国の膿(うみ)
アレンは皇子の悪行を調査し、暴くために密かに動いていた。
机の上で資料を眺め、舌打ちを連発する。
(……あの皇子は、昔からワガママ放題だった。婚約者ができてもそれは変わらず。むしろ、婚約者が大人しいのをいいことに、好き勝手やり始めていた)
かつて、皇子のカンニングを見て見ぬふりをした教師がいた。酷いときは婚約者でもあるルシア・アルベルン嬢に、テストの答案を交換させたりもしていた。
皇子は権力片手に教師を脅し、買収。ルシア・アルベルンの答案用紙に自分の名前を書きこみ、自らを優秀な存在だと嘘をつく。
もちろん彼女も抗議はしたそう。けれど権力に押し潰されてしまった。
(本当に、あの頃と何も変わっていない。やりたい放題、相手の気持ちなど無視。あの屑は、昔からそうだった)
昔。そのことを思った瞬間、彼の胸は剣で切り裂かれるような痛みを伴う。
「忘れもしない。あの男の悪行を、逃してなるものか!」
額に汗をかきながら苦痛に耐えた。時計の針がチクタクと鳴り、それを耳に入れて呼吸を整える。強く深呼吸し、資料へと視線を落とした。
そこには皇子の悪行の数々が記載されている。もちろんルシア・アルベルン嬢に対しての扱いも書かれていた。
「……これが将来、国を背負う者のやることか?」
机に肩肘を置いて、皇子の数々の悪行を纏めた資料を見つめる。ため息を溢し、紙を放り出してしまった。
「見かねた国王が動き出したという矢先に、あのような婚約破棄騒動か。屑を野放しにしたツケが回ってきたんだよ」
国王の対応は遅すぎる。そう愚痴った。チッと舌打ちし、口の悪さで苛立ちを表す。
端麗で儚い雰囲気を持つアレンは、見た目に反してなかなかに好戦的なようだ。それでも本来持つ気品はなくすことなく、髪を耳にかける仕草には色気が漂う。
「アレン、煮詰まっているようだね?」
ふと、扉が開く。そこから野太い声がして、一人の大男が現れた。アレンの婚約者、ハワードだ。
二メートルをゆうに越える身長を持つ彼は、黒髪のウィッグをつけている。普段は頭皮に髪がないというのに、今回はウィッグ姿で現れた。理由は定かではないけれど、どうやら本人は満足しているよう。
(ふふ。ハワードが楽しそうなら、別にいいか)
尋ねたい気持ちをしまった。
「やあ、ハワード」
「こんにちは、アレン……っと。今朝ぶりだった、よね?」
コツコツと足音をたてながらアレンの机に近づいた。机を半周し、アレンの座る椅子へと手を伸ばす。そして子供のように微笑み、眉間にシワを寄せているアレンの椅子をゆっくりと回した。
「そうなんだよ。ハワード、君が昨日の夜に、あんなに激しく私を抱くものだから、体が痛くてね」
「うっ! そ、それは、すまない!」
「ふふ。冗談だよ」
アレンは一瞬だけ呆け、ふふっと表情を柔らかくする。そして真剣な面持ちになり、ハワードを見上げた。
「国王の親バカ具合が、とうとうあのような事件を引き越してしまったんだ。そのことに頭が痛くなってね」
回される椅子はピタリととまった。ただ、とめられた場所は大男の真向かい。
アレンの口許が自然と綻んだ。腰をあげ、彼の首へと静かに腕を絡まらせる。
「んっ」
二人は柔らかな口づけを交わした。それはお互いに邪魔にならない程度の色欲を放つ。
彼から与えられた快楽が、アレンの中にある苛立ちを静めていった。胸の奥に宿るのは小さな安堵で、脳の隅々まで柔らかく溶かしていく。
(おかしいな。昨日の夜、たくさん抱かれたはずなのに。私はまだ、彼を求めていいるようだ)
やがて抱擁と口吸いを終え、ふっと微笑みあった。
「それでハワード、どうだったんだい?」
欲を捨て去り、本題に入る。
ハワードは頷き、部屋の中央にあるソファーへと座った。
「あの人は、本当に駄目だね。町では権力を振りかざし、暴力を平気でふるう。城の中でも似たようなものさ。そして学園では、新たに婚約者となったレナ嬢と、好き放題やっているって話さ」
「はあー。本当に、予想を裏切らない屑っぷりだな。それで? 他に収穫はあったのかい?」
