5.トークタイム1
普通学科棟は三階建ての校舎で、一年生の教室はその三階にあり、二年生は二階で三年生は一階という極普通の区分がしかれている。
三階の教室に着いた三人は、探すことなく自分の机へとつき鞄をおろす。机の並びが下駄箱と同じ並びのためだ。
下駄箱の上側を教卓側として、それぞれ席に着く。
窓側から二列目の前から二番目の席に小夜、その後ろに凍夜と当然並び、そして沙樹は小夜の右隣と随分近い席だった。
現時刻は7:50分、始業時間(SHR)が8:15分からなのでそれほど早い時間という訳ではない筈なのだが、教室の中にはあまり人がいない状態だった。
今いるのは、二人以上で固まっている組が三組だけで、一人でいる者はいなかった。
大半の生徒は、この始まるまでの時間をギリギリまで、外で仲のいい友人たちと過ごしている。
今のうちに教室にいるのは、はっきり言って友達のいない単独の者か、運良く親しい者と一緒になれた者たちか、という極めて二分する勢力しかいない。
「小夜さん。席隣ですね。宜しくお願いします」
「はい。こちらこそ宜しくお願いしたしますわ。沙樹さん」
席に着いて改めて挨拶を交わす二人。
教室に入るまでの間で、名前の呼び方についての恒例行事(?)を済ませて、二人はお互いを名前で呼んでいる。
小夜のさん付けは一見してまだまだ堅い関係ようにも思えるが、小夜を知るものに実はそうでもない、というよりは驚愕に値する。
小夜は基本的に相手を呼ぶときは、家族以外は様付けなのだ。初見で相手をさん付けするというのは、本来ではあり得ない。
沙樹は、凍夜の友人ということ(が、大部分の理由)と当人(は、呼び捨てでも構わないと言っていたが)の希望でいきなりそう呼ぶようになった。
小夜の通常に置ける呼び方の変化は、"名字に様"づけに始まり、良く一緒にいる"相手なら名前"に様づけになり、かなり親しくなって初めて"名前にさん"づけとなる。
本来そこまでに至るのに掛かる時間はかなりのものとなるはずなのだが、それをなくしてしまう当たり、全幅の信頼を寄せる凍夜が友人と呼ぶほどの相手なら、という小夜の凍夜に対する信用の程を覗わせる。
今のところ小夜がさんづけで呼ぶような相手は数える程しかしない。
そして、呼び捨てにするような相手はいない。小夜としては、もし呼び捨てにするならそれは“敵対するもの”だけだろうと思っている。
因みに、これは女子が相手の場合の話で、男子の場合は、"名字に様"から"名字にさん"づけとなりはするが、名前で呼ぶ場合は特殊な状況のときでしかないため、それ以外の場合は名前で呼ぶことすらない。
沙樹に至っても、小夜ほどではないにしろ似たり寄ったりである。
『中島』という家も、紫司とは比べるべくもないし、有名という程知れ渡っているわけではないが、本当にただの一般家系という訳ではないので、それなりの教育は受けて育った。
凍夜に対する態度は、彼女の交友関係でも特殊な部類に入り、"無意識的に素になってしまう"のだった。
そして、そのことを当人は自覚している上に、凍夜もそのことに気づいている――だろう、と言う予測ではなく確定で――こともわかっているが、出会ってから今までなんの変化もないところを顧みるに脈なしなのだろうと思っている。
下駄箱のときの沙樹の言葉は、あのときのは完全に"冗談"ではあるが、強ち"嘘"というわけではないのだった。
席に着いたとてべつにやることはないので、沙樹は椅子の向きを変えずに座る向きを小夜の方へと向けて、凍夜へと会話を振る。
「ねえ、紫司さん。マジな話、どうしてここにいるの?」
沙樹が凍夜を呼ぶときには三つのパターンがある。
一つは「シヅカちゃん」、これは完全にカラカウとき専用の呼び方で、これが入った場合は沙樹がイジル気満々のときだ。
次に「アンタ」、凍夜に対しては主に突っ込み用で、咄嗟のときに良く出る。仲のいい友達には、これで呼ぶ場合もある。
最後に「紫司さん」、これが彼女の凍夜に対する基本的な呼び方。彼女の根幹が“良家の息女”のため、どれだけ親しくとも年上に対するこの呼び方は、普通に会話するときは(無意識でも)崩さないのだった。
下での(自分で振って、自分で)流した話題をもう一度上げてきた。
凍夜は、力ない感じで自嘲気味に嗤う。
「あははは……はぁ、なんと言えばいいのか、そうですね……」
凍夜は歯切れが悪い口ぶりで言葉を濁し、少ししてから答えた。
「敢えて言うなら、『家庭の事情』といいますか……なんと言うか、まあそんな感じです。それに、それを言うなら中島さんも同じでしょう?」
