最終回 アレンとハワード
ザアー……
そよ風がカーテンを揺らす。
「…………」
巨体を持つ、強面の男ハワードは、ふっと目を覚ました。寝惚け眼な状態で上半身を起こせば、銀の糸が目にとまる。
「あ、れん?」
その糸の持ち主は、ハワードが愛してやまない婚約者だ。美しくて気高い。気位が高く、どんなときでも凛とした端麗な婚約者。
そんな目に入れても痛くない人が、なぜここにいるのか。そもそもどして、自分はベッドで眠ってしまっていたのか。
それすらわからなかった。
けれどハッキリしているのは、この美しくて儚い雰囲気の婚約者が、ベッドを枕にしてネムッテイルことだけ。
「……んー」
ふと、アレンがモゾッと動く。むにゃぅと、普段の大人っぽい彼らしくない寝言だ。
アレンは眠気を振り絞るように目を開ける。
「……は、ハワード!?」
顔を上げ、ハワードに抱きついた。瞳には涙が溜まっていて、今にも溢れ出しそうだ。
「よかった! 三日間も眠り続けてたから、心配で……」
「三日? そう言えば、俺はあの後どうななったんだ?」
ハワードは髪の毛のない頭皮を掻く。きょとんとしながら何が起きたのかの説明を、しっかりと聞いた。
ハワードがアレンを庇い、代わりに闇に呑まれてしまう。けれど寸前のところでレナが聖女の力を発揮した。その力は光そのもの。彼女が本来持つ光属性の魔法が、闇の霧を凪払った。
「君は、闇に呑まれた後遺症からか、三日間眠ったままだったんだよ」
「え!? そ、そう、なの!?」
実感すら涌かないようで、あーうーと唸っている。
そんな彼を目の前に、アレンはふっと微笑した。ハワードが休んでいるベッドに腰かけ、彼の額に腕を伸ばす。
「熱は、ないみたいだね? よかった」
白い肌に垂れる銀髪を耳にかけ、優しい声で語りかけた。婚約者の代わりに闇を背負おうとした巨獣の男に、ありがとうと囁く。
ハワードはうんと笑顔で答え、腕を大きく広げた。
アレンは彼の求めていることがすぐにわかり、その腕の中に静かに身を預ける。ハワードの逞しくて暖かい腕の中で、アレンは胸を撫で下ろした。
「……あの後、ノワール殿下は逮捕されたよ」
「え!? 兄上が!?」
アレンは体を離し、真剣な面持ちで告げる。
公爵家に対する数々の無礼な行いは、またたくまに国中に広がった。アレンが無理やり犯されたという事実だけを隠し、公爵一家惨殺事件の黒幕として逮捕される。
それらを知りながら黙認していた国王には、民から非難の声が寄せられていた。そして、あれよあれという間に国王は失脚したという。
何よりも、その噂を広めたのはレナとルシアだった。彼女たちはノワールの身勝手な振る舞いをよしとしない。レナはアレンを最推しとして。ルシアは元婚約者として。
それは彼女たちにとっては、落とし前のようなものだった。
「あの二人は協力して、ノワールの悪行の数々を王族会議で暴露するそうだよ」
そう話してくれた二人は、清々しいまでにいい笑顔をしていた。
ハワードは身震いし、アレンは苦く笑う。女性たちの結束力のようなものは、どんな男であっとも崩すことができないのだろう。
改めてそう、思い知らされる瞬間となった。
「ふふ。それでハワード、体調はもういいのかい?」
「え? あ、うん」
アレンはここぞとばかりにハワードへ抱きつく。指を絡め、艶めいた唇で吐息を溢す。ハワードと額を重ね合わせ、恥ずかしそうに見つめ合った。
アレンはモジモジとし、視線をあっちへこっちへと動かす。落ち着かない様子のまま、白い頬を赤く染めた。
「……ハワード」
「アレン」
二人は唇を重ね、濃厚な幸せを噛みしめる。そしてハワードがアレンの背中に手を回し、グッと引きよせた。
「あっ……」
驚くことすら許されないほどの早さで、アレンは彼に押し倒されてしまう。ハワードの上に乗っていたはずのアレンが、今度は組み敷かれるがわとなった。
緊張しているのか。握ってくるハワードの手は少しばかり汗ばんでいる。はあはあと、いつになく荒い息遣いと、シャツの上からでもわかる体格のよさ。
