33.凍夜の技術(ちから)
それを、正に――強化や防御が一切ないという意味で――直撃した大輔はその場に大の字に倒れた。
最早、指一本すら動かせる状態ではない。
魔法の直撃を見ていた友人たちは彼に掛けより状態を確かめる。
「やめろ、てめ~らっ!! さわんじゃね~」
大輔は助けに来た友人たちに声を張り上げて抗議する。そして、誰かがさわる度に、やめろと苦しそうになる。
次第に友人たちは、そんな大輔が面白くなり、余計にツンツンとアチコチを突き始めた。
「ちっくしょ~~、てめ~ら覚えてやがれ。治ったら、ぶっ飛ばしてやるからな~」
大輔には、凍夜よりこの悪友たちの方が余程悪魔の様に思えてならない。
そうしている内に体の痺れが漸く動ける程度まで、納まってきた。そして、周りに集る悪魔共をどうにか蹴散らした。
だが、まだ完全ではない。正座で痺れた足に感覚が戻るまでのあのいたたまれない感覚。今はそれが大輔の全身を駆け巡っていて、色んな意味で正気でいられない。
くそ~っと唸りながら、地面の上を汚れるのも構わずにのたうちまわっていた。
大輔が回復するのを待って、凍夜の号令で皆が最初と同じ状態に集まった。
そして凍夜は、今から模擬戦で見せたことを語り始めるのだろう、と皆は思っていたのだが、解答は寄越さなかった。
凍夜は言う、『今からが思考の時間』だと。
生徒たちは凍夜がやってのけた四つのことを思い返す。
一つ、特殊な動き。
二つ、相手の魔法を操る。
三つ、魔法ではないという黒い箱を出した。(攻撃を防いだ)
そして、四つ目。あれは、今まで見た中でも目にはっきりと見えて、そして最も驚くべき現象だった。
そして、その四つの内二つ目と三つ目にやってのけたもの、アレらはもう既に自分たちの普段の魔法の中に――魔法を使う行程の中、即ち魔導の要素に答えがあるのだという。
それらは段階を分けて説明をするので、今は自分たちの魔法をもう一度良く見直しながら魔法を使う様にとして、その後は軽くヒットボールをやるようにと指示しただけだった。
そして、授業の終わりに凍夜は二つのことを告げた。
一つが、実のところ詠歌は、実技授業は元から凍夜に担当させるつもりでいたこと。
もしこれを、授業の最初に言っていたならば、いろいろ騒ぎも起きていただろうが、先刻凍夜の不可思議な技を見せつけられた後であったがために、誰も異論を唱えるものはいなかった。
凍夜の狙いは、紆余屈折して余計なことも多々やらねばならなかったが、これで、今後の授業はスムーズに出来る筈なので、概ね成功したと言っていい。
もう一つが、明日の最後の授業で二つ目のことを説明するので、それまではネットなども利用し、兎に角自分なりに考えて見るようにというもの。
そのヒントとして携帯・魔導波というものであったが、これだけは分かるものは流石にこの場にはいなかった。
そして、一つだけ禁止事項も言い渡された。
それが、ネットを利用する際『アップルツリー』というサイトにはアクセスしてはいけないというものだった。
現在の世の中に置いてこのアップルツリーというサイトは、個人サーバーのサイトでありながら『神の知識』と称され、魔法のありとあらゆる知識がそこにあるとされる程のサイトで、魔学生は勿論のこと、数多くの科学者までもが利用しているとされている。
この中にも当然受験のためやそれ以外のことでも、普通に利用している者がいてもおかしくはない。しかし、今の時期に安易な方法で答えへと辿り着く様な事をしていては、後々自身のためにならないからと、念を押して制したのだった。
※※※※
帰宅してから、凍夜にしては珍しく部屋に向かうより先に居間のソファーで、大きく息をはき出して腰を下ろした。
肉体的な疲労というものは当然ないのだが、神経を酷使したことにより、流石の凍夜も精神的な疲れを感じずにはいられない。
凍夜がああいった立ち回りをするときには、常の数倍の集中力を必要とする。
勿論、誰でも戦いともなれば神経を研ぎ澄ませるものだが、凍夜のそれは他の者たちと一線を画す。
大輔との模擬戦で圧倒していた凍夜ではあるが、その実余裕というものは無かった。
確かに大輔は高一にしては随分な芸当をやっていたが、そのことはあまり関係が無い。凍夜の場合、相手が誰であろうとも魔法戦に置いては気を抜くことは出来ない。
考えて見れば当然の話なのではあるが、魔法を使えない者が使える者に挑むのだ。それは全くの素人が、プロボクサー相手にボクシング勝負を仕掛けている様なものだ。普通に考えたら、勝負以前の問題なのでる。
更に言えば、凍夜がやってのけていたものは、どれも尋常在らざる集中力を必要とする。
『まともな者』はそんなことをするくらいなら、魔法を使う。
これも当然の話だが、ただでさえ神経を使う戦闘なのだ。その上更に魔法以上に神経を使っていたのでは身も心も持つわけがない。集中力は無限ではないし、戦争ともなれば集中力が切れるということは、それは即ち死を意味する。故に凍夜のやっていた技法は廃れたしまった――いや、先ず持って実践されることすらなかった。
そんなことをやってのけていたのだから、凍夜の疲労は尋常ではない。
そこへ、小夜は紅茶を淹れて持ってきた。
「お兄様、どうぞ」
それに、感謝を述べて紅茶を受け取り、カップを引き寄せて深く呼吸し、その香りを肺に満たす。
この紅茶には香料が混ぜられている。今回のは精神疲労の回復のために、リラックス効果の強いものを小夜に入れさせた。
