30.模擬戦1
大輔は苛立っていた。自分の愚かしさに。
(わりーなユージ、俺はお前が思っているほどいい人間じゃねーよ)
中学時代の友人のことを思い浮かべ、自分を信頼する友人へと謝罪した。
彼がこれからしようとしていることは、人助けでもなんでもない。ただの暴力、八つ当たりだ。
自分でも最低だと言うことは分かっている、しかし人間感情の全てを制御することなど出来よう筈ものない。故に今はただその衝動に従う、例えこのあと自分の処遇がどうなろうとも……
「ルールはっ!!!?」
「シンプルに、相手にヒットさせて地面に倒れるまで。というのはどうでしょう?
勿論、足場が悪くて転倒というのはノーカウントで。
使用する魔法に制限なしです」
「O.K.」
そう応えて大輔は集中し始める。
凍夜はポケットから何かのケースを取り出し、口に含んだ。その出し入れの際に、魔導波を微弱ながらに感じた。
「こちらも準備は完了です。では、始めましょうか」
カリッ! っと、凍夜が先ほど含んだ薬をかみ砕く音が微かに聞こえた瞬間に大輔だ仕掛けた。
全身を強化しいる大輔の動きは速い。15m程離れていた筈の距離が一秒に満たない時間で詰められた。
始めに先制の右ストレート、大輔の予想に反して凍夜の動きは緩慢だった。始めの一撃は牽制のつもりでしかし本気で掛かった。
『力の証明をする』と言ったのだ、まさか一撃目から入れられるとは思っても見なかった。そして、凍夜のことが頭を過ぎる。凍夜は魔法が使えない、ならばここまま自分が本気で打ち込めばどうなるか……それを考えて動きを鈍らせる。だが、それだけで拳が止まることはない。
ほんの少し威力が弱まっただけの大輔の拳が、凍夜目掛けて振り抜かれた。
拳は振り抜かれた。空を。
今まで目の前で止まっていた様な凍夜だが、実際のところは動いている。そのお陰でギリギリのところで大輔の拳は当たっていない。
大輔はバックステップで一旦後ろに下がった。
「ふざけてんのかっ!! てめぇ~!!!?」
生身の相手に対して、魔法で強化された拳は最早暴力というよりも兵器に近い。もしも、先ほどの一撃が当たっていたのなら、凍夜は病院送りだった筈だと大輔は憤慨する。
確かに、始めからフェアな闘いではない。しかし、大輔とてそこまでするつもりは毛頭無い。
「まさか。いつでも真剣ですよ、僕は。小野くんも仮にも殺すと言ったのなら、その半端さはやめて下さい。大丈夫ですよ、本気でやって。
もし万が一不安があるというのなら、こうしましょう」
凍夜が提案する。もし、凍夜が致命傷を受けそうになった時点で、小夜が止めに入るというものだ。そして、小夜が止めに入った時点で凍夜は負けとなる。
大輔としては小夜の実力が分からない故に不安がある。だが、凍夜がそれを一蹴する。
『君たちにどうこ出来る程“紫司”は甘くないですよ』っといつもの口調でやんわりと言っているのだが、大輔を始め生徒たちは気圧された。まるで、重力を幾ばかりか重くされた様な感覚。
そして、皆は改めて思う。目の前にいる人物が誰なのかということを。
「では、再開しましょう」
凍夜は掛かってこいと大輔を挑発する仕草をとる。
大輔は凍夜の言葉で先ほどまであった怒りが吹き飛ばされた。だが、闘争心は更に燃え上がり、今度そこ本気で病院送りにするつもりで動き始める。
仕切り直しの意味を込めて、先刻動揺の右ストレート。
しかし、やはり今度も凍夜の動きは緩慢だ。そして、小夜が止めに入ることもない。
大輔は、捉えたと思うも先ほどの様に拳を鈍らせることはない。
正に、渾身の一撃を放った。だが、今度も正に紙一重というところで凍夜が躱した。
透かさず振り抜いた右腕で裏拳を放ち、今度こそ躱しきれぬ筈の攻撃。
しかし、それも当たらない。
確実に当たる筈だった位置が、ホンの僅かに凍夜が下がっただけでまた紙一重で躱された。
幾度攻撃を仕掛けても、凍夜にそれを悉く躱される。
凍夜の動きは間違いなく常人がゆっくり動くもののそれと変わらない筈なほどに遅い。しかし、単純な身体能力ならプロの格闘家を遙かに凌ぐほどに強化した大輔の拳が、蹴りが凍夜を捉えることがない。
まるで幻影を相手にしているかの様な感覚に、一応熱源感知による知覚魔法を使ってみたほどだ。
しかし、やはり目の前にいる凍夜は当然幻影などではない。
だが、その実在する筈の凍夜が大輔には捉えることが出来なかった。
状況だけで言えば防戦一方の凍夜だが、この場を支配しているのは間違いなく凍夜だった。
そして、その状態が5分程続いたころ、凍夜が動いた。
