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優しい月のトリニティクロス~My dear elder brother~  作者: F/L
二章・氷上の平穏
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46.心も体も

 どれ程の事があろうと、凍夜のその温もりに抱き留められたならば、小夜がいつまでも嘆きに浸ることなどあり得はしない。

 勿論、凍夜の意図はしっかり受け止めた。“つもり”ではなく、間違いなくしっかりと。

 しかし、それはそれこれはこれである。小夜は今朝と同様に情けないとも思うが、最早仕方がない事として、今は諦めている。

 小夜が凍夜を振り払うとこなど出来よう筈もなく、凍夜とてそれを重々に、若しかしたら当の本人以上に分かっている筈で、それでも尚こうしているということは……つまりそういうことだ。

 凍夜は皆が思う程には甘い性格はしていない。例外的に小夜には甘いが、それでもぬるいということはない。

 もし、今回の件で仮に小夜が少しでも凍夜の意図を履き違えていたならば、こうして抱き留めたりなどはしなかった。そうするのは――そうすることが出来るのは、小夜が誰よりもこの事を理解し、以後自身を戒めて行けるという確信があるからに他ならない。

 凍夜が小夜を甘やかすのは、そうしても問題ないという信用から来るものだ。

 小夜とて、それを分からぬ程愚かではない。その信用を裏切らぬためにも、更に自身を律しようと務める。

 このメビウスリングの様な、交差する二重螺旋の様な関係がこの二人の在り方だった。


 体が冷えて終っては宜しくない。合図として、凍夜は小夜を抱き留めたまま、無言のままに部屋の明かりを絞り、仄暗い部屋へと変化させた。

 小夜はそれを読み取り、自分が本来どうする筈だったかを思い出した。暗い部屋では判別出来ないが、小夜の顔は真っ赤に染まっていた。

 凍夜の顔を覗ってみれば、こちらを待っている様な顔で見下ろしていた。視線が交差して、気恥ずかしさで咄嗟に俯いてしまったが、それとは別に答えを返すために、首を縦にしっかりと振って同意を示した。

 凍夜は小夜と共に立ち上がり、無言のまま『どうする?』という表情を浮かべる。

 暗くて、本来なら表情を読み取るのは困難な状況だ。これがもし他人ならば分かるわけもない。しかし、相手が凍夜だけに、小夜にはその表情と意味を正確に捉えることが出来た。

 小夜はそれに何かを訴えかけるような表情を返して、凍夜もまたそれを理解し、頷いては数歩さがり、後ろを向いた。

 お互い無言で表情だけでの会話。内容が内容であるだけに、調律チューニングの前は大体こんな感じだ。直接口に出すことは小夜には羞恥の面からはばかられ、凍夜はそんな小夜をおもんばかって口を閉ざす。

 小夜は、凍夜と詠歌の指示語だけでの会話に軽い――否、少なくない嫉妬心を抱いている節があるが、こちらの方が誰から見ても強く結ばれた関係であるのは明白だ。所謂いわゆる、気付かぬのは本人ばかりと言う奴である。

 だが、そこは乙女心のなせるわざというところだろう、意中の男性が自分の許容できない異性と親しくしていれば当然の反応だと言える。


 凍夜の後ろから衣擦れの音と少し動く様な気配、そして少しして真後ろではなく、横から小夜の声が漸く発された。

「お待たせしました」

 凍夜は声のした方向、マットを敷いてある方へと体を向ける。

 その足下には、綺麗に折りたたまれた、先ほどまで小夜が着ていた長襦袢が置いてある。

 マットの上に横たわる小夜の姿は、必要最低限の被服がされているのみだ。白い布地以外からは、普段はあまり人目に触れることのない部分の白い肌までが露わになっている。

 見られても平気、寧ろ見せる、或いはものによっては魅せるためのつくりのその布地ではあるが、それはやはり場に即した状態でこそかも知れない。

 下着であるよりかは確かにマシではあるが、水着と言えども、こうして部屋の中でというのは逆に羞恥心を掻き立てる。勿論原因は、凍夜の視線が自分にのみ向けられているからというのは言うまでもない。

 それに、通常外で着るものは、これほど露出の高い水着は着ない。今小夜が着ているのはビキニタイプ、同じツーピース水着であっても普段使用するタイプより格段に露出が高いこの水着は、こういう場合のみに限られる。