アレンは立ち上がり、棚にあるティーカップを取り出す。それをハワードの前にあるテーブルへと置き、自身は彼の真向かいの席へと腰かけた。
「……あった、けど」
「……?」
どうにも歯切れが悪い。アレンは彼が言葉を詰まらせていることに眉をしかめた。ティーカップに紅茶を注ぎ、それをハワードへと差し出す。
ハワードは紅茶を一気飲みし、はあーと嘆息した。
「今回の婚約破棄に限ってだが、どうにもキナ臭い。言い方を変えるなら、あの人だけの考えで、あそこまで至ったわけではないということ」
「ん? どういう意味だい?」
紅茶を少しだけ口に含み、小首を傾げる。
(ハワードのこの言い方だと、裏で誰かが糸を引いているような……そんな口振りだ)
あの発言そのものは、馬鹿皇子が自ら考えたものに違いはないのだろう。けれどそこに至るまで……ルシア・アルベルンが婚約破棄されるまでが、誰かに仕組まれていたのだとしたら。もしそうならば、話はかなり変わってくるのではないだろうか。
だからと言って、馬鹿皇子が決断したことに変わりはない。そこは同情の余地すらなかった。
「ちょっと待ってくれ。それだと、誰が黒幕と言うんだい?」
そこまで口にして、アレンはふと思う。
学園に入るまでは、あの馬鹿皇子は婚約破棄という言葉すら知らなかった。それどころか、ルシア・アルベルンという有能な少女を側に置いていることに優越感を覚えていたという話を聞いたことがある。
彼の調べてきたことがもしも、学園に入学してからのことだとしたら。
(誰かに洗脳されている? いや。あの男は昔から馬鹿ではあったが、そう簡単に洗脳……)
そこまで考えて、ハタッと立ち止まった。
「……もしや、あのレナという女が?」
レナという女は特待生とも言われていた。成績優秀で、世界に一人しかいないとされている治癒能力の持ち主。聖女とも言われていて、貴族しか入れないはずの学園には特別枠で入学したと噂されていた。
直接教員に尋ねたわけではない。けれど噂というのは尾ひれの中に真実も混じっている可能性があった。
「だがそうなると、いったい何のために?」
「アレン、まだ確認の取れていない段階だ。その状態で、決めつけてはいけないよ?」
「……っ!? すまない」
逸る気持ちが優先してしまい、アレンは決めつけといえるもののためだけに思考を巡らせてしまっていた。そのことを諭され、大人しく反省をする。
ソファーに深く座り、天井を仰ぎ見た。天井からぶら下がっているシャンデリアの明かりがキラキラと、部屋中を照らす。
(どうにも私は、あの屑皇子を処刑したくてたまらないようだ。どんな手段でもいいから、些細な失敗でもいいから、あの男を地獄へ突き落としてやりたい)
その気持ちが先走り、冷静さを欠いてしまっていた。ギュッと両目を瞑り、唇を噛みしめる。ふと、隣に人の気配を感じた。目を開けてみれば、そこには向かい側にいたはずのハワードが座っている。
彼は心配そうにアレンを見つめていた。
「ありがとう。君がいてくれたから、私は、真実を見極める術をなくさずにすんでいるようだ」
ハワードの手を取る。彼の武骨でゴツゴツとした指の一本一本は、ささくれたっていたりもした。
その手を頬につけ、愛おしそうに微笑む。
(ああ。この指で、いつも私の中を暴いているんだな。私が傷付かないように、爪もしっかりと切ってくれている)
昨晩の幸せな一時を思いだし、胸の奥が疼いてしまった。体には、彼から与えられた熱がまだ残っているよう。腹の中にはハワードから貰ったものはもう、残ってはいなかった。それでも疼くものを押さえられなくて……
「ハワード……」
瞳を潤ませる。その姿は見た目どおりの儚さ、神秘的で、他者を色欲に惑わす色香があった。
ハワードはゴクッと唾を飲みこむ。そして……
「あ、アレン……」
「んっ、ふぅ」
先程よりも強めの口づけをする。ハワードは耳の先まで真っ赤だ。
それを確認したアレンはゆっくりと目を閉じる。そして激しくて熱い夜になるようにと、心の中で願った。