シャツのボタンを一つ一つ外していく動作にも、汗がついて回っていた。アレンを求める姿は、まさに巨獣のよう。
そしてそれらがすべて、アレンという妖艶な婚約者によって引き起こされた欲だった。
アレンは一瞬だけ目を見開く。けれど己も三日間という期間、こうして触れ合えることができなかったのだ。ハワードだけの欲として責められるわけもなく、アレンはふふっと艶びた笑みをする。
色欲の獣と化したハワードに細腕を伸ばした。そして彼の耳元で、甘い誘惑を行った。
「ハワード、私のすべてを暴いてくれないかい?」
「……っ!?」
こうして二人は獣のように欲に溺れながら、数日ぶりの快楽へと体と心を預けるのだった。
□ □ □ ■ ■ ■
数ヶ月後、国は大きく変わった。国王失脚、そして第一皇子の犯罪。それらが民からの信頼を失う切っ掛けとなった。
もうこの国は駄目だと誰もが嘆くなか、第二皇子でもあるハワードが国王の座につく。
ノワール殿下の元婚約者ルシア、そして聖女のレナ。この二人の後押しと推薦のおかげで、彼は新たな国王になった。
元々ハワードは国民からの信頼は厚い。顔は怖くても親しみやすい性格だということを、皆が知っているからだ。
そしてもうひとり。悲劇に見舞われた公爵一族の現当主、アレンだ。彼はハワードの婚約者ということ。多くの民から信頼されているということから、新しい女帝の地位を授かった。
もちろん、ルシアとレナの二人の支援があってのこと。
「ふふ。あの二人には、感謝しなきゃね」
ルシアは妃教育を受けていたこともあり、アレンの補佐役に任命される。そんな彼女はレナとともに、国の膿を炙り出すために、地方へと飛び回っていた。
そしてアレンはと言うと……
手に花束を抱えて、大きな木がある丘の上へと訪れていた。
ゆったりと動く雲と、眩しいばかりの太陽。どこまでも続く青空が、丘の頂上に穏やかな風を運んできた。
「…………」
アレンは髪を押さえる。空を仰ぎ見ては、平和で爽やかな空気に包まれていた。
そんなアレンの隣にはハワードがいて、彼もまた、たくさんの花を手にしている。
二人の目の前には一つの墓があった。そこには【ネロ・モリアーディ、リリス・モリアーディの墓】という文字が彫られている。
アレンたちはそっと花束を墓の前に置き、静かに胸の前で拳を握った。
「父上、母上、ようやく終わりましたよ。二人の無念……魂が、解放されるんです」
(厳しくて、笑うことのなかった父上。優しくて、ユーモア溢れる母上。どちらもが私を愛し、私のために散っていった)
亡き両親のことを思いながら、グッと瞳を閉じる。今でも浮かぶのは楽しかった日々。優しい笑顔たちだ。
顔をあげ、微笑する。
「……私を、守ってくれてありがとう」
目頭が熱くなっていった。泣かないと決めたはずなのに、いざ二人の墓を前にすると、どうしても両親の子供でいたくなってしまう。
「わかっているよ。いつまでも、それでは駄目だってことぐらい」
ハワードと手を握った。するとハワードは墓の前で片膝をつく。
「安心してください。アレンは絶対に、俺が守ってみせます。今までのことが嘘だったと思えるぐらい、幸せにしてみせますから」
すっと、立ち上がった。アレンを見て、強面な顔に笑顔を浮かべる。
アレンは彼の気持ちに答えるように、それでいて、悪戯をしかけんとした。握っている手をサッと離し、代わりにハワードへと抱きつく。
「あ、アレン!?」
「ふふ。隙を見せた、ハワードが悪い」
両親の墓標の前だというのに、恥ずかしげもなくハワードに甘えた。その瞳はとても妖艶で、美しい。
ハワードはゴクッと唾を飲みこむ。そして誘惑に負け、その場にアレンを押し倒す。
「……っ! 君が、いけないんだぞ!?」
「何のことかな?」
小悪魔的に微笑んだ。上に乗るハワードの頬へ手を伸ばし「──」と、口パクで伝える。
ハワードは言葉の意味を察した様子で、着ている服の襟をほどいていった。そして「うん」と、無邪気な笑顔で答える。
こうして二人は丘の上で、熱い口づけを交わした──




