▼~厄災・天編~ 53.止まらぬ想い
高校生活最初の休日を終えた二人は何時もの様に腕を組んで仲良く登校する。
小夜は昨日一日至福のときを過ごしたことにより、今日は一段と上機嫌になっていた。
それもその筈で、二人は言葉通りの意味に置いて片時も離れずに過ごした。
凍夜の強化調律の後、小夜は暫くの間凍夜との距離を空けることは出来ない。
それは、距離が離れれば離れる程制御が難しくなり、距離が開くと凍夜の負担が大きくなるというの話であって絶対ということもない。
だが裏を返して、距離が離れると制御が難しくなるというのなら、その逆も又然り。つまり、近づけば近付く程容易になるということになる。
ともすれば話は早い、離れなければいいのだ。
そして、それを実行する小夜の行動と言えば実に単純にして明快なもので、それこそ言葉通りの行動を実行した。
離れない=直接触れ合うというものだ。
小夜は家の中だというのに、外で見せている様に一日中凍夜の腕を絡め取っていた。
凍夜としては、他者の視線がないにも関わらず外でするときよりも何故か幾ばかりもぎこちなさを感じずにはいられなかったが、小夜は逆にいつも以上に嬉々とした表情を露わにしていたのだ。
常時ならそれを考えているだけでも、自分に対してうんざりするところだが、このときばかりは小夜にも名目だけでなく実質を伴う大義名分がある故に、凍夜に対しても自分に対しても『いい訳』が立つのだった。
それが、自身を抑えた凍夜への配慮だけなら凍夜はそれを断る術を持っている。しかし、それが何よりも本心であると、誰よりも理解出来る凍夜にそれを受け入れる以外の選択はない。
そして二人は“いつも以上の距離”でもって昨日一日という日を過ごしたのだった。
それに、そしてそれに伴っての反作用のこともある。
凍夜の制御が衰えればまだ安定していない状態の小夜の体が辛くなるというものだ。
このことを踏まえ、この二人のことを鑑みれば当然のこととしてある解答が導き出される。
凍夜がその様な思いを小夜にさせる筈がなく、どれ程の距離が隔たれようとも凍夜が小夜の制御を怠ることはない。そして、凍夜が小夜を縛ることを良しとせず、小夜がどのように過ごそうとも自身がそれに合わせる様にして好きにさせようとする。
それと同時に、小夜が進んで凍夜の負担になる様なことを望む事も又、無いことだ。よって、小夜は自身の体のことは差し置いても、凍夜との距離を離れることはない。
だがそれが凍夜を慮ってのことと素直に口にするのは憚られる。
そして、何もそれがけが全てではないのまた事実……というよりも、そちらは『いい訳』程度の問題ではなく、寧ろ願望だ。それに、この場合“どちら”に対してのいい訳かも分かったものではない……それは小夜が心からそうありたいと“常”に願っていることでもあるからだ。
普段それを口にすることはない。負担に成りたくない、邪魔をしたくないという思いから来るものだが、最近ははしたない女だと思われたくないという思いが何より強いかも知れない……
即ち、『お兄様といられること』というのが彼女の望みそのものだからだ。
※※※※
今回施した――最も、小夜に行うのは毎回これだけだが――強化調律は、最大魔溜値の強化だ。イメージとして分かり易く言えば、最大MPの強化ということになる。
人間が保有出来る(或いはしている)魔粒子の量:魔溜量は、鍛錬によって増やすことは出来るがそれにはどうしても時間を費やさねばならない。
だが、それを短時間でどうにか出来ないものかと考えられたのが、この強化調律だ。
通常の強化調律でなら魔法を使わず安静にしているだけでいい。調律師と一日も同伴しなければならないこともない。
この強化調律というものは理論としては実に簡単だ。
その方法は魔溜器官を胃に喩えると分かり易い、魔溜量の最大時は満腹状態とでも考えて貰えばいい。
そして、そこに無理にでも少しづつものを詰め込む。胃は筋肉で出来ているため、伸縮しある程度であれば“多少の無理”はきく。それを繰り返していくと、胃は段々とそれに慣れていき、その伸びが数倍にまで広がるのだ。
この方法とてそれなりに時間は掛かるが、日々の演術鍛錬のみよりは早い成長が期待出来る。
だが、凍夜の施す強化調律の場合だと多少話が異なってくる。
通常の強化調律の場合だと一度に増強出来る量は精々3%と云ったところで、それ以上は暴走の危険があるためにやらない。
凍夜の場合は最大で現状の1/3程の魔粒子を押し込める。勿論、普通は体が堪えられるわけはない。
しかし、凍夜は相手の体内に押し込んだ暴走する魔粒子を自身でコントロールすることにより、それを可能にしている。
小夜の霊体内にある魔粒子をエクテマにて掌握し、押し込められた圧力で活性化してしまうのを抑えているのだ。