大輔が凍夜を見失った。
さっきまで目の前にいた凍夜が、忽然と姿を消したのだ。
あまりの出来事に周囲の確認も出来ぬまま、呆然としてしまった。
そして、後ろから声が掛けられる。
「さて、そろそろいいでしょう?」
大輔は驚いて振り返る。
「君のその攻撃が僕に通用しないのは、これで分かって頂けたと思いますので、そろそろ本当に本気を出して頂けますか?」
大輔の頭の中では凍夜の動きがデタラメ過ぎて理解出来なかった。魔法を使えば、必ず魔導波が生じる。
それは常識であり、そしてそれは例えBアムズを使ったとしても同じ事。
先ほど凍夜はポケットから薬を出し入れしていた。その時に魔導波は感じられた。
あれは別にポケットの中に入っているわけではなく、ポケットに手を入れたときに――恐らくは普通のより少し大きい腕時計型の携帯端末がそれなのだろうと思う――それを使って格納していたものを取り出した筈だ。
だが、今は何も感じなかった。
これが、凍夜の言っていた力なのかと大輔は感嘆する。確かに凄いことだ。
どれ程卓越した魔法師といえど、魔法を使えば魔導波が生じる。それがないということは、それだけで十二分に驚異となり得るからだ。
凍夜は言っていた、魔法について考えて貰うと。なら、これは自分たちにも習得出来ることなのか? っと、戦闘のことを忘れて思考に耽っていた。
「思考することいいことです。ですが、今はまだそのときではありませんよ。
取り敢えず、そのイヤーカフを外して貰いましょうか。それ、サイレンサーですよね?」
「っ……なるほど、気づいたか」
普通、魔術士が呪具:エフェクターを付けるとしたら増幅具:アンプだ。しかし、大輔は魔消具:サイレンサーを付けていた。
魔力を押さえつけたり、演術を限定させたりする効果を持つ魔消具。そんなものを付けていては確かに本気も何もあったものではない。
「安心しろよ。俺も本気だ。こいつは飛弾型を抑えてるだけで、魔力(効力)を抑えてるわけじゃないから――
「僕はその飛弾を出して欲しいと言ってるんですよ」
大輔の言葉を遮って凍夜が話し出す。
実のところ、大輔の接近戦は凍夜にしてみれば誤算でしかない。
確かに、魔法強化型の近接戦闘様式自体は珍しいことなどないが、やはりこの時期の高校生は先ず放出系の派手な魔法を好む傾向にある。
凍夜としては本来それを狙っていたのだが、残念ながら大輔は喧嘩スタイルが好みらしい。
先ほど凍夜が見せたものは、確かにそのうち教えるものではあるのだが、今は先ずもっと別に考えて貰わなければならないことがある。
その為には、飛弾型を出して貰うのが分かり易いのだが、大輔にそのつもりがない様なのが痛いところだ。
「僕は確かに自身では異常があって、魔力の生成は出来ませんけど――」
凍夜は仕方なしに、如何にもやれやれと言った態度でポケットから――大輔の見立て通り、凍夜の(かなり)特殊仕様の携帯に搭載されているCシステムにより空間転移の魔法を使って――黒い扇子を一本取り出した。
「――魔法器を使えば、それなには戦えるんですよ」
その言葉が終わると同時に、閉じたままの扇子を軽く縦に一振り薙いだ。
そして、先刻感じた様な微弱なものではない、魔導波を感じた。
ドンッ!!
大輔が後ろを向いて確認してみると、人間一人くらいなら裕に埋められる程の穴が空いていた。
「これで、僕も放出系魔法ありです。小野くんも使って頂けますよね?」
そういう凍夜は笑顔ではあるし、声の調子も普通な筈なのだが、目が見えないことと先ほどの一撃も相まって、とてもそうは見えない。
「あっ……ああ……」
これは暗に命令に等しい。大輔はそう感じた。
凍夜が取り出したのは、魔法器と言われる魔法具の一種だ。
活性魔粒子を特殊なCartridgeに詰めて、それを使い魔法を発動させえるシステム――Cシステムが組み込まれた魔導具が即ち魔法器であり、時に魔法兵器という呼び方もする。
凍夜としては今はまだこの時期の高校生に、こういった法具に頼ったやり方というのをあまり見せたくはないのだが、導具も使い方次第であるということを見せる良い機会だと思い直して大輔との模擬戦に意識を向ける。
「では、ここからが本番ということで、宜しくお願いしますよ」
「ああ、いいぜ。見せてやるよっ!! 正真正銘本気って奴をよ」
耳に填められていたカフスを取り、さっきは気圧された様な感じで応えたが、今の大輔は大いに湧いて、嬉々として応えた。
初めての全力全開の魔法戦、高校生男子が心躍らぬわけがなかった。