17.お花見の誘い2 ~脱線・破面・破顔~
予想通りに、一人目は神埜だった。
神埜は自分の席に座り、右手で頬杖をつきながらその隻眼でずっと凍夜たち(ほぼ凍夜のみ)を見ていた。
そんな神埜へ、凍夜が声を掛ける。
「蒼縁さんも一緒に、お花見に行きませんか?」
「私はいいけど、ホントにいいわけ? 他の連中はきっと私を煙たがってるわよ? 特に、貴方の大事な大事な妹さんとかね」
わざと聞こえるように、そして棘のある言い方をする。
凍夜も神埜のこの態度には参ったと苦笑いするしかないが、だからと言ってこのままにもしておけない。
「僕との約束は守って頂けるということだったと思いますけど?」
「あら? 約束を違えた覚えはないわ。その娘のことは、単純に嫌いなだけ。まさか、万人を好きになれなんてことまでは言わないわよね?」
「勿論ですよ、その思いにまで干渉する気はありませんから」
「では何かしら?」
神埜は凍夜との約束を思い出す。
しかし、思い当たるものがない、強いて言うなら一つそれに当たるかも知れないが、それは凍夜が最初に認めている。だからこうして会話しているのだから…………
「なんのことか分からないわね。もしかして、最初の話しかけた時点でホントは怒ってるわけ?」
「まさか、そんなことはありませんよ。そんなこと出来るわけないじゃないですか。僕が言いたいのは、自分を傷つけるのに、他人を使わないで欲しいってことですよ。言っている意味、分かりますよね?」
意味は分かった。分かっていた。この存在ならそいうことを言うと思っていた。
しかし、出来ないものは出来ない。意志や理性の問題ではない、感情の問題だ。
神埜は自身の感情を制御出来るほどに大人ではない。故に、それを言われたところで神埜自身にはどうすることも出来なかった。
凍夜の言葉を受けて、神埜は俯いていた。神埜の蒼髪が前に垂れ下がり、その表情は全く見えない。
更にそんな神埜に、凍夜は腰を折り身を屈めて、耳元で神埜以外には聞こえない様に囁いた。
それを聴いた神埜は、更に頭を低く落とし、手は強く握り締めていた。まるで、何かに耐える様に。
そして神埜は俯いたまま、低く重い声で凍夜に問う。
「一つ訊かせて?」
「何ですか?」
「そんなに妹が大事?」
「ええ、とても大事ですよ。なにせ、僕はシスコンってことで通ってるくらいですからね」
っと、最後は戯けた調子に言ってのけた。
「フフフフ……」
神埜は俯いたまま、小さく笑っている。凍夜にどう映っているかは分からないが、それ以外の者にははっきりいって(神埜が感情的になって、何かするのではないかという不安から)不気味でしかない。
一頻り笑い終えると、顔を上げた神埜が凍夜に質問する。そして、その顔からは、今までの凍り付いた険しさが抜けていた。
それと同時に、言葉遣いまでもが変わっていた。
「なあ? それって、さっきあたしが言ったことへの仕返しのつもり?」
「さあ? どうでしょう」
「そうか。まさか、アンタから正面切って言われるとは思って無かったな。こいつは驚きだ。分かったよ、妹想いな『お兄様』に免じて、今までの態度は改めることにするさ」
声も今までよりもワントーン高くなり、抑揚をも伴っている。
それは、まるで今までのが感情を押し込めて発される演技の様に思える程(というよりは、事実演技だった)に、とても自然な声と表情だった。
それを、見ていた(沙樹を含む)周りの反応は、『何か、キャラが変わってるんですけど……』というものだった。
神埜は、立ち上がり小夜の前へと立つ。
「紫司、さっきは悪かったな。悪意があってやったことだから、許してくれなくて良い。それに、あたしがお前を嫌いなのは、本当だ。でも、もうあんな真似はしねーよ、そいつは約束する」
神埜は小夜に謝罪し、小夜もそれを受け入れた。
「大丈夫です。私も気にしてませんから」
これで、今後の関係も少しは良くなるだろうかと誰もが思っていだが、
「そうか、ならいい。あっ、そうそう。凍夜はいずれ貰うから、そのつもりでなっ!!」
という、神埜のあまりにもあっさりとした発言に小夜は凍り付いた。
始めに感じた恐怖ではない。兄を失うかもという恐れではない。
これは単純なる嫉妬だった。小夜の表情が、張り付いた笑顔のままではあるが、怒気が含まれていた。
「蒼縁様? お兄様は確かに私のお兄様ですけど、だからと言って私の所有物ではありませんので、貰うなどと言うことを私に宣言されても困りますわ」
顔には出ていないが、内心では激昂に近い。
「そうか、じゃあ、アンタに一々お伺いを立てなくても、凍夜はフリーってことで、自由に誑し込んでいいってことだよな? 最大の難関はアンタって小姑だと思ってたけど、そいつは僥倖ってもんだ。なるほど、自分の分を弁えたいい妹だな」
これには、流石の小夜もその顔に感情を露わにして、反論する。
「っ――そういうことを言っているのではありませんっ!! 私はお兄様に誰かが触れることなど、毛頭許すつまりなどありませんっ!!」
っとここまで言い切って、小夜は自分の墓穴に気づいた。
これは紛う事なき愛の告白だ。
小夜は態度でこそ傍目からでも分かる程凍夜への心酔振りを表してはいるが、実は言葉ではとなると話は異なってくる。
小夜はこれまで、恋愛感情を込めて凍夜に好きの一言すら言ったことがないのだ。
これは、言葉にすれば想いに歯止めが効かなくなるだろうことを恐れて、今まで意図的に飲み込んできた言葉だった。
いくら心中では、愛していると想っていても口にしたことなど一度もなかった。それに、今まで凍夜に誰か好意の女性がいてもいいとさえ想っていた筈なのに、実際口に出てきたのは独占欲丸出しの言葉だったことに、小夜は自分自身に愕然とした。
小夜の顔は刹那にて真っ赤に染まった。両手で顔を覆い俯き、泣きそうになる自分を抑えるのに必死で、凍夜の顔などとても覗うことが出来る状態ではなくなっていた。
その事態に今度は周りが混乱する。それはそうだ。小夜が凍夜のことが好きなのは、今日この場いれば否が応にも知れようというもの。
それを、改めて宣言したとて、 誰も不思議に思うこともないのだが、それとは逆にそれを言った本人がいきなり羞恥心に苛まれているというのだから、理解に苦しむ。
そんな小夜の正面に凍夜が立つと、小夜は顔も上げぬままにその胸へと飛び込んだ。そして、凍夜はまた優しく抱き留める。
しかし、今度は右手は腰に回しより強く小夜の華奢な身体を引き寄せ、左手は小夜の腰まである長い髪を、頭から背中にかけてゆっくり撫でてゆく。
「言ってるそばから、小夜を泣かせないで下さいよ」
「今のは、そいつの自爆だろ!? あたしは何にもしてないだろうが!!」
「ハハ、そうですね」
凍夜がこの場の雰囲気をちゃかしてみせた。
そして、流石に今度のは少々時間がかかると凍夜は思った。
小夜は、凍夜の胸の中で自分の半端差に嫌気が差していた。
本来、こういうことでは凍夜に頼っては行けない、でなければ、自分はいつか凍夜との約束を違えてしまうかも知れないのだから、しかし飛び込んでしまった。
凍夜の胸に、愛してはいけない愛する者のその胸に。
だが、どう思っていても抗えるものでは無かった。その温もりを、その優しさを……