真実
チクタク……時計の針の音だけが、部屋中に響いていた。その部屋の中央には豪華なベッドがポツンとあり、他は何もない。
ふと、扉が開く音がした。
そこから現れたのは黒髪の少女、レナだ。彼女は手に【攻略本】と書かれた、分厚い本を持っている。
皮肉めいた歪んだ笑みを浮かべながら、コツコツと足音を立てた。そしてベッドの前でとまり、天井からかけられているレースのカーテンを捲る。
「ああー、アレン様」
ベッドの上にいたのは銀髪の美しい青年アレンだ。けれど彼は意識がないのか、眠っている。長いまつ毛が震えることはなく、規則正しい呼吸を繰り返しているだけだった。
儚さを持つアレンの頬に、レナはそっと触れる。
「柔らかくて、そしてきれいな肌だわ。アレン様、私ね? あなたが死なないようにって、ここまで頑張ってきたの」
眠り続けるアレンに馬乗りになった。怪しいまでに深紅に染まった瞳で彼の姿を映す。
「この攻略本があれば、あなたは死なずに済むの」
アレンの細くて輝く銀髪を指で掬った。頬を赤らめ、悦りながら、甘い吐息を溢す。
そのときだった。
アレンの長いまつ毛が震え、きれいな蒼い瞳が現れる。
「……っ!?」
アレンが目を覚ますとは思っていなかったよう。彼と目が合った瞬間に慌てた。あわあわとしながら、アレンの上から降りていく。
アレンは気だるげに上半身を起こした。
「……レナ、嬢?」
なぜここにと声をかける前に、レナは素早くごめんなさいと謝罪する。
「えっと……」
「わ、私、あなたを誘拐してしまいました!」
「いや、君は正直だね?」
アレンは思わず苦笑いしてしまった。
素直に暴露したレナは顔を真っ赤にさせて、その場にしゃがんでしまう。ううーと、恥ずかしさと情けなさで涙目になった。
そんな彼女を不憫に思ったのか、アレンはふらつく体でベッドから降りる。そして彼女にハンカチを渡し「大丈夫だから、ゆっくりと話してほしい」と、優しく諭した。
「うう! やっぱりアレン様は、いい男だわ! 最推し!」
テンション高くそう叫ぶ。
「やっぱり、死なせちゃ駄目なのよ! 絶対に、生きていてもらわないと!」
「ええと?」
アレンは困惑しながら、彼女に今回の誘拐について詳しく尋ねた。
するとレナの表情は一気に雲っていく。直前までの荒ぶっていた人と同じとは、とても思えない大人しさだ。
けれど黙っているわけにもいかないと、彼女は意を決して真実を語る。
「……あなたをここに連れてきたのには、理由があるの」
レナは瞳をきつくしめ、手に持っている本を彼に見せた。
□ □ □ ■ ■ ■
しばらくすると、アレンは本を読み終わった。ただ、言葉にならない何かを知ってしまい、絶句するしかなくなっている。
その中身は自分をはじめとした、ハワードやルシアなど。見知った顔の者たちが描かれていたからだ。さらには身長や体重、性格すらもこと細かに記載されている。
「……これは、いったい」
「…………」
難しい表情をしているレナを注視した。すると彼女は瞳に涙を溜めながら、グシッと腕で拭った。顔を上げて震える声で説明を始めた。
「その本は、攻略本という本です」
「こう……?」
聞いたのことない言葉に、思わず瞬きする。
レナを見れば、彼女は攻略本を強く抱きしめていた。そして大きく息を吐く。
「アレン様、よく聞いてください。あなたはそう遠くない未来、命を落としてしまいます」
「え?」
突拍子もないことだった。けれど彼女の瞳は真剣そのもので、冗談ではないということが伺える。
レナは唇唇を震わせながら、大きな瞳に涙を溜めていった。
「アレン様、私がこれから話すことは、すべて真実です。誓って騙そうとか、そんなことは思っていません」
視線を攻略本へと落とす。
「……まず始めに、私は、こことは違う世界からやってきました」
「……?」
(どういう意味なのだろうか? 違う世界? 彼女はいったい、何を言っているのか)
アレンはベッドに腰かけ、足を組んだ。小首を傾げつつ、眉唾物と思いながら彼女の話を耳に入れていく。
「ここは、私がこの国に転生して、聖女になる前……前世の世界でプレイしていたBLゲーム、【銀髪の策士と、巨獣の婚約者】の中の世界なの。そこでのあなたは、攻略対象の一人だった。だけど、どのルートでも死んでしまう」
だから私は、それを阻止しようと頑張ってきた。悲痛な表情をアレンへ向け、拳を握る。そして一からすべて。レナという少女は目的を語った。
「アレン様、あの事件……アレン様が、皇子にすべてを奪われる出来事は、本来なら学園を卒業する前のイベントだったの。だけど私が介入してしまったせいで、時系列が狂ってしまった」
アレンを苦しめるつもりなど毛頭なかった。助けるために動いていたはずなのに、イレギュラーな自分のせいで、あの悲惨的事件はかなり早く始まってしまう。
悔しそうに泣きながら、アレンへごめんなさいと何度も謝罪した。顔を両手で覆い隠し、泣きじゃくる。
