58.始まりの雨
今日の1-Aの体育の授業はいつになく賑わいを見せた。
そして、それには凍夜という存在が関与している。
今まで体育の授業は見学だけだった凍夜が初めて参加したのだ。
凍夜は今まで『体調不良』を理由に体育を休んでいた。それは、高校に入ったときからではなく、中学時代からそうだったことなので、それを誰より驚き心躍らせたのは沙樹だった。
だがそれは当然のことながら全員が全員、沙樹と同様にして同等に思った訳ではない。
しかし、それでもいつにない熱意を掻き立てられたのは間違いなく凍夜の存在があった。
凍夜たちの登校時間は比較的に早い方だと言える。
転送装置がある今、殆どの者にとって登校時間や登校距離というものは自宅から駅までのものであると等しい。
となれば、時間ギリギリまで自宅にいたい――元い、寝ていたいと思うのは人の性だろう。
例え周囲からエリートだなんだと言われようが、彼らとて普通の高校生である。朝の時間をゆったり過ごしたとて何ら不思議ではない。
ということで、大多数の生徒たちの登校時間は予鈴の十分前当たりがピークとなる。
凍夜たちの登校時間は更にその三十分前頃だ。
前時代なら早いと言われる程ではないが、今の時代では十分に早い時間だと言えた。
だが、"学校で"何かをする訳でもない。寧ろその前……登校そのものが、小夜にとって重要なことだった。
小夜にとって"登校の道のり"と云うものは非常に大きい意味を持つ。
凍夜たちの家から学校と駅までの距離はほぼ等距離にあるため、彼らは徒歩で登校する。
その際、"凍夜は"真っ直ぐには学校へ向かわない。その時々で路を変え、敢えてゆっくり歩いては時間を掛ける。
本来、二十分も掛からない筈の時間を倍以上掛けて登校するのだった。
理由は推して知るべし。朝のこの登校という時間を利用して登校という名目の散歩…………デートと洒落込んでいるという訳だ。
そう言った理由から時間には十二分な余裕を持って出掛ける(小夜は単身で瞬間移動出来るのだから本来そんなところに気を遣う必要はない、という身も蓋もないことは考えない)。
しかし、今日は生憎の曇天。土曜日に小夜がテレビで見た『嵐』の影響であることは間違いないだろう。
昔ならいざ知らず今の小夜ならばそれ程警戒することもないのだが、そこははやり凍夜。
普通こんなことを言われれば、『どういう意味だ?』と問い返すのが真っ当な反応の筈だが、それを誰かに言われたとしてもその意味を正確に理解した上で、『どうも』の一言で受ける(受け流すわけではない)当たり最早末期だ……
その過保護な凍夜の配慮により、何時もよりも更に少しだけ早い時間で学校へとたどり着いた…………にも関わらず、彼が待ち受けているあたり、一体彼は何時からこうしているのかと疑問に思わないでもない。
そして何時もの様に、しかし何時もとは違う方法で彼を去なした。
この時間彼らのこの不毛な戦闘(?)は、それ程多くの者の目に留まることはない。
だがこのとき何の偶然か、クラスメイト1-Aの誇る『三バカ』(本人たち否定)の一人、キッシーの愛称で親しまれる岸尾だいすけがそれを見ていた。
キッシーが今朝の一件を見ていたことにより、凍夜の新技披露会をやろうと言い出した。
当然この会というのは単なる語呂合わせであって、特別な何かを彼らがする訳ではない(それどころか、凍夜にとっては新技という訳でもない)。
寧ろ、凍夜により手間が掛かるのだが、それに気を払うでもなく皆はそれに大いに賛同し、その結果として体育の授業がいつになく賑わいを見ることとなったのだ。
※※※※
魔法科に置ける体育の位置づけは実に微妙である。というのも、生徒からしてみれば実習Ⅱとほぼ同義だからだ。
本来、体育は非魔法科目であり魔法を使わない運動をするということを謳っているのだが、高校生たちがそれを守ることははっきり言って稀である……