「先ずはちょっと診せてね」

 凍夜は屈み込んで、小夜の両肩を注視する。風呂場で小夜が傷を付けた部分だ。

 治療を施したとしても、小夜とてその方面には素人でしかない。

 医療魔法は、本来魔法医師の資格を持っていないと行えない魔法である。それは、当然人に命を左右する行為であるが故にそう言った制度が設けられているので、出来るからと言って、平時であらば自己に対してもやっていいことではない。それが許容される、否最早義務としてやらねばならぬときはあるが、それは事故などによる緊急事態でのみだ。

 体表面に出来たかすり傷を治す程度のことは茶飯事さはんじではあるが、骨にまで異常がある状態ならば流石に病院での治療は必須だ。

 素人が下手に手を出すと骨が異常な状態で固まったり、血管を傷つけた状態で済ませてしまう可能性もある。

 小夜があの程度の傷でミスをするとは思っていないが、それでも素人であることにはかわりはない。仮に、傷の治癒のみは万全であったとしても、肌に傷が残っていないとも限らない。

 小夜に限らす(肌だけに止まらず)女性に傷が出来る事態など、凍夜にとってはあってはならぬことだ。ならば当然、万全を期すに越したことはない。

 故に、自らの血を飲ませた。

 『穢れた聖水(セイブランド)』と冠された凍夜が抱える霊障の副産物の一つである、その血の効果は解毒作用だけではない。他者がそれを飲めば、肉体の有りとあらゆるを治せしめる万能薬となる。

 肉体を透視出来るわけではないが、小夜の状態を感じ取るに飲む前より良くなっているのは確実だった。

「よし、いいようだね。じゃあ、いつも通り、足から始めるよ」

「はい」

 凍夜は先ず体を解きほぐしに掛かる。

 その前に。マットの近くに用意してあった香を焚く。そして、バレリアンの香りが広がっていく。

 まだ焚いたばかりだというのに、バルサム調の香りが心地よく、小夜の全身の無駄な力を弛緩させていく。

 更に、香と一緒に用意してあったオイルを持って小夜の足下へと移動して、マッサージを始めた。


《凍夜IS:水中の青空/水樹奈々》


 そして、だめ押しとばかりに『歌』を口ずさみながら、小夜の全身を解きほぐしていく。

 定期的にマッサージをしているだけあって、小夜に変な凝りはなく、痛みを感じることはない。

 マッサージが痛いのは往々にして、不調たる証拠である。

 凝り固まった筋肉で体流が悪くなったのところを、短時間で強く刺激してやれば痛いに決まっている。本来ならば時間を掛けてじっくり解してやれば、さほどの痛みを伴うこともないのだが、『時は金なり』それを生業にしている者たちには、その時間を一人に裂いてやれる余裕はないのだった。

 そして、そういった職業とは無縁なれば、凍夜が小夜のために裂く時間に惜しむことなどありはしない。

 各所を丁寧に時間を掛けてじっくりと、足の裏から手の指先頭の天辺までを、二時間という時間を掛けて解きほぐした。

 小夜は正に夢見心地にマッサージされ、ふわふわとした感覚に身を投じていた。

 マッサージが終わったと告げられた瞬間一気に意識が覚醒しその差が余りに大きかったため、幾度か体を動かす指示も受けて応じていたので実際には寝ていなかったのだが、今まで寝ていた様に思えて凍夜に申し訳なく思った。

「お疲れ様。じゃあ、オイルを流しておいで」

 凍夜が後ろから、長襦袢を羽織らせ、労いと催促の言葉を掛けた。

「お疲れはお兄様です」

 とは、返さなかった。凍夜には、労いよりも感謝の言葉の方が喜ばれる、そう知っているから。

「はい。ありがとうございました。では、失礼します」

「うん、じゃあ次は僕の部屋でね」

 小夜はマッサージに使ったオイルを流すために、また風呂場へと向かう。そのままでも害はない(あろう筈がない)が、ベタ付きをこのままにはしておけないからだ。


《BGM:フリースタイル/水樹奈々》


 もう幾度となく同じことを繰り返しているのに、一向に慣れることのない自分は学習能力がないのではないか? と疑いたくなる。

 凍夜のマッサージのお陰で、体は地に足が着いているのが不思議なくらいに軽い。

 その軽い足取り――というよりは、急ぎ足で脱衣所までの短い距離をそそくさと移動した。

 マッサージを受けている間は全く気に掛からなかった自分の格好が、終わった瞬間には始めたときと同様に恥ずかしくなって、凍夜から逃げる様に出て来てしまった。

 実際に動く体は羽根の様に軽やかな動きをするのに、動かそうとする意思はブリキの人形の様にガチガチになるという不可思議な現象に、我がことながら呆れてしまう他なかった。


