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優しい月のトリニティクロス~My dear elder brother~  作者: F/L
二章・氷上の平穏
45/73

45.裁きと鮮血 吸血の少女《ヴァンパイアガール》

 流石に荒れた状態で凍夜に会えるわけもない。申し訳ないという思いを抱きつつ、きっとお兄様にはその全てをお見通しなのだろうけど、それでもこんな自分を直接晒すよりはずっといい……

 そう思い、小夜は気分が完全に立ち直るまで湯船につかっていることにし、そしてすっかり長湯をしてしまった。

 だが、その甲斐もあり、気分を持ち直すことが出来た。

 さっきまでの考えが無くなることはない。しかし今は、悲観的なことばかりを考えているわけではない。

 入浴剤の精神作用の効果が現れて、暫くの間はマイナスに感情的にならず、客観的に捉えさせ、混迷ではなくきちんと思考出来る状態にさせている。

 凍夜は日頃から、良く考えるようにと言っている。

 そして、彼の言うこの言葉は勉学という枠に捕らわれない。況して、それは思い悩めと言っているわけではない。

 確かにときにそれが必要なこともあるかも知れない。しかし、固執した思考に捕らわれて導き出された答えは、ときに曲解となり得る。

 いつも正しい答えを出せとは言わない。

 更に言えば、人生には正解とされる答えなど本当の意味では存在しないのだから、とこれも彼の言葉だ。

 当人に取ってすら、その時の正解が後の不正解になることも、その逆も、将又更に後で逆転することだって、あり得ないことではなく、その時になって見ないと分かりようもないことなのだと。

 ならばせめて、今の自分の思い描く最善を考えて欲しい。狭い視野で捉えたものではなく、より広い視野で導き出された答えは、少なくとも前者よりは、ぶれにくく強固である筈だから。

 そして、以前一度だけした話を思い出す。

『例え、それが誰の目から見ても、救いのない悲惨な状態であったとしても、当人がそれを幸福と感じるなら、それは間違いなく幸福なことなんだよ』

 また逆も然り、周囲からの視点による幸福な光景が、当人にとって幸福とは限らない。

『それが良いことか悪いことか……それは“他人”には、決めつけることも、どうにかする権利もないんだ』

 所詮世界とは自己の認識の元でしかあり得ないのだから。

 小夜は初めてそれを聞かされてとき、凍夜が自分に対してそう言っている様に感じ、拒絶された気になって悲しくなったのを憶えている。

『でも、もしその人を想って、その人を哀れむなら、迷わないで手を差し伸べて』

 その言葉を聞いてその思いが早合点だと知る。

 つまり、世界が自己の認識というならば、それは――

『そう出来たなら、そのときから君はその人の“世界の一部”なんだ』

 そう、ならば――

『世界の常識を覆せるかも知れない』

 遠巻きで眺めやる者には出来なくても、相手を想い親身になれば、想いは届き、そしていずれは、その者の在り方をも変えることが出来るかも知れない。と、そう小夜は解釈している。

 これは、凍夜に教わったものの中でもかなり大切にしていることの一つとして、いつも胸に留めていることであり、また実際に小夜が凍夜に与えて貰った影響でもあった。

 ――筈であったのに、先刻まではこんな大事なことも頭に無かった自分が情けなくなる。

 やはり、悩んでいいことなど有りはしない……とは結論づけなかった。今こうして、改めて思い返すことで、このことが自分にとってどれ程大切であるかが再認識出来たのだ。それはそれで、やはり得難いことの一つだと、受け入れる。

 悩むもよし、惑うもよし。

 でも、もうこの言葉は片時も忘れない様にしようと改めて堅く誓った。

 例え自分がまだ許せないとしても、こんな自分でも、凍夜の世界を変えることが出来るかも知れないのだから。

 脱衣所の洗面台の鏡に映る自分に向かって宣言する。

「待っていて下さい、お兄様! 私は絶対にお兄様を解放して差し上げます」

 表面上、強制的には簡単かも知れない。だが、それでは意味がない。凍夜自身がそれを望まない限り、それは解放とは言えない。

 どれ程掛かるか分からない。今はまだ、何をどうすればいいのかすらも分からない。

 でも、やり遂げたい。凍夜が自ら望んで、もっと自由な道を選んでくれるように。


※※※※


 脱衣所から出て、凍夜が準備して待っている筈の一階にある和室に、急ぎ歩を進めた。

「お兄様、小夜です。遅くなりました」

「お入り」

 部屋の中へと声を掛けると、中から凍夜の声が返ってきた。しかし、小夜はその声を聴いて、身が引き締まるという感覚を超えて、若干寒気がした。

 凍夜の声が、まるで機械の様に全く感情の色を含んではいなかった。

 戸を開けると、左側にマットがこちらから見て縦に敷かれ、その隣、丁度入り口の正面の位置で凍夜がマットの方へと向いた姿勢で正座していた。

 凍夜の格好は、いつもの部屋着でTシャツにハーフパンツという和室には不釣り合いな格好ではあるが、その姿勢は見とれる程に様になっている。

 小夜が部屋に入ってその凍夜の横へと、凍夜を正面に捉える方向で正座したのを、音で判断した凍夜は、目を開けて、小夜と向き合う様に向きを変えた。

(――っ! お兄……さま…………)