中学時代に親しい仲間内の進路は把握していた。そして、凍夜にしろ沙樹にしろ、お互いにここに来るということにはその時にはなっていなかったはずなのだ。
「――っ!!!家庭の事情ね……まあ、そうよだね……」
力なく答えた凍夜の言葉に、沙樹は一瞬ハッとした表情を浮かべて、少し重い表情を残しつつ言葉を綴った。
沙樹が凍夜がここにいることを疑問に思うのと同様に、その逆もあって然るべきなのだが沙樹は完全に失念したいた。
下駄箱で挨拶を交わしたときの沙樹は“ある懸念”に捕らわれていた。でなければ本来の彼女ならいくら凍夜の存在を全く意識しない場所にいようと、凍夜にあれほど素っ気ない挨拶をするわけはないのだ。
気に病むところへいきなりの(嬉しい)ハプニングだ、思考の二・三個に抜けがあっても仕方ないと言える。
そして、凍夜に返された言葉で先ほどまで忘れていた懸念が蘇ってきた。
「はぁ~~……お互い、家柄には苦労させられるわね(苦笑)
まあ、うち見たいなところと“紫司”さんのところを比べちゃ、比べるだけ失礼だろうけどさ」
「そんなことありませんよ。それに、僕は“紫司”の家に取ってただの『お飾り』でしかな――」
『いですから』と続く筈の言葉が遮られた。
「お兄様っ!!!」
二人の会話を椅子ごと凍夜の方へ向けて聞いていた小夜が、凍夜の言葉が言い終わる間もなく大声を上げたのだ。
その表情は今にも泣き出してしまいそうなほどの憂い顔だった。
凍夜は優しく微笑みながら左手を伸ばして小夜の頬にそっと手を当てる。
「大丈夫だよ。僕は大丈夫だから、落ち着いて」
頬へと当てていた手を今度は頭へと持って行き優しく撫でた。
「ごめんね、変なこと言って」
暫しの時間が経って、その間ゆっくり何度も頭を撫でられた小夜はどうにか落ち着きを取り戻した。
「申し訳ございません。いきなり取り乱してしまいました」
と言って強い反省の意を表した。
それを見ていた周囲の反応が騒がしくなる。
大声に驚いて振り向いた先には、今にも泣きそうな美少女。
そして、それを宥める男子生徒という構図に男女でそれぞれ反応しいた。
男子
『今のあの娘の表情、目茶苦茶かわいくねぇ!!!!? なんかもうあの表情見たら、命掛けで守ってやりたくなるよ』
『さっきのもいいけど、俺は今のほんのり照れてる顔がいいな』
etc.
女子
『きゃ~~! いいな~私もあんな彼氏は欲しいな~』
『ホント、女の娘が取り乱したときに、ちゃんとフォローできるってのはポイント高いわよね』
『こっからじゃ顔見えないから、こっち向いてくんないかなぁ』
etc.
一応声は潜められてはいるのだが、人数が少ないだけに丸聞こえだった。
小夜は周囲の視線に恥ずかしくなり、ほんのり顔を赤らめて俯き加減で凍夜の机の上に視線を泳がせている。因みに、小夜が恥ずかしいのは、大声を出して注目を浴びてしまったことであり、凍夜に宥められたことには嬉しさを感じても、恥ずかしさは微塵も感じていなかった。
そして、それを横から見ていた沙樹は面食らっていた。
それはそうだろう、何しろいきなり目の前ので、恋人もかくやとういうような睦み合いが繰り広げられ、それが意中の相手とその妹だというのだ。平静を保っていられようはずもない。
三人は暫し会話もなく沈黙していた。
「中島さん?」
「はっひぃっ!?」
呆気に取られすぎてキョトンとして表情で固まっているところへ、声を掛けられ思わずに裏返ってしまい恥ずかしくて俯く。
「ところで、中島さんは魔法の勉強はどうしてたんですか?」
唐突な話題の振り方だ。
凍夜も傍目からは分からないが、かなり動揺していて、そのために出た何の脈絡のない必死の話題転換だった。
流石に今の行動を他人に見られて、そのことを囁かれているのだから恥ずかしくないわけはないのだ。
普段から"こういう視線"への耐性があるというのと、あまり顔には出ない(というよりも、こういうときこそ凍夜はポーカーフェイスになる)ため、周囲から毅然としているという印象を受けるのだが、内心では真っ赤である。
沙樹もこういうときの凍夜を中学時代には見たことがなかったので、(内心はどうあれ表面上は)落ち着いている凍夜に関心する。
しかしながら質問自体は、凍夜にとっては当然というレベルで気になるものであったのとには変わりない。凍夜と沙樹の通っていた中学は、一般教科が中心の極々一般的な普通の公立の中学校だった。そして、沙樹が魔法塾に通っていたという情報は無かったと“記録している”。
そして、凍夜にしてみれば無茶振りだった質問も、この場の雰囲気を変えるための話題の提供をしてくれたっという都合のいい解釈になり、知らず凍夜の株は沙樹の中でまたひとつ上がる結果となった。