一応必履修科目にあげられるために名目としてそう取っているだけであって、教師たちもそこは目を瞑るところだ。
そんな体育の本日の内容はサッカー。本当ならクラスを適当に半分に分けて、15対15の変則プレーをすることになる。
確かに初めのうちはそうなっていた筈なのだが、途中から三つの勢力に分かれてしまった。
一つ目は勢力と言いつつも一人だけ、勿論凍夜一人の仕掛ける側。
二つ目は凍夜と数名を除くそれ以外の全員の受ける側。
そして、受けるのではなく“見る側”に回った観望者たちという変則過ぎる三つ。
当然その内容はサッカーという競技をなしてはいなかった。
皆の希望に応えて凍夜が真をあしらった技を繰り出した。
一瞬にして視界から消えるその現象に皆は目を瞠る。
魔導波は感じなかった。『魔法』ならば魔導波が伴う。
そしてそれは、魔法器であっても同じ事……であるならば、これは“魔法ではない”と言うことで間違いない。と、皆は判断する。
凍夜は“魔法が使えない”のだから、これも何しかの法術の効果の一つであることは疑いようもない。
だが、彼らが法術についてその触りだけでも知ったのはつい最近のこと、それも凍夜に教示されてのことだ。
そんな彼らにその教えを説いた当人の繰り出す技を、それもまだ教わり始めたばかりの段階のヒヨッ子では、それが法術だということ以上のことは分かりようもなかった。
視界から凍夜が消えて皆が困惑している間に、いつの間にやらボールがゴールに押し込まれていた。
始めはサッカーという競技を行いつつのことだったが、何時しか皆はこの技を看破しようと敵味方関係なく躍起になり、いつしか凍夜一人(仕掛ける側)とその他(受ける側)という勢力に二分された。
だが"直ぐ"にという表現よりも早く……というより受ける側に参加せずに観望者に回った者が二人――否、三人いた。
一人は元からそれを知る故に当然と自負し、そして彼女が自分と同じく観望に回ることに驚きはない。
しかし、彼が自分たちと同じ側に回ったことにひとまずは驚きを感じずにわ要られない。
だが、別にそれは彼だからという訳ではない。
誰であろうと小夜の反応は同じ反応を示す他にない。何故ならそれをやってのけたのは他ならぬ凍夜なのだから…………
「檜山様は傍観なさるのですか?」
一見して極普通の質問。
だが、修之はこの質問に小夜らしからぬ違和感を感じさせられた。
彼女と初めて会ってからまだ一週間程度、交わした言葉もそう多くはない。
しかし、それでも感じられる程に彼女は…………
っと、そこまでの結論にまで達し、
(厭な男……)
今この場では絶対口に出来ないことを思い、小夜へ返事を返した。
「いや」
小夜の質問『意味』を、恐らく……それでも間違いないだろうという確信を持って、正しく理解出来たと判断して否定した。
そして、更に的確に返す。
「暫くは『観望』させて貰うさ。こんな芸当は早々“見られる”ものじゃないからな。精々勉強させて貰うさ」
小夜は“今度こそ”修之に感心の驚きを露わにして示した。
「ただのあれだけで、もうお解りになったのですか!?」
何の前置きも心構えもなくこの技を凍夜に繰り出されれば、一流の魔法師でもいっときは拐かされる。
それをこの短時間で正確に捉えているらしい修之に、小夜は驚かされているのだ。
「いや」
しかし、修之はそれを否定する。
「以前に一度見ているからな。そのときに若しやと思ってたから解っただけさ。さっきのが正真正銘一度目なら、俺もあいつらの中の一人だった筈だ」
修之は幾人かで固まり凍夜の技の仕掛けを暴こうと話し合う集団に視線を流した。
小夜は更に修之に対する感心を強くして、先ほどの自分を恥じた。
「それもお気付きになられていたのですね。私感服いたしました。
そこまで存じていたとは露知らず、とは言え先ほどは無礼なもの言いをしてしまい申し訳ありませんでした」
