28.嵐の前の静けさ
席に着くなり机に突っ伏し、大きく溜息をつく凍夜。
今日の登校はかなりの疲労を強いられた。よもや毎日こうなのかと思うと流石の凍夜も疲れを感じずにはいられない。
若干本気でこれからは小夜と一緒に教室まで空間転移してしまおうかと思い、
(今の小夜じゃ一人でこの狭い空間は無理だから、僕が手を貸して……慣れてきたら、一人でやらせれば良い練習に…………)
なんてところまで、具体的に考えてしまっていた。
しかし、流石にそんなことはしない(させない)。
凍夜は自身で出来うることは出来るだけ体を使った方がいいと考えている。
昨日の花見も小夜と二人だけだったなら、歩くのも一つの手だと思っていた程だ。
ここからだと桜の園まで歩いて三時間程掛かるが、小夜ならデート気分で喜んだに違いない――――などと考えていると、ふと改めて自身の考えていることが小夜のことばかりであることに気づく。
(シスコンと言われるのはこれか?)
はっきり言って、今更だ。
だが、今まで凍夜は家と学校とではその思考分野がまるで違っていた。
誰だってそうだろう、家族といるときの自分・友達といるときの自分・恋人といるときの自分――――皆誰しもそれぞれの状況に応じて見せる面、考えることは違う筈だ。
別にこれは自己を偽っているわけでも、作っているわけでもない。これは人として当然のことだ。人のあり方は絵の様な一面だけではないのだから。
人間とはもっと複雑で多角的な――例えるならサイコロの様なものだと凍夜は思っている。
故に、小夜と家で二人きりでいるときに小夜のことを考えるのは当然のことであり、学校ではその他のことを考えることも同然なのだ。
昨日小夜は、自分といるとき以外の凍夜のことを自分が想像したことがないことにショックを受けていたが、それも凍夜に言わせれば当然のことなのだった。
しかし、今はその二つが一緒の状態で在る。
となれば当然、
(シスコンって言われるわけだな……)
っと自分で納得してしまう。
最も、それを教室で言ったのは神埜だけであり、その神埜は詠歌から聴いた情報であるということを踏まえると、姉から見た視点からでさえもそう見えるということなので……
「……あまり考えないことにしよう」
そう結論(?)を出した――人はそれを逃避という――凍夜だが、それが声に出ていた。
「何を?」
横合いから思わぬ相づちを受けて、驚いてしまった。
「えっ?」
そして、振り向いた視線の先に沙樹がいた。
「もう、シヅカちゃんってば!! さっき声かけたのに、聞こえてなかったの?」
「すみません。ちょっと考えごとしてました。おはようございます、中島さん」
「おはよう、凍夜くん」
《沙樹BGM:ミネラル/七緒香》
『凍夜くん』今まで、沙樹がずっと呼びたくても呼べなかった凍夜への呼称。しかし、昨日は二つの告白をし、更には凍夜の更なる秘密の一端に触れてたことにより、踏み込むことを決意して、そう呼ぶことにしたのだった。
凍夜は、驚いていた。まかさ昨日の今日でまた普通に話せるとは思っていなかったからだ。
昨日はあのあとも最後まで一緒にいた。だが、その場では気を張っていられただろうが、家に帰れば落ち込むだろうと思っていた。自分はそれだけのことをした、その自覚はある。
一夜明けた今でも――――いや、今にしてこうして接していられる沙樹という少女を、凍夜は今まで見くびっていたと自身の考えを改めることにした。
「凄いですね。まさか、もうこうして話しかけて頂けるとは正直思ってませんでしたから」
思っていたことを正直に言葉にした。
「当たり前よ。確かに家に帰ったら落ち込んじゃったけど……よくよく考えて見たら、あたしってべつにフラれたわけじゃないのよね~~」
「はいっ?」
この発言には更に驚くしかない。何しろ自分ははっきりと彼女の告白を、『好きだ』という告白を断っているのだから。
「だって、そもそも凍夜くんの中で、あたしって性別は女でも、女という対象ですらないわけでしょ? でもそれは、別に除外されたってわけでもなくて、単純にそういう情緒がないってことなのよね? だったは話は簡単じゃない?