本来なら紅茶そのものの香りを楽しむのが筋なのであろうが、生憎と凍夜は紅茶には詳しくない。故に、紅茶への冒涜であるとは思いつつ、それでも申し訳ないという思いから、常に一番安いパックのものを買い、その紅茶へと特製の香料を混ぜて飲むのだ。
小夜も凍夜と同様に香りを楽しんでから、紅茶を口に含む。
「私は紅茶に詳しくはありませんけど、やはり何度飲んでもこの『お兄様』の紅茶に叶うものはないと思います」
自分で淹れた紅茶をそう表現する小夜。
紅茶に混ぜている特製の香料というのは、何を隠そう凍夜が調合している物なのだ。
そして、それだけではない。大輔との戦闘時に口にした薬、アレも凍夜が作った能力強化の薬で、あのときのは視力――主に動体視力――を飛躍的に向上させるものだった。
「うーん……、そう言って貰えるのは嬉しい限りだけど、やっぱり愛好家の人には絶対言えない行為だけに、ちょっと複雑かな?」
「ふふっ、確かにそうですね。ですが、この香りと味を知れば、その方々の意見も変わると、私は確信しておりますわ。それに、安い紅茶をこれほど美味しく頂けるのですから、経済的です」
最後の台詞は他人からしてみれば、紫司が何言ってやがるというところだが、二人の生活は至極庶民的なもので、普段から倹約生活を送っているため、それはそれで意味のあることだった。
小夜は終始笑顔で紅茶を飲み干した。
いつもの様に食事を済ませて、今はまた居間で雑談を交わしながら寛いでいた。
制服を着替えた後、二人で夕食を作った。朝は凍夜が殆ど調理の行程を片付けてしまうが、夜はこうして二人で作ることが日課であり、小夜の至福の時間でもある。
もし、自分がここに来るのがもう少し遅かったなら、そういうことも無かった筈なのだと考えると、あのときここまで来たのは本当に正解だったと、小夜はそう思う。
その料理にも紅茶と同様に、但し料理に合わせた香料を使い、凍夜の回復を促した。
そして、今は雑談を興じている。
小夜は大輔との模擬戦からずっと気懸かりだったことを、それとなくタイミングを計り凍夜に訊いた。
「お兄様、どうしてわざわざ『ミステリオン』と『マジック・リストラクション』をお見せになったのですか?」
大輔との模擬戦で見せた技、アレらをわざわざ使う必要など本来どこにも無かった筈だと、凍夜に問う。アレらを使わなければ、凍夜の疲労はもっと軽微だったのだ。
いくら誤算があったとは言え、凍夜なら大輔をあしらう程度は容易だ。
最初に見せることになった動き――恐らく皆は体術だと思っているだろうが、実は違う。アレは、『ジャイル』と言う技で、ある魔法技術の応用派生技の一つであり、動きそのものに何かあるわけではなかった。そのジャイルだけでも、十二分に大輔をルール通りに倒すことは出来た。
「彼にも言ったように、アレは彼への礼儀だよ。あれ程までに本気で挑んでくる相手に、手抜きでは申し訳ないだろ?」
凍夜はそう言うが、やはり小夜には納得出来ない。
確かに、二つ目に見せた技能――最早技とすら言えぬ程の名も無きその技能が、今後のことに必要だと言うのは分かる。だが、三つ目四つ目の技となると話は変わってくる。大輔は巧妙な技術を見せたが、だからと言って、こう言ってはなんだが、はっきり言って釣り合いが取れるものではない。
「それに、いずれは……まあ、マジック・リストラクションは無理だろうけど、『ミストライズ』くらいは、教えておくべき技術だと思っていたからね」
特に最後の技、アレは魔法が使えぬ凍夜が行き着いた究極の一つだと言っていい。それを、簡単に他人に見せてしまった。小夜にはそれが口惜しかった。
誰だって自身の苦労した成果を簡単には披露しないものだ。見せるなら公の場でと思うのは当然の思いだと小夜は思うのだが、凍夜にはそれがないと言う。
しかし、それが本心なのかどうか、小夜には分からない。そして、凍夜の真意を理解仕切れない自分を恨めしく思う。
だが、何より恨めしいのは、紫司という家だ。『凍夜はその存在を証明しなければならない、しかし公の場――彼らの言うのは世界的にと言う意味――には出てはならない』と言う、二律背反の命を紫司の家から厳命されているのだった。
小夜が凍夜の真意を測り兼ねる理由はこれにある。本当にそうなのか、将又紫司の命故なのかと……
だが、これは『紫司凍夜』という人物の存在そのものに関わるもの故に、自分が簡単に口を挟むことを許されぬ領域にある。
だから、悔しい。本来ならもっと評価を――――いや、その存在を、『自分自身という存在』を証明出来うる技術を持ちながら、それをしない或いは出来ないこの兄という存在が、それをただ檻の中でしか使わぬということが。そうさせる『紫司』という家が……
そのことを思っての問だった。
※※※※
《マジック・リストラクション》
その一言と共に、凍夜の腕が振り下ろされた。
その瞬間、大輔の頭上の魔弾が放った本人に向かって落ちていった。
そして、皆はその落ちる間の一瞬に、初めて見るあり得ない現象を見た。
大輔の放ったのは紛れもなく単なる魔恍の弾であった。しかし、大輔に直撃したそれは魔弾ではなく。一筋の雷だった。
単なる輝く球体が、彼に落ちるまでの間に雷へと変化――作り替えられたのだ。
『魔法再構成』それは、正に魔法が使えぬ凍夜が行き着いた究極の一つだった。
魔術師にとってこれ程の驚異は存在しない。何しろ、自分の魔法が相手の意思に従うのみならず、その魔法そのものまでをも作り替えられてしまうのだ。
それこそ正に魔術師にとって『悪魔の所業』というべき信じ難いものだった。