そして、魔溜器官がその膨大な魔粒子を貯蔵するのに慣れるために一日という時間が掛かる。一日で完全に増強分が完全に定着する訳ではないが、今の小夜ならそれで私生活に問題ないくらいに適合出来る様になっている。
その後は、数日間無茶な使い方をしなければ定着して、最初に注いだ約80%分(全体の約1/4)が定着増強される。
普通なら先ず離れることはおろか、相手の体内の魔粒子制御ということが出来よう筈もない。それが可能なのは、偏に彼だからということに尽きる。
だが、それは彼が“その身”であるが故に可能に“なった”――この表現は彼自身からすればの話で、他の者にしてみれば“せざるを得なかった”という認識がされている――ことで、それを才能と呼ぶ者は在っても、事情を知って尚羨む様な者はいないという程度のものでしかない。
誰から見ても、明らかに失ったものの方が大きすぎた。
そして、彼がその大きすぎる程の贄を支払い更に、血の滲む様な努力があって初めて自分が生かされている。というその事実を目の当たりにする彼女にとって、彼は正に絶対の存在になった。
たった数日で最大魔溜値の1/4が増えるのであれば、結果だけを見るなら確かに驚異的だがやはり命の危険が大きい。
凍夜は当然として、細心の注意を払うが自身が完璧な人間などとは思ってはいない。
否、『人間』としては自分は確かに完璧と言えるだろう……人間の定義には、不完全であることが含まれる。つまり、“完璧”であるならそれは人間ではないということであり、“人間”であるなら完璧ではないということだ。
即ち、自身が『人間として完璧』だと認識する凍夜にとって、ミスは絶対的に有り得ることということを含む。
万が一が絶対にないとは凍夜自身にも断言は出来ないのだ。
それ故に本来であるなら、出来うる限りこういう方法は取りたくないというのが本心だ。しかし、小夜の体のことを考えればやむを得ない。
この方法にはかなりのかなりのリスクが付きまとう。
胃に喩えはしたが、当然ながら胃と同じではない。
何よりも違う点は、霊体には(陽的)感覚器官がないという点だ。
胃袋も直接痛みなどは感じることはないが、満腹状態は分かる。それ故に、辞めどきというものが分かるが、霊体で直接それを感じることは出来ない。
もし、異常を感じたのならその時点でもうやり過ぎという状態だ。そして、そうなると霊体内にて、魔粒子の暴走が起こりうる。
その場合、直接身体に苦痛を伴うだけならばまだいい。だが、それが霊障の原因にもなり得る。そして、最悪の場合には死に――――否、魔性現象に至ることもある。
魔粒子を魔溜器官に注ぎ込むということはそれ程難しいことではない。そして、注がれればその分を受け入れる。しかし、それが制御出来るという訳でないのだ。
それ故に専門家が必要となる。とてもではないが、その限度を見極めることが出来ない者が行うようなことではない。
そうした理由から、この方法を用いるのは余程“そうしなければならない立場の人間”ということになる。例えば『名門魔術師家系でありながら魔力に乏しい』などだ……
だが、今の世で言えばそれでもそこまでする様な輩はいない。
ここ数百年という時間を遡れば、表面上日本は至って平和だ。名家と言えど、我が子に敢えて命の危険を犯してまで家名に相応しくさせようとは思わない。
しかし、小夜の場合はそれとは別にその身体の都合によって悠長に構えている余裕がなかった。
〈“身”に余る“才”は身を滅ぼす〉
小夜――――否、妃依里という“一般家系”の出自の“身体”には、紫司それも夜の名を冠する“才”は、余りに大きすぎたのだ……
※※※※
凍夜は小夜の生殺与奪の自由を握っていると言ってもいい。
その絶対的に上位者である筈の彼が自分に求める見返りは余りにも小さい。そしてそれは、見返りにすらならない。何故ならそれは、彼女が望んでいることでもあるからだ。
それ故に小夜は不安にかられる“ことがある”――――ではない。常に不安と隣り合わせで過ごしている。
見返りを求めないというのは、自分にはその価値が無いからではないだろうか……と、そう思わずにはいられないのだ。
確かに初めは贖罪から始まったことかも知れない。だが、今はそれ以外の何を差し置いてもそうありたいと願って止まない。
『側にいたい』究極のところはそれが彼女の望みだ。
それ以上のことは、本来望んではいけない。そう思っている筈なのに、しかし彼女は今が抱える想いはそれより遙かに度をこしていた。
『“自分自身”を見て欲しい……』
最近の小夜は身体の成長に合わせてその気持ちを日々募らせて、確実に強く想い始めていた。
そこへ、神埜のことがあり、昨日のことがあった今、小夜はその気持ちを抑えきれない程になっていた。
だが、それを言葉にすることやはりない。そしてそれにこそ彼女の覚悟があった。
しかし、それでも行動の端々には滲み出る彼への想いを止められないことを、彼女自身は知らず気付かず。また、それを咎めることもまた誰にも出来ないことだった。