13.敵対(ライバル)宣言?
その言葉に小夜は恐怖を感じずはいられない。
不安ではない。それは紛れもない恐怖だった。
小夜は沙樹が凍夜のことを好きだと言うことに気づいている。凍夜に対する他人の感情に小夜は敏感なのだ、気づかぬわけがない。
しかし、そのことに関しては不安すら感じることもない。もし、凍夜が沙樹と付き合うことに成るならそれでも構わないとさえ思っている。
でも、ダメだった。この神埜という存在にだけは決して凍夜を渡したくない小夜だった。
小夜は今でこそ他人の言動に左右されないだけの強い心があるが、昔はそうでは無かった。
直接的に言われることは無かったが、周囲の視線や態度を敏感に感じ取っては辛い想いをしていた。そして、その度に兄の元に駆け寄ってはただ黙って俯いていたのだった。
そんな彼女を兄は一切を問わずに、ただ優しく抱き留めてくれていた。幼き小夜はただ兄という存在に依存しならが生きてきたのだ。
今でこそ――そもそも今の小夜を誹謗中傷する様な存在がいないのだが――仮に激しい罵倒を直接受けたとて、それを意にも介さない小夜ではあるが、それは一重に凍夜という心のより所があるからに過ぎない。
始めは偽りからだった。
始めは哀れみからだった。
始めは贖罪のためだった。
だが、今は違う。小夜は凍夜を愛している。凍夜を一人の男性として、自分が一人の女性として――――
だが、どれほどの想いがあったとしても、凍夜がそれを受け止めてくれることはない。
今の時代、二親等内の傍系血族の婚姻は認められている。
所定の手順を守り、生まれ来るこどもに劣性遺伝子排除処置を施しさえすれば、これは合法的なことなのだ。
これは、一部の固有魔法保有血統一族・通称:魔族の保護、他の血統の混入による一族の血の濃度低下を防止するということを、建前に合法化したものだ。しかし、これは後付である。
元々魔族の家系はそうやって――とは言っても、殆どの場合は三親等の傍系血族との配合で、どうしてもという場合に限りではある――代を重ねてきたが、親近相姦への嫌悪は生物の本能だ。それがあるかぎり、彼らは自分の出自を明るみに出来ない。
それを、公に認めさせるために合法化させた。
何を隠そう、蒼縁や紫司などは正に魔族の象徴といえる家系なのだ。
つまり、本来ならば小夜のために認められたものだと言ってもいいほどだ(勿論、コレは例えである。何せ合法化されたのは、遙か数百年前の話だ)。
だが、小夜と凍夜の関係には約束があった。それは、誓いであり契約。
もし、それが破られることがあれば、凍夜は恐らく自分の前から消えてしまうと小夜はそう思っている。
故に小夜は踏み込めない、例えどれほどの恋慕に心を焼かれようとも、凍夜を失うことは絶望以上の苦しみでしかないのだから。
時々思うことがある。もし、昔にあの約束をしていなかったならば、と……
だが、それは本末転倒なのだ。もし、その約束がなければそもそも凍夜といることすら叶わなかったのだから、それだけは嫌だ、どれほど苦しい想いをすることになろうとも、凍夜といない自分というものは、絶対に嫌だった。
故に小夜はもしも凍夜が誰かを愛するならば、それを受け入れるだけの自信があった。
例え、凍夜が誰を愛そうとも、自分には約束がある。それは、自分を縛る鎖であると同時に、凍夜と自分を繋ぐ絆でもあるのだから。
だから、平気だと思っていた。凍夜が誰を想っても、その傍らには常に自分もいる筈なのだからと。
更に言えば、二親等内の傍系血族の婚姻以外にも、一夫多妻制が今の日本には認められている。
現在の日本の総人口が約1800万人、男女比が約4:6っと若干ながら女性が多く出生せれることが起因する。