※※※※


 入浴する際、小夜は二つの決め事がある。

 一つは、湯船に入ってしっかり体を温めること。そしてもう一つが、自己調律をするということだ。

 小夜は、日々その二つの凍夜の言いつけを当然のものとして、出来うる限り実践している。今日とて、あんな状態ではあったが、それは欠かすこと無く、しっかりと自己調律はやっておいた。

 毎日欠かすことなく行ってはいるが、自身で調律を施そうとも、完璧にとは行かない。

 それは、小夜だけに限らず誰しもが同じであり、一流の魔法師であろうとも、定期的な調律師による調律が必要になる。否、一流の魔法師なればこそ、と言った方が正しいのかも知れない。

 先ず、調律というものを知っている魔法師自体が、全魔法師からすれば一部にしか過ぎない、更にそれを施そうとする者となると更に少なくなるというのが、現代の実情である。

 更に言えば、自己調律などと言うものに関して言えば、一般的にははっきり言って皆無だ。

 その実践方法をネットで開示してはいるが、所詮開示しているだけであって、広報活動をしているわけではないので、まだまだ一般には普及していない。しかし、その効果は確実なものなので、四柱員――四柱の家柄ではなく、属している人を指す言葉――では数多くの者が実践し、その効果を実感している。

 そしてその自己調律というものを編み出したのが、凍夜だ。霊体を正確に把握している凍夜だからこそ、その手法を見出すことが出来た。

 普通の調律というのは、霊体内部の各霊器群――魔導器官の状態を“正常に戻す”ことで、元来その専属魔法師:調律師により施される特別な処置だ。今までは、それを自己でやろうなどと思うものもいなかった。

 霊器というのは、生体で言うところの内蔵にあたる部位のこと。霊体の内部にあるのは、生体と相応するものの他に、魔導器官(干渉器官、活性器官、魔溜まりゅう器官、概念アストラル器官など)という部位が存在し、これらの器官が魔法の“利用”を可能にした。

 因みに凍夜は、この魔導器官の内の活性器官に何らかの異常が発生しために、魔力ヒスを沸かす――活性化の俗語――ことが出来なくなり、魔術が使えなくなったのだ。

 魔粒子というものが、そもそも人間にとって『害毒』以外の何ものでもなかったのに対して、『進化』と表するべきなのか、現存する人類が『魔導器官という霊障を有する魔族』が生き残った成果だという事実を言うべきなのか、どちらにしろ人類という種が後天的に手に入れたこの器官によって、人類は『害毒』を『魔法』という名の才能へと昇華させた。

 しかし、未だ持って魔粒子が害毒であることには変わりはない。

 その害毒を我々は魔法と称して常日頃から使っているのだから、その弊害が出たとしても何ら不思議なことではない。

 その弊害の最たるものが霊障ではある。そして、それ以外でも目立たぬところで異変が起きている。

 それが、魔導器官の機能低下だ。

 殆どの魔法師はそのことにまでは気付いていないが、魔導器官は酷使すればするほどその機能を鈍らせる。気付かぬのは殆どの場合、機能そのものの低下よりも、技・術の練度向上度の方が上回っているからだ。

 故に調律というものが必要となってくる。

 それこそ、丸っきり使えなくなるまでの機能不全を起こすとなると、尋常在らざる程に魔法を酷使していなければ起こりようもないことで、それが一流の魔法師以外には知られていない原因だ。

 そして、低下した機能では当然いずれ向上にも陰りが見えてくというものだ。なら、元に戻してやれば、今まで以上になることは必然であり、出来るなら常に万全の状態を保てる方が良いに決まっている。