そんな少女を見て、アレンの胸は張り裂けそうになった。
(この子が、どんな重たいものを抱えているのか。私には、わからない。けれど、自分のためではなく、私のためというのが何とも……)
レナという少女への見方が変わる。彼女がアレンのために動いてくれていたこと。それを思うと、どうしても嫌いにはなれなかった。
泣き崩れたレナの肩に触れ、優しく微笑む。
「私のために、動いてくれてありがとう。たくさん一人で背負って、それでも変えられない出来事もあって……君は、誰よりも苦しんでいたんだね?」
「……うっ。あ、あなたのために、ひっく。私は、いろんなことをしてきた! 好きでもない皇子を誑かした。それであなたの運命が変わるなら! ……そう、思っていたのに」
吐き捨てた言葉とは裏腹に、少しずつ力なく項垂れていった。
「現実であなたを救うために、たくさんエンディングを見てきたの。だけどやっぱり、すべては死のルートで……」
攻略本を強く握る。その瞳からは好戦的な感情が消えていた。ボロボロと泣き腫らしながら、首を強く左右にふり続ける。
「やっぱり、開発者が作ったルールには逆らうことなんて出来なかったわ。だけど、この世界に転生した以上、あなたの運命を変えてみせる! そう、決心したの」
そのためにはまず、一番害になる皇子をどうにかする必要があった。そこで考えたのが聖女の力を使い、皇子を操ってしまうこと。
ルシアに恨みなどなかった。むしろ、ルシアに幸せな未来をと願う。婚約者を奪ってしまうことには胸を痛めたけれど、それでも一番に考えるのはアレンのこと。けれど……
「私が介入したせいで、シナリオ通りにいかなくってしまったの」
狂ってしまった時計は元に戻すことなどできない。レナは自分さえ介入しなければ、こんなことにはならなかったのだと悔やみ続けていた。
アレンは彼女にハンカチを渡し、丁寧に手を差しのべる。
「……一つだけ教えてくれないかい? なぜ君は、そこまでして私を守ろうとするんだい?」
そこが一番の謎だった。彼女の話を信じるならば、ここはゲームの世界ということになるだろう。例えそうだったとしても、自分を悪者にしてまで誰かを守るということは、余程のことがなくてはできないはずだ。
レナをベッドに座らせ、自らもその隣に腰を降ろす。
レナは頷き、胸の内を語った。
「私ね。現実世界では、すごく引っ込み思案な女だったの。自分の言いたいことも言えなくて、誰かの顔色を伺って暮らしていたの」
寂しそうに眉を曲げながら、攻略本を両手で包む。ベッドの上で体育すわりをし、スカートの中が見えてしまっても気にする余裕もなかったよう。
「そんなとき、このゲームに出会ったの。そして、あなたのハッキリと物を言う性格、凛とした姿に憧れを抱くようになったのよ」
少しだけ照れた様子で、肩をすくませた。
「見た目も好みだったし、何よりも……」
涙を服の袖で拭う。そしてアレンを見つめた。
「あなたのまっすぐな瞳に、私は勇気を貰うことができたわ」
だからこそ推しとなったアレンが、悲劇を辿ることに納得がいかなくなってしまう。今回の誘拐という強行手段を取ったのにも、アレンの命を救うことを最優先にしたためだった。
「あ! か、勘違いはしないでね!? 確かにあなたは推しだけど……運命を回避して、あなたの恋を成就させたいって願っているの」
ハワードという、最愛の人。その人との幸せな未来を、レナは一番に願ってくれていた。
(……驚いた。私のこの性格が、一人の少女の心を動かす切っ掛けになっていたなんて)
キツイ性格であるということは、彼自身理解している。けれどそのような性格でも、純粋な女の子の心を動かすことができた。
そのことに安堵すると同時に、アレンの心が成長しているのを感じる。
「事情はわかった。ただ、そうなると、これからどうするべきか。それを考えなくてはならないね」
「あ、あの! そのことなんだけど……」
攻略本を開いた。そこには隠しルートと記載されている。
「このゲームには、隠しルートが存在しているの。すべてのルートをクリアして、闇を祓うことに成功したら、そのルートは現れる仕組みになっているのよ」
「なるほど」
(ルートとかはよくわからないな。まあ、そこについては、彼女に任せよう)
若干他人任せな気持ちで彼女と向き合った。
レナは隠しルートのページを凝視しながら、何かを決意したような瞳をする。
「私、考えたの。時系列がおかしくなってしまっている部分があるから、もしかしたら、まったく新しいルートもあるんじゃないかって」
「……」
「だから私、そのルートを探してみようと思うの。それで、アレン様」
本を閉じ、腰をあげた。アレンの前に立ち、胸の前で両手を握る。
「私に協力してください! アレン様が死なない、ハワード様と幸せに結ばれるルートを探すことを」
決意をした瞳で、彼女は勇敢な姿勢でその場で提案した。