修之が感じた違和感。それは、『傍観』という言葉。
傍観とは、ただ旗から無関心に見ているだけということ。
他の誰かならそのまま受け流すところだが、あの小夜が単なる言葉の綾とは言えそんな(些細ことなれど)言葉を凍夜に対して使うとは思えなかったのだ。
そして、自身も見る側に回ったにも関わらず、『檜山様“は”』と自分を限定したことだ。
そう判断して、修之はそれを否定して、観望という言葉を持って返したのだった。
表面上は兎も角としても、それを正確に読み取った修之になら、確かにあの質問は失礼に当たるだろう。それ故小夜は動もすれば、腰を深く折り曲げ頭を下げてしましそうな程の勢いで謝罪した。
実際にやらないのは、やられた方が反って迷惑であろうことが分かっているからだ。
修之はそれを『気にするな』と返し、グランドで右往左往している皆を見ていた。
横合いから凍夜に翻弄されるクラスメイトを眺めつつ、“注意する”のはやはり凍夜の“動き”だ。
「凄いものだな……」
その凍夜の動きを見ながら修之が素直な感想を述べた。
「『APS』のディサピアーステップというやつか……? これ程鮮やかだと、分かってはいても“見てる”と“視えなく”なりそうだ」
小夜は修之の発した言葉に耳を傾けた。
今の世界の状態からして日本人が国外へ行くことはまずない。一般人にはその発想がない程にあり得ないことであり、また逆に日本に外国人が来るということも稀なことである。
そうすると当然異国の言葉というものに対する認識も薄く……それどころかなくなって"いる"。
昔から日本人は様々な国の言葉を独自に砕いて転用するということをしていたために、今ではそれらの外来語を含めて日本語という認識になっている。
そのため、その外来語に至っては日本独自の発展を遂げて、元々の意味とは掛け離れたもの(キューブが良い例)や文法や品詞のへったくれもなく――――という程度に収まらず、元来起源の違う言葉を掛け合わせて使うことや語呂合わせで使うことすら茶飯事となっている。
差し詰め、島国根性ここに極まれりと言ったところだろう……
そして、法術系に関する言葉は特にと言える。
それは、日本という国が元々から魔術よりで法術に疎かったために、法術はどちらかと言えば異国の文化というイメージから来る。
修之の言ったAPSとは、流動法術の第二系という意味だ。
「その通りです。あれは、流動法術の二系の歩法:『消足』。
それも、お兄様が手を加えられた改良版『忍び足』という技です」
流動法術、流れや動きそのものが意味を成す法術大系の一つ。
その正体は足運び。この様に法術を用いた特殊な足運びを総じて『歩法』と言う。
「成る程通りでな…………」
消足というのは、消えるのは消えるが身動きが取れなくなる。
人間の意識は目に見えていても意味を成さなければ、認識できない。眼には見えていても“視えなくなる”。
消足というのは、それを強制的に引き起こす歩法だ。
他人の意識から一時的に自分の存在を無意味な風景の一つと誤認させている。
だがそれは所詮は一時凌ぎ、余計な動き一つで容易にその意味を取り戻し、人の知るところとなる。
本来、一瞬の虚を生むためだけの技でしかない。
しかし、凍夜は消えた状態を維持しつつ移動する。それも、時間はまちまちであり、数度見た限りではどうやらそれは任意であるらしい。
凍夜の忍び足は、自身を他人の意識をから外す『抜き足』とその逆に引き付ける『差し足』に寄って構成される。
先ずは、差し足で皆に自分の存在を強く意識させる。その間で抜き足を使うと他人は凍夜がそこにいなくてもいると誤認する。
そして、差し足の効果が切れたときに、初めてそこにいないと気付き消えたと感じる。
更にそのときに差し足をまた使用する。すると、不思議なことに人間には消えたまま印象づけられる。
これらを繰り返すことにより、消えたまま移動するのだ。