 これからが一般的な調律の重要性であるが、小夜の場合はその『身』故に別の問題も抱えているために、他者よりもよりその重要性は高い。


※※※※


 オイルを洗い流し、今度は寝間着の浴衣姿で凍夜の元を訪れた。

 部屋に入ると直ぐにベッドへ横になる様に指示され、従って横たわる。

「それじゃあ、調律チューニングを始めようか。今日も眠りながらの方がいいかな?」

 小夜は若干顔を赤らめ、浴衣の袖で口元を隠して、答えた。

「……はい。いつも、申し訳ありません。本来は起きている方がやり易いのでょう?」

「まあね。でも、そんなこと気にしなくていいよ。どうにしろ、ホンのちょっとの差だし。確かに、調律中の小夜の反応に興味が無いとえば嘘になるけどね~」

 などと、意味深な含み笑いをしながら、軽口を返す。

 すると小夜は、若干だった顔を真っ赤にして、珍しく避難する様な口調で叫んだ。

「おっ!!お兄様~~!!!!!!」

 振り下ろすことはないが、手も拳を握って振り上げている。

「ごめん、ごめん。冗談だよ。大丈夫、チャンと眠らせるから」

 片手で小夜の振り上げた拳の手首を掴み、もう片方の手で頭を抑えてもう一度ベッドへ戻した。

「本当ですよ? 絶対ですよ? でなければ、私もうお兄様に顔向け出来ませんっ!!」

 これまた珍しく小夜が執拗に迫る。

「本当に!! 大丈夫だよ。信用して、ねっ?」

「はい、私には“もう”お兄様を信用していないときなどありません」

「よし、じゃあ目を瞑ってね。始めるよ」

 小夜に額に左手でを乗せる。

 小夜に意識を合わせて霊体ないぶを探っていく。

「それじゃ、暫くお休み」

 同時に小夜の内で魔法が発動し、小夜が眠りに落ちた。

 以前沙樹にもやってのけた芸当『無慈悲なる悪魔の囁き(エクティマイユ)』略して:エクテマ。

 相手の魔導器官を掌握しょうあくして、意のままに繰る、凍夜の魔法再構成マジック・リストラクションに並ぶ、凍夜の究極技の一つ。

 相手の魔法を支配する『波導調はどうちょう』の延長線上に当たる技であるが、勿論その難易度の差は段違いである。


 凍夜は小夜の魔導器官に意識を集中し、調律を開始する。

 先ずは、小夜の霊体内なかにある魔粒子ヒスを“空”にする。実は、この最初の作業である魔力の抜き取りが、本来最も厄介な作業だったりする。

 以前模擬戦の際に、大輔が魔力切れを起こしたが、実際のところ体内の魔力が本当に空っぽになったかと言うとそういうわけではないのだ。

 いくら使い切ったと思っていても、本能的に最後の最後万が一の備えのためにも、ある程度の魔力は無意識に使えない状態になっている。

 それを使い切る様な状況となると、それは命に関わる様な危機的事態か、薬・強力な暗示・特殊訓練などによりリミッターを外された者たちなど、通常とはかけ離れた事でしかあり得ない。

 通常の調律の際も、薬と暗示を利用して行う。そのため、この調律という作業は、多大な危険が伴う。

 魔力を削がれた状態の襲撃や調律師の裏切りによって、簡単にその命を落としかねないのだ。魔法師と調律師の関係は腕もさることながら、何より“信用”という面に置いて重視される。

 故に、調律師の選択は魔法師にとって一生涯のパートナーを決める程に重要な要素となってくる。

 その存在も広く知られていないために、その総数も僅かで、一人前に調律が出来る様になるまでに、20年と言われる程にその道は険しい。そのため、一流の調律師と称される者たちは、超高額の報酬と多大なる権利を有しているのだった。

 そして、その一流の調律師なる者たちにしても、調律に掛ける時間は早くても半日(十時間以上)は掛かる。それも、機械で受律者――調律を受ける者――の状態を把握しながら、様々な薬を投与しなければならいので、その苦痛も生半可はものではない。

 長時間の無防備状態と苦痛、普通の調律には切り離す事の出来ない、やむを得ない副産物だ。

 だが、凍夜の調律はそれらの調律とは丸っきり違う。エクテマを自在に施行する凍夜だからこそなし得る独自の調律方法だ。

 この方法ならば、覚醒状態であれば、霊波動を掴むのには多少の時間が掛かるが、調律自体は魔法が発動するが如く一瞬で終わらせることが出来る。眠っている状態でも、十分程度あれば終わらせられるというのだから驚異的だ。

 そして何より、小夜にとって凍夜以上に信用の置ける相手はいないのだから、正にこれ以上ないベストの状態だった。


 覚醒状態ならば一瞬で済ませられることをどうして、小夜がわざわざ凍夜に手間を取らせてまで睡眠状態で行わせたのか? それは、苦痛を伴わない代わりに、逆にある副産物が発生するためだった。