 その瞬間、凍夜からいつもの暖かさが伝わってこず、小夜はそれだけで戦慄した。

「僕が今、どう思っているのか。それは分かるよね?」

「はい……」

 やはり、声に表情がない。今までに凍夜の怒気を感じたことがあるが、それとは違う。

 丸っきりの無表情だった。

 しかし、今までが余りに柔和で暖かかったため、その差だけでも身を裂かれる程に冷たさを感じる。まるで、拒絶た様な恐怖が身を包む。

 小夜がこんな凍夜を見るのは初めてだが、凍夜は別段隠していたわけではない。単に、今まで見る機会が――凍夜がそうせざる得ない事態がなかったというだけだ。

「その理由も分かってる?」

「――――は……い…………」

 凍夜の機械の様な無機質さに、小夜はまともに凍夜を見据えることすら出来ないで、歯切れ悪く小さく返事をする。この返答をすることだけすら、最早やっとという状態だった。

 目の前に凍夜がいるというのに、いつもの暖かさが伝わってこない……たったそれだけのこと…………ただそれだけのことにも関わらず、小夜は幼子の様に恐怖し、泣きたい衝動に駆られていた。

 今はただただ怖くて、自身がだらしないと叱責することや、シャンとしろと活を入れることなど微塵も考えられなかった。

 凍夜がポケットから何かを取り出し、スッと手が動く。

 小夜は瞬間に、反射的に顔を正面に動かした。

「――っ!!」

 視界にそれを捉えた瞬間には、理解よりも早く体が反応して、息を飲むと同時に体が硬直してしまった。

 動かない様にと、凍夜が指示する。

 小夜の目には、凍夜の手に握られたナイフが映っている。

 そのナイフが首筋に当てられ、その先端で弾力を確かめる様に、首筋の肌を軽く突いていた。

「分かってると思うけど、これは罰だよ」

「お兄様!! 辞めて下さい。もう、あんなことしません。絶対です」

「駄目だよ」

 凍夜は無情に言い放つ。

 普段は小夜に対して、かなり甘い凍夜ではあるが、罪を犯したなら決して放置するようなことはせずに、然るべき処置を施す。とは言っても、それはこれが初めてだ。普段、小夜が罪を犯すことなど有りはしないのから当然である。

 そして、最初だからこそ、その罪の意味をしっかりと理解させなければならない、それがどれ程のことなのかということを。その罪の重さをしっかりと焼き付けて、心からそれを出来ない様に縛るために。

 だが、小夜に対して、肉体的苦痛は罰としてあまり意味をなさないことが多い。それこそ、それだけをもって罰するのならば、拷問という程のことをしなければならないが、無論凍夜がそれをやる筈もないのだった。


 凍夜の手に力が入り、ナイフの先端が首の皮を少し裂いた。

 その瞬間、小夜が言葉にならぬ程の悲鳴を小さく上げた。

 ナイフを退けると、そこからツーっと赤い線が首を伝って下に進んでいく。

 凍夜は血の出る首筋を突き出すように頭を倒して、

「飲んで」

 っと、小夜に自分の首を差し出した。その声には、もうお終いだとでも言うように、暖かさが滲み出ていた。

 小夜は勢いよく凍夜に飛び込み、その首の傷口に唇を這わせる。先ほどの声に安堵を感じて、頬には涙がつたっていた。

 ――――――――暫く無言の時が流れる。

 小夜は凍夜の首筋に食らいつき、まるで吸血姫ヴァンパイアガールの様だ。実際のところ、吸っているのではなく、単純に飲んでいるのだが、光景的には大差ない。

 昼の膝枕といい、どうもポジションが男女逆転しているのだが、ある種これが自分たちのスタンスなのか? と、凍夜は場に全くそぐわないことを考えていた。

 凍夜は今、飛び込んできた小夜をしっかりの受け止め、体に両手を回して抱きかかえている状態だ。いつもそうする様に、左手で小夜の頭をあやす様に幾度も撫でる。

「ごめんね。でも、これで分かって貰えたよね?」

 凍夜の服を握る小夜の手にグッと力が籠もり、無言ながらも、コクッと軽く頷くことで肯定を示した。

 出血が止まった様で、小夜の唇が首から離れ、凍夜との体の距離も少し空けて、お互いの顔がはっきり見えている位置で停まった。

「はい!……はいっ……ごめんなさい」

 泣きじゃくって、声を出しづらい状態だったが、これだけはしっかり伝えなければならないと、精一杯に答えた。

 その声を聴いて、今度は凍夜の方から小夜を自分の胸へと抱き寄せた。

 罰するためとは言え、流石に小夜には辛いことだ。

 何しろ、凍夜が自分の体を傷つけたのだから当然だ。

 どんなことでさえ凍夜に傷ついて欲しくないのに、その理由を作ってしまったのが他ならぬ自分だとなれば、平気でいられるわけがない。

 これこそが罰だ。小夜自身の体にいくら痛みを刻みつけても、ときが立てば痛みは消える。しかし、こうして刻みつけた心の痛みは、毒針の様にいつまでも痛み続ける。故に罰たり得る。

 そうは思うが、だがやはりそこは凍夜だ。

 刑の執行人として、いつまでも冷ややかに徹することが出来なかった――かと言えば実のところそうでもない、そうでもないが、だがやはりそうしたくはなかった、というのが本音だ。

 そのために首筋にしたのだ。きちんと両手で小夜を抱き留められるように、自分の血を飲ませながらでも抱きしめられるように。

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