この制度が出来てから久しいが故に、男女間の恋愛感も、結婚を前提に皆を平等に愛するなら、と言う条件なら大概の女性は、愛する男性が複数の女性と付き合っていても構わない、という風土になっている。なお、遊び人の男が敬遠されるのはいつの世も変わらない。
こういう時代だ。本来ならば小夜は誰の目を憚ることなく、凍夜との愛を育めた筈だったのだ。そう本来ならば……
それが出来ないにしても、凍夜が他の女性と付き合ったとして、凍夜は自分をその傍らに置いてくれるであろうし、その女性も余程の独占欲の持ち主でもなければ、そのことを咎めもしないだろう、という打算が小夜にはあった。
だが、神埜だけは例外だ。
彼女は知っている。『この凍夜』という存在を。
その彼女であらば小夜から凍夜の全てを奪うことが出来てしまう。
故に怖かった。小夜はこの神埜という存在に凍夜が取られるかも知れないと、心底恐怖する。
小夜は神埜と直接会うのこと初めてだが、その存在は知っていた。
同じ四大柱だからというわけではない。ただ名前を知っているだけではない。小夜は、神埜がどういう存在かということを知っている。
自分と似た存在として、似た境遇を持つ者として、同じ悲しみを知る者として、自分の憧れとして。
神埜の言葉を聞いた小夜はいろいろな思考が巡り、一瞬にしてパニック状態になっていた。
しかし、それを沈めたのも神埜の言葉だった。
「大丈夫、安心して。別に約束を反故にしようというわけじゃないから。その上で、決めたの。そのときが来るまで、私はあなたの友として側に在りたいと思うの、それなら問題ないでしょ?」
自分の考えが杞憂に終わったことを心の底から安堵した。
そして、凍夜は真っ直ぐに神埜の目を見る。彼女の決意を確かめるように。
「あなた自身がそれを受け入れられるというのなら、僕からは言うことはありませんよ」
「そう。それじゃ、改めて宜しくね。凍夜」
神埜はそう言って左手を差し出して、凍夜はそれに握手で答えた。
「ええ、こちらこそ」
その光景を見ていた沙樹も、小夜ほどではないにしろ危機感は感じていた。今も完全には拭いきれては居ない。
当然だろう、あの神埜がここまで親しげにしているのだ。
沙樹と会って以降、三年近くの間に神埜が変わったという話は聞いていない。もし、その態度に変化があれば必ず耳にはいる筈だ。
だとすれば、これは凍夜だけの対応だと考えるのが普通だし、そして実際にそれは合っている。
なら、何故ここまで親しげにして、最初に意味深なことまで言っておいて、わざわざ今更『お友達に成りましょう』という話なのか? ――分からないことだらけだ。
これが、もし別の相手なら沙樹は疑問を浮かべるだけで済んだ。しかし、その相手が凍夜だけに気が気ではないのだった。
そしてこのとき沙樹は、今握手を交わす二人を見て何か違和感を感じるが、それが何かは分からなかった。
小夜も沙樹と同様の思いに駆られていた。そして、同様にとは言っても、警戒のレベルは遙かに高い。一度は安堵したものの、結局のところ凍夜の側にいるという意志に変わりはないのだ。
ならば、どういう意志をもってここにいるのかが分からなければ安心は出来ない。また、小夜の場合分かったところで、決していいことでない可能性も大いにあり得るのだから尚のこと質が悪い。
「小夜」
そんな不安に駆られる小夜が分からぬ凍夜ではない。
「はい?」
凍夜に呼ばれて、神埜に向いていた視線を凍夜に向けなおす。
完全に神埜に意識が向いていたため、凍夜の動きに気づかなかった。
コツンッ
「大丈夫だよ。僕はどこにも行かないから」
目の前には凍夜の顔があった。
