災
忍び足を捉える方法それは見ないこと。
真正面から向き合おうとするとその効果で拐かされる。
忍び足の効果は見ようとする意識に作用し、術者を意味のないものと認識させることで、見ようとしている対象が意味を成さないために、視えないと脳が錯覚を起こす。
だが、元から見ようとするではなく、視界の端に不意に捉えただけならその姿を見ることが出来る。
興味のないものが目の端に掠めたとして、そのに『何か』があるということは分かったとしてもそれが何かまでは分からない。所詮見ようとするでもなしに見たものは元から意味を成していないからだ。
元から意味のないと判断されているのだから、それ以上の変化はない。それ故に見ることが出来る。
しかし、それを故意にやろうとするとなかなかに難しい。
それに意識を集中せずに、それを捉える。言うは易く行うは難し、一朝一夕とは行かないのが普通だ……
それを1-Aのクラスの者たちは僅か50分という授業の中でやってのけたのだから大したものだ……と、言っても差し支えないし、実際彼らの努力は認めるところではある。
だが、この事態の功労者はやはり凍夜である。
丸っきりの素人である彼らに、それを意識させずしてその方法を身に付けさせた彼こそ、誰よりも称賛に価する偉業だと言えた。
今時高校生にもなって雨に濡れるということは非常に珍しい。
方法は十人十色なれど皆一様に魔法を使用するためだ。
勿論凍夜とて平時であればそうならない様にするための手段を持ち合わせている。
しかし、あの時は忍び足を使用していたためにそれは叶わなかった。
出来ないということはない。だが、喩え幾多もの術や技を体得した凍夜と言えども、それを幾重にも渡って使用することは容易なことではない。
それに、あの場ではそのままにしておくことが皆のためでもあった。
その甲斐あってクラス全員が凍夜を捉えられる様になるまでに至った。
本来、あれは体育の授業であって魔法教科ではないので、凍夜が教えを説く義務はない。更に言えば、こうして学校という組織で教えるということ自体が詠歌によって押しつけられている状態であるとも言えるので、義理すらもない筈なのだ。
そうである筈の授業を一人ずぶ濡れになりながら終えた日から数日、その雨は未だにあがってはない。
それどころかその勢いは増すばかりだ。
テレビの放送では『嵐』――つまりは、魔性乱流の影響というだけの情報しか流れてはいない。
四月という時期でありながら……否、最早これ程にまでとなると季節など関係ない、それ程までにこの降り注ぐ雨は温かかった…………
※※※※
幾人かの者たちがだだっ広い和室に詰め寄り、事態の再認と打開に向けての話し合いを繰り広げている。
そこに集う者たちの面々たるやこれ以上ないという程に"錚々"と云うに相応しい。
「事情はともあれ、目下の最優先事項は如何にして“あれ”を消し去るか……ということろね」
「『九極天』に吹き飛ばして貰うってのはどうさ?」
「無茶を言うな、あれだけの規模だ。それを力でねじ伏せたらその後がどうなると思っている」
「分かってるさ。たんなる冗談さ……」
「なら、中和を計るというのはどうでしょうか? 今回のは、イーフリーハビテット。更に不幸中の幸いとして、あれはまだ海の上です。強力な水気で中和出来るかと思います」
「ああ……、そいつは多分無理さ……。詠歌姉さん」
「何故だ継貴?」
詠歌から問われた月友継貴は、自分でも半信半疑である内容を戸惑いがちに口にする。
「あの獄炎嵐はただの魔性現象じゃないのさ……」
「どういうことです?」
今度は緋捺璃樹澄が問いかける。
何しろ彼の言葉は捨て置けない。
だたの魔性気象ではない。というのなら分かる。
天の厄災は、地の厄災と並ぶ最悪の厄災。
その驚異は日本であっても捨て置くことは出来ない。
血晶結界の効果で国内にて発生することこそないものの、外で起きてしまったものまでは然しもの血晶結界もその力を抑えることは出来はしないからだ。
しかし、彼は魔性現象を指して“ただの”と、そう言ったのだ。
「オレの見立てじゃ、あの魔性乱流は確かに規模は大きかったけど、精々気象変化で留まる筈だったのさ…………
それがどういう訳か、急に火気を帯び始めて数時間で獄炎嵐の出来上がりさ。更に、オレ自身で確認してきたんだが、あれは一次限現象じゃないのさ……」
『オレ』の発音に訛りを効かせ、危機的な内容とは裏腹に独特のユッタリとしたテンポで継貴は話を続ける。
「あれは見た目は普通の炎だけど、二次限事象だってことさ。
今の雨は確かにあれの影響だけど、直接的に起こってるわけじゃなくて、二次限層からの熱量概念を受けているのさ」
その話を聞いて一同は俄には信じがたい話に渋い顔をする。
だが、誰も継貴の言っていることを疑っている訳ではない。
皆が信じがたいのは事柄の異常性…………
魔性気象というものは自然現象だ。風・日差し・波その他様々な自然現象が複雑に織りなすことで起きる法術による魔法の気象変化。
二系の様に導的効果を現すだけでは済まない、法術の第一系による本当の魔法の現象。
自然現象であるだけに、起こる事象は様々で今回の様な炎嵐、その他に雷・恍・重・時などさまざまな現象がある。
だが、今までに観測されたことのある現象全てが今のところ一次限層――物質界における現象だった。
今回の獄炎嵐は見た目通りの代物ではないく、二次限層――非物質界における事象だというのだ。
確かに自然から発生する法術なのだから、何があっても不思議ではない。
しかし、今までに起こったことのないことだけに皆困惑している。