 魔力を空にする、このことは霊体的にも精神的にも実に良いことだ。

 何しろ、魔導器官は所詮、害悪を利用するために手に入れた苦肉の策でしかない。その害悪が体から取り除かれて、悪いことなであろう筈もない。

 そして、その際は今まで感じていた(実際に意識的に感じるようなものではない)ストレスから解放されることにより、一瞬にして快楽とも呼べる程の開放感に満たさせる。

 その快楽は、性的興奮にも通じる。

 故に小夜は眠っている状態での調律を希望する。どうまかり間違っても、あられもない姿を凍夜にさらせる訳がないのだから。

 戦時下で命からがらの死闘を経験した兵士の中には、そこに快楽を見出す者がいると言う。肉体的疲労そしてそれに伴う精神の抑圧、それとま真逆の霊体的解放とそこから来る精神の解放という二つの極限状態が相まって、普段では感じ得ない絶頂に達するというのだ。

 普通の調律の様に、薬漬けの場合には苦痛が先行して、開放感も何もあったものではないが、凍夜の調律ならば確実にもたらしてくれる。

 この場合、小夜にとっての善し悪しは別にして……

 実は、この調律こそが詠歌の言っていたアレ(2)の正体である。内容を鑑みるに、確かに女性があのように言うには、好ましいものではないので、こう言ったことを平気で言ってのける詠歌に対して、凍夜はある種の不安を抱えていた。


 小夜が目覚めると、時計のは十分強進んでいた。

「気分はどうだい?」

 凍夜が微笑みかける。

「とても良い気分です」

「そっか、なら良かった」

「お兄様はお疲れではありませんか?」

「大丈夫だよ。それに今日はこの後、僕にとっても『お楽しみ』が待っているからね(笑)」

「ぅっ!!」

 またも凍夜が小夜をからかう様に笑う。そして小夜は、今度は顔を真っ赤にして完全に絶句してしまった。

 今日の調律はこれだけでは終わらない。

 通常ならこれで終わりだが、今日はフルでやることになっている。故に、後一工程残っていた。

 強化調律チューンアップ、最早調律とは名ばかりの全く別ものの行いだ。

 強化の意味の通りに、能力を強化する特殊な処置で、本来ならばこれもきちんとした専門家の指導の下に行わなければ成らないことである。が、何を隠そうその専門家が凍夜であるので何ら問題なかったりする。

 凍夜はベッドに入り込み小夜の横に並んだ。

 小夜は寝そべったままで、凍夜を見上げ、凍夜は上半身だけを起こした状態で身を乗り出す様に、小夜の上を覆っている。

 凍夜の左手と小夜の右手はしっかりと握られていた。

 そして、徐々に凍夜の顔が下に降りてくる。

 これもまるで昼のデジャブの様だと思いながら、またしても凍夜の唇に視線を注いでいた。だが、今度の行く先は分かっている。

 ある程度凍夜の顔が近づくと、小夜は自然と目を閉じた。

 すると自身の心音がありありと感じられる。脈打つ回数はいつも通りだが、一回一回の鼓動の強さは生半可ではない。

 本当に破裂してしまうと思える程に強く、荒々しくしかし規則正しく打ち鳴らされる。

 そして、凍夜の唇が触れる。

 今度は一瞬ではない。

 現実の時間はそれ程経ったのだろうか……一瞬ではないが、それでも数秒、だが小夜にはその数十倍の時間に感じられた。

 自身の顔の中で熱も持っている場所に意識を集中させる。その唇に。

 ただ触れ合うだけの児戯にも等しいキス…………愛を求める故の行為ではなく、必要であるからというだけでの行為。

 だが、それでも想いが込み上げてくる。たったそれだけでも、愛しい人と繋がっているという確かな感覚が……そして、それ以上に強く触れ合う魂の感触が……

 だが、その時間も終わりを告げる。

 凍夜の唇がスッと離れた。

 凍夜はそのまま横になると、少し強引に小夜の体を引き寄せてそのかいなに抱く。

「今日は、もう寝よう?」

「はい……」

 凍夜の腕に抱かれ、その胸に額をあずけ小夜はすんなりと眠りに落ちた。

「おやすみ」

 規則正しい吐息が聞こえてくるまで、少し待ってから、額にキスしてまた元の様に抱きしめた。

 まるで大切な宝ものを守るかの様に。


《BGM:Close To Your Heart/愛内里菜》

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