振り向いた頭に軽く手を添えて、額をつけて優しく囁かれた。
小夜は、神埜の発言に対して表情を変えたのは一瞬だけのことで、それ以外は表情は崩してはいない。
端から見れば、ただ目の前で行われた告白(じみた発言)に驚いただけにしか見えない筈だが、凍夜にはそんな表面上の取り繕いなど無意味だった。
いつもは人目も憚らずにじゃれつく小夜をやんわりと宥めるのが凍夜ではあるが、――無論、小夜が平常ならすることもないが――ときどきこうして不意打ちをしてくることがある。
流石の小夜も凍夜からこういったアクションをされると弱い。凍夜が額を離し、すわり直す間に、顔はみるみる内に真っ赤染まり、先ほどまでの懸念などどこかに行ってしまった。
「あなたがシスコンってのは、ホントなのね……」
それを見ていた神埜は、呆れながらではあるが、若干の怒気も感じられる言葉を発し、凍夜は苦笑いを返すしか出来なかった。
「――ああ、そうだ。紹介しますよ。確か二人は顔を合わせるのは初めてですよね?」
自分でやっておいて、大いに照れている凍夜が、早々の話題変換をはかった。
「こっちは、妹の小夜です」
先ずは神埜に小夜を紹介し、小夜は神埜に会釈をした。
「っで、こちらが蒼縁神埜さん。まあ、ある意味今更って感じでちょっと、微妙かな?」
少し苦笑い気味の凍夜。それを小夜が否定する。
「いえっ!! そのようなことはありませんわ。お兄様」
そして、改めて神埜へと挨拶をする。
「蒼縁様、凍夜の妹の小夜です。よろ――」
「宜しくしなくていいわ。私、あなたのことは嫌いだから」
一蹴されてしまった。踵を返して、平然と自分の席(凍夜の後ろ)についてしまった。
凍夜のお陰で完全に立ち直っていた小夜だが、この神埜の態度に流石に呆けてとしてしまう。
それは、小夜だけに留まらず、教室にいる全員に言えることだ。
沙樹は兎も角、その他の皆は蒼縁神埜という人物を知らない。
最初の切り出しが凍夜との会話となると、第一印象は普通に映るだろうが、実際は凍夜が特別で小夜への態度が――普通は嫌いではなく、興味ないというので、小夜への態度はキツイ方に当たるが――どちらかと言えば、神埜の普通に当たる。
困ったものだな、と凍夜は苦笑いするしかなかった。
苦笑の先の小夜は、同じような顔になり、自分は大丈夫だと答えた。
「ねえ? 凍夜」
後ろから、神埜が声を掛けてきた。
「はい?」
自分の席に座り、改めて気になった事があったのだ。
「あなた、あの娘に『お兄様』って呼ばせてるのね」
「ええ、まあ……」
改めて言われると、やはり気恥ずかしい。
「――ふふっ、いいわね。実に面白いわ。それ」
小夜はもちろんのこと、沙樹も振り返って神埜を見ていた。
確かに一般家庭でこんな呼び方をする様な兄妹は、かなり珍しいだろう、だが彼らは日本における最高クラスの上流階級なのだ、茶飯事とまではいかないまでも、それほど好奇とも言えない筈だが、神埜は本当に楽しそうにしている。
そして、思いにも寄らないことを発した。
「ごめんなさいね。さっきのは訂正するわ。どうやら、あなたには好感が持てそうよ」
訳が分からないが、神埜の中で小夜への認識が変わったらしい。
だが、尚も言葉は続く。
「あなたが、その言葉の本当の意味を知るときが、実に楽しみだわ」
っと、小夜に意味深なことを言ってのけた。
発した本人は、実に楽しそうではあるが、とてもそんな雰囲気でないことは、誰にでも分かった。
悪意を込めて発せられた、そういう言葉だった。
小夜が神埜を知るように、神埜も小夜を知っていた。
自分と似た存在として、似た境遇を持つ者として、同じ悲しみを知る者として、許すことの出来ない相手として。