人間は思い込みの生き物であるということを証明する様な、意識の錯覚を利用した巧妙な技だ。
修之が言っていた様に、実は凍夜はこの技を一度皆の前で使っていた。
初授業のその日の実習Ⅰの時間。小野大輔――クラスの総意(?)により大輔あらため小野D――との模擬戦にて、後ろに回り込んだときにやってのけたのがそれだ。
その一回とこの時間で凍夜の技を見切った修之に小夜は心から感心する。
確かに知っていたならば見破るに苦労は無いだろう。
気付いてしまえばただの錯覚でしかないのだから、意識一つでどうとでもなる。
だが、そうは言っても相手は凍夜。そのレベルは一流の魔法師であっても一時とは言え、術中に掛ける程だ。
その彼の技を、確かに“見せるために”繰っているとしても、こうもあっさり看破して見せたのだから驚いて当然だった。
※※※※
(厭な女)
小夜は自己嫌悪を感じずには要られない。
修之とのやり取りの後で小夜は一人沈んでいた。
中には“そういった輩”が居るということも考えて置いて然るべきこと…………
それをこの様に責め立てた自分が矮小すぎて嫌いだった。
然もそれがただの自分の勘違いだったとなれば、最早目も当てられない……
曇天の空模様に等しく、小夜の心にも陰が刺していた。
天気が徐々に崩れ始めた。
肌で感じるかどうか、霧の様にも見える程の雨が降り始め、少しずつその密度を増していく。
小夜はそのことにハッと気付いて、凍夜の元へ駆け寄った。
「お兄様!!」
そして、雨のときのいつもの対処を施そうとしたところで凍夜に止められた。
「今はいいよ」
「えっ、ですが……」
「これも何かの縁だよ。丁度良い、百聞は一見にしかず。みんなには、直接見て気付いて貰うさ」
そう言って小夜を下がらせた。
未だ修之以外の生徒には凍夜を捉えた者はいない状態だった。
凍夜は説明するよりも先ずは皆に考えさせる。
あらゆる状況から自分で答えを見つけ出そうとすること、それが今後の人生で大きな力になることを知っている故のことだ。
困難に直面したときに自身で乗り越えられない様では意味がない。これは、魔法師であろうとなかろうと関係なく人間として必要な力だ。
皆は幾度も繰り出された忍び足を見極めようと、凍夜を凝視していた。
実のところそうすることがこの技を最も見破り難くすることなのだが、皆はそのことをまだ知らない。
そのため、未だに皆は凍夜を捉えきれないのだった。
しかし、皆は今の状況になって現れた変化に気付いた。
凍夜の姿が霧雨によって浮き彫りにされるようになったのだ。
所詮は忍び足は眼の錯覚に過ぎない。実際に消えた訳ではないので、当然ものが触れれば当たりもする。
全身を覆う霧雨ともなれば、雨が人の形を作り出すのは当たり前のことだった。
皆はそれを手掛かりに凍夜の姿を探す。
「おお、見えた!!」
すると不思議なことに今まで見えなかった凍夜の姿までもが見える様になった者までいる。
一人や二人だけでない。時間を追う毎に増えていく。
そして、凍夜の姿を捉えた者たちはその姿に魅了された。
《IBGM:まつりうた/林原めぐみ》
凍夜は舞っていた。
雨の中を皆の合間をかいくぐりながら淀みなく。
時折溜まった水滴が髪先から跳ね飛ぶ様や、泥濘始めた地面から泥が跳ね上げるその様までもが美しかった。
しかし、それも長くは続かない。
凍夜の姿が直ぐにまた見えなくなってしまうのだ。
だが、また雨や足下の泥を辿ると容易にその姿を見つけることが出来る。
しかしまた…………
皆はこのループを暫し繰り返すことなった。
全員が凍夜を正確に捉えられる様になった頃には、凍夜はすっかり全身を濡らしていた。
どちらかと言えば、ここからが~厄災・天編~の始まりな感じ…………
なんだか一日の密度のやたら濃い作品ですが、もう少ししたら時間軸の流れも早くなる……予定…………