捕らわれたアレン
アレンのことを知らないはずの少女レナ。けれど彼女はアレンの名、そして姿すら知っていた。アレンからすればそれは奇妙なこと。
訝しげに少女を見れば、レナは悦った様子で頬を赤らめていた。
「ああー。こんなところでお会い出来るなんて……運命ですわ」
「は?」
いったい、何を言っているのか。困ったアレンとハワードは顔を見合せた。
レナはくすくすと、怪しく笑う。そして二人へと近づいていき、アレンへと腕を伸ばした。
そのときだ。耳をつんざくような何かが少女の方から聴こえてくる。それはレナを取り囲むかのような、あまたの人間の悲鳴そのもの。阿鼻叫喚、魑魅魍魎という異国の言葉が浮かぶほどだ。
悪魔のように囁く声と、それを裏づけるような数多くの悲鳴。それらが、レナという少女の異質さを表していた。
そしておかしなことがもう一つ。直前までは、人々の活気に溢れていたはずの声が消えていた。周囲を見渡せば建物はあるけれど、アレンたち三人以外の気配がなくなっている。
空は暗黒に満ちていて、すべてが白黒だけの世界に成り果てていた。
(な、んだこれは!? これではまるで、非現実的な……)
この世界では魔法というものはある。けれどそれを使える者は殆どいなかった。貴族でもあり、美しいアレン。彼ですらそのような力は持っていない。
持つ者はただ一人──
「レナ嬢、君はいったい……」
どんな怪我や病気も治せると言われている治療魔術の使い手、レナだけだった。
アレンは取りこまれまいと、彼女から視線を逸らそうとする。けれどおかしなことに体や視線という、あらゆるものが言うことを聞かなくなっていた。
「──ふふ。ようやく、捕まえた。私だけの、本物の王子様」
彼女の黒い瞳が、みるみるうちに深紅へと染まっていく。周囲に吹く風の温度が低くなり、レナという少女の髪をばさつかせた。
白く、傷一つない指先で、アレンの頬に触れる。瞬間、レナからは女性とは思えないような低い声が放たれた。
「眠りなさい。私だけの、アレン様」
「……っ!?」
不思議とその声は、アレンの脳に直接届く。彼は頭痛や吐き気、目眩すら覚えた。やがて妙な眠気すら襲ってきて、意識が朦朧としてしまう。
そして……
隣で青くなりながらアレンの名を呼び続けるハワードの姿を最後に、彼の意識は完全に途絶えてしまった。
「アレン!?」
前方に倒れこむアレンを、ハワードは受けとめようとする。けれど……
「……っ!?」
彼女を覆っていた黒い何かが、数名の男へと姿を変えた。そしてその男たちにアレンは受けとめられ、横抱きにされてしまう。
「な、何を……アレンを離せ!」
ハワードはありったけの力を拳に乗せ、アレンを奪おうとする男へと振り下ろした。けれど男は霧のように消えては、彼の後ろへと姿を見せる。
「……っ!?」
何度も拳で応戦するが、結局当たることはなかった。
そして、いつの間にか黒い何かで馬車が作られていることに気づく。黒い男たちはレナの命令で、馬車へと向かった。
気を失ったアレンを馬車に乗せ、レナもまた、同席する。
「……ま、待て! アレン!」
ハワードの声も空しく、馬車は少しずつ動き出した。彼はそれを必死に追いかけていく。
その最中、馬車の窓からレナが顔を出した。ハワードに笑顔を送り、静かに「い・や」と、拒否をする。
「君はなぜ、こんなことを……っ!?」
ハワードの声は闇に呑まれ、かき消されてしまった。息を切らしながら、地面を蹴って追いすがる。手を伸ばすけれど、馬車の常識を逸脱している速度には追いつけるはずもなく。だんだん距離が離れていってしまった。
「アレン! くそっ! 待て!」
空を切るだけの声は馬車に届くことはない。
すると窓から顔を出しているレナが、深紅の瞳を怪しく光らせた。
その瞳に見つめられた瞬間、ハワードは冷や汗を流す。全身からゾワリと押しよせてくる悪寒が、彼の体の動きをとめてしまった。
(この女……どう考えても普通じゃない。アレンを、どうするつもりだ!?)
馬車は彼の思考など知りもせずに、ハワードの前から霧の中へと消えていってしまう。
残された彼は息を切らしながら、ガタガタと震える膝に無理やり力を入れて立った。唇を噛みしめ、拳をギュッと握る。
「レナ嬢、君はいったい何者なんだ……」
見えなくなった馬車に乗せられた愛しい人、アレンの姿が脳裏に過った。
失ってはいけない、大切な人。
意識を失い、人形のように動かなくなった美しくて儚い恋人。気高く、気品溢れる姿勢で、いつも隣に立ってくれていた。
(目つきも悪くて口下手な俺を怖がることもなく、愛していると言ってくれた。ときどき子供のような悪戯をするけれど、その姿も愛らしくて……)
見た目のせいで友だちにも、家族にすら怯えられていた日々を救ってくれていたのは、他ならないアレンだった。
初等部に入学したときも、誰も声をかえてはくれなかった。遠巻きにヒソヒソされ、少し見ただけで睨まれていると、泣かれてしまう。
「……あのまま、ずっと一人。そう、思っていた」
けれどそんな孤独な日々に、アレンという少年は光を与えてくれた。「目つきが悪い」だの「もっとハキハキと喋れ」だのと、言いたい放題。容赦のない言葉で、ハワードに立ち向かってきた。
当初、ハワードはアレンを少し変わった少年としか思っていなかった。
(女の子のようにきれいで、誰とでも仲良くなれる。人当たりがよくて、頭もいい。そんなアレンが俺みたいな嫌われ者に、毎日のように声をかけてきたっけ)
ふっと、思い出し笑いをする。
近くにあるベンチに座り、乱れた呼吸を整えた。息を思いっきり吸う。両目を閉じ、はあーと盛大に息を吐いた。
「俺のどこがよかったのか。それを聞く度に、アレンは笑って誤魔化す。だけど……」
一度だけ、そうなのだろうと思わせるような答えをくれたことがあった。アレンが屑皇子に辱しめられた日の翌日、彼は無理やり微笑みを作ってこう言う。
『──ハワードは俺のために、あの男を殴ってくれんだろ? ありがとう。やっぱり君は、一番大好きな友だちだよ』
苦しいはずなのに。泣きたいはずなのに。その悔しさを閉じこめて、俺に笑顔を見せていた。強がってばかりで本音を言わない。
それがアレンという、ハワードが好きになった人だった。
「……ここで、こうしていたって何も変わらないよな」
パチンっと、両頬を強くたたいて気を引きしめる。立ち上がり、アレンならこういうときはどうするだろうかと考えた。
「彼ならきっと……協力できる相手を探すはず!」
間近でアレンの手腕を見てきたからこそ、冷静に次の一手を打てるのだろう。
アレンという冷静な頭脳派の彼は、どんなときでも手を組める人を求めていた。皇子に体を暴かれてしまったときも、両親が殺されたときですら、彼はあらゆる手を使って一族を守ってきた。
そんなアレンだからそこ、ハワードは守りたいとすら思える。そして自分にはないものを持つ者への憧れでもあった。
「そうだ。こうしちゃ、いられない。ルシア嬢に連絡を取って、レナ嬢の行方を探すんだ」
大切な人を助けるために、彼は遂に自ら動くことを選ぶ。立ち止まる暇などないのだと自分に言い聞かせながら、ルシアのいる屋敷へと赴くのだった。