更に、この事柄が二次限層ということになるとその干渉は高位の魔法師と言えど、そう容易いことではないだけに、頭を抱えているのだった。
「さっきのお前の冗談も、本気で考慮しなくちゃいけないかもな…………」
齢三十五にして羽月の頭首となった若き(なれど)獅子と呼ばれる誠吾は、先ほどは自分で即座に否定した継貴の案を再び挙げた。
「そうすると米帝からの抗議は覚悟しなくてはね…………」
樹澄も苦笑を交えて中半本気で対応策の検討を既に頭の中で考え始めていた。
「月友公、あれの解析はどうなっている? 表層的な部分は兎も角、発動の術式が解ればまだ手の打ちようもあると思うが?」
「残念ですが紫司公、そいつは人間には無理さ。
オレたちが気象を解析する方法は、現象からの逆算なのさ。それが可能な法術の組み合わせを膨大なデータの中から照らし合わせて発動術式も求めて行くって方法さ。
でも、今回の様に前例がないんじゃ、それは無理なのさ……」
「ならば、貴公らの『過去視』ではどうだ?」
「それが出来ないから人間には無理なのさ……
オレたちの過去視の能力は万能じゃないのさ。
過去視ってのは、零次限層に介入して情報を読み取る能力の一つさ。でも、何故零次限に直接介入する能力なのに、オレたちはいつも現地・現物に直接触れるか考えたことあるさ?」
過去視の魔法、それは月友の所有する魔族としての固有魔法。
各魔族家系の固有魔法はその秘密が外部に漏れない様に、同じ魔族同士であろうとも、喩え彼らを統括する四大柱であろうともその詳細までは知らない。
「零次限には全ての情報が漂ってる、その中から必要な情報を見つけ出すっていうのは、それだけで一生掛かっても為し得られない大仕事なのさ。
オレたちが現物に直接触れるのは、それを出来るだけ限定的にするためにやってることなさ」
「つまり、直接触れられない二次限層のことは調べられないということか……」
「それも理由に挙げたいところだが、実はそこじゃあないのさ……」
「どういうことだ?」
「確かに容易なことじゃないさ、でも今回の場合ならまだ絶対に無理ということもないのさ。
でも問題なのは情報量の方なのさ。
自然現象っていうのは、それだけで物凄い情報量さ。その情報量は、とてもじゃないが人間一人の脳でどうこう出来る量じゃあないのさ……
それに、アカシックレコードから情報を引き出す際は、その情報に応じて最低限の回線が繋がってなきゃいけないさ。オレの脳じゃ、まずその情報の一旦すら引き出すことは無理さ」
継貴で無理だとするならば他の月友家の者でも無理だということだ。
彼はそれだけの力を持っている。それは、ここにいる誰もが認めていることだ。
「ならば、やはり力押しで消し飛ばす方法しかない……ということか…………」
詠歌も力なく呟き唇を噛みしめる。
最終的判断を仰ぐべく、皆は今まで一言も挟まずただ鎮座する蒼縁の頭首たる哲生に視線を集中させた。
「一つ確認する……」
そして、その状態で幾ばかりかの時間が過ぎ漸く哲夫の口が開いた。
「お主の言い方だと、丸で“人在らざる者”ならば可能だと言っている様にも聞こえる。それはどうか?」
哲夫は継貴を見るではなく、質問のみをして眼を閉じたまま座している。
一同は、哲夫に向けていた目を継貴に向け直した。
「流石は蒼縁公さ。
まあ、オレも実際のところ『彼』の能力を知ってるわけじゃあないさ。だから、恐らくという推測でしかないさ」
それを聞いて(哲夫以外の)一同は更に顔を曇らせる。
「…………私は、出来ることなら彼にはあの一件以外関わらせるべきではない。と、そう思っているのですがね………………」
「私も同感ですね…………まあ、こればかりは“我々部外者”がどうこう言えたことでもないでしょう…………
だが今は、事態が切迫している。選択の余地があるとも思えませんがね……」
樹澄と誠吾はその判断を委ねた。
こと彼に纏わることは、自分たちは直接的に関係していない。しかし、当事者たちにとって彼という存在がどういう存在なのはか知っている。
それ故に、当事者たちのことを慮って自分たちは口を挟むのを辞めたのだ。
「あれはそういう存在だ。そうあるべくして生を受けたのだ。今更を気に病む必要はない」
哲夫はそう言い切った。
「ともあれ、あれにどれ程のことが出来るとも分からん。取り敢えずは、あれとの話を付けねばな……」
「ご子息をこの一件に?」
康嗣は分かっていてもやりきれないと云った表情で哲夫を見る。
だがいついかなるときも、日本の行く末を担うこの男の表情にはただの一点の陰りも見つけることは叶わなかった。
「“場合によっては”な。妙案があるなら聞こう……ただし、時間はそうはない」
場合によって…………哲夫はそう言ったものの、それがほぼ決定事項であることは誰にとっても明らかだった。
彼の存在が表舞台――自分たちの活動の場であって、歴史の表舞台ではない――にあがる。
そのことに誰もが何かを思わずには居られなかった。
しかし、事態は更なる転換を見せた。
『彼』が自らの意志をもってそれを拒絶したのだ。
そして、哲夫が口にしたその妙案をその彼の口から聞こうとは誰も予測していなかった。
※※※※
業炎渦巻く大天災
底から吹き上がるだけでは足りない、天上から降り注ぐもまだ足りない……
見渡す限り一面に広がり、そこかしかで龍が群れをなすが如く蠢き、忽然と姿を消してはまた這い回る
恐ろしくも幻想的で魅惑的な光景に、人は『神』の存在を見出した
その様は正に、『炎神の住処』
全てを灰にする炎神の以外の所行だとは誰も思うことはなかった