もう……要はシヅカちゃんってば、背も高いしもういい年なのに、精神年齢が小学生低学年並ってことなのよ。昨日は悔しさとか、泣かないって反骨精神で言っちゃったようなものだったけど、今度こそ本気で言うわよ。私は貴方を惚れさせてみせるわ。どう? あたしっていい女でしょ?」
凍夜はあっけに取られていた。
まさかこんな切り返しがあるとは思っても見なかった。
だから凍夜も茶化さずにきちんと答えた。
「ええ、そうですね。本当……いつか思わず、惚れてしますかも知れませんね」
だが、残念なことに沙樹には本気ととって貰えなかったようで、沙樹はプイッと顔を背けて自分の席についてしまった。
しかし、実のところそうではない。
(全くこの天然ジゴロめ~~、自分にその気がない癖に、女をその気にさせるのが上手すぎるのよ)
沙樹の言う通り、凍夜の全く意図しない効果が見事に沙樹に現れていた。
凍夜に言われた瞬間に、顔に熱を感じて凍夜の顔を見ていられなくなったのだ。
「おはようございます、沙樹さん」
「おはようございます、小夜さん」
まるでタイミングを計っていたかのように小夜が教室の中に入ってきた。
鞄を手には持っていないし、凍夜が既にここにいるので、恐らく一旦教室には来ていたのだろう。どこに行っていたのか? という無粋なことは訊かない。
「お兄様とは何をお話になっていたのですか?」
「えっ!!? え~~と……」
沙樹が狼狽える。流石に、全て話すのは恥ずかしい上に、小夜の場合若しかしたら、話すと危険な気もする……
小夜は本当に何も聴いてはいなかったのだが、最後の沙樹の態度だけは見た。そこで、会話の内容が気になったのだ。
「ちょっと昨日のことをね」
沙樹の態度を見て、凍夜が小夜を自分の方に惹き付けた。
そこらへんのさり気ない気遣いをしてくれるところが、凍夜の良いところではあるのだが、逆にそのあまりの無自覚さが罪なところであると沙樹は思っている。が、取り敢えず助かったので今はただ感謝するだけだった。
「それより、ありがとう。嫌な用事させてしまって悪かったね」
どうやら、小夜は凍夜に何か用事を任されていたらしい。
だが凍夜が、小夜が嫌がる様な用事をやらせるとは思えない、今度は沙樹が気になった。
「いえ、私は別に……それより、私の方こそお兄様のお気を煩わせてしまって、申し訳ありません。もう姉上のことは、学校にいる間だけでも割り切りますから……」
凍夜は何も言わずに、小夜の頭を撫でる。掛ける言葉は無い。
双方の想いを理解出来るだけに、知るが故に何も声を掛けないことを選んだ。
すると小夜の顔が、少し沈んでいた表情からみるみるうちに嬉々としたものへと変わっていく。小夜にとって凍夜の手はそれこそ魔法だった。その手に勝る魔法などないと小夜は本当にそう想っている。
たった一日しか知らない筈なのだが、何故かもうこの二人のこの光景を随分見慣れた様に感じる沙樹。ではあるが、半眼になって凍夜を睨む。
当然だろう、先ほどまでは自分といい雰囲気――とまでは行かなくても、あんな話をした後なのだ。少しは気に掛けさせてやらなければ立場がない。
そんなやり取りをしながら、場が和み始めたときに凍夜が沙樹に今朝の事態を話始めた。凍夜が悩まされたある事態を……
その話をしている間に、森川姉弟も教室に入ってきては話に混ざり。その後は、適当に話をしてSHR(とはいっても、教師が直接来ることはないので、画面を眺めているだけ)となった。
神埜や修之は挨拶だけして話に加わることはなかった。この二人ならその方が自然なので、無理に話を振ったりはしなかった。
そして、皆はこのSHRが終わるのを今や遅しと待っていた。
この後に入っている授業は、実習Ⅰ(二限まで)。早速、詠歌が担当する魔法科授業だった。
高校生になりやっと始まる本格的な魔法の実技授業というのは勿論であるが、何より詠歌に指導して貰えるということへの期待と喜びは、魔法師を目指す少年少女たちにとっては計り知れないものがある。
本当の意味で始まる高校生活、その第一歩がいよいよ始まろうとしていた。